35話 オリエンテーション①
「食堂で受け取った食事は中庭で召し上がっていただくことも可能です。では次に、こちらの教室についてですが……」
先生が説明をしながら学園内を歩く。生徒たちはまったく聞いていない……なんてことになるかと思ったが、意外と静かに集中している。
時々振り返ってこちらを伺うような視線を向けてくる生徒もいたが、なんだろうと目を向けると、黙って前を向いた。理由は分からないが、なんとなく引率の先生をしている気分になる。
私が前方にいると先生も話し辛そうだったため、一番後方から付いていった。騒がれると後ろの方まで説明が聞こえないから、みんな黙ってくれているのは有り難い。入学したばかりのころは緊張感があるよなと、周囲の空気を感じながら懐かしく思う。
それにしても、生徒の数は明らかに昨日の入学式より少ない。既に見学をしたことがあるカロリーナやセシル以外にも、今日の案内に参加していない生徒は多そうだった。この場にいる生徒は、みんな真面目なのかもしれない。
特に何も起こらないまま無事に学園内を一周し、午後のオリエンテーションまで解散となった。そんなにお腹は減ってないが、オリエンテーションは山を登ると聞いていたので食堂に向かう。誰か誘ってみようかと考えているうちに、一緒に回っていた生徒たちの姿は消えていた。
セシルはどこにいるんだろう。王族の入学は久しぶりだということで、他の生徒と違う行動をしているため全く出会わない。午後は会えるだろうかと思いつつ食堂に入ったところで、声をかけられた。
「アレン君、1人? 一緒に食べないか?」
「ウォルフ。いたのか」
さっき食堂の見学に来た時は誰もいなかったのに、彼は真ん中の席に陣取って手を振っていた。ちょうど12時を告げる鐘が鳴り、徐々に生徒たちが食堂に入ってくる。今からが昼休みなのだろう。前世のように授業ごとにチャイムが鳴るわけじゃないから、時計を見て行動する必要がありそうだ。
ウォルフに手招きされて隣の席に着く。さっとメイドが近寄ってきてメニュー表を見せてくれた。学園内に個人で使用人を連れてくることはできないが、食堂には担当の使用人がいるらしい。
ウォルフと同じものをと頼みつつメイドを見て、気付いた。
「あれ? 王宮の……」
彼女は昔、お茶会でマークスに絡まれていたあのメイドだった。当時も高齢に見えたが、まだまだ元気そうだ。
彼女はにっこりと笑って、頭を下げた。
「クールソン様、ご入学おめでとうございます。ハンナと申します。覚えていてくださったこと、とても嬉しく存じます。すぐにお食事をお持ちいたしますので、少々お待ちください」
「ああ、ありがとう。よろしく」
王宮のメイドはもう辞めたのだろうか。昼間だけこちらを兼任している可能性もあるが、王宮からもそれなりに離れている。ここ数年見かけなかった気がするし、今は学園だけで働いているのかもしれない。なんにせよ、顔見知りがいてくれると安心するなと彼女を見送る。
何故か、ウォルフが隣で目を丸くしていた。
「王宮のメイドを覚えているのか? すごいな」
「彼女は出会った時の印象が深かったからな」
当時の思い出を話しているうちに、例のお茶会の話になる。マークスのことはウォルフも覚えているらしく、渋い顔をしていた。
「彼も公爵家だからなぁ。うっかり寮や授業で出会うこともありそうだな」
「確かに……」
今のところ会っていないのは運がいいだけなのかもしれない。10年の時を経て少しは成長していることを祈るばかりだ。
そんなことを話しているうちに食事が運ばれてきた。ウォルフが頼んでいたのはランチセットだったようで、メインはシンプルなサンドイッチだった。これくらいなら問題なく食べきれそうだ。
「いやーそれにしても、アレン君がいてくれてよかったよ。俺は婚約者決まったのが遅かったから2年に上がったけど、いつも一緒に行動してた友達が1年で卒業しちゃってさ」
「そうなのか。私もウォルフがいなかったら1人で食べるつもりだった」
1人での食事も慣れているが、やはり誰かと食べたほうが良い。ウォルフが声をかけてくれてよかったとサンドイッチを頬張る。
さすが貴族を集めた学園の食堂だ。寮のご飯も美味しかったが、ランチも美味しい。これは他のメニューも気になってしまう。ランチは日替わりだったりするのだろうかと周りに視線を向けたところで、遠くに生徒の姿が見えた。
見慣れた金色の髪と赤い髪の2人が並んで歩いてくる。彼らは私に気が付くと、まっすぐこちらへ向かってきた。周囲の生徒たちが慌てて道を開けている。
「アレン、ここにいたんだね」
「すまない。探したか?」
「いいや、大丈夫だよ」
セシルは近くにいた別のメイドに2人分の食事を頼むと、私の前の席に座った。
その隣に座ったカロリーナは、何故か呆れたような顔をしている。不思議に思っていると、彼女はウォルフを見て口を開いた。
「それで、どうしてお兄様がアレン様と一緒にお食事をなさっているのですか?」
「えっ? お兄……」
思わず横を見る。ウォルフはにこにこと笑って頬杖をついていた。そういえばウォルフという名前は聞いたが、家名は聞いていなかった気がする。
彼がウォルフ・スワロー、カロリーナの1つ違いの兄だったらしい。
「カロリーナ、制服似合ってるね。全然見せに来てくれないから待ってたんだよ」
「私の質問に答えてくださいませ」
「もちろん、俺もアレン君の友達になったからに決まってるじゃないか」
ウォルフはそう言ってぽんと私の肩を叩いた。友達と言われたことに内心喜んでしまう。しかしカロリーナは怪訝な顔をしたままじっとウォルフを睨み、次いで私に向き直った。
「大丈夫ですか? アレン様。何か失礼なことを言われたりは……」
「大丈夫だ。色々と学園のことを教えてもらっている」
安心させるように頷きを返しつつ、この2人は読書兄妹なんだなと考える。髪色は違っているが、そういうところは似ているようだ。
――兄妹ってことは、ウォルフもセシルの幼馴染になるのか。
一体何をお話に、大したことじゃないって、と隣で話しているのを聞きながらセシルに視線を向ける。彼は何故か不安そうな顔をしていた。
「セシル? どうした、大丈夫か?」
声をかけると、セシルは我に返ったように顔を上げた。
「あ、ああ。大丈夫だよ」
「何か心配事でもあるのか?」
「ええと……そう、だね。この後のオリエンテーションのことを考えていたんだ」
オリエンテーション。その内容は事前に説明があった。
学園の敷地内には、裏山と呼ばれている小さな山がある。敷地内でありながらも塀の外にあるそこは、わざと魔物避けの結界が薄くなっていて、魔物が出現しやすいらしい。普段は授業や個人で実戦訓練のために使用する場所だ。
魔物は闇魔力、つまり瘴気から自然に生み出される。魔力に反応して人を襲うが物理攻撃は効かないため、魔法を使える貴族にしか撃退することができない。
オリエンテーションでは新入生が何グループかに分かれて裏山を登り、頂上で散開する。山を下りるまでに魔物が出現するため、そこで個人の対応力を見るのが主な目的らしい。
つまりオリエンテーションとはいっても、やることは実戦訓練に近い。セシルが不安になるのも仕方ないだろう。
「私も魔物を見るのは初めてだな」
「王都で魔物を見ることはあまりないからね。僕も実際に見たことはない」
私たちの会話に気付いたウォルフが、頷きながら会話に混ざってきた。
「学園は国境が近いのもあって結界の効果が比較的弱いから、最近は時々魔物が出るよ。魔法1発当てれば倒せるし、そんなに心配しなくていいと思うけどな」
「そう言う君は魔物を倒したことがあるのかい?」
セシルにそう聞かれ、ウォルフは堂々と答える。
「ないね。図書館から見ていたことはあるけど。1年のオリエンテーションでも誰かが先に倒していたし」
「堂々とお答えすることではありませんわ……」
はあとカロリーナがため息をついたところで、2人の食事が運ばれてきた。王族であるセシルも同じものを食べるのは少し心配だったが、運んできたメイドがちゃんとその場で毒味をしていたので安心した。
護衛くらいいるのではと思っていたが、学園内ではスティーブンも傍にいないようだ。裏山に入る時もきっとそうだろう。気を付けなければと気を引き締める。
あれこれとウォルフが話しているのを聞いているうちに食事が終わり、いよいよオリエンテーションの時間になった。
彼に見送られて講堂前に向かいながら、懐の杖を確認する。入学1年前に母様が買ってくれた杖は使いやすいがかなり細身で、触れて確かめないと重さも感じないほど軽い。定期的に確認しないと無くしてしまいそうだ。
講堂前に着く直前、カロリーナが申し訳なさそうに頭を下げた。
「おふたりとも、先ほどはお兄様が失礼いたしました。アレン様、ご迷惑な時は躊躇わずに強くおっしゃってくださいね」
「ああ、わかった。今のところ、むしろ感謝しているから大丈夫だ」
「本当ですか? それなら良いのですが……」
「ウォルフのあの性格は昔から変わらないね」
セシルがそう言って苦笑する。昔から彼はおしゃべりだったらしい。カロリーナは迷惑だと思っているようだが、いろんな話を聞けるのが有り難いのは本当だ。
オリエンテーションのことを事前に聞けたのも良かった。この1年は話し相手に困らなそうだなと心の中で呟く。
少しずつ生徒たちが集まってくる。先生方と共に離れたところにいるのは生徒会だろう。ウォルフが言っていた通り、すでに浮足立っている生徒が何人かいる。ちらちらと女子生徒に視線を向けている男子生徒もいる。ここから魔物が現れる裏山へ向かうのに、大丈夫だろうか。
少し不安に思いつつ、周りを見回す。学園の案内をされた時よりも人数は増えているが、それでもまだ少ない気がする。
先程話に出ていたマークスもいない。オリエンテーションに参加するしないは自由なんだろうか。それとも、生徒会や先生方に上の身分の人がいないからとサボっている生徒もいるのだろうか。
人数が揃ったところで大まかにグループが分けられる。セシルもカロリーナも一緒だ。先生と生徒会役員がそれぞれ1人ずつグループに付く。私たちのところにはセシルがいるためか、先生が2人付いていて生徒会役員はいなかった。
ざわざわと騒ぐ生徒たちに対して特に注意することもなく、講堂の横に続く道を通って裏山へ向かう。
右手に図書館が見える辺りまで来ると、先生の1人が学園を囲んでいる塀に手を当てた。よく見ると、そこにはスイッチのようなものが埋め込まれている。
「裏山への門は防犯のため魔道具で隠されています。危険なので、理由なく開けることのないようお願いいたします」
そこで『許可なく』と言わないのが、身分に厳しい貴族相手の難しいところなのかもしれない。魔道具に魔力が通り、壁だった所に大きな門が現れる。先生が2人掛かりでそれを開くと、生徒たちはグループごとに門をくぐった。
一歩進んだそこは完全に山の中だった。周りには木々が生い茂っていて鬱蒼としている。整備された道から少しでも外れると森の中で迷子になりそうだ。背の高い木が道に覆いかぶさるように生えていて、昼なのに薄暗い。
――いかにも魔物が出そうな雰囲気だな。
セシルやカロリーナより道の端を歩くよう移動して、魔物の出現に備える。前方と後方には先生が付いているが、左右はがら空きだ。
魔法1発で倒せるとしても、初めての魔物相手に魔法を命中させるのは難しいと思うのだが。基本的には先生方が対処するのだろうか。
「この山全体が、魔物と戦闘になることを想定した訓練場となっています」
前のグループが先に進むのを待つため、先生が足を止めて説明を始めた。
自然と私たちも道の途中で立ち止まることになる。
「学園の敷地内ではありますが、常に暗闇には瘴気が溜まっていると考えてください。瘴気から生み出された魔物は、魔力に反応します」
そう言って、先生は小声で呪文を唱えた。手に持った杖を森に向かって振る。小さな水の玉が飛んで木の幹に当たり、パシャンと弾ける。その瞬間、森の中で黒い影が揺れた。
生徒たちが息をのむ。その影はゆらゆらと犬のような形に変わり、魔法を放った先生に向かって森から飛び出した。すでに杖を構えていた先生が、今度はハッキリと唱える。
「貫け水の矢」
矢の形をした水が空中に現れ、魔物を正面から貫いた。動きを止めた魔物は、黒い靄のようになって消えていく。
先生は杖を懐に仕舞いながら言った。
「大事なのは、必ず魔法を魔物に当てることです。魔物の大きさによって魔法の強さを変えるのはその後で構いません。魔法を外すと魔物に魔力を与えてしまうことになり、数が増えたり凶暴化したりと面倒なことになってしまいます」
先へ進みましょう、と踵を返した先生について歩き出す。生徒たちはさっきよりも小声で、初めて目にした魔物について話している。
「思っていたよりも素早い動きでしたわ」
カロリーナが呟いた。私とセシルは頷く。
「今は来ると分かっていたからあのスピードで対処できたけど、夜道で突然現れたら危険だろうね。近くに魔法が使えない誰かがいた場合は特に」
「集団で来られてもまずいな。囲まれたら範囲攻撃の魔法で倒すしかなさそうだ」
魔物についての本は読んだことがあるし、母様や父様から話を聞いたこともある。魔物に噛まれると疫病にかかりやすくなることや、鋭い爪や牙を持っていることも習った。万が一杖を奪われたり落としたりしたら、一目散に逃げたほうがいいことも知っている。
より一層警戒を強める私たちの後方で、こそこそと話し声がした。
「あれくらいなら俺たちにもできそうだな」
「試してみるか? 一瞬で倒せば気付かれないだろ」
それは、すぐに他の生徒の声に紛れて聞こえなくなる。
どう考えても嫌な予感しかしなかった。




