34話 先生と先輩
自己紹介が終わると、リリー先生は「で、本題だけど」と改まったように辺りを見回した。そして他に誰もいないことを確認すると、自分の左手を指さした。
「それ、大叔母様……前神官様のでしょ? なんであんたが持ってるの?」
そう言われ、中指に嵌めた指輪を見る。何と答えればいいんだろう。大叔母様と言いかけたということは、彼は神殿の身内なのだろうか。
まさか攻略対象に神殿関係者がいたなんて。もしこの指輪が魔道具だと知っていたら、ヒロイン以外が聖魔力を持っていることが知られてしまう。
先生キャラである彼が『乙女ゲーム』の攻略対象に含まれるかは分からないが、ここは現実だ。普通に考えてヒロインに2周目なんてあるわけがない。それなら1周目なんて関係なく、攻略対象になる可能性がある。
――バレているかもしれないが、一応誤魔化したほうがいいか。
「この指輪は、魔力を確認するため神殿に伺った際に頂きました。とても素敵だったので、欲しくなってしまって」
私は8歳で魔力開放をしたと知れ渡っている。8歳ならまだ幼い。良いものを見て、素直に欲しいと言ってしまってもおかしくない。と、思ってほしい。何も深い理由は無く、ただの指輪として譲ってもらったということにしたい。
リリー先生は、あまり納得していないような顔で首を傾げた。
「へぇ。アデル姉さんからかなり大人びてたって聞いたけど、ちゃんと子供らしいところもあったのね」
「……お返ししたほうが良ければ、お返ししますが」
彼らからすると、これは前神官様の形見だろう。それに、私が魔道具の話を持ち出して譲ってもらったのも事実だ。アデルさんかリリー先生が持っておきたいというのなら、返したほうがいい。
そう思ったが、先生は首を振った。
「いいわよ返さなくて。前神官様があんたにあげたなら、それはもうあんたの物よ」
「そう、ですか。ありがとうございます」
気付かれないようにほっと息をつく。この指輪があるおかげで、うっかり聖魔法を発動させずに済んでいる。今ではお守りのようなものだった。
どうやら何の気なしに返そうとしたことで、ただの指輪として受け取ったのだと思ってくれたらしい。先生はようやく納得したというように小さく笑った。
「それにしても、こんなところで1人で何してたの? わざわざ猫を助けるために来たわけじゃないでしょ」
「あ……図書室に行こうとして、迷ってしまいまして」
正直迷ったというのは恥ずかしかったが、ここで誤魔化す意味もない。
リリー先生は目を丸くして、あらと呟いた。
「今日入学したばかりだから仕方ないわね。案内してあげるわ。私も医務室に戻るところだったのよ」
それは有り難い申し出だった。場所は分かっているつもりだが、あれこれと考えているうちにまた迷う可能性もある。礼を言って、先生と共に渡り廊下から校舎に入った。
隣に並ぶとさらに背が高いのが分かる。180くらいはありそうだ。私もどうせならそれくらい欲しかったなと心の中で呟く。高い本棚から本を取るにも猫を助けるのにも、身長があって悪いことはない。
「あんたさ、神殿でも姉さんに敬語だったんでしょ。なんで?」
歩きながらちらりと横目でこちらを見て、リリー先生が口を開いた。なんでだったかなと当時を思い出しつつ答える。
「お医者様にも敬語だったので、神殿でも敬語の方が良いかと思いまして。年上の方に敬語を使わないのも少し……違和感が」
「年上って、まさか使用人にも敬語なの?」
「いえ。それは流石に止められたので」
リカードに止められてなかったら、きっと今も身分関係なく敬語を使っていただろう。使用人はともかく、未だに年上相手にタメ語を使うのは躊躇してしまう。
本来なら身分を意識して使い分けなければならないのだが。そんなことを考える間もなくリリー先生には自然と敬語が出てしまったのは、やはり相手が『先生』だからだろうか。
先生は少し考える素振りをして、ぽつりと呟くように言った。
「あんたはこの黒髪を見て、何とも思わないの?」
「え?」
黒髪は、学園内ではあまり見かけない。先生と生徒を合わせても数人しかいないらしい。……が、元日本人としては金髪よりも見慣れている。普段一緒にいるジェニーも黒髪のため、なんとなく安心感を覚えてしまう。
しかし、安心しますなんて返すわけにはいかない。じっとサラサラの髪を見て、とりあえず頭に浮かんだ感想を伝える。
「綺麗だと思います。丁寧にお手入れされているのだろうと」
「……そういう意味じゃないのよね」
先生は苦笑を浮かべ、顔を背けてしまった。どういう答えを期待されていたんだろうと思っているうちに、医務室に着いた。
「じゃ、あとはここをまっすぐ行って、渡り廊下に出たら正面に見えるから」
「わかりました。ありがとうございます」
反射的に振り返って、ぺこりと頭を下げる。そこで、はっとした。前世の学生時代感覚で先生に対して礼をしたつもりだったが、あまり良くないかもしれない。公爵家として簡単に頭を下げないようにと習っているのに。
内心焦りつつそっと頭を上げ、急いで図書室へ向かう。
リリー先生が目を丸くしていたのには、気付いていない振りをした。
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入学して最初に出会ったのが攻略対象者とは、と独りごちる。攻略対象同士は出会いやすいのかもしれない。ゲームの仕様だろうが、ヒロインの周りに集まることで、キャラ同士は顔見知りになっていた気がする。
むしろ攻略対象が他の生徒といるところを見たことがない。描写されてなかっただけで、ヒロインが見ていない時は普通に生徒たちとも絡んでいたのだろうか。
まだセシル達以外の生徒とは一言も話していないなと考え、小さく息をつく。そして、軽く頭を振って顔を上げた。せっかく図書室に着いたのだからと気持ちを切り替える。
目の前の建物はかなり大きかった。学園図書館と呼ばれるだけあって、実物を見たらもう図書室とは呼べない。外観だけでも王宮図書室を軽く越えているようだ。
大きな扉を引いて中を覗き込むと、つい感嘆の声が漏れてしまった。
屋敷の図書室を市立図書館くらいとして、王宮図書室を大学図書館くらいだとすれば、ここは県立図書館ほどの規模だろうか。場所によっては大学図書館の方が大きいところもあるだろうが、それは一旦置いておく。
王宮図書室と同じく3階建てだが、かなり奥まで続いているようだ。見える範囲には机や椅子が並べて置かれている。カウンターもあるから、本の貸出もしているのかもしれない。天井は特殊なガラス窓になっているようで、日光より柔らかい光が差し込んでいた。
――学園の図書館なら、魔界の門の詳細が書かれた本もあるだろうか。
そう思いながら一歩踏み出し、図書館の中に入ったところでふわりと風を感じた気がした。寒い場所から温かい部屋に入った時のような、空気の壁を通り過ぎたような感覚だ。不思議に思って振り返ってみるが何もない。そこには今通って来た渡り廊下が見えるだけだ。
「ああ。それ、図書館の結界だよ。驚いた?」
突然、上の方から声が降ってくる。見上げると、2階で手を振っている茶髪の生徒の姿が見えた。
「ここ裏山が近いからさ、稀に魔物が出るんだよ。それが入ってこないようになってるんだ。ちょっとそこで待ってて」
そう言うと、彼は駆け足で離れていった。どうやら階段に向かったらしい。首を傾げつつ数歩進んで扉を閉める。思った通り、彼は1階に降りて駆け寄って来た。
図書館で声を出したり走ったりしない方がいいのではと思ったが、それは前世のマナーだ。私たち以外誰もいないようだし、別にいいかと彼に向き直る。
その生徒は目の前まで来ると、にっこりと笑った。
「入学おめでとう、アレン君。俺のこと覚えてるかな? 王宮で開かれた公爵家だけのお茶会にいたんだけど」
その言葉に記憶を遡ってみるが、まったく思い出せない。マークスの記憶が強すぎて、他の参加者の顔はうろ覚えだった。
「いや……すまない」
「まぁ小さかったし、覚えてないよな。アレン君とはずっと話したいと思ってたんだ。俺も本好きだし、2年目だから図書館の案内もできるよ」
2年目と聞いて、はっとする。つまり彼は先輩だ。それなのにタメ語で話してしまった。先程、相手によって敬語を使い分けるべきだと考えていたのに。
「先輩でしたか。失礼しました」
「あ、いいよ気にしなくて。堅苦しいの苦手だから、名前もウォルフって呼び捨てにしてくれ」
そう言うと、ウォルフは楽しそうに笑った。招かれるまま机に移動し、向かい合って座る。本を探そうと思ったのだが、これでは完全に話す体勢だ。
――まぁ、初めてゲームに関係ない生徒と話せるのは嬉しいな。
ウォルフの姿は完全に見覚えがない。さすがに攻略対象ではないだろうと考えていると、彼が言った。
「入学式の日に会えてよかったよ。俺はもう婚約者が決まってるから今年で卒業して、来年はいないからさ。授業でも会う機会はほとんどないだろうし」
それを聞いて、思わず目を丸くする。いつでも卒業できるのは知っていたが、みんな3年経ってから卒業するものだと思っていた。実際に2年で卒業する人もいるのかと驚いてしまう。
せっかく制服を作ったのだから、3年までいたらいいのに……と思うのは庶民の感覚か。貴族は毎年何着も服を仕立てているし、制服も同じものを3年間着続けることはないだろう。
早く卒業して働きたいと思うのが普通なんだろうか。できるだけ働きたくないという不純な動機で大学を選んでいた、前世の友人を思い出してしまう。
「3年までいるつもりはないのか?」
「俺はないな。3年まで残るのは、専門職とか国家資格目指してる奴くらいだし。家業を継ぐ場合は家で学ぶことの方が多いから、婚約者が決まって最低限の魔力調整ができるようになれば、1年で卒業する奴も何人かいるぞ」
「1年……!?」
前世の記憶のせいで受け入れ難いが、海外には飛び級なんかもあったはずだ。そういうイメージなのだろうか。学園に入学する貴族たちの最大の目的が婚約者探しなのは知っていたが、確かにそれだけなら1年あれば十分なのかもしれない。
思えばゲームのヒロインも入学した年に門を封印して、エンディングで神殿に入っていた。もしかして彼女も1年で卒業していくのだろうか。
「基本みんな婚約者を探すために来てるからな。知らなかった?」
「一応知ってはいたが……まさか1年で卒業とは」
「念のため2年までいる生徒もそれなりにいるけど、女子生徒は1年でいなくなることが多いかな。婚約者が決まったら相手の家のことを学ぶから、学園にいる数年がもったいないって。ただの勉強なら家庭教師で十分だしな」
私と話したかったというのは本音だったようで、ウォルフは止まることなく会話を続けた。こんな形で学園の先輩から話を聞けるのは素直に助かるなと思いつつ、耳を傾ける。
「で、婚約者を探すためにも交流系の授業が多いんだ。特に1年は。アレン君は家業を継ぐのか?」
「いや……専門職? になると思う」
「じゃあ1年のうちに良い子見つけておいた方がいいよ。3年まで残る女子生徒はほとんどいないし、段々婚約者見つけるのも難しくなってくるから。俺は1年の終わりでようやく出会えたよ」
それには苦笑いで返しておく。本気で婚約者を探しに来ている人からすれば有り難いアドバイスだろう。でも私は乙女ゲームを無事にクリアするためと、将来結婚しなくても問題にならない仕事に就くために来ている。微妙な反応しかできず申し訳なかったが、特に気にした様子もなく、彼は言った。
「1年でお勧めの授業は『調理』だな。シェフやパティシエを目指してる生徒が多いけど、単純に交流がしやすいよ。気になる子の手料理なんてめったに食べられないし、そもそも使用人がいたら自分で調理する機会はないし。結構面白いから、興味があったら是非」
「ありがとう、覚えておく」
その後もウォルフはお勧めの授業をいくつか教えてくれた。授業は全学年合同の行事や魔力調整という必須項目以外は選択制だ。1年は交流系が多いと言っていたように、勧められる授業もすべて共同作業が必要なものばかりだった。
なんだか、そういう婚活もあると前世で聞いたような気がする。この授業も同じようなものだろうか。16歳で婚活は早いなと思ってしまうが、この世界では普通なんだろう。
しかし、ヒロインに出会う前に女子生徒と交流する機会が多いというのは、攻略対象としてはどうだろう。そう思って、尋ねる。
「男子生徒だけの授業もあるのか?」
「ああ、あるよ。魔物退治に行くような実技系は男子生徒の方が多いな。あとは横の繫がりを作るための、家の跡継ぎだけ集めたお茶会とか」
「お茶会も授業なのか?」
「いずれ開催する立場になることもあるから、その練習も兼ねているらしい」
でも、と急にウォルフが言葉を濁した。
じっと私の顔を見て何かを考え、苦笑する。
「アレン君は、あんまり男子生徒だけの授業ばかり出ない方がいいかもなぁ。なんか変な噂が立ちそうだから」
「変な噂?」
なんだろう。やはり婚約者を求めていないと気付かれてしまうのだろうか。他にも仕事一筋に生きたい生徒はいるかもしれないが、周りが本気で婚約者を探しに来ていたら浮いてしまうのかもしれない。
もしくは、婚約者じゃなくて友達を探しに来ているだけだと噂されるとか……それはわりと間違ってないんだが。
首を傾げていると、ウォルフは眉を下げて笑った。
「まぁ、そんなに気にしなくていいよ。それより、明日はオリエンテーションだろ? 気を付けて。毎年何かしら問題が起きるから」
「何かしら、って?」
「ずっと先生が見てるわけじゃないからさ。女子に良いとこ見せようと思って力んでる奴とか、初めて魔物を見てパニックになる奴とかが出てくるんだ。一応生徒会も参加するけど、前役員がほぼ卒業しちゃって、今の生徒会は代理ばかりでさ」
生徒会は、先生方では抑えきれない生徒の問題を取りまとめるために存在しているという。身分を理由に差別が起こらないよう、学園内では身分を問わないことになっている。が、当然それに従わない生徒もいる。そういう時、生徒より身分の低い先生では抑えられない。
だからこそ、生徒会は身分が高い順に決まるらしい。それで王族であるセシルが生徒会長になるんだなと納得する。
ただし彼が生徒会長になるのは、早くて来年だ。
代理ばかりの生徒会では、生徒の暴走を抑えられないだろうということらしい。
「身分の高いアレン君とセシル王子がいるから大丈夫だと思うよ。頑張ってね」
ウォルフは最後に、若干投げやりなエールを送ってくれた。




