3話 行動開始
母アレクシアの部屋にもメイドは1人しかいなかった。部屋の主は寝込んでいるはずなのに、カーテンも窓もしっかり開けられていて明るい。
入口に立っていた護衛兵にジェニーが挨拶をしているのを聞きながら、換気だとしても入口の扉は全開でいいのかなぁと思う。
「アレン様! もうお怪我は大丈夫なのですか?」
恐らく母様専属と思われるメイドが私を見て目を丸くした。確かに昨日階段から落ちてお医者様に見てもらったばかりだというのに、今日元気に歩いてるのはおかしいのかもしれない。
でも実際に大丈夫なので、そのまま「大丈夫」と答えておく。
「それより、母様は?」
「奥様は相変わらずで……本日もあまり体調はよろしくないようです」
そう聞いて、ベッドに目をやる。まだ部屋の中に入ったばかりなので離れているが、窓に背を向けて頭を抱えている母アレクシアの姿が目に入った。
「ナタリー、ちょっと」
ジェニーが母様専属メイドを手招きして、小声で問いかける。部屋が静かなので私や護衛兵には聞こえているが、そこは問題ないのだろう。
「今日は、旦那様は?」
「まだいらっしゃってないわ。どうして?」
「昨日の今日でしょう? アレン様に会っていただきたくないじゃない」
どうやら、昨日父であるダニエルに階段から突き落とされた件のことを言っているらしい。
正直私は落ちた直後からの記憶しかないため気にしていないが、よく考えれば虐待だよなぁと思う。現代日本なら通報されてニュースになってそうだ。使用人たちが会わせるのを避けたいと考えるのも、もっともかもしれない。
私は2人が話している隙に、母様に近付いてみた。寝ているというよりは横になっているだけのようで、ちらりと薄目を開けてこちらを確認した後、再び辛そうに目を閉じた。腕で目を覆っているのを見て、静かに尋ねてみる。
「母様、頭が痛いのですか」
「……ええ」
返事をするのも辛そうだ。少し考えて、失礼します、と肌に触れる。熱があるわけでもないが、体温が低すぎるというわけでもない。気になるのは、血行が悪そうな、真っ白な肌色をしているくらいだろうか。手の爪を見てみると、中心部分が少し凹んでいる。
――貧血? 定期的に体調が悪くなるならPMS……月経前症候群とか? 目を抑えているから偏頭痛も持ってるのかも。もし内臓が弱いなら、私には根本的な解決はできないけど……。
医学的な専門知識はないが、女性としての慢性的な病には多少の知識がある。自分も冷え症や貧血、偏頭痛やPMSに悩まされていたことがあり、そのたびにネットであれこれ治し方を調べていたからだ。
放置していても悪化しかしないのであれば、何もしないよりは何か試してみたほうがいい。
まずは部屋の明るさからなんとかしよう、とナタリーに声をかける。
「ねぇナタリー。どうして母様の部屋はこんなに明るくしてるの?」
「えっ、ええと……部屋の空気が籠っているから体調が悪くなるのだと、旦那様が……」
「……父様には、医学的な知識があるの?」
ジェニーを見てみると、彼女はそんなまさかという顔をして首を振った。もしかしたら彼女たちには母様の不調の原因が分かっているのかもしれない。でも、立場上旦那様である父ダニエルの言いつけを断れないのだろう。それなら私が言うしかない。
「母様が目を抑えて頭が痛いと言っているから、きっと部屋が眩しすぎるんだと思う。窓は開けていてもいいけど、光が入らないようにカーテンは閉めたほうがいいんじゃないかな」
どこでそんな知識をと聞かれたら何と答えようか迷っていたが、ジェニーもナタリーもはっとした顔をして、すぐに動いてくれた。一部の窓は開けたまま、カーテンを閉めていく。部屋の中はだいぶ薄暗くなった。母様の様子を見ていると、目を抑えていた腕を下ろしていた。
――本当は真っ暗のほうがいいけど、アイマスクとかないのかな。さすがに今すぐ用意はできないだろうから後で聞いてみよう。
これが緊張型頭痛なら温めたほうがいいが、体温は別に低いというわけでもなかった。目に入る光が痛みだと感じるタイプの偏頭痛なら、確か冷やしたほうがよかったはずだ。続いてナタリーに水とタオルを用意するように頼む。
「こめかみのあたりを冷やしてあげて」
きょとんとしているナタリーに、えーとそのあたりが熱かったから、と適当に付け加える。本人が嫌がったらやめてねとだけ伝えて、ジェニーと一度部屋を出た。
「アレン様、どちらへ?」
「もうすぐ昼食の時間だろうから、厨房に。母様のメニューを知りたくて。慢性的な体調不良を治すには、やっぱり食事から見直さないと」
当たり前のことを言っているはずだが、何故か関心した目で見られる。厨房への道はジェニーが最短ルートを案内してくれたが、それにしても遠かった。改めて公爵家ってすごいんだなと思いつつ、いくつか階段を下って1階まで降りる。
厨房に向かっていると、ちょうど話し声が聞こえてきた。
「なぁ、知ってるか奥様の噂」
思わず足を止める。ジェニーも私に続いて足を止めた。心配そうな顔を向けられるが、大丈夫だよと返す。
母様について、私はジェニーとリカードからしか話を聞いていない。実際他の使用人からどう思われているのか、現状を知るのは良いことだ。
「噂って? あんまり下手なことを言ってると怒られるぞ」
「いやぁ、メイドの誰かが見たらしいんだけどさ。夜中にガリガリって音がして、奥様の様子を見てみたら……魔法で出した氷を一心不乱に齧ってたんだってよ」
続いてひええ、本当かよと悲鳴が聞こえてくる。実際に魔法が使えるんだという感動はひとまず置いておいて、魔法で出した氷って食べても大丈夫なんだろうか? と疑問が浮かぶ。
それにしても、話だけ聞いたら狂っていると思われてしまってもおかしくない。
「アレン様、大丈夫ですか?」
ジェニーからすれば、母親のショッキングな話を聞かされた子供というように見えたのだろう。記憶喪失ということになっているにも関わらず、本気で心配してくれているのが有り難い。
しかし、私はこの症状を知っている。噂をしている彼らも、そんなに怖がらないでほしいなという気持ちを込めて答えた。
「大丈夫、氷食症だよね。ちょっと誇張されてる気もするけど、鉄分欠乏症ならよくある症状……」
そこまで言って口をつぐむ。ナタリーならまだ本で読んだという言い訳が通じるかもしれないが、ジェニーは私にアレンとしての記憶がないことを知っている。
昨日に続いて失言が多いことを反省しつつ、目を丸くしている彼女に何かを聞かれる前に口を開いた。
「と、とにかく。母様のメニューを確認しに行こう」
ジェニーはじっと私の顔を見て、わかりましたと頷いてくれた。それにほっとしつつ、声が聞こえていた場所に向かう。厨房の中には3人しかいなかった。
「忙しい時にすみま……すまない。母様の食事メニューを知りたいんだけど」
早速開いたままの扉から声をかけると、3人は驚いた顔をした。先程の会話の内容からしても、おそらくこんなところまで人が来ることはないのだろう。
まとめ役と思われるコック帽を被った男性が、わたわたと慌てた様子で厨房から出てきた。
「お、奥様の食事メニューですか?」
ええと、と背中の厨房をみて、彼は答えた。
「本日は昼に果物の盛り合わせ、夜に野菜スープとパンを予定しております」
「……え? 明日は?」
「明日は朝食が白湯のみで昼はパンとサラダ、夜は果物とスープの予定です」
指を折りながら答える彼が嘘をついているようには見えない。貧血になっているのであれば偏った食事なのかもしれないとは思っていた。でも予想以上だ。こんなの体調が悪くならないわけがない。
「アレクシア母様はダイエットでもしてるの?」
ダイエットという単語が伝わるか一瞬心配したが、問題なく伝わったらしい。コックはそうですね、と首を捻った。
「アレン様がお生まれになってから、体型のことで旦那様と揉められたとか……」
「待ちなさい。その話はアレン様にお伝えする必要はありません」
ジェニーがわずかに怒気を含んだ声で話を遮る。コックは顔を青くして「申し訳ありません、余計なことを!」と頭を下げた。それに対して気にしないように手を振って返す。……だいたい分かってきた。無茶なダイエットで貧血になる人は、周りにも多かった。
「とりあえず母様に体力をつけてほしいから、ダイエットは中止して肉類を食べてほしいんだけど。昼か夜に肉を出すことはできる?」
「あ、肉は……」
また怒られると思ったのか、彼は一度ジェニーのほうを見た。彼女が何も言わないのを確認して、話を続ける。
「旦那様が仕事もしない奴に出す必要はないと、2人分しか用意しておりません」
「は?」
今度は私が怒りそうになってしまった。またもや慌てて頭を下げるコックに流石に申し訳なくなり、深呼吸をして落ち着く。彼は何も悪くないのにかわいそうだ。
ちょっとだけ考えて、彼に頼む。
「じゃあ、私の分を母様にあげてほしい」
私の言葉に、コックとジェニーが顔を見合わせて同時に声を上げた。
「し、しかしそれではアレン様の分が……」
「そうです。アレン様の栄養が足りなくなってしまいます」
2人に言われ、それもそうかと思い直す。アレンとしても成長期なので、まったく肉類を食べないわけにはいかない。
「なら、半分こで。私の分を半分母様に、食べやすいように調理して出してあげて。いきなり丸ごと出されても食べられないかもしれないし」
それなら、とコックが頷いてくれたのでよしとする。ジェニーはまだ何か言いたそうだったが、最終的には納得してくれた。
あとは、といくつか鉄分豊富な食材を頼む。日本で作られたゲームの世界だからか、ほうれん草や豆乳なども普通に存在しているようだ。
そういうものかと思いつつ、ついでに鉄分を吸収しやすくなるビタミンCが豊富な食材も追加で出すように頼んで、厨房を後にした。
母様の様子を再度確認して、今後出される予定の食事をしっかり食べるようナタリーにも頼んでおきたい。
そう考えながらジェニーと共に母様の部屋に戻ると、何故か出るときに閉めていたはずの入口が再び開け放たれていた。
護衛兵は戻ってきた私たちの姿を見ておろおろしている。嫌な予感がした。
「なんだなんだこの部屋は! これでは治るものも治らんぞ」
聞き覚えのある大きな声が、部屋の中から聞こえてきた。