30話 学園へ
馬車の用意ができたらしい。リカードから声をかけられ、すぐに向かうと答えて息をつく。今ではほぼ自分と同じ高さになった鏡に目を向ける。
腰辺りまで伸びた青い髪をそのまま下ろさずひとつに束ねている以外は、制服も含めてゲームのアレン・クールソンそのままだ。とはいえ、もうほとんど正確なビジュアルなんか覚えていないが。
――ああでも、これは違うな。
そう呟いて自分の手を見る。8歳のころに前神官様から貰ったそれは、もう親指には入らない。左手の中指に嵌めた白い指輪をそっと撫で、振り返る。
今日から3年間、長期休暇で帰ってこない限りこの部屋を使うことはない。少しだけ寂しい気持ちを抱えながら、ジェニーと共に部屋を出た。
マジックフォート学園の入学式は明日だ。でもその前に、寮に入る必要がある。遠方の生徒は数日前から入っているらしいが、私は王都に住んでいることもあって直前まで屋敷にいることができた。
荷物だけはすでに送ってある。あとはジェニーと共に学園まで移動するだけだ。
「本当に私と一緒に来るのか?」
情報漏洩などを防止するため、学園内には使用人を同伴させることができない。しかし、寮には2人まで連れていくことができるらしい。私はいなくても構わないと思ったが、公爵家なのに使用人が誰もいないのは逆に問題になるとのことで、結局ジェニーだけ着いてくることになった。
後ろを歩く彼女に確認のため声をかけると、若干食い気味で答えが返って来た。
「当然です。今から嫌だとおっしゃっても付いて行きます」
「……君もなかなか強気に出るようになったよな」
それだけ仲良くなれたのかなと苦笑する。前世の記憶を思い出した6歳のころに彼女が20歳だったとしても、単純計算で30を越えていることになる。失礼だと分かっているから正確な年齢を聞いたことはないが、恋人とか結婚とか……大丈夫なのだろうか。
私のようなタイプなのかとも思ったが、ナタリーとの会話を聞いていると、そういうわけでもなさそうだった。
学園に入ると使用人はまとまって寮全体の掃除や雑務に当たることになる。さらに門限が定まっている専用の寮で寝起きするらしい。当然出会いも少なくなるし、屋敷にいる時より自由もない。
それなら私が学園に行っている3年間、自由にしてもらった方が彼女のためなのではと思っていた。
――まぁ、一緒にいてくれたら安心感はあるんだが。
学園に入ってからが乙女ゲームの本番だ。覚悟はしていても不安がないわけじゃない。記憶を書き記した本もこっそり持っていくが、その中身ですら最初からうろ覚えの知識しか詰まっていない。この世界の常識だって学んだこと以外は分からない。何かあった時、ジェニーが傍にいてくれたら心強い。
まだまだ頼ることになりそうだと思いながら、階段を降りて玄関へ向かう。使用人たちと並んで、母様と父様が待っていた。
「アレン! 制服姿もとても素敵ね」
「母様、お待たせいたしました」
笑顔で手を広げてくれる母様に近付いて、ぎゅっと抱き締める。既に身長は私のほうが高い。顔を合わせて手を取ると、母様は微笑んだ。
「いってらっしゃい。体には気を付けるのよ、あなたはすぐ無茶をするから。長期休暇にはきっと帰ってきてね。学園でのお話を楽しみにしているわ」
「はい、母様もお元気で。たくさん学んで参ります」
もう一度抱擁をして、次は隣に立つ父様に顔を向ける。父様は少しだけ迷って、さっと手を広げた。そしてそのまま力強く抱き寄せられる。父様に抱き締められることはめったにないため、つい目を丸くしてしまう。
「焦らずに自分の道を見つけてきなさい」
短くそう言うと、父様はぽんと背中を叩いて離れた。良い人を、ではなく自分の道を。その言葉に目の奥が熱くなったのをぐっと堪え、頷いて答える。
「ありがとうございます。精進して参ります」
ジェニーもそれぞれ使用人たちと挨拶をして、母様とも軽く話をしたようだ。
父様の合図で玄関の扉が開かれる。視界の端でリカードが目元を抑えているのが見えて、小さく笑ってしまう。
「それでは、アレン様。参りましょう」
「ああ」
半年後に1度帰ってくるとはいえ、こういう形で屋敷を出るのは初めてだ。なんやかんや旅行もする機会がなかったため、外泊の経験すらない。玄関前に用意された馬車の横で、護衛兵が数人集まって私たちを待っていた。
「――行って参ります」
緊張を飲み込んで、ジェニーと共に一歩踏み出す。
馬車が見えなくなるまで、母様たちは手を振って見送ってくれていた。
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学園は地図で見ると、クールソン公爵家から王城などを挟んださらに向こうにあった。馬車の移動で休憩を取りつつ約5時間。馬で移動すればもっと早いが、ジェニーは乗れないし、そうまでして急ぐ理由もない。
――せっかく魔法があるんだから、魔道具で移動できればいいんだけどな。
魔道具は公共の場での使用や、個人での長距離移動が禁止されている。それを許可してしまうと、どこに繋がっているかわからない通路があちこちにできてしまうからだ。
もっと遠方の貴族は数日かけて、時には野営をしつつ来るらしいので、腰が痛くなるだけで文句は言えない。久しぶりに前世のバスや電車の座席を恋しく思いつつ、学園に到着した。
ゲームに出てきた学園の正門とは別の門から敷地に入り、大きな建物の前で馬車が止まる。女子寮は少し離れたところにあり、門から近いここは男子寮のようだ。
周りには、他にも数台馬車が止まっていた。今日から入るのは私だけではないのかとなんとなく安心する。
門を通る際に馬車を確認されたらしく、特に手続きは必要なかった。寮の担当らしき先生から簡単な説明を聞いて、部屋の鍵を手渡される。学生寮は6階建てで、上から順に身分で階が分かれているらしい。
公爵家の私は5階。最上階は、王族であるセシルのために改装中だった。
本来王族は王宮から通うことが多いのだが、彼が寮に入ることを希望したため、急遽工事が入ったそうだ。改装が終わったらセシルも同じ場所に住むのだと思うと、不思議な感じがした。
先生に案内されて寮へ足を踏み入れる。建物自体がL字になっていて、ちょうど中間地点に談話室のような場所があった。談話室同士を繋ぐ位置に階段があったが、寮内には至る所に階層移動用の魔道具が設置されているため、生徒たちはほとんど階段を使わないらしい。
私の部屋は談話室のすぐ隣だった。部屋ごとに防音の魔道具が設置されているらしいので、話し声が気になることはなさそうだ。
ジェニーと共に鍵を開けて部屋に入る。屋敷の部屋に比べると多少狭いが、思っていたよりかなり広い。事前に送っていた家具もしっかり配置されている。専用の魔道具で防犯対策もされているらしいので、安心して過ごすことができそうだ。
今日からここで暮らすと考えると、ついそわそわしてしまう。前世でも社会人になってからは一人暮らしをしていたが、寮に入ったことはなかった。
そこで、何故かジェニーが不安そうな顔をしていることに気付く。
「ジェニー、どうした?」
「いえ……ここでアレン様がおひとりで過ごされるのかと思うと心配で」
「私はほとんど学園にいるし、君も毎日所定の時間まではここにいるだろう?」
「それはそうなのですが……」
いまいち煮え切らない返事をする彼女に首を傾げる。屋敷と違って、寮では使用人がずっといるわけではない。朝は早いだろうが、夜は決まった時間になると彼女たちも寮に帰る必要がある。
つまり『夜中にお茶が飲みたい』というようなことがあれば、自分で動かなければならないということだ。普通の貴族なら嫌がるだろうが、私はむしろそっちのほうが気が楽だ。
「別に心配することはないと思うが」
「……アレン様、もしセシル様がアレン様のお部屋を見せてほしいとおっしゃったら、どうなさいますか?」
質問の意図がわからず、きょとんとしてしまう。彼が寮に入ったらそういうこともあるだろう。私も6階のセシルの部屋がどうなっているか気になるし、彼が私の部屋を見たいと言ったとしてもおかしくはない。
「普通に部屋に呼べばいいんじゃないか?」
そう答えると、ジェニーは静かに頭を抱えた。王族を部屋に招き入れるのは失礼なのだろうか。それとも、基本的に寮の部屋に人を入れては駄目なのだろうか。そんな説明はされなかったがと戸惑っていると、彼女は小さく息をついた。
「まぁ……その時には私もお傍におりますので、そこまで考える必要はないかもしれませんが」
それを聞いて、使用人がいない時に王族を招き入れるのは失礼なのか、とひとまず納得する。そこまでというのは何のことかは不明だが、ジェニーが落ち着いたならよしとしよう。
気を取り直したように顔を上げて、彼女が言う。
「それでは、これからどうなさいますか? 入学式前に学園内を見学することも可能と聞いております。おそらく図書室もご覧になれるかと」
「そうだな……」
窓から見える太陽はやや傾いている。もう少ししたら夕方になるだろう。学園はどうせ明日から毎日通うことになる。
それなら、とジェニーに向き直った。
「少し街に行ってみたいと考えているんだが」
「街、ですか?」
王都の端に位置するこの辺り一帯は、一部からは学園都市と呼ばれているらしい。学園に入る貴族が多く集まるため、自然と店が増え人が集まり、街へと発展したそうだ。
貴族が歩き回るからと他の街より警備が厳重で、審査を受けた平民しか住むことができないと聞いた。大通りではなく裏道から入ろうとすると、貴族であっても衛兵に止められることがあるらしい。
そんな街なら護衛兵がいなくても、そこまで警戒せずに歩けそうだ。
「これからは度々向かうことになるだろうからな。今のうちに一度見ておきたい」
確かゲームでも、休日に街でヒロインと攻略対象が出会うようなイベントがあったはずだ。入学前に軽く道を確認しておくのもいいだろう。
ジェニーは少し考えて、頷いた。
「わかりました。お供いたします」
部屋の鍵をかけ、ジェニーと共に1階に降りる。嫌なわけではないが、やっぱり一緒に来るよなと心の中で呟く。
もし今後、街でヒロインに出会うことがあるとすれば、傍にジェニーがいるのは変かもしれない。ゲームの攻略対象達は一体どうやって1人になっていたのだろう。実は言及されてなかっただけで、傍に護衛兵なんかもいたのだろうか。
王族のセシルはわからないが、学園では、攻略対象は基本的に1人で行動しているだろう。しかし休日に街に出る時は、毎回使用人同伴イベントになるのだろうか。それは乙女ゲームとしてどうなんだろう。学園の外ではヒロインが誰とも2人きりにはならない、なんてあり得るのだろうか。
セシルの時はどうだったかなと考えながら街へ向かう。寮の近くにある門から出ると、すぐ正面に街が広がっていた。門の両側にも、街へ入る道にも、数人の衛兵が立っている。
本当に、かなりしっかり警備されてるようだ。衛兵は平民出身が多いと学んだが、もしかしたらこの中には、魔法が使える貴族出身もいるかもしれない。『魔界の門』が学園のどこかに封印されているのは平民たちにとっても周知の事実だ。魔物にも対処できる衛兵がいないと不安だろう。
最近は王都でも魔物の目撃情報が出るようになった。今のところ大きな被害は出ていないが、ここまで闇魔力が強まっているなら、門から瘴気が漏れだしているのは確実だ。一刻も早くヒロインに封印し直してもらわないといけない。
――ただ、門を発見するのはストーリーの終盤……学園長を追っていってようやくわかるんだよな。
学園長がラスボスでなければ、いっそのこと事情を説明して、今のうちに私の力で封印できないかと考えたこともある。しかし、それで何が起こるかわからない。
そもそも私が聖魔力を持っているのは偶然だ。実際に門の封印ができるかどうかはまた別だろう。
同じ聖魔力でもヒロインの力は特別かもしれないし、攻略対象が全員揃っていないと駄目ということもあり得る。
門を見たいだけだと嘘をついて学園長に場所を聞き出せたとしても、きっと途中で気付かれるだろう。そのせいで下手に警戒されて、ストーリーとまったく違う行動をされても困る。何かしらの濡れ衣を着せられて、イベント前に学園を追い出されるような展開になっても困る。
そうやっていろんな可能性を考えた結果、結局は大人しくゲームのストーリーを進めていった方が確実だと気付いた。
――私が何もしなくても、攻略対象として最終的に門の封印に立ち会うことになるだろう。
余計なことはせずに、攻略対象の1人として役に徹したほうが良さそうだ。そう思って街に入ろうとしたところで、近くに見覚えのある馬車が止まった。
立ち止まってジェニーと顔を見合わせる。間を置かず扉が開き、金髪を揺らして眩しい笑顔が向けられた。
「アレン! もしかして、これから街に行くのかい?」




