28.5話 味方 ◇
「お疲れ様でーす」
その声に休憩室の入り口を振り返り、お疲れ様ですと返す。
先輩たちが入ってきたのを見て、座りやすいように席を移動させる。会社で働く女性が集まって昼休憩を取るのは、入社した時からの習わしだった。
本当は無理に集まる必要はないらしいが、ここから1人で抜け出す勇気はない。情報交換の場でもあるし、良い人ばかりだから別に悪いことでもない。
昼休憩の度に必ずと言っていいほど出てくる、例の話題を除いて。
「あれ、今日はお弁当? 作ったの? えらーい」
隣の席に座った先輩が私の手元を見てそう言った。普段は出勤途中にコンビニで弁当を買っているが、今日は久しぶりに手製の弁当を持ってきていた。とはいえ実際は昨夜の残り物を詰めただけだ。
「そんな大したものじゃないです。ちょっとコンビニの弁当に飽きちゃって」
「コンビニ飽きるよねー、わかる。新商品も買うけど、結局いつも同じのに落ち着くんだよね」
「ですよね。私もいつも同じもの買っちゃいます。近くに他のコンビニがあればまた違うんですけどね」
そんな会話をしながら包みを開く。電子レンジで弁当を温めていた人や、トイレに行っていた人たちが帰ってきてみんなが席に着いた。
途端に、またいつもの話が始まる。
「そうそう、井上ちゃん。先週、彼氏の誕生日会計画してるって言ってたじゃん。あれどうだったの?」
「聞いてくださいよー! なんか友達が風邪ひいたからそっちの見舞いに行くって、来なかったんですよーあいつ。当日ドタキャンとかありえなくないですか?」
『恋話』
会社でも居酒屋でも、特定の趣味の話でもない限り、女性が集まるとだいたいこの話題になる気がする。好きな人がいるとか彼氏の話とか、昔の恋話とか友達の恋話とか。
別に嫌なわけではないが、時々他の話題はないかなと思ってしまう。私が別の話題を出しても、気付いたら恋話に戻っていることも多かった。
――まぁ人の話を聞いている分には、面白いからいいんだけど……。
「えー! 彼女ほっといて? マジ? それ会いたくないって言い訳だったんじゃない?」
「私もそう思って電話して、結局喧嘩になって別れちゃったんですよね」
「判断早すぎー! え、じゃあ今フリーってこと?」
若干怪しい流れになってきたことを察して、今のうちから気配を消しておく。
みんな思い思いに話をする中で、誰かが言った。
「じゃあ井上さんのためにも合コン開きません?」
それは以前からよくある流れだった。フリーの人達を集めて合コンを計画して、次の昼休みにその結果や感想、進捗を聞く。これもまた、聞く分には楽しい。みんな話がうまくて面白くて、すごく盛り上がるから。でも……
「先輩また計画してくださいよー! 良い人いないんですか?」
「待って、友達のグループチャットで聞いてみるわ」
「私良いお店知ってますよ! 女子会のとこにリンク貼っておきますね!」
「えーと、今フリーなの誰だっけ?」
先輩がぐるりと休憩室を見回す。
目が合わないように顔を伏せていたのに、無意味だった。
「井上さんと、中谷さんと、佐倉さんかな?」
「あ、いや……私はちょっと」
予想通り名前を上げられて、なんとか断ろうと首を振る。
スマホを見ていた先輩が「大丈夫大丈夫」とこちらを見ずに手を振った。
「みんな良い人だし話しやすいと思うよ! ほぼタダみたいなもんだから、適当にご飯だけ食べておいでよ」
「ええと、今は別に彼氏とか」
「そう言ってるうちに欲しくなるから! 合コンですぐ付き合う人なんていないし、もっと軽く考えて大丈夫よー」
「佐倉さんも若いうちにいろんな男性を見ておいたほうがいいよ。こういう人は絶対無理だなーとか、知識が増えるからさ」
――だから、一般的な男性がたぶん無理なんですって……!
このままじゃ完全にメンバーに加えられてしまう。こっちがその気じゃなくても、合コンに行く時点で『普通の』彼氏募集中の人になってしまう。
中には本気で出会いを求めている人もいるかもしれないのに。冷やかしみたいで相手方にも申し訳ない。そう思ったが、勝手に話は盛り上がっていく。
「佐倉さんに恋人ができたらどうしようー! 彼氏いないの私だけになるんじゃない?」
「そのための合コンでしょー? 中ちゃんかわいいから大丈夫よ」
「中谷先輩、私もいないですよ!」
「井上さんはどうせすぐ新しい人できるじゃない!」
「合コンまでは作らないでよー、恋人は! せっかく計画するんだから!」
わっとみんなが笑っている中で、とりあえず私も合わせて笑っておく。隣に座っていた先輩が、「佐倉さん」と声をかけてきた。
「合コン嫌なの? 先輩が言ってたみたいにご飯食べるだけで帰っておいでよ。嫌な人とは連絡先も無理に交換しなくていいし」
「で、でも私、ほんとに恋愛とか興味なくて」
実際は、一緒になれる人がいたら楽しいだろうなとは思う。でもそれは、普通に恋愛して結婚して家庭を持ちたいような人とは無理な話だ。私が相手の望みに応えられない。
一晩だけ遊びたいような人も根本的に合わない。ちゃんと出会いたいなら、それこそ先日お勧めされたアプリを使うくらいじゃないと。
そのアプリを教えてくれた目の前の先輩が、優しく笑って言った。
「あー、あんまり人を好きにならないって言ってたもんね。大丈夫、ほんとに恋ができない人なんていないよ。まだいい人に出会ってないだけかもしれないし。もしかしたら、この合コンに来る人が運命の人かもよ?」
思わず言葉に詰まる。
――『いい人に出会ってないだけ』……って、今までも何回も言われたなぁ。
みんな同じことを言うんだなと思いつつ「そうですかね……」と苦笑いを返す。
誰も悪意があるわけじゃない。人の恋話で盛り上がりたいだけというのもあるだろうけど、純粋に恋人ができることを応援している人もいる。
私の気持ちは理解されなくても仕方がない。他に本気で嫌がっている人もいない。当然だ。ここには『恋ができる』人しかいないのだから。
目の前でどんどん確定していく合コンの予定に気が重くなる。
どうやらこの休憩室に、私の味方はいないみたいだと小さく息をついた。
===
「私、アレン様の味方になりたいですわ」
王宮の図書室。目の前に座ったカロリーナが本を閉じてそう言った。
思わず目を丸くして、読んでいた本から顔を上げる。
「なんだ? どうした、突然」
セシルの婚約者候補になってから、カロリーナが王宮を訪れる機会は自然と増えていた。元々頻繁に図書室を利用していた私とも、会う回数が増えた。今ではカロリーナが予定より早めに来て、セシルの準備が整うまで、図書室で共に本を読むのがお決まりの流れになっていた。
カロリーナは本を机に立て、私に表紙が見えるようにして口を開いた。
「アレン様は、こちらの本はお読みになりまして?」
「いや……読んだことはないな。どんな話だったんだ?」
彼女が読んでいたなら恋愛小説だろうな、と思いつつ首を振る。表紙を見たのも初めてだ。まだ綺麗なので比較的新しい本なのだろう。あまり恋愛小説を選んで読むことがないから、今まで目に留まらなかった。
この本と、彼女が私の味方になりたいと言い出したことは関係あるのだろうか。カロリーナは頷いた。
「このお話は、一言で言えば禁断の恋ですわ。でも、主人公の味方が恋人以外に誰もいませんの。そして恋人の方にも味方がいません。どちらも周囲から裏切られて騙されて、最後は2人一緒に亡くなってしまうお話でした」
それを聞いて、また悲恋ものだなと苦笑する。カロリーナは恋愛小説が好きというより、悲恋小説が好きなのではないだろうか。でも、どうして彼女が『味方』という話を持ち出したのかは理解した。
「アレン様、私たちはお返しという形でお友達になりましたけれど……そんなことがなくても、きっとお友達になっていたと思いますわ。こうして示し合わせなくても図書室で出会っていたでしょうし、本のお話ができる方も少ないですもの」
そうなのか、と意外に思う。セシルも本は読むほうだし、恋愛小説ならアレクシア母様も読んでいた。他の令嬢方も読んでいるものだと思っていたが、そうでもないのだろうか。
首を傾げたところで、彼女は残念そうに続けた。
「今はどちらかというと、劇や、実際に社交の場で見聞きしたお話が好まれていますわ。もちろん流行りの恋愛小説はみなさまも読んでらっしゃいますが、それ以外はあまり……私から悲恋ものばかりお薦めするわけにもいきませんし……」
本の話、というより悲恋ものの本の話という意味だったか。やっぱり周りにも本を読んでいる人はいるらしい。ただ、カロリーナは悲恋ものが好きだと語れる相手がいないことを嘆いているようだった。
それに関しては残念ながら、私も完全に聞き専だ。そのうち同じ趣味の友人ができるといいな、とこっそり祈っておく。
とにかく、とカロリーナは話を戻した。
「お返しの形を取らなくてもお友達になっていた可能性があるということは……私はまだ、アレン様にちゃんとお礼をしていないことになりますわね」
「カロリーナは変なところで律儀だな」
秘密の話だってそうだ。私の秘密をカロリーナが知っていても、黙っていてくれるなら問題ない。それなのに、傷痕という秘密が消えたからとわざわざ別の秘密を持ってきた。
おそらく今回も、私が気にしなくていいと言っても気にするんだろう。彼女は眉を下げて笑った。
「私の性格ですもの、諦めてくださいませ。この本を読んでいて、あの頃の気持ちを思い出してしまいましたの。周りに味方がいなくて、何を言っても否定されて、誰からも意見を抑え込まれる辛さを。……アレン様は、これから先も私の味方でいてくださるのでしょう?」
これから先と言われ、一瞬だけ迷う。もし彼女がライバル令嬢としてヒロインの前に現れた時、私はどちらに付くだろう。その時、必ずカロリーナの味方でいるとは約束できないかもしれない。
しかしその2人がライバル同士なら、ヒロインはセシルルートに行っているはずだ。それなら、私がカロリーナ側に立っても問題ないだろうか。
それに今のカロリーナなら、平民だからというだけでヒロインを傷つけるようなことはしないだろう。
そう考えて、本を置く。
「そうだな。君が悪い道に進まない限りはずっと味方でいる」
「もちろんですわ。その時は遠慮なく殴り飛ばしてくださいませ」
いや、女性を殴るのはちょっと……と苦笑していると、カロリーナは微笑んだ。
「これが『お返し』になるかは分かりませんが、私もお約束します。これから先、アレン様が道を間違えない限り味方であると」
彼女の言葉が耳に届いた瞬間。
何故か、ふと前世のことを思い出した。
ある時、ここに味方がいてくれたらいいのにと願った気がする。いつどんな時だったのかは覚えていないが、自分の意見を否定しないでほしいという気持ちがあったのは覚えている。
理解しなくてもいいから、否定しないでほしいと。そんなことを考えるなんて、たぶん恋ができないみたいな話を誰かにした時くらいだろう。
――カロリーナの中で、それは道を間違えたことになるんだろうか。
「アレン様……?」
気付いたら考え込んでいたらしい。
はっとして顔を上げると、彼女と目が合った。
カロリーナは真剣な顔で私を見ている。何かあったら言ってくれとその目が語っている。彼女は私にすべてを打ち明けてくれたのに、私がここで黙ってしまっていいのだろうか。
「……道を、間違えていないという自信はないんだが」
ぽつりと呟くように、小さな声が口から零れた。カロリーナが頷いたのを見て、机の上で拳を握る。
「……もし私が、みんなが当たり前にできることをできなかったとしたら。みんなが好きなものを苦手だったとしたら……君は理解せずとも、否定しないでいてくれるか」
きっと何のことかはわからない。わからないように言った。
でも、カロリーナはすぐに大きく頷いた。
「もちろんですわ。絶対に否定いたしません。だって、それは誤った道ではありませんもの」
机越しに両手で私の手を握り、じっと目を合わせる。
「みんなと違うからって、それは否定されるようなことではありません。そういうものは個性と呼ぶのでしょう。私は決して、アレン様の個性を否定いたしません。……アレン様の『味方』ですわ」
はっきり伝わるようにそう言って、カロリーナはぎゅっと手に力を込めた。
まるでバラ園の時と反対だ。彼女もそのことに気が付いたらしい。しばらく黙って顔を見合わせて、同時に笑った。
「これでは私とセシルが喧嘩をしたとしても、君はセシル側に付くのが難しくなるんじゃないか?」
「あら。アレン様だって、セシル様が何かをこっそりお話しになっても、私に嘘はつけませんわよ?」
「……そういえばそうだったな」
苦笑して指輪を撫でる。この秘密を教えた時に、彼女には嘘をつかないと約束した。カロリーナは指輪を見て、少しだけ悲しそうに首を傾げる。
「私に秘密をお話しになったのは、早計だったと思ってらっしゃいますか?」
「いいや。……心強い味方ができたと思っただけだ」
私がそう言うと、彼女はふふと笑った。
そこで、ちょうど図書室の扉が開いてセシルが入ってきた。それに気付いて椅子から立ち上がろうとしたところで、カロリーナが呟いた。
「まぁ、セシル様は……私とアレン様、どちらの味方に付いてくださるか分かりませんけれど」
「え?」
「いえ、何でもありませんわ。セシル様、ごきげんよう!」
ぱっと笑顔に戻って、カロリーナはセシルに手を振る。セシルもこちらに気付いて手を振っている。私も手を振って返しながら、横目でカロリーナを見た。
彼女がどこか遠い目をしていたような気がして、なんとなくそれ以上は聞けなかった。




