27話 友達と秘密
事前に連絡を貰っていたとはいえ、流石に驚いた。馬車でクールソン家の屋敷を訪れたカロリーナは、応接室に入って席に着くなり頭を下げた。
「アレン様。先日は……本当にありがとうございました」
そう言って顔を上げた彼女は若干涙目だった。傍に控えているメイドがマリンダではないところを見ると、どうやら良い変化があったらしい。セシルが送ってくれた手紙も功を奏したのかもしれない。
ジェニーが出してくれた紅茶を一口飲んで、小さく笑う。
「その様子では、うまくいったようだな。まさかこうしてすぐに再会することになるとは思わなかったが」
「私もです。昨日セシル様にもお礼に参りましたので、本日はこちらにお邪魔させていただきました。もうあれから毎日屋敷内が騒がしくて」
カロリーナはふふと笑って、屋敷に戻った後のことを話してくれた。
あの後、マリンダと共に屋敷に戻ってすぐ、スワロー公爵がいる執務室に向かったらしい。馬車の中でも屋敷に着いてからもマリンダにしつこく脅されたが、一切取り合わなかったそうだ。執務室ではスワロー公爵に嫌な顔をされながら、堂々と今までのことを話したらしい。
「予想通り最初は全く聞き入れていただけませんでしたわ。お前の嘘は聞き飽きた、そんな妄想を話す暇があるなら勉強をしろと言われました。だから、『私が嘘を言っていると思うのであれば、今ここでこの首を刎ねてください。スワロー家の名に誓って嘘をつくことはいたしません』と申しましたの」
いきなり物騒な言葉が飛び出したが、そのおかげで覚悟が伝わったらしい。
彼女はかっこいいなと素直に感動してしまう。凛として立っていた姿は、公爵の目にはとても子供に見えなかっただろう。
さすがに今までと様子が違いすぎていることもあり、周りの使用人たちも顔を見合わせていたらしい。しかし、それで簡単に信じてもらえるわけではなかった。
「マリンダと話してみるから部屋に戻っていろと言われました。その時は、またマリンダに騙されるのでしょうと思いましたわ。やっぱり何を言っても子供の話より彼女の話を信じるのかと、実の父に失望しそうでした」
そうして別のメイドに連れられて部屋に戻る途中、手紙を持った執事とすれ違ったらしい。いつものように仕事の連絡かと思っていたが、おそらくそれが王宮からの手紙だったのでしょうとカロリーナは言った。
彼女たちが乗った馬車を追いかけるように飛んでいった伝書鳩は、かなり早く手紙を公爵家に届けてくれたようだ。
「部屋で待っていたら、突然お父様が扉を開いて飛び込んで来ました。恐ろしい形相で、怒られるのかと身構えてしまいましたわ。でも、そうではありませんでした。お父様は黙って近付いて来て、急に私を抱き締めたのです」
メイドに渡されたハンカチで目元を軽く拭って、彼女は嬉しそうに笑った。
「抱き締めていただいたのも久しぶりで……驚いていたら、お父様が泣いていてさらに驚いてしまいました。男性が泣いているのを見たのも初めてだったので」
スワロー公爵は何度も何度も謝って、今は酷いことをされていないか、どこからが本当だったんだとかなり慌てていたようだ。
そして呆然としているカロリーナに、届いたばかりの手紙を見せたらしい。
「そこにはセシル様の字で、私のことを信じると書いてありました。メイドを変えるべきだという提案もされていました。それから……アレン様が友として私を助けたがっていると」
セシルが手紙を書くころには帰る時間になってしまったため、実際の内容は知らなかった。追記の部分に名前を入れるというのは聞いていたが、そういう風に書かれていたとは。
間違いではないが、スワロー公爵からすると疑問だったのではないだろうか。まさか私が同じ時間に王宮に呼ばれていて、彼女に会ったとは思っていないだろう。
「お父様はその手紙を読んで、私の話は真実なのではと考えを変えられたそうです。嘘をつくような乱暴でわがままな令嬢が、アレン様のお友達になれるわけがありませんもの。『あのクールソン様といつの間に友人関係になっていたんだ』と驚かれました」
一体私は貴族の間でどういう評価を受けているのだろうと不思議に思ったが、それはひとまず置いておく。スワロー公爵が彼女を信じてくれたのなら、その後は大変だったはずだ。
カロリーナは頷いた。
まずはカロリーナの専属メイドが変わったらしい。マリンダは処罰が決まるまで屋敷の隅で働いているが、一切子供たちに近付かないよう命令が出されたそうだ。
その間カロリーナの傍に別のメイドが数人で付くことで、彼女の性格が本当はどういうものであるかをはっきりさせることになったらしい。
当然傷付けられる心配もなくなったカロリーナは、使用人にも穏やかで礼儀正しい令嬢として過ごしていた。最初は嫌がっていた使用人たちも、次第に今までと違うことに気付き始めた。そしてようやく、カロリーナが暴力的になったのは、マリンダが来てからだと理解したようだ。
暴力を受けていた証拠が残っていたら、もっとマリンダに相応の罰が与えられたのでは。と、遠回しに尋ねたが、彼女はその必要はないと首を振った。
「お父様が手紙を見せたことで、お母様も私の話を信じてくださいました。今まで勉強ばかりでお会いできなかったお兄様とも久しぶりにお話しすることができました。……それだけで、とてもとても幸せだったのです。あの手紙はアレン様が考えてくださったと伺っております。何から何まで本当にありがとうございました」
再びメイドと共に深く頭を下げられ、首を振って答える。
「礼なら実際に手紙を書いて、鳩を飛ばしたセシルに言ってくれ。君の様子がおかしいから一緒に会ってくれと言いだしたのも彼だ。わざわざお茶の時間まで合わせていたからな」
それは知らなかったようで、カロリーナは目を丸くした。セシル様が、と呟いて顔を赤くしている。昨日会った際には、セシルはその話をしなかったらしい。
男前だなと思いかけて、いやあの時一緒に会ってくれと言ったのはそういう感じでもなかった、と考え直す。怖い先生に会うために職員室に付いてきてくれ、というのと似ていた気がする。
――まぁカロリーナには、彼が婚約者候補の異変に気付いて手を打ったように見えているだろう。
それならそのままでいいな、と紅茶を飲む。そこで、ふとカロリーナが部屋にいるメイドたちを気にしていることに気付いた。どうしたと尋ねると、彼女はおそるおそる答えた。
「あの、内緒のお話が……」
その言葉でなんとなく察した。
すぐに、メイドたちに部屋を出てもらうよう声をかける。
バラ園では緊急だったので仕方ないが、本当はセシルの婚約者候補である彼女と私だけで会うのはあまり良いことではない。しかし特に誰も気にした様子はなく、一礼して部屋を出て行く。その際、カロリーナの傍に控えていたメイドが、持っていた包みをそっと彼女に渡していった。
2人になった部屋で、さらに声を落としてカロリーナが口を開いた。
「あの日の夜に確認したのですが……アレン様の魔法のおかげで、火傷の痕もすっかり消えていたんですの」
「そうか、それはよかった」
それを聞いてほっと胸を撫で下ろす。あの時のヒールで、ちゃんと『全部』の傷が癒えていたようだ。
その場で確認するわけにもいかなかったため、いつか再会した時にでも聞ければいいと思っていた。やはりマリンダに最初に付けられた傷が消えていないと、彼女から解放されたとしても、痕を見るたびに思い出してしまうだろう。
カロリーナは真剣な顔をして、ぎゅっと拳を握った。
「バラ園でも違和感には気付いていましたが、実際に確認した時には、思わず泣いてしまったくらい嬉しかったですわ。……けれど、あの火傷は2年ほど前の傷です。消すためには、ご無理をしてかなりの魔力を消耗されたのではなくて?」
そう言われて、あの日のことを思い出す。確かに大量の魔力を消費した記憶はあるが、夜にはいつも通り神殿に聖魔力を送った。本当に無理をしていたらそんな余裕はない。
火傷の痕は見ていないがそれほど大きくなかったのかもしれないし、子供だからカロリーナ自身の治癒力もあったのかもしれない。首を振って否定する。
「心配するな。別に無理はしていない」
カロリーナは答えを聞いてもしばらく不安そうな顔をしていたが、ほっと息をついて微笑んだ。私が無理をしたのではと、あれからずっと心配していたらしい。
優しいなと思いつつ、さらに余計な心配をさせないために事実を伝えておく。
「もちろん傷痕のことも火傷のことも、一切他言していないから安心してくれ。マリンダの仕打ちについて話す時も、その部分には触れなかった」
「ええ。そのことについては手紙にも全く書かれていませんでしたので、アレン様が約束を守ってくださったのだとわかっておりましたわ」
ただ、とカロリーナは続けた。
「もうその秘密もアレン様が綺麗に消してくださいました。……私が握っているアレン様の秘密は消えることがありませんのに、それでは不公平でしょう?」
「不公平?」
首を傾げている私の前で、カロリーナがごそごそと手元の包みを開き始めた。先程メイドから受け取っていたものだ。そういえば何が入っているんだろう。
「アレン様の秘密に比べれば足元にも及びませんが、また別の秘密を持ってきましたの。先ほどのメイドとお母様と……あと、数人のご令嬢はご存知ですけれど」
「カロリーナ、そんなことを気にしなくても……」
あれは彼女に信頼してもらうために伝えただけで、それがなくても彼女の秘密をバラすつもりなんてなかった。
止めようとしたが、その前に包みの中身を差し出される。カロリーナは若干顔を赤くして、彼女の新たな秘密を教えてくれた。
「セシル様には内緒ですが、私……っ恋愛小説が大好きなんですの!! アレン様も本がお好きだと伺いましたので、よろしければ……!」
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秘密を打ち明けるという名目で布教された気がしないでもない。
先ほどカロリーナから渡された数冊の本を机に並べ、うーんと腕を組む。言っていた通り、見事に恋愛小説ばかりだった。しかもあらすじを読む限りでは、すべて悲恋もののようだ。
別に恋愛小説を読むことにそこまで抵抗があるわけではない。クールソン家の図書室にも小説は何冊か置かれていたし、その中には軽い恋愛ものもあった。
ただ、ひとつだけ問題があるとすれば。
――悲恋ものは、私絶対泣いちゃうんだよなぁ。
前世では、自分から好んで悲恋ものの映画やアニメを見ることはなかった。それでも偶然見ていたドラマで悲しいシーンがあって、泣いてしまった覚えがある。その前後のストーリーすら知らなかったのに、だ。漫画を読んでいて気付いたら泣いていたこともある。
涙腺が弱いだけだと思っていたが、確実に感受性の問題だろう。となると、この体だから大丈夫というわけでもない。正直、バラ園でカロリーナの話を聞いていた時もつられて泣きそうだったくらいだ。
せっかくカロリーナが貸してくれた本なので、できればちゃんと読みたい。しかし数日置いていたら、読む勇気がなくなりそうだ。とりあえず一旦読み始めさえすれば続きが気になるだろうが、部屋で読んでいたらメイドたちの掃除の邪魔になってしまう。それに、泣くかもしれないのに誰かがいる前で読むのも嫌だ。
そうやってあれこれ考えた結果。
カロリーナを見送ってすぐ、図書室に向かった。
ジェニーにも傍にいられると恥ずかしいので、用があったら呼ぶからと、ベルだけ置いて1人にしてもらった。急に誰かが入ってこないように、一応扉の鍵もかけておく。まだ日差しが入っている時間のため、蝋燭は灯さずに席に座る。
本当なら窓側に背を向けて座ったほうが明るいのだが、本に日差しが反射して目に悪いと分かったため、窓を向いて本を開いた。
今の時季なら日が沈む前に夕飯の時間になるだろう。それまでに読めるだけ読んでおこうとページをめくる。
以前から速読はできていたが、それは図鑑や歴史書の場合だ。小説は頭の中で想像しながら読み進めるから、どうにも時間がかかってしまう。
1冊目の本は、幼い頃助けてくれた相手に恋をした村娘と、その村を襲う敵国の兵士の話だった。時々ハンカチを濡らしながらページをめくり、1冊目の3分の2読み終えた辺りで夕飯の時間になる。
とても続きが気になるところで終わってしまった。これは寝る前にも読むしかないな……と考えている私に、迎えに来たジェニーが首を傾げた。
「リカードさんからセシル王子がいらっしゃっていたとお聞きしましたが、お会いになりましたか?」
セシル? と思わず目を丸くする。さすがに扉をノックされたら分かるはずだから、図書室には来ていないのではないだろうか。首を振って答えると、ジェニーはそうですか、と呟いてじっと私を見た。
そしてしばらく考えた後、優しく微笑んで言った。
とりあえず少々目を冷やしてから食堂に参りましょう、と。




