26話 王子の婚約者候補④
カロリーナの手を取って、セシルが待っているテーブルに向かう。それなりに時間がかかってしまったから、お茶会自体はまもなく終わるだろう。その間にセシルの誤解を解かなければならない。
緊張しているのか、手に力が入っている彼女に声をかける。
「心配するな、私も一緒に行く。君は演技をする必要はない。自然体でいい」
「で、でも」
「大丈夫だ。セシルも以前の君は素直で可愛らしい子だと言っていた」
「かわ……っ!?」
緊張を解そうとしたが、逆効果だったかもしれない。真っ赤になって固まってしまった彼女を引っ張るようにして歩みを進める。
こちらに気付いたセシルが一瞬だけ目を丸くして、微笑んだ。
「アレン、おかえり。カロリーナとずいぶん仲良くなったようだね」
「遅くなってすまない。迷路がなかなか複雑でな」
実際は来た道を戻って入口から出てきたのだが、念のため伏せておく。それよりマリンダのことが気になった。王宮のメイドたちがいる場所には姿がない。
「ジェニーとマリ……カロリーナのメイドは?」
「彼女たちなら向こうで話しているよ。もうすぐ戻ってくるんじゃないかな」
セシルが指さした先に目を向けると、ちょうどテーブルを挟んでバラ園と反対方向に2人の影が見えた。ジェニーは頑張って時間を稼いでくれていたようだ。あとでちゃんと礼を言わなければ。
今のうちに、と王宮のメイドたちに椅子を増やしてもらい、カロリーナと共に席に着く。私が一緒に座ったことについては、セシルは何も言わなかった。
椅子に座る直前、カロリーナが意を決したようにセシルに向かって頭を下げた。
「セシル様、先ほどは申し訳ございませんでした。少し気が立っていて攻撃的な発言をしてしまいました。どうかお許しください」
先程とは全く違う彼女の態度に、セシルは驚いた顔をした。確認するように視線を向けられ、これが本当の彼女だと頷いて返す。それで納得できたらしい。セシルは頭を下げ続けている彼女に顔を向けて、優しい口調で応えた。
「そうか……そうだったんだね。大丈夫だよ、気にしていないから。カロリーナも席に着いてくれ」
「はい。お気遣いありがとうございます」
カロリーナが座ったのを確認して、メイドたちがお茶を淹れ直してくれる。メイドが動き始めたことで私たちが帰ってきたのだと気付いたらしく、ジェニーとマリンダも戻ってきた。
当たり前のように私の分も用意してくれた手際の良さに感謝しつつ、テーブルの中心に置かれたケーキに視線を向ける。セシルはちらりとカロリーナの様子を確かめて、私に尋ねた。
「……アレン、ケーキはどうする?」
「もちろん頂こう」
謝られたとはいえ、一度注意されたのを気にしているのだろう。私が迷わずに答えると、カロリーナは目を丸くした。そんな彼女には私から声をかける。
「カロリーナはどうする?」
「えっ、あ……」
彼女は後ろにいるマリンダを振り返ろうとして、動きを止めた。
すっと正面に向き直り、力強く頷く。
「私もいただきます」
それを聞いた王宮のメイドが、さっと3人分のケーキを取り分けてくれる。目の前にケーキが並べられても、まだカロリーナは緊張しているようだった。セシルからもなんとなく気まずさを感じる。
しっかり誤解を解くためには、もっと2人に会話をしてもらう必要がありそうだ。そう思い、私から話題を振ることにした。
「2人は幼馴染だったな。最初に出会った時はどんな感じだったんだ?」
「最初、か。少ししか覚えてないな。とても小さかったからね」
君はどうだい? とセシルがカロリーナを見る。
彼女は少し顔を赤くして、俯いた。
「わ、私も少しだけ……バラ園でお会いしたことは覚えていますわ」
「ああ、確かにそうだったね。よく覚えているな」
「バラ園って、さっきまで私たちがいた迷路のことか?」
尋ねると、カロリーナは首を振った。
「いえ、スワロー家の屋敷にもバラ園があるのです」
「僕も思い出した。初めて会った時に、カロリーナは赤いドレスを着ていたんだ。髪色も相まって、バラの妖精がいるのかと思ってしまったよ」
「言われてみれば、カロリーナの髪は赤いバラのようだな」
確かに赤いドレスでバラ園にいたら、バラの妖精に見えそうだ。セシルは「僕もその時に似たようなことを言った気がする」と笑った。
私がセシルと出会ったのは6歳のころだから、彼女と出会ったのはさらに前だろう。5歳かそこらでいきなり女の子の髪を褒めるなんて、さすが攻略対象者。私も見習ったほうが……いや、そういうのは正統派王子のセシルの役目か。
「こんなに綺麗な赤い髪には、白いリボンなんかも映えると思うんだ」
「そうだな。それなら白いドレスも似合いそうだ」
そんな話をしているうちに、いつの間にかカロリーナの顔は真っ赤になっていた。セシルも気付いたらしく、彼女を見て微笑んでいる。よかったと心の中で呟いて紅茶を飲む。これで少しは、これが本当の彼女なのだと伝わっただろう。
カップ越しにマリンダを盗み見ると、彼女はわけがわからないというようにカロリーナを睨んでいた。そんな顔をしていていいのだろうか。スワロー公爵はここにはいないが、王族であるセシルがいるのに。
次いで、セシルの方に視線を向ける。その瞬間、ぱちりと目が合った。彼もこちらを見ていたとは思わず、驚いて固まってしまう。
彼はちらと目線だけでマリンダを指すと、視線を戻してにっこりと笑った。
――まったく、怖い王子様だ。
本当に子供か? と、つい自分のことを棚に上げて苦笑する。どこまで分かっているのだろう。もしや素のカロリーナと話しただけで、なんとなく察してしまったのだろうか。
まさか最初から全部分かってて私に会わせたわけじゃないよなと疑ってしまう。聖魔力のことは知らないはずだから、それはないと思うのだが。
そこで唐突にマリンダが懐中時計を取り出し、カロリーナに歩み寄った。
「お嬢様。予定の時間より遅れておりますので、そろそろお屋敷に戻りましょう」
カロリーナが怯えた目をして、顔を強張らせる。声をかけるべきかと考えたが、彼女はぐっと拳を握るとすぐに微笑んだ。
「ええ、わかったわ」
綺麗な所作で立ち上がり、セシルと私にマナー通りの挨拶をする。そして最後に、私に顔を向けた。
「アレン様。私、頑張りますわ」
何を、と聞かなくてもわかった。きっとカロリーナは立ち向かうつもりだ。今の状況を変えるために。
その瞳の力強さに安心する。自信を無くして悲しみに沈んでいた彼女の姿は、もうどこにもなかった。カロリーナに本当に必要だったのは、彼女を信じる味方だったのだろう。
言葉ではなく頷いて返すと、彼女は一礼してマリンダと共に去っていった。
しかし、これからが心配だ。屋敷に帰った後、マリンダが先にあることないことスワロー公爵に話す可能性もある。今まで以上にひどい傷を負わされるかもしれない。カロリーナだって、痛みに慣れているわけじゃない。そうなる前に手を打たなければ。
と、私が口を開くより先に、セシルが言った。
「あのメイド、マリンダといったか。ジェニーと戻ってきてからずっと見ていたけど、とても普通のメイドとは思えない目つきをしているね。カロリーナに向けられる時は特に」
頼んでおいた通り、セシルはマリンダから目を離さなかったようだ。彼はケーキをフォークで切り分けながら続けた。
「君と戻ってきた後のカロリーナは、僕が知っている昔の彼女そのままだった。バラ園で一体何の話をしたんだい?」
彼の目が、ケーキからこちらに向けられた。私も彼に向き直り、カロリーナから聞いた話をする。もちろん傷痕や火傷のことは除いて。
マリンダが使用人たちの信頼を得た上で、カロリーナを陥れたこと。家族に信じてもらえず傷付く彼女を見て笑っていたこと。言う通りにしないと酷い目にあわせると脅したこと。そのせいでセシルに対しても酷い態度をとっていたこと。
話をするにつれてセシルの顔が険しくなる。近くで聞いていたジェニーは、信じられないという顔をして唇を噛んだ。王宮のメイドやスティーブンも固まっている。一通り話し終えたころには、紅茶がすっかり冷めきっていた。
「……あまりに酷すぎて、にわかには信じられないな」
セシルはテーブルの上で手を組んだ。演技をしている彼女を長く見ていた人ほど、話を聞くだけでは信じられないのだろう。それも仕方のないことだ。マリンダがそうなるように仕組んでいたのだから。
でも、カロリーナの婚約者候補であるセシルには信じてほしかった。
「確かに酷いな。だが私には、バラ園で泣いていた彼女が嘘をついているようには見えなかった」
「そうか。君は、彼女の話が真実だと思ったんだね」
「ああ。……正直に言えば、戻ってくるのが遅くなったのも迷路を通って来たからじゃない。彼女の目の腫れが引くまで待っていたからだ」
事実を伝えつつ、さりげなく嘘を混ぜておく。たくさん泣いて目が腫れていたのは本当だが、それは聖魔法で治してしまった。そのせいで、泣いたのも演技なのではと思われてしまっては困る。
セシルは少しだけ考えて、顔を上げた。
「アレンはカロリーナを信じたんだろう? それなら僕も信じるよ」
それを聞いて、目を丸くしてしまう。私の場合は傷痕という証拠がはっきり残っていたからすぐに信じられたが、セシルからすれば、カロリーナの話をさらに私から又聞きしただけだ。
つい不思議そうな顔をしてしまっていたらしく、彼は小さく笑った。
「僕は君を信頼しているからね。それに、マリンダの様子を見ていたら納得できてしまうよ。ばれてないと考えていたのかもしれないけど、さすがにカロリーナを睨み付けているのは分かりやすかったから」
そんなにずっと睨み付けていたのかと眉根を寄せる。私は一瞬しか分からなかったが、さすがセシルだ。彼にマリンダを見ておいてくれと頼んだのは正解だった。
そう思っていると、彼が首を傾げた。
「それで、これからどうする? 彼女の話を信じるとすれば、スワロー公爵家はマリンダに洗脳されているような状態だろう?」
「そうだな。話を聞いてから私も考えていたが……使用人はともかく、スワロー公爵の誤解さえ解けばなんとかなりそうな気がしている」
「どうするつもりなんだい?」
セシルは身を乗り出した。
そこで、簡単かつ効果のありそうな方法を提案する。
「君に頼ることになるが……王家の封筒を使って、スワロー公爵に手紙を出してはどうだろうか。さすがに公爵も、王家からの手紙なら軽視できないだろう」
完全に人任せになってしまうのは申し訳ないが、婚約者候補が決まっている令嬢の家に、私から直接手紙を出すわけにはいかない。スワロー公爵としても、セシルから送られたほうが怪しまずに受け取れるだろう。
彼は「なるほど」と顎に手を当てた。即否定されないことに安堵しつつ、続けて考えていた手紙の詳細を口にする。
「内容としては、カロリーナの話を聞いてそれが真実だとしか思えなかったということ。もし子供の嘘だと疑うのであれば、しばらくの間マリンダをカロリーナの専属から外してはどうかという提案だ。完全に信じてもらえなくても、きっかけさえ作れば疑問を抱かせることはできる」
肝心なのは、それを権力のある第三者から言うことだ。子供や使用人から指摘されるのは効かなくても、王族であるセシルから言えば少しは考えてくれるはずだ。
王家の手紙で提案をすれば、万が一スワロー公爵が信じなかったとしても『提案には従わなければ』という気持ちになるかもしれない。
それに、これからカロリーナは同じ過ちを繰り返さないよう堂々と振舞うだろう。その上で王家から彼女を肯定する手紙を送れば、きっと後押しになる。できることなら一刻も早く送ったほうがいい。彼女に新しい傷が刻まれる前に。
そこで、セシルから尋ねられた。
「その内容に追記でアレンの名前を出してもいいかい?」
「私の名前? もちろん彼女から話を聞いたのは私だから、別に構わないが……」
同じ公爵の子供である私の名前を出したところで、何か変わるのだろうか。
逆に怪しまれないかと思ったが、彼は嬉しそうに笑った。
「よかった。それなら信じてもらえそうだ」
「どういうことだ?」
「忘れたのかい? 平民の間でも貴族の間でも、君は有名なんだ。最近は歴代最年少で魔力開放をして、すぐに魔法を使いこなした天才だと言われているらしい」
「て、天才……?」
なんだかどんどん脚色されているような気がする。新聞に載ったのだってほぼ2年前の話だから、もうとっくに忘れられていると思っていた。次の大きいニュースがないと、上書きされないんだろうか。
というか、すぐに魔法を使いこなしたという話はどこから出てきたんだろう。実際はようやく魔力調整がうまくいくようになってきたばかりだというのに。
「アレンの名前を出したら、スワロー公爵もすぐに信じると思うよ」
「セシルの名前だけでも十分だと思うが、君がそう言うなら……」
話がまとまったことで、早速セシルはスワロー公爵家に手紙を送ってくれた。
早馬より早い、伝書鳩で飛ばしたようだった。
それから数日後。
何故かクールソン公爵家の屋敷に、カロリーナが訪れた。




