2話 記憶の整理
結局、一睡もできなかった。
悶々と色々なことを考えていたせいで、気付けばカーテンの隙間から朝日が差し込んできていた。
「アレン様、おはようございます。お加減はいかがでしょうか」
昨日と同じメイドのジェニーが、ノックの後に部屋に入ってきて挨拶をしてくれた。どうやら彼女はアレン専属のようだ。ベッドから体を起こして、挨拶を返す。
「おはようござ……おはようジェニー」
うっかり敬語が出そうになり、言い直す。さすがに1日では慣れない。そのせいか、寝不足なのがばれたのか、ジェニーは心配そうな顔をした。
「まだご無理はなさらないでください。本日は特に予定もございませんので、お部屋でゆっくり休まれるのが良いかと……」
それを聞いて少し安心する。それなら今日のうちに、できるだけ記憶を整理しておきたい。
「わかった。じゃあ、そうさせてもらおうかな」
「かしこまりました。ではこちらに朝食をお持ちしますね」
頷いて返すとジェニーはさっとカーテンを開けて毛布を折り曲げ、水を溜めた器をサイドテーブルに置き、ベッド下から踏み台を出してタオルを用意した。
一連の流れが速すぎて呆気にとられてしまう。呆然としているのは記憶がないせいだと思われたようで、すぐに「こちらでお顔を洗ってください」と説明された。
貴族ってこんなことまで世話されるのか、と思いつつ顔を洗う。水かと思ったらちょうどいい温度のお湯だった。すぐにタオルを手渡され、顔を拭く。
正直ここまでされると恥ずかしい。あと申し訳ない。それくらいなら自分でできるから大丈夫です、と言いたいが言ったら怒られそうな気がする。
てきぱきと昨日とは違う高級感のある部屋着のようなものに着替えさせられ、軽く髪を梳かして包帯が替えられる。ソファーに案内され、食事を運んでくるまでの待ち時間にと本を渡された。
「この国の簡単な歴史書です。よろしければ」
「ありがとう、読んでみるね」
何故か一瞬彼女が驚いた表情をした気がしたが、すぐに元の表情に戻っていた。
もしかしたら、女性的な言葉遣いになっていたのかもしれない。アレンは男の子なのだから、もう少し男らしい話し方をするようにしないとな、と反省する。
ジェニーが食事の用意をするため部屋を出て行ったのを見て、本を開く。表紙の題名から日本語ではない。英語ともちょっと違うその文字が何故かすんなり読める。会話で使っている言語すら違和感を覚えたのは最初だけで、それ以降は何の迷いもなく理解できるし話せる。
理由はわからないが、それはよかったと素直に思う。言葉すら理解できなかったら、とてもじゃないけどこの世界で生きていける気がしない。
――フレイマ王国の歴史、か。
本の題名を心の中で復唱して、納得する。ここが本当にあの乙女ゲームの世界なら、王族が扱う魔法は『火』だったはずだ。国の名前はほとんど出てこなかったため聞き覚えがないが、フレイマと言えばやっぱり元はフレイム、つまり炎から来ているんだろう。
とは言っても、まだ半信半疑に違いはない。そもそも魔法だって、実際この世界にあるのか怪しい。似てるけど違う世界という可能性もある。そう思いながら挿絵の多い本を読み進めていくと、ひとつの単語が目に留まった。
『魔界の門』
本当にあるんだ、と呟いてページをめくる。普段は別の空間にある魔界から、こちらの人間界に繋がる大きな門。数十年前に突然現れ、人間界に瘴気とも呼ばれる闇の魔力が溢れてしまったらしい。
すぐに聖女が門を閉じたにも関わらず長年に渡って疫病が流行り、多くの人が亡くなったと書かれている。ゲームのあらすじと同じだ。確かゲームでは、ヒロインの両親もこの病で亡くなっていたはずだ。
ヒロインは聖魔力を持つ平民で、魔法学園に入ってからアレンを含めた攻略対象者達と出会い……恋をしながら勉強なんかもして……学園長が企む魔界の門の開放を阻止する、みたいな話だった気がする。ものすごくうろ覚えだ。
従姉妹に勧められてアプリを入れてみたものの、選択肢を選ぶのが面倒くさくて、攻略サイトを見ながら王子ルートだけクリアした。王子ルートにアレンはちょいちょい出てきていたため名前と髪色を覚えていたが、それ以外のキャラは名前すら覚えていない。
なんとか共通イベントくらいは思い出さないとなぁと頭を悩ませていると、部屋の扉がノックされた。
「もうそこまでご覧になったのですか?」
食事を運んできたジェニーが目を丸くする。子供向けの本だったため、中身が大人の私は一気に読んでしまった。ちょっとまずかったかなと思いつつ頷くと、続けて「すごいですね」と言われたので素直に受け取っておくことにした。
目の前に食事が並べられる。再度体調を聞かれたため、問題ないと答えた。頭と背中がまだ少し痛むが、流石子供の体。回復力が半端ない。
パンにスープにサラダに……と、米と味噌汁だけだった前世の朝食より数倍豪華な食事だ。貴族としてのマナーが心配で会社の接待時に学んだマナーを使っていたら、そんなに気を張らなくても大丈夫だと言われた。むしろ適度に気を抜くやり方がわからない。後でマナーの本もないか聞いてみよう。
記憶にある最後の食事が外食だったせいか、この世界の料理の味は、私にはちょっと薄かった。
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朝食が終わって食器を下げてもらうと、ジェニーは「ご用がありましたらこちらのベルでお呼びください」と小さなベルをテーブルに置いて部屋を出た。
再び1人になった部屋で、さてと辺りを見回す。昨夜は薄暗くてあまり分からなかったが、この部屋にはいくつか棚があり、数冊の本が置かれていた。
窓際には机もある。そこに近付いて、引き出しを開けてみた。日記帳のような本があったので開いてみたが、何も書かれていなかった。
――これに、覚えてることを片っ端から書いておこうか。
改めて鏡で見た自分の姿は、どう見ても小学生くらいだった。仮に小学1年生としても6歳。乙女ゲームの世界だと仮定すれば、本編が始まるのは約10年後だ。今でさえうろ覚えなのに、絶対に覚えていられるわけがない。
椅子に座り、机に置いてある羽ペンを手に取る。羽ペンなんか前世でも使ったことがないが、おそらくインクを付けて使うのだろうと横に置かれていたインク瓶の蓋を開けた。この世界の言語でも書けそうな気がしたが、万が一誰かに見られた時に備えて日本語で書いておくことにする。
まずはゲームのタイトル。この時点でもう既にうろ覚えだった。『なんとかラバー』というのは覚えているのでそれをそのまま書いておく。普通にプレイしていればバッドエンドに行くほうが難しいらしい、初心者向け乙女ゲーム。
舞台は貴族が通う魔法学園で、攻略対象はそれぞれ適正魔力の属性が分かれている。王子が火、アレンが氷……あとは、何だっけ。風とか雷もいたはずだが、誰がどれだか覚えていない。
4人はヒロインと同じ学生。そのうち誰か1人でもクリアしたら攻略できるようになるのが、先生キャラの5人目だったと思う。基本のストーリーは同じで、誰のルートに進むかで見られるイベントが変わるだけだった……はずだ。王子ルートしかやっていないので、他のルートは一切分からない。
覚えているイベントについて書き記しながら、こんなことになるならアレンルートをやっておくべきだったと項垂れる。
今度はアレンについて覚えていることを書くことにした。クール系のアレンはヒロインに冷たく、王子に近寄ると度々割り込んで注意してきたイメージだ。なんなら一応いるライバル令嬢より出てきていたかもしれない。
――そういえば、なんでそんなにずっと王子の傍にいたんだろ。
側近だったことは覚えているが、なぜそうだったのかはわからない。学園で起こったイベントを箇条書きにしつつ、攻略サイトのことを思い出す。アレン・クールソン、氷魔法の使い手。彼の母親は――……
書き進めていた手が止まった。じわりとペンの先からインクが滲む。
そうだ。攻略サイトで見たキャラクターの紹介文。アレンのところに、確か書いてあった。
『彼の母親は、彼が幼い頃に疫病にかかって亡くなった』
合わせて昨夜聞いた話を思い出す。アレンの父であるダニエルのこと。だいぶオブラートに包まれてはいたが、彼はあまり仕事ができず、この屋敷ですらも変なところに金をかけ、必要な部分を削っているのだそうだ。
もしこのまま母アレクシアが亡くなったら?
おそらく、父ダニエルに振り回されたクールソン家は立ち直ることもなく、大変なことになるだろう。もしかしたら、原作ではそこに王子が何かしら手助けをしてくれたのかもしれない。それでアレンが恩を感じて、側近になるのかもしれない。
あくまで想像だが、リカードとジェニーの話を聞く限りありえない話ではないような気がした。原作通り王子の側近になれるようなことがあればまだいいが、もしここが似て非なる世界なら、そのまま没落して使用人ともども表舞台から消える可能性もある。それは嫌だ。
それに、まだ母アレクシアは、体調不良とはいえ生きている。
ここが恋多き乙女ゲームの世界なら、恋ができない自分には生き辛いかもしれない。でも、この世界で生きている人たちにとってこれは現実だ。
私のせいで、魔界の門の封印が失敗するバッドエンドにはしたくない。アレン・クールソンとして転生したのなら、やらなければならないことがある。
――まずはアレンの……いや、『私』の母様のことからだな。
ヒロインの家族と同じように疫病で亡くなるということは、攻略時に話のきっかけになるのかもしれない。とはいえ、恋のためにこの世界の家族を見捨てたくはない。医学の知識もない自分に何ができるかはわからないが、何もしないでいるよりはマシだと思った。
とりあえず会いに行ってみよう。インクが乾いたのを確認してから本を閉じ、引き出しに戻す。テーブルの上のベルを鳴らすとすぐにノック音が聞こえ、ジェニーが来てくれた。
「アレン様、お呼びでしょうか?」
「うん。あの、母様に会ってみたいんだけど」
「奥様、ですか? おそらくお休みになっていると思いますが……」
そういえばだいたい寝込んでるって言ってたっけ。それでも一応、どの程度の体調不良なのかを知っておきたい。
今はまだ疫病にかかっているという話は出ていない。つまり今のうちになんとかできれば、疫病にかかることもないかもしれない。
「駄目かな? 顔を見るだけでいいんだけど」
首を傾げてから、男の子っぽく話すのを忘れていたと思い出す。急に変えるのは難しいので、徐々に変えていくことにしよう。まだ子供だからちょっとくらい可愛らしい方がいいだろう。……クール担当だからか、鏡で確認した時はどんな表情をしてもほぼ筋肉が動かず、無表情だったのだけど。
ジェニーはそうですね、と少し間を置いて頷いた。
「かしこまりました。ご案内いたします」
「ありがとう。よろしくジェニー」
彼女は何故かまた一瞬動きを止めて、すぐに行動を再開した。不思議に思いつつ、彼女に連れられて部屋を出る。移動のためにと抱えられそうになったので、大丈夫だと遠慮しておいた。
昨日ぶりの廊下だが、夜と昼では明るさが全然違う。天井を見上げるとホテルのように豪華な装飾がされていた。辺りを見回して、心の中だけで呟く。
――電気はないんだな……。
部屋にも廊下にも、スイッチ一つで明かりを点けられるような電気は見当たらない。壁の燭台を見る限り、基本的な明かりには蝋燭を使っているようだ。昨日見たシャンデリアも、きっと蝋燭だったんだろう。
元いた世界とは、文明も歴史も違うのは当然だ。しかし使い慣れたものがないと分かると、どうしても少しだけ不安になってしまう。
一瞬沈みかけた気持ちを、慌てて頭を振ってかき消す。落ち込んでも仕方がない。今は、別のことを考えなければ。
魔界の門や聖女の話が歴史書に載っているのだから、魔法があるのは確実として……気になるのは『私』の適正魔力が氷かどうかだ。それさえ確認できれば、ここがあの乙女ゲームの世界だということはほぼ確定する。
母様に対して何も打つ手がなかったとしても、最終手段として、ヒロインを探せばなんとかなるかもしれない。
「アレン様、どうかなさいましたか?」
私が付いてこないことを不思議に思ったらしいジェニーがこちらを振り返る。つい考え込んでしまった。なんでもないよ、と返そうとして思いつく。そうだ、とりあえず彼女に確認してみればいい。
「ちょっと気になったんだけど……アレクシア母様は、魔法が使えるの?」
王族が代々火の魔法を扱うということは、魔力の属性には血筋も関係しているはずだ。それなら、アレンの父母どちらかが氷魔法の使い手の可能性が高い。
ジェニーは目をぱちくりとさせて、期待通りの答えを返してくれた。
「はい。奥様は氷魔法をお使いになります」