23話 王子の婚約者候補①
「先日、街に自分の杖を買いに行ったんだ」
久しぶりに招かれた王宮のお茶会で、セシルが話の口火を切った。
杖を買うには早いのではと思ったが、魔力開放から半年以上経ったと考えるとそうでもない。当然、いつまでも身内のお古を使っているわけにはいかない。新しい杖に魔力を馴染ませるためにも、身に着けておく時間が必要だ。
すぐ後ろでスティーブンが頷いている。彼も一緒に行ったんだなと気付いたが、わざと冗談を返す。
「また王宮を抜け出して行ったのか」
「今ならもっとうまく抜け出せるだろうね。でも、違うよ。今回はちゃんと正式なお出かけさ」
セシルは笑って、話を続けた。
「そこで、珍しい桃色の髪をした平民の女の子に会ってね。田舎の方から出てきたばかりで迷子になっていたんだ。急に目の前で転んだからびっくりしたよ」
「へえ、桃色の髪は確かに見たことがないな」
――今のところ、ゲーム以外では。
彼の話を聞きながら、ほっと息をつく。どうやらヒロインとセシルの出会いイベントは無事に済んだようだ。やっぱり彼女もこの世界に存在しているらしい。
人身売買の下っ端が捕まったことで、イベント時にヒロインを襲う役がいなくなったのではと心配していた。何もなければ私がなんとかするべきかとも考えていた……が、目の前で転ぶことで助けられる、平和なイベントに変化したようだ。
初めての出会いとしては印象が弱いかもしれないが、桃色の髪でセシルの記憶には残りそうだった。
「田舎から出てきたばかりということは、今は街に住んでいるのか」
「ああ、両親と移り住んできたと言っていたよ。今度から街の平民学校に通うらしい」
ヒロインの両親も生きてるんだなと思いながら相槌を打つ。今も神官様のおかげで、疫病はほとんど流行っていなかった。もしかしたら私の力も少しは人の役に立っているのだろうか、と指輪を撫でる。
今では寝る前に神殿に聖魔力を送るのが日課になっていた。最初のころはすぐに疲れていたが、もうだいぶ慣れてきたように感じる。確かゲームでは両親が疫病で亡くなった後、ヒロインは孤児院にいたはずだ。
――この世界では、家族と共に暮らせているのか。
よかった、と頬が緩むのを隠すために紅茶を飲む。それにしても、セシルはヒロインと結構話をしたようだ。そんなにしっかり絡んでいたら、ヒロインは学園入学時にもセシルのことを忘れていないのではないだろうか。
ゲームでは出会いイベント後に気絶してしまったせいで、セシルのことを忘れているという設定だった気がする。このままいくと、2人とも学園で再会した瞬間「あの時の」となるんじゃないだろうか。
それはそれで少女漫画っぽいかもしれないが、セシルがヒロインを『探していた運命の人だと確信する瞬間』みたいな感動は起こらないかもしれない。
とにかく、とカップを置く。これで、セシルルートのイベントがひとつクリアできたのならよしとしよう。セシルはもうすぐ10歳になるから、ヒロインもきっとそれくらいだろう。
ここから先がゲームと同じ流れになるなら、今後のイベントはすべて学園内で起こるはずだ。
セシルルートに限った知識しかないから確実ではないが、他の攻略対象の名前も覚えていない私にはどうしようもない。あとは、ヒロインの動き次第だ。
そこで「そういえば」とセシルが口を開いた。
「聞こうと思っていたんだけど、アレンには婚約者候補はいないのかい?」
突然投げられた質問に、少しだけ迷って首を振る。
ここは正直に答えていいだろう。
「いないな。婚約者を決めるつもりもない」
「そうか。まぁ、今はほとんどの貴族が婚約者を決めずに学園に入るからね」
「そうなのか?」
「うん。先に候補がいてもそれは家同士の都合で決められることが多いし、結局学園に入ったら別の相手と恋仲になったりして、破棄してしまうらしい」
それなら、私が自分にも婚約者候補がいるのかと悩んでいたのは無駄だったかもしれない。一瞬そう思ったが、早いうちに両親と相談ができたのはよかったなと思い直す。
――しかし……ということはみんな、基本的に学園内で相手を見つけるのか。
まぁ乙女ゲームの世界だからな、と考えたところで、セシルが微妙な表情をしていることに気付いた。
どうしたと尋ねる前に思い出す。ゲーム通りなら、彼には相手の令嬢がいるはずだ。
「セシルは? 学園に入る前に婚約者候補を決めるという話だったが」
私が尋ねると、彼は何故かため息をついて渋い顔をした。
「婚約者候補は一応決まったけど……」
「あまり合わなかったのか?」
「……うん」
セシルはテーブルに視線を落としながら、沈んだ声で話し出した。
婚約者候補の名前はカロリーナ・スワロー。私たちと同じ9歳。スワロー公爵家の長女で、上に1つ違いの兄がいるらしい。赤い髪が特徴的で、セシルとは幼馴染のような関係なんだそうだ。
「母上とスワロー夫人も仲がよくて、昔はよく兄妹揃って王宮に来ていたんだ。その時は素直で可愛らしい子で、僕も妹の様に思っていたんだけど……」
「……久しぶりに会ったら変わっていたと?」
「そうなんだよ。女の子ってあんなに急に性格が変わるものなのかい?」
私に聞かれてもと返しつつ、それ自体はよくある話なんじゃないかと思う。思春期というか、年頃の女の子はちょっとしたことで不機嫌になったりする。男の子の前だと特にそうだ。
もしかしたら彼女は、好きな子に対して強く当たってしまうツンデレタイプなのかもしれない。ゲームではヒロインに冷たく当たるところしか見ていないから、実際の性格は私も知らないが。
「その時だけ機嫌が悪かったんじゃないか?」
「いや、そういうわけでもないんだ。できれば一度、君も彼女に会ってほしい」
「会ってほしいって……」
王子の婚約者候補と私が会うのは、世間体的にも難しいのではないだろうか。セシルと3人で会うのもおかしいだろう。確実に私が邪魔者になってしまう。
そう考えていたところで、ふいにセシルと目が合った。彼は視線を遮るようにして、そっと顔の前で手を合わせる。
それは日本特有のポーズではと思う間もなく、彼が声を上げた。
「実は今からカロリーナが来るんだ。アレン、すまない! 一緒に会ってくれ!」
「い、今から!?」
予想もしていなかった言葉に目が丸くなる。そんなに都合よく来客のタイミングが被るわけがない。
つまり、これは。
「……君、まさかわざと同じ時間に招待したのか?」
呆れながら尋ねると、彼は少しだけ頭を下げて祈るように答えた。
「本当にすまない! でもアレンなら何かに気付いてくれるかと思って……僕は様子が変なのは分かるけど、それがどうしてかは分からないんだ。隠れて見ているだけでもいいから……!」
彼が本当に困っていると表情からも伝わってくる。今度は私がため息をついた。
もしカロリーナに何か問題が起きているなら、それは確かに解決しておいたほうがいいかもしれない。ヒロインがセシルルートに進まなかった場合、セシルはほぼ確定でカロリーナと結婚することになるだろう。
今のままだったら、結婚しても問題が残ったままになってしまう。
「……わかった。私は最初に挨拶だけして、隠れて見ていることにする」
「アレン……! ありがとう!」
セシルはぱっと顔を輝かせて、安心したように胸を撫で下ろした。挨拶の段取りを決める前に、残った紅茶を飲み干しておく。カップを下げてもらいながら、友達にはちゃんと幸せになってもらいたいしな、と心の中で呟いた。
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王宮の入り口からお茶会の会場である庭園までの道は、王宮の建物内を通らなければ、2か所程度しかないらしい。庭園の一角に植えられた木の影に隠れるようにして様子を伺う。まだカロリーナの姿は見えない。
「アレン様にこんなことをさせるなんて……」
一緒に隠れているジェニーが後ろでぼやいている。
苦笑しつつそれを宥めて、また視線を戻す。
改めて考えると、カロリーナは実際にゲームで見たことがあるキャラとしては、セシルに次いで2人目だ。学園でも出会う可能性がかなり高い。場合によっては、カロリーナがヒロインに冷たく当たっている場面に遭遇することもあり得る。
その時、私は攻略対象としてヒロインを庇わなければならない。そこで彼女と初対面というのもいまいちだろう。
――それに、どんな性格かも知らないまま一方的に悪人扱いするのも嫌だしな。
そんなことを考えていると、2人の人影が庭園に現れた。赤い髪の少女と、おそらく彼女専属のメイド。
2人はセシルがいるテーブルに近付いて挨拶を交わした後、席に着いた。それを確認してジェニーを振り返る。彼女が頷いたのを見て、木陰から出る。
「あ、アレン! 今日も来たのかい?」
私たちに気付いたセシルが、打ち合わせ通り声をかけてきた。カロリーナもセシルの視線を追ってこちらに顔を向ける。
つり目気味だが、この歳ですでにかなり美人だ。さすが、乙女ゲームのキャラは女の子もかわいいんだなとこっそり感嘆しつつ、セシルに言葉を返す。
「ああ、連日すまないな。お茶会か? セシル。……彼女は?」
「僕の婚約者候補の、カロリーナ・スワローだよ」
「そうか。私はアレン・クールソンだ。よろしく」
カロリーナに向き直って礼をする。彼女は軽く頭を下げたが、それだけで特に何も言わなかった。おろおろと紫色の瞳を揺らして、どうしたらいいか分からない様子だ。
想像していたより大人しい子だなと思いながら、踵を返す。
「じゃあ、私は図書室にいるから」
「わかった。ごゆっくり」
セシルに見送られてその場から離れる。生垣の影に入った辺りで足を止め、遠回りに移動して、彼らがお茶をしているテーブルに近付いた。
ちょうど2人が見える位置で身を屈めて、ばれないように様子を伺う。スティーブンがこちらに気付いたようだったが、先ほどの打ち合わせをセシルの隣で聞いていたため、知らない振りをしてくれた。
今のところは2人とも普通に会話をしている。カロリーナは少しツンツンしているが、まだ可愛いほうだ。本当にただツンデレなだけなのではと疑ってしまう。セシルが言っていたのは、このことではないのだろうか。
と、早くもお茶が無くなったのかメイドたちが動き始めた。王宮のメイドたちに混じって、テキパキとお茶の用意をしているメイドに目が留まる。カロリーナと共に来たあのメイドだ。
「彼女はメイドの間でも有名ですね」
ジェニーが小声でそう言った。貴族の屋敷で働くメイドたちには、共用の情報交換の場があるという。彼女はよくそこで話題に上がるそうだ。
「そんなにか。何故そこまで有名なんだ?」
「彼女は両親共に平民で、親が使用人経験者でもありません。それなのに、すべての仕事が完璧なのです。貴族の方々からの信頼も厚く、身分に関係なく引く手あまたなのだとか」
「それはすごいな」
彼女の動きを見ていると納得してしまう。普段一緒に仕事をしているわけでもない王宮のメイドたちとの連携もしっかりしている。わざわざ王宮に連れてくるメイドに選ぶくらいだから、カロリーナの信頼も厚いのだろう。
そう思っていると、ジェニーが少し声のトーンを落とした。
「しかし、正直に申しますと……私は、あまり彼女のことが好きではありません」
それは意外な言葉だった。なんとなく、ジェニーは仕事ができる人が好きなのだと思っていた。
それにたとえ自分より誰かが褒められるようなことがあっても、負けず嫌いは発揮するかもしれないが、陰で嫌いだなんていうようなタイプでもない。
どうしてとその理由を聞こうとしたところで、突然甲高い声が庭園に響いた。
「まぁ、セシル様!! またケーキなんて召し上がって、おやめくださいませ! 婚約者候補として恥ずかしいですわ!」




