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22話 家族 ◇

「……アレン様、大丈夫ですか?」


 ジェニーが心配そうに顔を覗き込んでいたのに気付き、はっと我に返る。目の前の鏡に映る自分が寝間着になっているのを見て、ああそういえば着替えさせてもらってたんだったと思い出した。

 慌てて頭を振って、ジェニーに顔を向ける。


「すまない、大丈夫だ。……何か話してたか?」

「いえ……お疲れなら早めにお休みになったほうが良いかと思いまして」

「そうだな。もう少しだけ本を読んだら寝ることにする。後で明かりを消しに来てもらえるか」

「かしこまりました」


 部屋を出るまでずっと心配そうな顔をしているジェニーに、苦笑いを浮かべつつ手を振る。扉が閉まったのを確認して、はぁと息をついた。


 訓練場にいた後の記憶があやふやだ。確かセシルにはちゃんと挨拶をして、馬車を見送ったはずだ。その後、家族揃って夕飯を食べて……何度か話しかけられて答えた気がするが、覚えていない。意識はずっと別のことに向いている。


 少しだけ考えて、机に向かう。引き出しからゲームの記憶を書いておいた本を取り出してぱらぱらとめくってみる。当然セシルルートしかやっていない私の知識では、望んでいた答えは書かれていなかった。


――アレンにも、婚約者候補はいるんだろうか。


 本を引き出しに戻しながら、ぼんやりと考える。今日、セシルが言った『婚約者候補』という言葉で気付いてしまった。

 今の今まで、前世の記憶が戻ってから完全に意識から抜けていた貴族の常識。それは、結婚して子孫を残すことだ。改めて自分が公爵家の跡取りであることを思い出して、再び深いため息をついた。


 女性に生まれなくてよかった。男性なら数日耐えれば……と考えてしまう自分が嫌になる。そんなことでは生まれてくる子供にも、相手にも申し訳ない。

 政略結婚ならそういうものかもしれないが、それは果たして幸せといえるんだろうか。


 婚約者『候補』なのは、学園でヒロインと出会う前提でつけられた設定だろうと思う。ヒロインと結ばれたらヒロインと、結ばれなかったら婚約者候補だった人と、それぞれ結ばれるための設定。


 確かセシルルートの時も、ライバル令嬢として婚約者候補の少女が出ていた。それはセシルが王子だから、学園を出ても婚約者が見つからなかった場合に備えての候補なのかと思っていた。

 でも、もしかしたら高位貴族の私にも、学園に入る前から婚約者候補がいたのかもしれない。アレンルートをやっていないから出てこなかっただけで。


――婚約者……今じゃなくても、いつか必ず決まるんだろうな。


 自分に愛せるだろうか。と、その問いがまず最初に浮かんでしまう。ずっと一緒にいれば情は湧くだろう。愛おしく思うことはできるかもしれない。

 しかし、それは恋ではない。愛といっても、それも形が違う愛だ。確実に相手に求められるような気持ちじゃない。友達や家族と、夜を共にしたいとはどうしても思えない。


 そんなものはいらない、という相手の可能性もある。でも、結婚したからには結局子孫を残さなければならない。好きでもない相手と夜を過ごすなんて、自分が男性側になった今でも精神的にきつい。そんな相手との間に生まれる子供をちゃんと愛せるかもわからない。


 どうあがいても幸せになる未来が見えなかった。私と婚約したばかりに相手の幸せも奪ってしまうのかと思うと、婚約なんてしない方がいいとしか考えられない。

 現代日本であれば、都会ではそういう考え方も徐々に受け入れられてきていた。


――でも、この貴族社会でそれがまかり通るとは思えない。


 それは単なるわがままに過ぎない。だってこの家には私しか子供がいない。私が子孫を残さなければ、途絶えてしまう。そうなったら、もう自分だけの問題じゃない。


 学園に入るまで婚約者候補を作らなかったとしても、今度は短期間で婚約者を探す羽目になるだけだ。万が一ヒロインに自分のルートを選ばれたら、結局彼女と結婚して子孫を残さないといけない。

 そうでなければ、学園で別の女子生徒と恋仲になるか、親同士で決めてもらって婚約するしかなくなる。


 貴族に生まれたのだから、この責務からは逃れられない。


――ごめん、『アレン』。私が……私の記憶があるせいで、『普通の幸せ』を奪ってしまう。


 じわ、と目頭が熱くなる。


 前世のことを思い出さなければ、この体だって普通に恋をして結婚して、幸せな家庭を持つことができただろうに。

 その入り口である『恋』ができない人格を思い出してしまうなんて。いっそのこと、今からもう一度記憶喪失になったほうがいいのではないだろうか。


 そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされた。はっとして部屋に置かれた時計を見る。もうジェニーが明かりを消しに来たのだろうかと思ったが、そうではなかった。


「アレン、起きてる? 少し話したいのだけど、入ってもいいかしら。ダニエルも一緒よ」


 閉じられた扉の向こうから、母様の声がした。




===




 ソファーに向き合って座る。家族3人が揃って話をするのは食堂か居間が多いので、こうやって私の部屋に集まるのは珍しい。しかも、こんな夜に。


 母様と共に来たナタリーは、テーブルの上に3人分のハーブティーを用意すると部屋を出て行った。わざわざ使用人も下げるなんて、一体何の話だろうと緊張してしまう。


「こんな遅くにごめんなさいね。早いほうが良いかと思って」


 母様が眉を下げて微笑んだ。少し疑問に思いつつ、首を振る。母様はハーブティーを一口飲んで顔を上げた。私と目を合わせ、優しい口調で尋ねる。



「アレン、あなたは自分にも婚約者候補がいたらいいなと思う?」



 つい先ほどまで考えていた言葉が飛び出して、固まってしまう。セシルの話を聞いた直後から上の空だったから、婚約者候補という言葉が引っかかっているのは気付かれていたのだろう。もしかしたら、私も欲しいと思っていると思われたのかもしれない。


――いらないって言いたい。それは相手を不幸にするだけです、って。


 でも、そんなのは『普通』じゃない。


 ぎゅっと膝の上で拳を握って、頭の中で言葉を組み立てる。親としてはきっと、早いうちから婚約者候補がいたほうが安心できるだろう。学園のことも心配しなくて済むし、将来の計画も立てやすい。

 だから本当なら、喜んで頷くべきなんだ。本当なら。ゲームのアレンがどうだったかは知らないが、家族のために何と答えればいいのかくらい、私にだってわかっている。


「い……今すぐというわけではありませんが、公爵家の跡取りとして、責務は果たしたいと思っています」


 完全な嘘ではない。しかし、だいぶ苦しい言い回しになってしまった。


 公爵家の跡取りとしての責務を果たしたいというのは本音だ。ただそれに、感情がともなっていないだけで。

 母様や父様が守ってきた公爵家を私の代で終わらせたくはない。前世の記憶さえなければ、それはこんな風に悩む必要もなく、当たり前に続いていただろうから。


 母様はじっと私を見て、父様と顔を見合わせた。

 そして改めてこちらに向き直ると、さとすように言った。



「アレン、公爵家の跡取りとしての責務なんて考えなくていいのよ」

「えっ……」


 思いがけないその言葉にぽかんとしてしまう。私がそのことを考えなかったら、誰がこの家を継ぐのだろう。

 そう思っていると、「少し昔話をするわね」と母様が話し始めた。


「お祖父じい様が功績を立てたことで公爵となった我が家だけど、お父様には私を含めて女ばかり4人も生まれてしまってね。妹たちはよその家にとついでしまったから、残ったのは私だけだったの。……ダニエルはね、入り婿むこなのよ」


 公爵家の血筋としてはもう途切れているの、と続けられる母様の言葉に思考が追い付かない。初めて聞いた事実ばかりで混乱してしまう。一応女性でも血は引いているはずだから、完全に途切れたわけではないと思うのだが。

 本来なら母様の代で養子の男の子を貰うところだが、その代わりに入り婿として父様が入ったのだろうか。


 戸惑っていると、母様はハーブティーをまた一口飲んで小さく笑った。


「お父様はそれはもう娘たちが大好きで大好きで、ものすごく親馬鹿な人だったの。周りからは男児がいないなんてかわいそうと言われてたみたいだけど、まったく気にしていなかった。先にお母様が亡くなって、しばらくお父様1人だけだったけど……そのお父様もだいぶ前に……」


 話していた声が小さくなる。父様が母様の背中にそっと手を添えた。


 母様のほうの祖父母はどちらも亡くなっている、というのも初めて知った。そういう話をあまり聞いたこともなかったし、話してもらったこともなかった。


 時々両親揃って出掛けることもあったが、実はその時に墓参りに行ったりしていたのかもしれない。病気か事故かわからないが、まだ母様もお若いのに両親がいないなんてといたたまれない気持ちになる。

 母様は父様に「大丈夫よ」と声をかけて、話を続けた。


「お父様はね、昔から口癖のように『子供が幸せならそれでいい』と言っていたの。娘たちに目いっぱい愛情を注ぎたいから養子なんかいらないって。家が続かなくてもいいから、子供が望む人生を歩ませたいと。公爵家としても貴族としても、本当はあまりよくない発言よね。……でも、親としては素敵な考えだと思うわ。私も同じよ」


 その時点で、母様の言いたいことがなんとなくわかってしまった。

 真剣な表情から目が離せない。母様は少し身を乗り出して、私に伝わるようにはっきり一言ずつ口に出した。



「あなたが幸せならそれでいい。責務なんかで自分の人生を決める必要はないわ。無理して婚約者を決めて結婚して子供が生まれても、あなたが幸せでなければ意味がないの」



 ぐっと込み上げてくるものを飲み込んで、なんとか頷いた。母様はきっと、最初から気付いていたんだろう。私が『普通』ではないということに。


 涙が溢れてしまいそうで俯いていると、テーブル越しに手が伸ばされ、頭を撫でられた。ソファーに座り直した父様が口を開く。


「お前の叔父おじにあたる私の兄弟でも、結婚せずに仕事を選択した者がいる。そういう道もある。結婚していても、子供がいない家もある。歳を取ってから結ばれた夫婦もいる。あまり心配するな」

「そうよ、幸せなんて人それぞれなんだから。この家だって心配しなくても、これから養子を貰うこともできるわ。アレンのおかげでとても評判が高いもの。声を上げたらすぐにたくさん話が飛んでくるわよ」


 まぁ頑張って弟か妹をつくることもできるけど、と冗談っぽく笑う母様の隣で、父様が顔を赤くして咳込んでいる。


 いつの間にか、さっきまで落ち込んでいた心が軽くなっていることに気が付いた。本当に、悩まなくていいのだろうか。誰かを不幸にしてしまう心配をしなくていいのだろうか。

 正直、ヒロインがどのルートに進むのかはまだ分からない。でも、少しだけ幸せな未来も見えてきたような気がした。それに自分の婚約者のことを気にしなくていいのなら、その分ゲームのストーリーに集中できる。

 

――魔法の訓練と同じように、将来のことも……もう少し柔軟に考えても良いのかもしれない。


 そう思っていると、母様が言った。


「どの道に進むとしても貴族学園には入ったほうが良いから、たくさん言い寄られて困ってしまうかもしれないけれど……アレンならうまく対応できるでしょう。もしかしたら同じような価値観を持っている人に出会えるかもしれないし」


 続いて、父様が腕を組んで頷く。


「仕事に生きるなら、将来的にセシル王子の側近そっきんになる道もあるしな」


 ふと聞こえた単語が気になって顔を上げる。側近というと取り巻きみたいなイメージだったが、仕事? 将来的にということは、セシルが王様になってからの話だろうか。

 私の視線に気付いた父様がこちらを向いた。まだそうと決めたわけではないが、おそるおそる尋ねる。


「セシルの側近という仕事もあるのでしょうか?」

「ああ、国王の相談役として『宰相さいしょう』という仕事がある」


 父様は、優しく微笑んで言葉を付け足した。



「先ほど話した、お前の叔父が務めている役職だ」




===




 扉を開けて部屋を出たところで、扉横にいたイサック以外に、ジェニーの姿も見えた。すでに頭を下げて礼の姿勢を取っていたということは、私たちが出てくるのが分かっていたのねと小さく笑う。


「ジェニー、アレンのお部屋の明かりを消しに来たのね。今ベッドに入ったところだから、もう少し待ってから入ってあげて」

「かしこまりました」


 そう返す彼女の表情は複雑だった。まるで心配と後悔が入り混じったような、何かを反省しているような顔だ。少しだけ声を落として問いかける。


「どこから聞いていたの?」

「も、申し訳ございません。決してお聞きするつもりは」


 彼女は慌てて頭を下げた。そのまま、申し訳なさそうな声色で「……最初からです」と答える。あらあらと苦笑して、彼女の肩を軽く叩く。そろそろと顔を上げるジェニーと目を合わせて、声をかける。


「あの子は私たちが知らないところで、きっとこれからもたくさん悩むでしょう。ジェニー、どうかあの子の味方でいてあげてね」


 彼女はぐっと拳を握ると、すでに覚悟は決まっているという目をした。


「はい。もちろんでございます」


 その表情に安心して、ダニエルと共にその場を後にする。護衛兵のイサックが後ろから付いてくる。ジェニーに聞こえていたということは彼にも聞こえていたのだろうけど、それはもう仕方のないことだ。

 それに、彼もアレンのことは大事に思ってくれている。偏見を持つようなことはないだろう。


 今日の昼にセシル王子から婚約者候補という話を聞いて、アレンはずっと思い悩んでいるようだった。

 本人に尋ねて、ようやく少しだけ理解した。あの子が具体的に何を恐れているのかまでは分からない。でも自分に課せられた責務を理解して、苦しんでいるのはわかった。……まるで以前のセシル王子のように。


「あの子には、幸せになってもらいたいもの」


 ぽつりと呟いた言葉が、綺麗に飾り付けられた廊下に響く。アレンのおかげで、今の私たちはこんなに幸せなのだから。あの子にだけ苦しい思いをさせるわけにはいかない。


 隣でダニエルが、大きく頷いた。

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