172話 物語の終わりと成人式
長年、王国の懸案事項とされていた魔界の門が消えてから、約2週間。
王宮に呼び出されたり魔王とフレイマ国王が対面する機会があったり、門の破壊がエミリアと『魔族』によって成されたと公表されたりと、去年に負けず劣らず慌ただしい日々が過ぎていった。
特に魔族については伏せるべきか議論されていたようだが、最初から敵ではないとハッキリさせるため、同時に公表された。
あの日学園内に記者は1人もいなかったはずだが、門の消失についてはホールから解放された生徒たちによって、数日間のうちに噂が広まったらしい。その結果、国からの公表とほぼ同時に複数の新聞が出回る事態となった。
ジャックやギルと親しくしていた生徒たちは彼らが魔族であると知って驚いていたものの、最初から魔族を好意的に受け入れてくれたようだ。おかげで新聞にもそこまで否定的な記事は書かれていなかった。
エミリアが強力な聖魔力保持者であることもすぐに知れ渡るだろう。以前から考えていたことだが、国中に情報が広まった後は彼女に『聖女』を引き継いでもらうところまで話が進んでいる。有名になった例の劇団にもクールソン家から援助をして、彼女が主役の劇を作ってもらう予定だ。
最終イベントを経てギルとの仲も更に深まったらしく、数か月後には婚約者候補として家族に話をするつもりだという。
――これは、紛れもないハッピーエンドだな。
新調したタキシードに身を包み、豪華なホールの壁際で小さく息をつく。
今日は夕方から夜にかけて王宮で開かれるパーティーに参加していた。今年18歳になった貴族が集められる、所謂『成人式』だ。
最初に王様から祝いの言葉を賜った後は交流会となり、各テーブルに軽食やドリンクが並べられた。目の前ではかつての同級生たちが、学園にいた時よりもさらにしっかりと着飾った姿で談笑している。
破壊された門の調査が進む中でも、卒業式は例年通り執り行われた。私も急ぎ足で次世代の生徒会役員と交代し、3年間過ごした乙女ゲームの舞台を離れてクールソン家に戻った。
1年だけの臨時入学だったジャック達も、同時に卒業して魔界へ帰っていった。
情報が公表されたのは卒業式の直前だったため、詳しい話を聞きたがっているのだろう。視線を感じるが、学生の頃のように質問攻めにされることはない。
最後のダンスパーティーでホールに閉じ込められている間に親しくなった生徒もいたらしく、婚約者同士で参加している者も多かった。
穏やかな曲が流れる煌びやかな空間にいると、あの夜のことがすべて夢だったように思えてしまう。前回のエンディングと違って、自分が乙女ゲームの主要キャラではなかったからだろうか。
終わった実感が湧かないなと心の中で呟いたところで、こちらに近づいてくるオレンジ髪に気が付いた。
「アレン! 待たせたな」
「いや、すまない。君に取りに行かせてしまって」
ライアンから受け取ったグラスを軽く掲げて乾杯する。私の隣に並んだ彼は辺りを見回すと、苦笑いを浮かべて言った。
「すごいな、王宮って。門の関係で何回か来たけど、ホールには入ったことなかったからさ。学園のダンスホールと規模が違いすぎて迷っちまった」
それを聞いて、そういえば私もここに入るのは初めてだなと顔を上げる。学園の数倍はありそうなシャンデリアがいくつも吊られていて、2階にはバルコニーもある。パーティーの後半にはダンスがあるため中央を開けているが、それでも人の多さを感じないほど広い。
「そういえば、さっきアンディーとピアに会ったぞ。アレンは誰か見かけたか?」
「私は誰とも会ってないな。友達同士で集合場所くらい決めておくべきだったか」
とはいえ、卒業後はみんな寮を出てそれぞれの領地へ帰ってしまった。手紙で相談するような暇もなく、王宮で顔を合わせた時もそれどころではなかった。
魔界の門の破壊はそれだけ国にとっても一大事だ。これから学園の有り方も魔族との関係も、大きく変わっていくのだろう。
魔族が本当の意味で受け入れられるには時間がかかるかもしれないが、すでに彼らと恋仲になっている人間もいる。初代魔王を倒して門を破壊して、乙女ゲームとしては『ハッピーエンド』だが、彼らの人生はこれからだ。
みんな幸せになってほしいなと思っていると、ライアンがぽつりと呟いた。
「ルーシーもいればなぁ……と思ったけど、年下だったな」
その言葉に苦笑しつつ、「そうだな」と返す。
ルーシーにはあの後、魔道具庫経由で校庭に戻ってから改めて礼を伝えた。彼女の声で目が覚めたようなものだったが、どうして指輪から声が聞こえたのかは未だに不明なままだ。ルーシーも私に聞こえているとは思っていなかったらしく、不思議そうな顔をしていた。
どちらも神殿に繋がる魔道具を身に着けていたからか、前世の記憶があるせいか。色々と試してみたが、もう一度同じことをしようとしてもできなかった。
彼女が成人するのは来年だ。罪人でなかったとしても、そもそも貴族ではないからパーティーに参加するのは難しいだろう。……彼女の身分が変わらない限りは。
ライアンはじっとシャンデリアを眺めて言った。
「去年のルーシーのダンス、すごかったよな。また踊ってほしい」
「君から誘えばいいじゃないか。彼女が自由になるのを待つつもりなんだろう?」
ルーシーは現聖女である私の命を救ったとして功績が認められ、セシルからの口添えもあって大幅に刑期が短縮された。
元は50年だったところを、5年。つまり4年後には、神殿から自由に出られるようになった。それを知って一番喜んでいたのがライアンだ。
彼は誤魔化すようにグラスを傾けると、赤くなった頬を掻いて目を逸らした。
「いや、まぁ……でも、神殿に来る中にはルーシー目当ての貴族もいるみたいだからな。俺みたいな辺境の三男なんて選んでもらえるかどうか」
「え?」
「ルーシーも4年後には気持ちが変わってるかもしれないし、貴族より平民の方が良いって考えてるかもしれないし……」
そう言いながら肩を落とすライアンに目を丸くしてしまう。彼は落ち込むのも早いが、立ち直るのもかなり早いはずだ。なんとなく普段とは様子が違っている。
もしや、彼が持ってきたグラスの中身は酒だったのだろうか。
――まぁ、成人を祝うパーティーだからな。
母様譲りなのか、私は酒に強いらしい。だからこそ自分を基準にしてはいけない。彼を励ましつつ、ちょうど近くを通りかかったウェイターに水を頼んでおく。
しばらくしてライアンが落ち着いたところで、赤と黒のドレスに身を包んだ女性がそっと私たちの隣に並んだ。
派手な色の組み合わせだが、むしろそれが彼女の美しさを際立たせている。
「カロリーナ。よく見つけられたな」
「鮮やかな髪色が見えましたので。助かりましたわ」
助かった? と首を傾げて気付く。少し離れた位置から彼女を見ていた男性がハッとした顔をして、すごすごと去っていった。
「ああ……なるほどな」
「お気持ちは嬉しいのですけれど、変な噂が立ってしまっては困りますもの」
学生の頃とは違いますから、と続ける彼女に頷く。学園という枠を出た今、噂はそのまま貴族社会の評判に直結してしまう。卒業時に婚約者がいると明言していないからこそ、下手に関わりを持たないよう気を付けなければならない。
この場にジャックがいればと思ったが、魔族である彼は参加していない。きっとカロリーナの新しいドレスも見たかっただろうな、と残念に思う。
「……ジャックのことは、スワロー公爵には話したのか?」
「ええ、門の消失が公表された際に。最初は反対されていましたけれど、お兄様とお母様が説得に協力してくださって」
「お母上も?」
魔道具関係で繋がりがあったウォルフはともかく、何故スワロー公爵夫人もと疑問が浮かぶ。カロリーナはふふと小さく笑って答えた。
「お母様は、魔王様に結婚を申し込まれるなんてまるで恋愛小説のようだと。目を輝かせて応援してくださいました」
スワロー公爵夫人もカロリーナと同じく恋愛小説が好きらしい。実際にジャックと顔を合わせて判断した部分もあるだろうが、2人が真剣に想い合っていることも伝わったのだろう。
無事に最終イベントを終えた後、ジャックは改めてカロリーナに結婚を申し込んだ。彼は魔界の王だから、いつかは彼女も魔界を訪れることになる。スワロー公爵夫妻はそれも含めて『カロリーナが幸せなら』と受け入れたという。
――確か、魔界に充満していた瘴気も消えたと言っていたな。
それは先日王宮に呼ばれた際、ジャックから聞いた話だ。原因不明とされていた瘴気の発生源は、どうやら初代魔王を封印していた門だったらしい。
魔界側の門を破壊し、人間界側からエミリアが瘴気を祓ったことで、魔界は正常な状態に戻ったようだ。これならカロリーナを迎え入れる準備を進められる、とジャックも嬉しそうにしていた。
魔界に繋がっていた門が消えた影響は人間界側にもあった。明るい場所や神殿がある王都には魔物が現れないが、地下や暗い森の中、国境付近には現れる。良くも悪くも、門が現れる以前の状態に戻ったと言えるだろう。
少なくとも今後は魔界の門を巡って聖女が狙われたり、門の開放を企む人物が現れるようなことはないはずだ。
「ジャックといえば……オリバーは結局どうなったんだ?」
ふと、思い出したようにライアンが口を開いた。カロリーナにも視線を向けられ、ああと頷いて答える。
「彼も初代魔王に騙されて操られていた被害者だからな。大きな処罰はないが、念のためしばらく闇魔法を使えない枷を着けておくことになったそうだ」
初代魔王に閉じ込められた部屋から出て、エミリア達と合流した時。何故かテッドに引きずられていたオリバーは私を見て青い顔をした。それまでのことや生徒会室での行いを深く謝罪され、もういいと言うまで頭を下げられた。
初めて会った時には、すでに初代の影響を受けていたらしい。出された紅茶にも精神に影響する薬が入っていたと聞いて、警戒心は無駄じゃなかったと安堵した。
闇魔法が人格に影響するのは知っている。オリバー自身闇魔力を持っていたが、初代の力には敵わなかったようだ。最後はセシルの魔法であっさり倒されていた初代魔王も、実はかなりの魔力を持っていたのだろう。
結局オリバーは魔族の民を想って行動していただけだと認められ、魔王であるジャックの判断で刑に処された。
彼の闇魔法を封じたら魔王城を守っていた結界も消えるのではと思ったが、外の瘴気が消えたため、そこまで強力な結界も必要なくなったらしい。今は人間界の防犯用魔道具を代わりに置いておけば問題ないそうだ。
「アレンがあの短剣を自分に刺して魔法を解除してなかったら、オリバーの魂も初代魔王に奪われてたんだろ? 危なかったな」
でも、とライアンは眉を顰めた。私を見て、ふうとため息をつく。
「さすがにあれは、驚きすぎて息が止まるかと思った」
「私も後からお話を聞いて血の気が引きましたわ。もしそのままアレン様が犠牲になっていたらと思うと……」
2人から心配そうな顔を向けられ、申し訳ない気持ちになる。初代との繋がりを断ち切る方法はジャックから聞いていたものの、魔族と人間では体の作りが違う。
教わった通りにやっても上手くいかず、カロリーナの言う通り、自分で自分にとどめを刺していたかもしれない。
――もしもを考えなかったわけではないが、他に何もできなかったからな……。
他の方法を考えている間に、初代に魔力を全て使い切られていた可能性もある。体にわずかな魔力が残っているうちに行動できたのはよかった。
しかし、何も知らない彼らを驚かせてしまったのも事実だ。
「すまない、先に話しておくべきだったな」
「――何をするつもりか分かってたら、むしろ止めに入ったかもしれないけどね」
突然聞こえた声に、3人揃って目を丸くする。壁に沿ってこちらに近付いてきたのは王宮にいるはずのない人物だった。
彼は普段の白衣姿ではなく、きっちりと礼服を身に纏っている。
「リリー先生? どうしてここに……」
「ちょっと呼ばれてね。見学ついでに許可を貰って覗かせてもらったのよ。せっかくだから、少しだけいいかしら?」
リリー先生はそう言ってウェイターを手招いた。全員新しいグラスを手に取り、向かい合って軽く掲げる。
「改めて、成人おめでとう」
こちらに向けられた紫の瞳と、ぱちりと目が合う。
元生徒たちの成人式に感動しているのか、先生は嬉しそうに見えた。