171話 破壊と決着
魔法での攻撃が止んだことで、辺りはしんとしていた。誰かが息をのみ、ざらざらと土の壁が崩れる音が聞こえる。
痛みを感じたのは一瞬だった。胸に突き刺した短剣に大きな亀裂が走り、刃から柄までまとめて砕け散る。黒い塵になったそれは、空間に溶けるように消えた。
隣で呆然としていたリリー先生が、ぽつりと声を零す。
「だ……大丈夫、なの?」
聖魔法を構えていたルーシーと目を合わせ、同時に胸を撫で下ろす。どこにも傷がないことを確かめて先生に頷いたところで、静寂を破る絶叫が部屋に響いた。
はっとして顔を上げる。小さな影がフラフラと地面に落ちてくる。彼は苦しそうに胸を押さえると、こちらを睨みつけた。
「ッてめぇ……! ふざけんな!! その剣がねえと魂が……ああクソ、なんで知ってんだよ!?」
「……さぁ、どうしてだろうな」
ジャックはこの解除方法を門外不出だと言っていた。彼から聞いたことは隠しておいたほうが良いだろう。
剣がなければ魂を奪えないということは、これでオリバーも助かったのだろうか。私たちが来るまで初代がルーシーに憑依していたとすれば、ジャック達と戦っていた彼の魂はまだ奪われていないはずだ。
――なんにせよ、ここまで来ればやることはひとつしかない。
小さく息をついて立ち上がる。無事に魔力の繫がりが切れたのか、彼に流れていた私の魔力もほとんど戻って来たようだ。軽く手を動かし、左手の指輪を外す。
私に怪我がないのを確認したリリー先生とルーシーも立ち上がる。セシルとライアンが杖を構え直す。辺りを見回して青い顔をした初代魔王は、羽を動かしてふわりと浮き上がった。
そして、わざとらしく媚びるような笑顔を浮かべた。
「い……いやぁ、さすが聖女様! やっぱり読書好きなだけあって知識が豊富だなぁ。きっと心もお優しいんだろう。こんな小さな命くらい見逃してくれるよな?」
「――ホーリーライト」
返事の代わりに溜めていた魔力を込めて唱える。ぱぁと部屋を白い光が照らし、私たちの背後に現れていた魔物をかき消した。気配に気付いていなかったらしいルーシーが振り返り、消えていく影に目を丸くする。
初代魔王はギャッと短い悲鳴を上げて台座の裏に飛び込んだ。それで聖魔法を避けられるのかは不明だが、どうやら無事だったらしい。
「はぁあ? 気配で気付くんじゃねえよ化け物かよ。いいじゃねえか少しくらい。か弱い魔物がちょっとふざけただけなんだからさぁ……」
そう言いながらそそくさと部屋の出口へ向かう初代の前に土の壁が現れる。次いでリリー先生が風魔法を唱え、吹き飛ばされた影が再び床に転がった。
初代は闇魔法を扱えるようだが、こちらには聖魔力保持者が2人もいる。部屋の外にいるエミリア達の様子も気になるし、これ以上彼と話している暇はない。
いい加減に決着をつけようと初代に向かって手をかざしたところで、それまで黙っていたセシルが口を開いた。
「――もういいかい?」
ギクリとしてしまったのは、その声が今まで聞いたことのないほど平坦だったからだ。怒りを押し殺したような感情のない声で、セシルは初代に問いかける。
「アレンとの繋がりは切れたんだろう? それなら、もういいかな?」
ライアンがそっと後退ってセシルから離れる。ルーシーが震える手で私の袖を掴む。リリー先生は何かを察したようにため息をつくと、杖を懐に入れた。
宙へ飛び上がった初代魔王は何故か逃げることもせずその場で固まっている。こちらからセシルの表情は見えないが、彼はそんなに怖い顔をしているのだろうか。
「お……おい、王子様。もういいって? それは見逃してくれるってこ」
そう言いかけた初代を目掛けて、セシルは握った杖を突き出した。ちょうど喉を押さえる位置だったらしく、ぐえっとうめき声が上がる。
そのまま小さな影を台座に押さえつけながら、セシルが静かな声で言った。
「……知っているかい? この国の王子は成人すると1つ呪文を学ぶんだ。人には効かない特殊な呪文。次期国王として魔物を相手にした時、守るべき民である聖魔力保持者にばかり頼ってはいられないからね」
初代が反応する間を置かず、彼は手に力を込めた。
「喜べ、初代魔王。僕のこの魔法を受けるのはお前が初めてだ。――聖なる炎」
セシルが唱えた瞬間、ボッと音を立てて初代魔王が炎に包まれる。赤でも青でもない、雪のように真っ白な炎。揺れる光の中で黒い影が少しずつ崩れていく。
分身体とはいえ痛みはあるらしい。耳を塞ぎたくなるような断末魔を残して、初代は燃え尽きたように姿を消した。
ふっと炎が消え、辺りが元の薄暗い部屋に戻る。杖を懐に仕舞ったセシルに声をかけようと足を踏み出したところで、彼が先に振り返った。
その赤い瞳が潤んでいることに気付き、目を丸くしてしまう。
「セシ……」
「アレンッ!」
セシルはまっすぐ駆け寄ってくると、がばと私を抱き締めた。服が汚れるのも構わず、腕に力を込めて声を震わせる。
「よかった、よかったぁ……! なんて無茶をするんだ君は!! ほ、本当に……死んでしまったかと思った!!」
その言葉で、私が自分に短剣を突き刺したことを言っているのだと理解する。解除方法は転生者間でしか共有していなかったため、彼には何も伝えていなかった。
すまないと謝罪を口にしつつセシルの背中を撫でる。ふいに、リリー先生が目元を拭って小さく笑った。
「本当にね。……まぁ、ちゃんと目覚めてくれてよかったわ」
ポンと優しく頭を撫でられ、何と言えばいいかわからず口をつぐむ。眠っていた間のことは分からない。しかし、彼らはずっと私を心配してくれていたのだろう。
「アレン、何もできなくてごめんな。俺がもっと最初に周りを警戒してれば」
「ら、ライアン様がそう言うなら私だって……操られるなんて」
申し訳なさそうな顔をしているライアンとルーシーに首を振る。私が目覚められたのはみんなのおかげだ。みんなが友として私の傍にいてくれたからだ。
――そして……私がこの世界で生きることを、望んでくれたからだ。
未だ泣き続けている親友の背中に手を回し、ぎゅっと抱き締め返す。
目の奥が熱くなるのを感じながら、諦めなくてよかったと心の中で呟いた。
===
「魔王様、魔物が……!」
ギル様が声を上げる。ジャック様と同時に振り返ると、辺りに現れていた魔物たちが崩れるように消えていくところだった。
大きな門がある空間に着いてすぐのこと。ルーシーさんを見つけたらしいライアン様とアレン様が、洞窟の壁に造られた部屋に入っていった。そしてその後を、リリー先生とセシル様が追いかけた。
テッド様が最初に気付き、私たちも彼らを追いかけようとしたところで、突然部屋の入り口が闇魔法に塞がれてしまった。
すぐに私の聖魔法で開けようと思ったけれど、それは叶わなかった。その前に周りを大量の魔物に囲まれてしまったから。
彼らなら大丈夫だろう。信じて任せようというジャック様の言葉で魔物と対峙したものの、私の聖魔力は門を破壊するために温存しなければならなかった。
見ているだけで何もできないまま、魔族の彼らに守られて数十分。魔物が消えたということは、と急いでジャック様に顔を向ける。
「今しかありません。門を破壊しましょう!」
「え、どういうこと? もうできるの?」
最後に残っていた魔物を殴り飛ばしながら、テッド様がこちらを振り向く。ジャック様は門をじっと見て大きく頷いた。
「ああ、周りに溜まってた瘴気も弱まってる。きっとアレン達が初代を倒してくれたんだろう。また復活される前に急いで門を壊さねぇと」
アレン様たちのことも心配だけど、ここでのんびりしている暇はない。魔界の門を破壊するには、魔界側と人間界側から同時に門を攻撃しなければならない。
魔界からは魔族の彼らが物理的に破壊し、こちらからは聖魔力を送り込むことで、歪んだ世界間の繫がりを壊すことができるらしい。
ジャック様は、ギル様とテッド様に顔を向けて言った。
「どっちかはこのまま人間界でエミリアのサポートを頼む。まだ完全に瘴気が消えたわけじゃないからな。もう1人は俺と魔界に戻って門を破壊しよう」
魔界側の門へはジャック様の魔法で移動できるという。到着してから彼が念話で攻撃開始の指示を出すため、こちらにも1人は魔族がいる必要がある。
それを聞いて、テッド様が躊躇うように口を開いた。
「俺……できればこっちに残りたい。ご主人が気になる」
彼はちらりと閉ざされた部屋に目を向ける。何故か先程までの闇魔法は消え、入り口は土魔法で塞がれていた。
中で何が起こっていたのかは分からない。じわじわと胸に広がりかけた不安を振り払うため、慌てて頭を振る。
「仕方ねぇな。じゃあ、ギル。行くぞ」
「あっ、すみません。少しお待ちください」
ジャック様に声をかけられたギル様は、はっとした顔をしてこちらに駆け寄ってきた。心配そうな表情を浮かべ、私と目を合わせる。
「エミリア、大丈夫か?」
「え……」
「オリバーとの戦いで魔力を使っていただろう。他の聖魔力保持者もいないのに、1人で魔力は足りているのか?」
その言葉に、ぎゅっと拳を握りしめる。改めて考えれば、この場には頼りになるアレン様もルーシーさんもいない。
魔力に余裕があるとはいえ、魔界に繋がる門は想像していたよりも大きかった。破壊に必要な魔力が十分かといわれると、正直わからない。
彼は小さく息をついて、おもむろに手を伸ばした。頬に添えられた手を不思議に思う間もなく顔が近付き、次いで柔らかいものが唇に触れる。
何が起こったのか理解するのに数秒かかってしまった。ぶわっと燃えるように顔が熱くなり、心臓が激しく跳ねる。
それは彼に『魔力を送られた』からだけではないだろう。
唇を離したギル様は私を見て目を丸くすると、安心させるように笑った。
「お前ならできる。大丈夫だ」
それだけ言ってジャック様の手を掴み、ふっと姿を消す。ドキドキと騒がしい胸を押さえて大きく息をつく。
言いたいことはたくさんあるけれど、彼のおかげで不安な気持ちはどこかへ飛んでいった。魔力も十分受け取った。
その行為の理由を考えるのは後にしよう、と覚悟を決めて門に向き直る。
人数が減った途端、辺りを漂っていた瘴気が再び魔物の形に変わり始める。間を置かず駆け出したテッド様がそれをひとつ残らず蹴散らしていく。
門の傍に待機しつつジャック様からの合図を待つ。テッド様は魔物を2匹同時に壁へと投げ飛ばすと、「あっ」と顔を上げた。
「2人が門の前に着いたみたい。エミリア!」
テッド様に頷いて返し、門に両手で触れる。深く息を吸って手のひらから聖魔力を注ぐ。わずかに扉が軋んだものの、それだけではビクともしない。
本当に私にできるのかしら、と一瞬だけ浮かんだ考えは頭を振ってかき消す。
聖魔法は込める想いが強いほど強くなるのだと学んだ。神殿に置かれていた前聖女様の伝記や神官様のお話、アレン様からお借りした聖魔力の本にも同じようなことが書かれていた。それならば、と目を閉じて今までのことを思い出す。
ノーラに連れられて家を出たこと。神殿でお手伝いをさせてもらったこと。学園で授業を受けたこと。色んな先生方や生徒のみなさんと出会ったこと。
そして魔族の彼らと出会って、ジャック様やギル様と……ギル様、と……。
ドッと耳元で心臓が鳴る。一度は落ち着いたはずなのに顔が熱くなり、門に触れた手に力が入る。どうしましょう、と思わず声が漏れていた。
――い……今は、ギル様のことしか浮かばないわ……!
そう思った瞬間、ビシッと門に大きなひびが走った。
驚いて扉から手を離す。門を見上げながら数歩後退る。ひびは音を立てながら網目のように端まで広がって、ピタリと止まった。
これで終わったのかしら。魔界の方はどうだろうとテッド様に尋ねかけたところで、彼が焦ったように叫んだ。
「エミリア! 危ない!」
え、と彼の視線の先を振り返る。大きくひび割れた門がぐらりと傾き、勢いよくこちらに迫ってくるのが目に入る。
走って逃げるのも間に合わず、反射的に頭を庇って目を閉じる。
そこで、誰かが呪文を唱えた。
強い風が吹く。地面から瘴気が巻き上げられるのを感じ、そっと目を開ける。真っ黒なそれは、大きな球体を形成して私を包んでいた。
瘴気で作られた結界に門がぶつかり、薄いガラスの割れるような音を立てて砕ける。バラバラと地面に門の破片が散乱する。
こちらに駆け寄ろうとしていたテッド様は、何が起こったかわからないように目を丸くしている。洞窟に反響した音が落ち着いたところで、ふっと魔法が消えた。
誰が助けてくださったのかしらと辺りを見回し、壁際にいる彼に気付く。
「こ、ここは……? テッド様、どうして私は縛られているのでしょうか?」
「オリバー! 正気に戻ったの!?」
先程まで敵対していたはずのオリバー様が不思議そうな顔をしている。服で縛られているだけなら、闇魔法は使えてしまうらしい。
――何も分からない状態で、咄嗟に人間の私を助けてくださるなんて……。
初代魔王に操られていただけで、きっと本当は悪いお方ではないのだろう。以前ギル様が彼を家族のような相手だと話していたことを思い出す。もし本当に元に戻ったというのなら、これほど嬉しいことはない。
とにかくお礼を言わなければとオリバー様に近寄ろうとしたところで、テッド様がストンと彼の前に腰を下ろした。
何故か、向き合ったオリバー様の顔から血の気が引いていく。
「それで……? どこから操られてたの? 魔道具庫? 生徒会室? 初代に憑依されてない時もずっと操られてたの? 俺のご主人に酷いことしたの本当の本当に覚えてないの? ねえ」
どことなく雰囲気が違うテッド様に首を傾げてしまう。
部屋からアレン様やセシル様が出てきたのは、そのすぐ後のことだった。