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170話 悪夢③ ◇

『知らないの? 好きって気持ちは簡単に消えるようなものじゃないのよ。……』


 真っ暗な空間に響いていたルーシーの声が落ち着いたところで、役目を終えたようにフッと指輪の光が消えた。

 誰かと言い争っていたのか、彼女の力強い声は辺りが静かになっても耳に残っていた。目の前の(ゆい)は、何が起こったのか分からないというように固まっている。


――今のは……聖魔法か?


 こんな魔法があるなんて聞いたことがない。しかし指輪から放たれた光は、確かに心を覆っていた闇をかき消してくれたようだ。


 おかげで、先程よりも冷静に考えることができている。


 闇魔法を打ち消すのは想いの力だ。それは去年、図書館の地下で学んだ。魔法の種類によっては、外部からの想いの干渉(かんしょう)によって効果が弱まるのだと。

 どうして指輪から彼女の声が聞こえたのかは分からない。神殿と聖魔力で繋がっていることに関係しているのだろうか。


――ルーシーは何故、私が恋をしないことについて話していたんだろう。


 それも、かなり前向きな視点で。

 

 同じ転生者である彼女の考え方は、日本で彼女が生きていた時代のものだろう。それがこの世界にも通用するかは分からない。他の人達からすれば、私は子孫を残す気のない欠陥品として見られるかもしれない。


 しかし、彼女がはっきりと肯定(こうてい)してくれたことで、ようやく理解した。


 息をついて顔を上げる。再び首に伸ばされていた細い手を掴み、そっと下ろす。触れられたことに驚いたのか、(ゆい)はギクリと体を震わせてこちらを見上げた。

 改めて至近距離で顔を見合わせ、ふと気付く。


 彼女は現れた時からずっと、辛そうな表情をしている。


「……幻聴として度々(たびたび)聞こえていたのは、君の声か」


 (ゆい)は答えない。ぐっと唇を噛み、何かを我慢しているように俯く。

 その様子を見て確信した。


 前世で誰かの言葉に傷付いたことはある。でも今まで、この世界で友達や家族から直接否定の言葉を向けられたことはない。

 そもそも伝えていないから、というのもあるだろう。しかし私は、この世界でもずっと、『誰か』に否定されていると思っていた。


 そうかと呟いて、辿り付いた答えを口にする。



「私を(もっと)も否定していたのは……『私』だったんだな」



 恋愛感情がないなんてどうでもいいことだ。恋をするもしないも個人の自由なのだから、勝手にすればいい。

 前世で色々と調べていた際にそんな意見を目にしたことがある。実際、友達にもそう言って励まされた。


 自分でも、それはそうだと同意しようとした。悩むようなことではないと前向きに考えようとした。しかしいくら飲み込もうとしても、胸に詰まったような苦しさが完全に消えることはなかった。


 それは私が、恋をしないことが本当に正しいのだと納得していなかったからだ。


 これまで(つちか)われてきた価値観や常識が簡単に変わることはない。『私の中で』恋愛感情は誰にでもあるもので、恋をするのは当たり前だった。

 生まれた時からずっと、それが普通で正しいことだと信じて生きてきた。


 そうやって自分の中に形成された常識に、他でもない自分が、理由も分からないまま適応できていないことが苦しかった。


――これでは、自分で自分の首を絞めていたのと同じだ。


 否定されたくないと言いながら、私が私の存在を否定していた。誰よりも私が、恋をしない自分を認められていなかった。


 アレン・クールソンとしてだけじゃない。

 前世で佐倉さくらゆいとして生きていた時から、ずっと。


「すまない。……気付くのがずいぶん遅くなってしまった」


 思わず、目の前に立つ彼女に謝罪する。今まで私が自分に向けていた否定は、そのまま彼女を否定していたのと同じだ。

 それがどれだけ辛いことか、私自身もよく知っている。


 ゆいは驚いたように目を見開くと、ぎゅっと拳を握った。


「さっきの声を信じるの? あれが本音かどうかも分からないのに」

「……もし彼女が嘘を言っていたとしても、それは大して重要なことではない」

「えっ?」


 本当に重要なのは、周りにいる誰かの考え方ではないのだろう。いくら存在を認められて受け入れられたとしても、自分が自分を責め続けていては意味がない。



――変わらなければ。



 恋愛感情を持てるように、ではない。

 恋をしない自分を、まず自分が受け入れなければならない。


 その瞬間、ピシッと大きな音がした。真っ暗な空間に白いひびが走り、そこからわずかに光が漏れる。外で何が起こっていたのかは思い出せない。ただ、この場所にいるべきでないことは分かった。


「本当に行くの?」


 (ゆい)は怯えた顔をして胸を押さえた。


「どうしてここにいるのか、ちゃんと分かってる? 戻ったところで居場所なんてないかもしれない。みんな、もう前みたいに接してくれないかもしれないのに」


 それを聞いて、そういえばと思い出す。眠りに落ちる直前、みんなの前で誰かに恋愛感情がないことを酷く(けな)されたような気がする。

 しかし、それを言ったのは確実に私の大切な人達ではないだろう。それなら、彼らがそのことを知ってどんな反応をするかなんて、想像するだけ無駄なことだ。


「……どうせ想像するなら、希望を持っていたほうが良いだろう?」


 以前、アレクシア母様がそう言っていた。すべてを希望に置き換えるのは難しくても、わざわざ自分を否定される想像なんてする必要はない。

 ピシピシと音を立てながらひびが広がる。辺りは白い光が混ざって灰色の空間になっていた。同じ色の服を着ている彼女の存在が、少しずつ薄れていく。


「またつらい思いをするかもしれないのに、いいの? 本当に? もう一度転生すれば、普通の人になれるかもしれないんだよ」


 彼女は祈るように胸の前で手を組む。記憶を引き継いだまま転生したのは互いに予想外のことだ。彼女が『普通の人』に生まれたがっていたとしたら、こうして私が生きているのは困るのかもしれない。……でも。


「すまない。私は私として、この世界で生きていたい」


 私が即答すると、彼女は目を丸くした。


 様々な個性が受け入れられるようになっていた日本に比べれば、この世界は少しだけ遅れている。インターネットのように簡単に情報が手に入るものもないし、表に出ないような差別もまだまだ残っている。

 彼女の言う通り、つらい思いをすることもあるだろう。自分が普通であればもっと生きやすいのに、と思うこともあるかもしれない。


 だけどそんなことよりも、みんなと会えなくなる方が圧倒的に(つら)い。


 いつの間にか大切な人が増えていた。今はそんな彼らと離れたくない。いつか1人になる日が来るとしても、もう少し彼らの幸せを近くで見ていたい。


 両手を伸ばし、組んだままの彼女の手を握る。女性の小さな手は私の手で簡単に隠れてしまった。性別も体格も、髪の色と瞳の色も全く違う。

 それでも私は彼女で、彼女は私だ。



「約束しよう。私はもう絶対に、『私』を否定しない」



 目を合わせて決意を口にする。(ゆい)は何も言わなかった。大きく開かれたこげ茶色の瞳に私を映すと、数秒の間を置いて、言葉を飲み込むように小さく頷いた。

 その口元が穏やかに微笑んで見えたところで、ふわりと煙のように姿が消える。次いでガラスが割れるような音と共に、辺りが白く染まった。


 それまで黒だった空間が一瞬で真っ白に変わる様子は、魔界の門を封印した時のようだ。そう思い、ふと最後に聞こえたルーシーの声を思い出す。

 小さく息をついて、誰もいない空間にぽつりと呟く。


「……好きって気持ちは簡単に消えるようなものじゃない、か」


 降り注ぐ眩しい光に手をかざしながら、つい苦笑してしまう。


「君が言うと説得力があるな」


 パリン、と一際(ひときわ)大きな音を立てて、空間が崩れた。




===




 それまで深く沈んでいた意識が浮上する感覚を覚える。


 同時に焼けるような痛みと息苦しさを感じて腹部に手を当てる。目を閉じたままそこに刺さっていた物を掴み、躊躇(ためら)わずに引き抜く。

 ドプッと嫌な音がして熱いものが服を濡らす。しかし頭だけは(もや)が晴れたように、妙にすっきりとしていた。


「……えっ!? あ、えっと、ヒール!!」


 すぐ近くから慌てる声が聞こえ、温かい光が体を包む。誰かが傷を押さえて止血しようとしているのが分かる。剣を放した手がぎゅっと握られる。

 呼吸を整えて目を開けると、鮮やかな色の瞳がこちらを覗き込んでいた。


「アレン……! 目が覚めたのかい!?」

「も、もう、心臓に悪いわね! ルーシー、どう!?」

「大丈夫です! 任せてください!」


 彼らの姿を見てようやく今の状況を思い出す。初代魔王が憑依(ひょうい)したルーシーに短剣で刺され、しばらく気絶していたようだ。

 聖魔法で治療してくれている彼女はいつも通りだった。では初代はどこへ行ったのだろうと思ったところで、ライアンの声が聞こえた。


土よ守れ(プロテクト・ランプ)!」


 土の壁がルーシーの背中を覆う。ガッと硬いものがぶつかる音が部屋に響く。次いでざらざらと土壁が崩れ、高い音を立てて何かが地面に落ちた。

 ひやりと冷気が漂う。ルーシーを目掛けて飛んできたそれは、氷の槍だった。


 鋭い舌打ちが聞こえ、門に魔力を送る台座の上から不機嫌そうな声がする。


「気付くのが早ぇよ。ったく、面白そうだからって部屋に入れすぎたな」


 初代魔王は悪魔のような羽を広げると、宙に浮いてこちらを見下ろした。掲げた小さな手には青い魔力が集まっている。あれは、とセシルが眉を(ひそ)めた。


「まさか、アレンの魔力か……!?」


 どうやら刺さっていた短剣を抜いただけで終わりではないらしい。治療が終わって傷は塞がったものの、魔力が足りないのか体にほとんど力が入らない。

 刺された時点で、初代魔王と魔力が繋がってしまったようだ。


 セシルとライアンが立ち上がって杖を構える。初代はため息をついて言った。


「あーあ、めんどくせぇ。聖女様が目覚めるとは思わなかったぜ。こうなりゃ、ひとまず適当な奴から魂を奪うしかねぇな。ああ、攻撃してくるんじゃねぇぞ。俺が死んだらそいつも死ぬのは変わらねぇ」


 まぁでも、と彼は続けて手を振り下ろす。


「そいつが死んでも、俺には何の影響もないけどな!」


 空中に複数の氷が現れ、一斉に降り注ぐ。2人が同時に呪文を唱え、それぞれ火と土の魔法で私たちを守ってくれた。魔法同士がぶつかる激しい音が辺りに反響し、衝撃で土煙が舞う。隣でルーシーが小さく悲鳴を(こぼ)した。

 初代は私から奪った魔力を氷魔法と闇魔法に変えて攻撃できるが、セシルたちは彼に直接攻撃することができない。


――このままでは平行線だ。


 守られているだけでは駄目だ。魔力を使い切られる前に何とかしなければ、と地面に手をついて体を起こす。

 片手に杖を握りつつ支えてくれたリリー先生が、初代を睨み付けて呟いた。


「悪夢から目覚めても魔力が繋がったままなんて嫌らしい魔法ね。どうにか解除できないのかしら」


 その言葉でハッとする。近くに転がっていた黒い短剣が目に入る。ルーシーに顔を向けると、彼女も同じことを考えていたらしく目が合った。

 頭に浮かんだのは、神殿で転生者3人が集まった時のことだ。


「ほ……本当にやるの?」


 ルーシーが不安げな顔をする。頷いて返し、短剣を手に取る。


「これしか方法がないだろう」

「で、でも、この世界でも同じかどうかは……ここは『現実』なのよ?」

「分かっている」


 私たちが何を話しているのか気になったのだろう。リリー先生は怪訝(けげん)な顔をして首を傾げる。彼が口を開く前に、頭上から声がした。


「あ……? おい、お前、何をやろうとしてる?」


 顔を上げると、初代魔王が顔を強張(こわば)らせていた。その表情からは焦りが見える。初代の視線に気付いたセシルとライアンがこちらを振り返る。

 私が短剣を握っているのを見て、セシルがわずかに目を見開いた。


「も、もしもの時はすぐにヒールをかけるから……!」


 震える手を構えたルーシーに「頼む」と返し、深く息を吸う。



 そして両手で握った短剣を、自分の胸に思い切り突き刺した。

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