166話 地下へ続く穴
「門を破壊って……一体どうするつもりだい?」
最初に反応したのはセシルだった。続いて学園長が不思議そうな顔をする。
「そうおっしゃるということは、破壊の手段はあるのでしょう。しかし、それにどんな利点があるのですか? 我々としては門が無くなるのは助かりますが、魔族であるあなた方には破壊する理由があるのでしょうか」
テッドとギルは何も知らないらしく顔を見合わせている。ジャックはまっすぐ赤い瞳を学園長に向けたまま、大きく頷いて答えた。
「今ではほとんどの民が忘れてしまっていますが……あれは元々、過去の魔族が初代魔王を封印する際に魔界で作ったものです。それが時代と共に封印が弱まり、人間界側に『出口』として新たな門が生まれてしまった。俺たちが望んでこちら側に作り出したわけではないんです」
初めて知る情報に黙って耳を傾ける。転生者が集まった時もそんな話はなかったから、おそらくゲームでもそこまで詳しい話は出てこなかったのだろう。
彼は本当にたくさん調べてきたんだな、とつい感心してしまう。
現魔王は説明を続ける。
「無事にオリバーを止めて初代を倒すことができたとしても、魂さえ残っていれば初代は外から瘴気を取り込んで再生するかもしれない。世界を繋ぐ門がある限り同じことが繰り返されるだけでしょう。また他の誰かが利用され、いつか初代魔王が復活してしまう。それは魔族としても避けたいことです」
初代魔王が封印されて人間界に門ができるまで、かなりの年月が経っている。ジャックが調べた研究資料によれば、初代は外に通じる門から少しずつ魔力を吸収していたと考えられているらしい。
聖魔法で魂まで消えるのかはまだ分からない。彼を完全に封印するためには、出入口そのものを破壊するのが確実だとジャックは言った。
話を聞いた学園長は納得したように頷くと、私たちを見回して眉根を寄せた。
「理由は分かりましたが……それは、あなた方がやらなければならないことなのでしょうか? 魔術師を呼び集めてしっかりと戦力を整えたほうが良いのでは」
「いえ、戦闘に関してはこの人数で十分だと思います。初代と対峙する際、大事なのは物理的な力よりも精神力なので」
それに、とジャックは穴へ目を向けた。
「門の破壊は魔族と聖魔力保持者にしかできません。他はアレンとエミリアの護衛に当たることになるでしょう。大勢で向かっても地下では動き辛いだけかと」
「なるほど。それは一理ありますね」
学園長はそう呟くと、顎に手を当てて考える素振りをした。数秒の間を置いてセシルに顔を向ける。
「分かりました。それでは、門の管理者である私から破壊を許可いたしましょう。セシル王子もよろしいでしょうか?」
「……そうですね、構わないと思います。門を破壊できる状況で先延ばしにする意味もありませんし、これ以上被害が大きくなる前に終わらせるべきでしょう」
話がまとまると同時に、タイミングを見計らったように穴の奥から強い気配を感じた。まるで早く降りてこいと急かされているようだ。
初代魔王の本体はずっと世界間の境目にあるらしく、分身体を使った移動はできても門から離れると力が弱まるような状態らしい。だからこそわざわざ近道を作って、私たちが来るのを待ち構えているのだろう。
――ルーシーも、そこにいるんだろうか?
明らかに罠のようだと感じてしまうが、初代を本当の意味で倒すには門を破壊するしかない。ジャックも最終イベントは門の傍で戦うと言っていたし、相手も不利になると分かっていながら門を離れるわけがない。
結局こちらから行くしかないなと拳を握ったところで、ジャックが振り返った。
「テッド、ギル。俺達は先に下りるぞ」
「え?」
黒猫が目をぱちくりとする。彼はギルとジャックを見上げて首を傾げた。
「羽で下りるってこと? 俺はいいけど、ギルも?」
「そうだ。羽があるのは俺とお前だけだし、魔族は瘴気にも多少耐性があるからな。ギルは俺かテッドが抱えて下りよう」
ジャックはセシルや私が下りる前に地下の安全確保をしておくつもりらしい。話を聞いたテッドは小さく頷いて人型に変わる。
瘴気が溜まっている場所に飛び込んだら魔物化してしまうのではと心配したが、体に傷を負った状態でなければそこまで問題はないという。
「アレン達は、もし他に安全な道があるならそっちから来ても良いぜ。とりあえず先に様子を見てくる」
そう言ってジャックが羽を広げる。そこで、エミリアが声を上げた。
「ジャック様、私もご一緒させてください。聖魔力があればホーリーライトで闇魔法を祓うこともできますし、もし怪我をしてもすぐに治せます」
「え? いや、エミリアは後で門の破壊を……」
「魔力量は以前に比べてかなり増えているので、少しくらい大丈夫です。みなさんが怪我をしてしまう方が危険です!」
まっすぐ金色の目を向けられたジャックは一瞬視線を泳がせると、あまり間を置かずに「わかった」と答えた。なんとなく迷いがなかったように見えたのは、彼女がヒロインだからだろうか。
同じように羽を出したテッドがギルを抱え、ジャックがエミリアを抱える。魔法を使わなくても宙に浮くことができる彼らは躊躇いなく穴へ飛び込んだ。
「ここに飛び降りるって勇気があるなぁ」
「あたしたちは魔道具庫から入りましょ。深さも分からないし、その方が安全よ」
感心したように呟いたライアンに続き、リリー先生が穴を見下ろす。底からは地面に下り立ったらしい彼らの足音が微かに聞こえただけだった。
地下の空間を考えるともう少し反響してもおかしくなさそうだが、できるだけ音を立てないよう気を付けているのだろうか。
「しかし、とんだダンスパーティーになってしまったね」
隣にいたセシルが苦笑して言った。まさかタキシードにドレスで最終イベントに臨むとは思っていなかったため、同意を込めて頷く。
「今まで何も知らされていなかった生徒たちも、突然こんな形で巻き込まれて不安に思っているだろう。早くホールから解放しなければ」
「魔族の闇魔法で閉じ込められているなんて、誰も気付いていないかもしれないけどね。きっと先生方やカロリーナが上手く説明してくれているよ」
視界の端ではリリー先生が学園長から魔道具庫の鍵を受け取っている。相変わらず穴の中から気配はするが、戦っているような物音は聞こえない。
そろそろ向かおうと顔を上げたところで、ふいに校庭の地面から影が現れた。
それは瞬く間に数を増やして辺りに広がると、動物のような形に姿を変える。
「あら、これは……」
「校舎まで向かうのは難しそうですね」
リリー先生がため息をつき、セシルが冷静に杖を構える。自然に現れたのか、オリバーの仕業か。魔物たちはこちらを向いて唸り声を上げた。
前に出ようとしたセシルを止め、私たちを庇うように立った学園長が口を開く。
「――火よ囲め」
高く掲げた杖の先から赤い炎が打ちあがる。ほぼ同時に、穴と私たちの周りを背丈ほどの火の壁が囲んだ。校庭の中心に空いた穴と同心円状の壁は魔物を阻み、辺りを明々と照らしている。
「地下の手伝いは不要なようですから、地上は私が何とかしましょう」
学園長は普段と変わらない調子でそう言った。火の向こうは大量の魔物に囲まれているというのに、のんびりとした表情でこちらを振り返る。
「みなさんもどうぞお気をつけて。心の隙を見せないように」
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「門の破壊に聖魔力を使うなら、アレンは魔力を温存しておいた方がいいだろう。エミリアだけで十分かもしれないけどね。まずは僕の魔法で穴の中を照らすから、地面が見えるまではライアンの魔法で少しずつ下がっていこうか」
セシルの指示で、ライアンが穴の側面に沿うように土の階段を作る。そのままライアンを先頭にして地下へ進む。彼の後ろからセシルがひとつずつ炎を出して道を照らし、私と最後尾のリリー先生で周りを警戒する。
穴の中は土や岩が剥き出しで、壁は雑に削られたようにボロボロと崩れていた。
闇魔法は精神攻撃に特化しているイメージだったが、物理的な破壊や浸蝕も可能らしい。ルーシーやオリバーも触手のような魔法を使っていたし、聖魔法よりも攻撃に向いているのだろう。
こんなに大きな穴を開ける魔法は聖魔法でも防ぎ切れるのだろうか。と、不安に思いつつ階段を下りていたところで、ライアンが口を開いた。
「でも……なんでルーシーの声が聞こえたんだろう。初代魔王に連れてこられたとしたら、何か目的があるのか?」
「人質、だろうか。数だけならこちらに利があるから、条件を提示して有利に戦闘を進めようと思っているのかもしれない」
少し考えて彼の疑問に答える。ライアンは「怪我してないといいな」とだけ言って口をつぐんだ。不安げな後ろ姿に心の中で呟く。
――もしかしたら、このイベントに必要だったのかもしれないが。
この世界は前作のホリラバから続いている。もし前作がゲーム通りに終わっていたとしたら、本来聖女になっているのはルーシーだったはずだ。
今まで彼女が続編のイベントに巻き込まれたことはないが、今回は『最終イベント』だ。彼女の存在がエンディングに必要だからと強制的に連れてこられた可能性もなくはない。
しかし、この世界の聖女は私だ。初代魔王もそれを理解していたから、生徒会室で私を襲ったのだろう。……だとすれば、わざわざルーシーを神殿から連れ出す目的は何だろう。まさか本当に人質にするつもりなのだろうか。
そう考えていた時だ。ふっと何か空気の膜のような物を通り過ぎた気がした。初めて学園図書館に入った時のような感覚に思わず周りを見回す。
私の様子に気付いたリリー先生が、火魔法に照らされた壁を見て眉を顰めた。
「どうやら、この穴は一方通行みたいね」
その言葉にライアンとセシルも後ろを振り返る。薄暗い壁には、魔道具庫で見た覚えのある防犯用魔道具が乱雑に埋め込まれていた。
試しに下りてきた階段を戻ろうとすると、結界に弾かれてしまう。校庭から入ることはできても、出ることはできないようになっているらしい。
このせいでジャック達の声も聞こえなかったのかと思ったところで、突然、足元から大きな音がした。
「――ったく、いい加減目を覚ませ!!」
「そんな、よりによって聖魔力保持者と魔族が関係を結ぶなど!」
聞こえて来た声にライアンが魔法の手を止める。ジャックとオリバーが言い争う声の後に、激しい打撃音が響いた。穴に張られた結界の中に入ったことで、戦闘音も聞こえるようになったようだ。
瘴気に紛れて魔物の気配もする。時々ギルが呪文を唱える声も聞こえる。そこから分かるのは、ちょうどこの下でラスボス戦の真っ最中だということだった。
階段の上で気配を消して様子を伺う。これは本来なら魔族の彼らとエミリアだけで解決するイベントだ。こうして私たちが後から参加すること自体、元のゲームとは違っている。当然、参戦のタイミングなんて自然に合うわけがない。
未だ戦闘中だと察したセシルは「どうしようかな」と声を落として呟いた。
「僕らは邪魔をしない方がいいかもしれないね」
「そうだな……」
彼に同意しようと頷いた時だ。下からエミリアの声がした。
「種族なんて関係ありません! 私も大切な人の生まれ育った世界を、魔界に暮らす魔族の方々を助けたいです。この力で初代魔王や瘴気からみんなを守りたい。もちろん、彼らの家族であるあなたのことも……!!」
ヒロインの決め台詞のようだと思った瞬間、ぱぁと辺りが白い光に包まれる。次いでオリバーの叫び声が反響し、何かが弾けるような音がした。
穴の中に突風が吹き、地下に転がっていただろう石や土が巻き上げられる。
これはまずいと思った時には、土で作られた足場が崩れていた。