165話 パーティーの終わり
「アレン! ここにいたんだね」
後ろから聞こえた声に振り返る。駆け寄って来たセシルは真っ暗なガラス窓を見ると、眉を顰めて言った。
「衛兵たちの話を聞いていたら突然こうなったんだ。裏庭に続く扉や窓は開かないし、入口は開いているのに外の声も聞こえない。君は何か知っているかい?」
「いや、私たちも生徒の声が聞こえて来ただけだ。闇魔法だとは思うが……」
そう答えていたところでバタバタと先生方が集まってくる。慌てた様子で安全のためにホールへ入るよう促されたが、それにはセシルが首を振った。
「僕たちに考えがあるんだ。すまないが、先生方は生徒たちを落ち着かせることに専念してもらえるかな」
ホール内では騒ぎが広がっているらしく、あちこちで声が上がっている。パーティーの中断を嘆いている者や得体の知れない闇を怖がっている者、様子を見ようと興味本位で廊下に出てきている生徒もいる。
このままでは事情を知る者だけで話し合うのも難しい。だからこそセシルは、先生方に生徒を任せようと考えているのだろう。
王子に直接指示を受けた先生方は顔を見合わせると、「何か手伝えることがあればお呼びください」とホールに戻っていった。リリー先生も他の先生方に声を掛けられていたが、彼は事情を知っているため私たちで引き留めた。
「……さて、アレン。君の考えを聞かせてほしい」
周りに誰もいなくなったことを確かめたセシルが声を落とす。小さく頷いて、窓を覆っている闇に目を向ける。
「これは生徒会室を囲んでいた結界と同じものだろう。あの時も結界の内と外で声が遮断されていた。扉が開かなくなっているのも同じだ」
「ということは、この建物自体が『彼』の魔法で覆われているということか。しばらく動きがなかったけれど、学園の先生方や生徒が一か所に集まるこの時を狙っていたのかもしれないね」
入口の扉だけは開いているように見えるが、以前と同じ結界ならこの闇は魔法を弾いてしまうだろう。それならと指輪に手をかけたところで、ふと廊下の端に複数の人影が見えた。
ホールを抜け出していた生徒に聞かれたかと身構えたが、近付いて来たのは事情を知っている生徒ばかりだった。
カロリーナとジャック、エミリアとギルに続き何故かライアンの姿も見える。ライアンは私たちに気が付くと、はっと顔を上げた。
「なぁ、アレンにもルーシーの声が聞こえたよな?」
「……ああ。君にも聞こえたのか」
周りではセシルたちも頷いていた。やはり聞き間違いではなかったのかと拳を握る。オリバーと初代魔王がどんな手を使ったのかは分からないが、あの声が本人のものなら、彼女はこの学園の中にいるということだ。
彼らは魔道具庫や生徒会室から一瞬で消えていたし、遠方のランプリング領で起きたことも知っていた。まさか瞬間移動のような魔法を使えるのだろうか。
――初代魔王もジャックと同じく、世界間を行き来する力を持っていたはずだ。
もしや魔界を経由して自由に移動しているのかと考えていると、ジャックが辺りを見回して息をついた。
「とりあえず、この状況を何とかするためにも早く外に出なきゃな」
「……どうしてそう思うんだ? この魔法は、彼らから『逃げられないようにするため』のものではないのかい?」
セシルは怪訝な顔をする。ジャックは首を振って答えた。
「アレンの予想通り、これはオリバーの魔法だ。でも、ホール内で何かするつもりはないだろう。防犯用の魔道具も影響するだろうし、魔法を使える奴が大勢いる所に姿を現したら袋叩きにあって結界が解けるからな。あいつは外にいるはずだ」
彼はオリバーが中に入らず、外から魔法を使ったと考えているらしい。生徒会室の時とは違い、魔道具に守られているホール内の方が安全だろうということだ。
傍で話を聞いていたエミリアは不思議そうな顔をする。
「聖魔法であれば、内側からでも闇魔法を消せるのではないでしょうか?」
「この範囲だと広すぎて魔力の消費が激しいんじゃないか? 一瞬穴を開けるくらいならできるかもしれないが……」
ギルがそう返したところで、セシルが気付いたように「なるほど」と呟いた。
「何故わざわざホールを結界で囲んだのかと思っていたけれど、それも狙いなのかもしれないな。生徒たちを自由にするためには聖魔力を消費する必要がある。彼らは聖魔法を警戒しているだろうから、できるだけ消耗させたいんだろう」
彼はそう言って私とエミリアを見た。初代魔王を倒した後なら問題ないが、今この場で聖魔力を無駄に消費するわけにはいかない。
――以前は魔力の取り分が減ると騒いでいたが、初代は復活を優先したのか。
何にせよ、こちらが動くまで状況は変わらないだろう。ギルの言う通り一か所に穴を開けるような形で聖魔法を使うしかなさそうだ。
すぐに解放できないことを申し訳ないと思いつつ、生徒と先生方にはしばらくホール内にいてもらうことにする。
と、それまで黙っていたカロリーナが不安そうな顔してこちらを向いた。
「今のお話が正しいとすれば、相手は聖魔力保持者が出てくるところを待ち構えているのではないでしょうか。……アレン様も向かわれるのですか?」
彼らの狙いが『聖女』であることはみんな知っている。わざわざ近付くのは危険では、と彼女の表情からも心配が伝わって来る。しかし、迷う理由はない。
「私がここにいたら、何も知らない生徒たちを巻き込んでしまいかねないからな」
すでに巻き込んでいるようなものだが、と苦笑してしまう。それにルーシーが攫われているとすれば、解放の条件として『聖女』を要求されるかもしれない。
どちらにしても、みんなだけに任せることはできないだろう。何より、私がじっとしていられない。
カロリーナは不安げなままセシルと顔を合わせると、「本当なら止めるべきなのですが」と息をついた。
「アレン様が向かわれるなら、セシル様もご一緒なさるでしょう。私は生徒会としてホールに残ります。リリー先生、代わりにご同行をお願いできますか?」
その言葉に驚いてセシルを見る。王子である彼こそ安全な場所にいてほしいと思ったが、何故かセシルもリリー先生も当然というように頷いていた。
次いで、ライアンも結界の外へ付いてくることを宣言する。彼はずっとルーシーのことが気になっているようだ。
これが乙女ゲームのイベントだとすれば、本来は攻略対象とヒロインだけで向かうはずだ。とはいえ、ここで人数を減らす提案をするのもおかしい。
問題ないだろうかとジャックを見ると、彼は腕を組んで応えた。
「まぁ十中八九戦闘になるだろうし、味方は多くてもいいんじゃねえか? これだけ広範囲の魔法を使ってんだ。向こうも今日中に決着をつけるつもりなんだろ」
つまりゲームではどうだったか知らないが、今の状況はそのままホリラバ2のエンディングに繋がる可能性があるということだ。
この世界がどうなるのか、きっと今夜決まるのだろう。初代魔王の復活を止めてハッピーエンドを迎えるには、私たちで彼らを倒すしかない。
「……わかった。エミリア、手伝ってくれ」
覚悟を決めて彼女に向き直る。
続編のヒロインはハッとしたように顔を上げると、力強く頷いた。
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警戒しながら結界の外に出たが、そこにオリバーたちの姿はなかった。突然現れた私たちに衛兵たちが驚いている。
エミリアと共にホーリーライトを使ったが、結界は私たちが外に出た途端元に戻ってしまった。この闇魔法を完全に消すには2人の力を合わせても難しいだろう。
「オリバーは何故こんなに魔力を持っているんだ?」
「分からねえ。元々城の一部を囲めるくらいには持ってたが……もしかしたら初代の魔力を借りてんのかもな」
浮かんだ疑問にはジャックが答えてくれた。魔力の貸し借りというのもよく分からないが、魔族なら魔力を相手に送る方法もあると聞いて納得する。初代魔王はオリバーに憑依もしていたし、魔力を共有するくらいなら簡単にできるのだろう。
衛兵たちから状況を聞いたものの、特に周辺で不審な人物や魔物を見かけてはいないらしい。辺りに彼ららしき気配もない。
嫌な空気は明らかに校庭から漂ってきていた。ホールに入るまで夜空に見えていたはずの星も、分厚い雲に覆われているのか1つ残らず消えている。
校庭の穴から瘴気が漏れているのだろうか。早く向かわなければと足を踏み出したところで、リリー先生が驚いたように声を上げた。
「エミリア、結界を開けるだけじゃなくて一緒に出てきちゃったの? さすがにドレスじゃ危険じゃないかしら」
その声に振り返る。改めて見れば、確かにエミリアはドレスを着ていた。他の生徒たちよりも裾が広がっていない大人しいデザインだが、ダンスパーティーのために子爵家から贈られたらしい豪華なものだ。
ヒロインだからとあまり違和感を覚えていなかった。しかし、今からオリバー達の元へ向かうと考えると問題がある。彼女の格好では咄嗟に動くことができない。
エミリアは一瞬困ったような顔をしたが、ぎゅっと拳を握って首を振った。
「みなさんがいらっしゃるのに、ホールの中で待っているなんてできません。私の魔法はきっとお役に立てるはずです。絶対にお邪魔はいたしません。私はみなさんの後ろから付いて行きます」
「大丈夫だ、エミリア。いざという時は俺が担ぐ」
さっとギルが彼女の手を握る。次いで、ジャックがリリー先生に顔を向けた。
「後で詳しく説明しますが、この先彼女の力は必要になると思います」
私とジャックは乙女ゲームのイベントに『ヒロイン』の存在が必須だと理解しているが、先生やセシルたちは知らない。
未だに心配しているリリー先生の足元で、黒猫のテッドがぴょんと跳ねた。
「そんなことより、早く向かったほうがいいんじゃない? 初代魔王を倒さないとみんな閉じ込められたままなんでしょ?」
猫が喋ったことで、周りにいた衛兵たちから動揺した声が上がる。ちらちらと伺うような視線を感じたが、ゆっくり説明している暇もない。
慌ててテッドを抱え上げたジャックを先頭に、彼らから逃げるようにして校庭へ向かう。中心に空いた穴に近付くにつれて嫌な気配は強くなった。
そのまま校庭に入ったところで、穴の付近に立つ人影に気付く。彼はこちらを向いて目を丸くした。
「おや、これは……! あの魔法から抜け出せたのですか」
「学園長!」
セシルが驚いたように足を止める。学園長は私とエミリアを見て、どうやってホールから出てきたのか気付いたらしい。軽く髭を撫でて穴を振り返る。
「申し訳ない。念のため学園内に魔術師を数人配置していたのですが、敵は地下にいたようで対応が遅れてしまいました」
「地下ということは、この穴はあの門まで続いているのでしょうか」
やはり彼らが、と続けるセシルの言葉に学園長が再び頷く。馬車を丸ごと飲み込んでしまいそうな大きさの穴はかなり深く、底が見えない。時折風の音が唸り声のように響いているが、それ以外は不気味なほど静かだった。
去年、門が開きかけていた時は校庭に魔物が現れていた。が、今はそんな気配もない。これが門から溢れた瘴気でないとすれば、オリバーと初代魔王だけの力で穴を開けたということだろうか。
最初は人型の魔物のようでしかなかったのに、少しずつ力を増していたのかもしれない。ふわりと吹いた風に誘われているような気がして、思わず息をのむ。
「みなさんは……もしや、敵の元へ向かっているのですか?」
学園長は私たちを見て心配そうに眉根を寄せる。答えようとしたところで、ジャックが一歩前に出た。
「ちょうどいい。学園長、これからの話をさせてください」
そして全員の視線を受け止めた彼は、真剣な顔で言った。
「俺達に、魔界の門を破壊する許可を頂けないでしょうか」