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162.5話 医務室担当医と王子

 半分ほど(から)になった棚から顔を上げ、医務室の壁に掛かった時計に目を向ける。気付けば朝からずっと片付けをしていた。もうすぐ昼の鐘が鳴る時間だと気付き、ふうと息をつく。


――まぁ、本当はここまで掃除をする必要もないかもしれないけど。


 来年から同じ医務室を使う予定のお医者様は、自分の病院を持っていたほどベテランのかただ。交互に勤めるという話だけど、おそらく医務室で直接生徒を診る担当は彼になるだろう。

 家に運ぶ荷物をまとめて大きく伸びをする。あれこれ考えていたせいで集中してしまっていたらしい。休憩を兼ねて軽く見回りでもしようかしらと医務室を出る。


 不穏な芸術祭から3日が経った。生徒会室が立ち入り禁止になっていること以外特に変わったことはない。

 あの日の生徒会の動きは少しだけ噂されていたものの、生徒たちの興味は次に行われるダンスパーティーに移ったらしい。閉じられた部屋で何が起こっていたのかも知らず、平和な日常が過ぎていく。


 廊下を歩きながら、青い髪の彼のことを考える。アレンは今、この国の中で誰よりも狙われている立場だ。芸術祭直後は他の生徒もいる授業に出るのを躊躇(ためら)っていたようだけど、周りの説得もあっていつも通りに過ごしている。

 敵の目的が分かっている以上、他の生徒が狙われる可能性は少ない。それよりもアレンが1人でいる時に襲われる方が危険だった。


――聖女って大変よね。魔界の門がある限り、一生『鍵』として狙われるなんて。


 大叔母(おおおば)様も大変そうだったもの。と頭の中で考えつつ、中庭に続く渡り廊下に足を向ける。常に魔力の一部が門に流れていることと、魔物から狙われやすいということだけはあたしでも知っている。

 だからこそ、大叔母様はほとんど神殿から出ることがなかった。


 魔王がいるならあの門をどうにかできないのかしら。そう思いながら明るい中庭に出たところで、中央の大きな木が目に入った。

 自然と、彼に初めて出会った時のことを思い出す。


 過去の記憶トラウマのせいで魔法が使えなかったことも、医務室にいても誰も来ないと悲しんでいた日々も、もう遠い昔のようだ。

 アレンはあたしのことを『先生』と呼んでくれるけれど、本当にそんな資格が自分にあるのかは分からない。教えたことよりも教わったことの方が、彼に助けられたことの方が多いと思う。


――先生として、どうすればよかったのかしら。


 頭に浮かぶのはつい最近の記憶。彼が魔族の毒を受けて女性の身体になって、芸術祭の裏で1人だけ危険な目に遭っていたこと。


 直接生徒会室の様子を見たわけでもないし、医務室に戻って来た彼は怪我も治っていた。でもそれは、あたしが間に合わなかっただけだ。

 何が起こったかを大まかに聞いただけで胸が苦しくなった。最初からあたしも護衛として付いて行けば……なんて後から考えても仕方がないのに、神殿へ向かう間もずっと後悔していた。


 もしこの先も同じような事件が起こったら。知らないところで彼が怪我を負っていたと、後から聞くようなことがあったら。

 まったく気にしないなんてあたしには無理だろう。今回は医務室担当医として状況を知ることができたけど、学園の外に出たらそれもなくなる。


 木を見上げて深く息を吸い込む。こうして医務室の外にいても、誰かに呼び戻されることはない。それだけ生徒たちが医務室担当医を必要としていないからだ。

 どうしようかしらと呟く。ベテランのお医者様は当然のように高位貴族だ。平民の血が入っているあたしと、わざわざ交互に勤務する意味はあるのだろうか。


 神殿にいれば街の噂は入ってくる。(まれ)に王宮の話も届くし、入れ替わり立ち替わり人が訪れる。学園にいるよりアレンと会う機会も多いだろう。

 彼が先生と呼んでくれる間は、先生と生徒の関係が消えることもない。


――それならいっそ一緒に卒業してしまうのもいいわよね。できれば、だけど。


 そんなことを考えていると、ふと誰かの話し声が耳に届いた。


「クールソン様は今年で卒業だろう? パーティーでは誰をお誘いになるのかな」


 聞き慣れた家名に足を止める。中庭のガゼボに男子生徒が3人集まっていた。勝手に聞くのはよくないと思ったものの、つい木の影に隠れて耳を立てる。


「以前噂になっていたホワイト様はどうなったんだ?」

「彼女はギル・レイヴンと親しいだろう。聞いた話では、クールソン様はまだ婚約者をお決めになっていないらしいぞ」

「本当かなぁ。生徒会はみんなお相手を隠しているって話もあるけど」

「セシル王子は分かるが、クールソン様がそうする意味はないんじゃないか?」


 芸術祭が終わった今、残る行事は全学年合同のダンスパーティーだけだ。生徒にとっては婚約者候補を見つける機会であり、婚約者をお披露目する場でもある。

 もちろん将来進む道によっては婚約者を決めずに卒業する生徒もいるけれど、家を継ぐ嫡男(ちゃくなん)としてはかなり珍しい。特にアレンは幼いころから王子と仲が良かったこともあって、あちこちの家から声が掛かっていたはずだ。


 収穫祭で話した時には『今は決めるつもりがない』と言っていたけど、学園の外に恋人がいる様子でもなかった。女子生徒とも普通に関わっているから女性が苦手というわけでもなさそうだ。

 実は彼らの言う通り、家に決められた相手を隠しているのだろうか。


 毎年この時期になると誰かの婚約者候補について様々な噂が飛び交っていた。ガゼボにいる彼らも例に漏れず、根拠のない噂を好き勝手に話している。

 もしや女性が好きではないのでは。むしろ複数の女性と関わりがあるから1人に決められないのかもしれない、と聞こえてくる声に眉を(ひそ)める。


 貴族が噂好きなのは今に始まったことではないけれど、アレンのことを知りもせず騒ぎ立てるのはやめてほしい。一言くらい注意しようかしらと彼らに視線を向けたところで、ガゼボに近付いていく人影に気付いた。


「どうやら、何か誤解されているようですね」


 大人しそうに見える彼は3年生のアンディー・ギレットだ。最近はアレン達と一緒にいる姿をよく見かけるけど、今隣にいるのは同じ学年のピア・ホルトだった。

 2人が婚約者候補だという話も以前から風の噂で聞いている。彼らは揃って男子生徒たちに向き直り、呆れたような顔をした。


「クールソン様はあなた達が考えているような(かた)ではありません。憶測(おくそく)で品のない噂を広めるのはやめてください」

「ギレット様のおっしゃる通りです。たとえクールソン様が気にされていなかったとしても、嫌な気持ちになってしまいます……」


 アンディーに続くひかえめなピアの言葉に、男子生徒たちは顔を見合わせる。身分によっては喧嘩になるかもしれないと見守っていたけれど、何も反論はなかった。

 面と向かって女子生徒にたしなめられたのが効いたのか、3人は素直に謝ると、そそくさとその場から離れていった。


――あたしが言いたかったことを、あの2人が代わりに言ってくれたわね。


 ほっとしたように胸を撫で下ろしているアンディーとピアに苦笑する。この学園にはアレンのことを大切に想っている人がたくさんいるらしい。


 いや、学園の中だけではない。アレンの専属メイドであるジェニーや、神殿を訪れる人達を見ていても分かる。

 門を封印して聖女と呼ばれるようになる前から彼は多くの人にしたわれていた。傍にいて見守りたいと思っているのは、きっとあたしだけではないはずだ。


「休憩ですか? リリー先生」


 声を掛けられて顔を向ける。こちらに歩いてくる金髪の彼は、学園の外であればこうして気軽に話すこともできない相手だ。本来なら敬語を使わなければならないけれど、今はまだ先生と生徒として関わることができる。


「片付けばかりしていたから飽きたのよ」

「片付け? ああ、医務室ですか。来年からお医者様が増えるそうですね」


 セシル王子はさっきまで学園長と話し合いをしていたらしい。学園内で生徒が魔族に襲われたことや生徒会室の件で、生徒会長として色々と忙しいようだ。

 何か話したいことがあるのか、あたしの隣でぴたりと立ち止まる。


「今日は誰か医務室に来ましたか?」

「いいえ? 朝からずっといたけど誰も来なかったわよ」


 そう答えると、彼は安堵(あんど)したような表情を浮かべた。『誰か』と言いながら、その対象としている相手を察してしまう。

 あれから初代魔王に動きはない。校舎にはスワロー家の協力で寮と同じ防犯用の魔道具が設置され、鍵が開いていても簡単には侵入できなくなった。職員会議で聞いた話では、例の門の封印も現状では特に問題ないらしい。


 それでも完全に安心できるわけじゃないけれど……と思ったところで、王子が口を開いた。


「リリー先生、ひとつお聞きしてもいいでしょうか」

「何かしら」


 彼は前を向いたまま、目線だけをちらりとこちらに向けて言った。


「もしアレンが女性のまま戻らなかったら、どうしていましたか」

「ええ?」


 唐突な質問に怪訝(けげん)な顔をしてしまう。どうするも何も、と首を傾げる。


「そうねえ、先生として相談に乗れたらとは思うけど、そういうのはジェニーの方がいいでしょ。医者として体調を診るくらいかしら……って、なんでそんなことをあたしに聞くのよ。『どうするか』を決めるのは本人じゃないの」


 王子は目をぱちくりとして、どこか納得したように「なるほど」と呟いた。(あご)に手を当てて何か考える素振りをすると、コホンとわざとらしい咳をする。


「少し確かめたいことがあっただけなので気にしないでください。それはそうと、来年からは新しい医務室担当医と交互に勤めるつもりなんですか? 相手は伯爵家の三男だそうですよ。身分を問わない学園内とはいえ、リリー先生が医者としての仕事をする機会はないのでは」


 明らかに話題を変えたことを疑問に思いつつ、改めてこの先のことを考える。お相手の性格は分からないけれど、学園長の昔馴染みなら悪い人ではないだろう。

 身分を馬鹿にされるならともかく、もしかしたらあたしがいることで、逆に気を遣わせてしまうかもしれない。


――でも、あたしに学園で働かないかと声を掛けてくれたのは学園長なのよね。


 ここで独断で辞めるわけにはいかない。よほどの理由がなければ、初めて医者としての仕事を与えてくれた彼に対しても失礼だ。

 小さく息をついて、首を振る。


「分かってるわよ。でも校舎の見回りとか……怪我した生徒を運ぶ時は、若いあたしの方がいいでしょ」

「それくらいなら他の先生にもできそうですけどね」


 食い気味な返答で言葉に詰まる。一体何が言いたいんだろう。そんなに勢いよく否定しなくてもいいじゃないと思っていると、ふいに彼が声を落とした。


「……ここだけの話ですが。王宮に常駐じょうちゅうしていた専属医の1人が、結婚を機に田舎へ引っ越すことになりまして」

「え?」


 王子の口から飛び出した単語に慌てて周りを見回す。近くに生徒の姿はないものの、そんなことをあたしが聞いていいのかしらと不安になる。

 王宮の専属医といえば、王様や王妃様の体調も管理する重要な役職だ。採用も内密に行われていて、高位貴族の推薦でしか入れないと聞いたことがある。


 彼はさらに声を落とすと、「そこで」と続けた。



「代わりを探しているという話を耳にしたので、勝手ながら学園の医務室に長年勤めていらっしゃったお医者様を推薦しておきました」



 ちらりと炎のような瞳がこちらに向けられ、思わず息をのむ。それってまさかと尋ねようとしたところで、パタパタと足音が近付いてきた。

 白い髪を揺らして走って来たエミリアが数歩離れたところで立ち止まり、王子に向かってぺこりと頭を下げる。


「申し訳ありません。その、セシル様に急ぎお伝えしたいことがございます」

「ああ、例の件だね。それなら一緒に学園長室へ行こうか」


 止める間もなく離れていく王子の後ろ姿を見送る。2人が校舎に入ったところで、ようやく自分が白衣を掴んでいたことに気付いた。

 冗談かしらと独りごちる。でも、そんな雰囲気ではなかった。きっと彼は、本当にあたしを選んでくれたんだろう。


――学園を出たら、もう滅多めったに関わらないと思っていたのに。


「……まだまだ長い付き合いになりそうね」


 木漏れ日を受けてぎゅっと拳を握る。

 口からこぼれた呟きは、自分でも笑ってしまうほど嬉しそうだった。

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