15話 街へ②
明らかに悪人とわかる風貌に思わず後退る。かなり背が高く、体格もがっしりしているこの男から逃げるのは難しいだろう。
売れるというのは私のことだろうか。人身売買? こんな王城の目の前にある街で? 疑問が浮かぶと同時に、まさかセシルもと嫌な予感がする。
こんな路地裏で立ち止まっている場合ではない。早くセシルを探しに行かなければと思ったところで、後ろから声がした。
「兄貴! 流石ですねえ」
「もう1匹も捕まえましたよ」
振り返ると、路地の入口を塞ぐように男が2人立っていた。大男より小さいが、どちらも体格はしっかりしている。その2人の間にいた人物に、息をのむ。
「セシル……!」
「アレン!」
最悪な形で再会した彼が、男に突き飛ばされて胸に飛び込んでくる。それを受け止めて、男たちを睨み付けた。
店を出たところで感じた視線は気のせいじゃなかった。ずっと狙われていたのかと唇を噛む。こんなことなら、視線を感じた時点で無理やりにでも王宮に帰るべきだった。
「アレン、ごめん! ごめん、僕……っ」
「落ち着け。謝るのは後にしろ」
今にも泣き出しそうなセシルの肩を掴んで、深く息をつく。大事な友人を、この国の大事な王子を、こんな奴らに易々と連れ去られてはたまらない。
――私が何とかしなければ。
「服の質が良すぎるなぁ、坊ちゃんたち。平民に紛れるならそれなりの格好をしねぇと」
大男が値踏みするようにじろじろと私たちを見下ろしながら言った。
「金貨を持ってんのは見たが、まだ持ってんだろ? 先に出せ。杖を売ってる店にも入ってたよなぁ。貴族様だろ。お家はどこだ?」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら手を差し出す。ここで持ち金を出すのは、それ以上の金が家にあると示すようなものだ。家の名を知られてしまえば身代金を要求されるだろう。
特にセシルは王家だ。それだけじゃ済まないかもしれない。
誘拐してもメリットがないと思わせるべきか? それとも売られないために、手元に置いておくメリットがあると思わせるべきか。でも、こいつらなら身代金を要求しつつ売りに出しそうな気もする。それに金にならないと判断されたら、この場で殺される可能性もある。
男たちに後ろを取られているため、路地から出て逃げることは難しいだろう。セシルを守りながら2人同時に相手をすることはできない。それならこの大男だけを相手にする方がマシだ。……が、簡単な話ではない。
「おい、黙ってちゃわかんねーだろうが」
大男の顔から笑みが消えた。それだけでかなりの威圧感がある。
震える手で金貨を取り出そうとするセシルを止め、男を見上げて口を開く。
「金貨は拾った。杖の店には冷やかしで入っただけだ。貴族じゃない」
「へえ! 金貨が拾える場所があるなら、俺達にも教えてほしいもんだ」
なぁ、と大男は私たちの後ろにいる男たちに声をかけてゲラゲラ笑った。
雑な嘘で子供だと油断してくれればいい。その間に、大男との身長差を確認する。なんとか急所に攻撃できれば隙をついて逃げられるかもしれないが、リーチがありすぎてそのままでは手が届かない。
何か使えるものがないかと目だけで辺りを見回す。そこで、大男の後ろに小さな棍棒のようなものが転がっていることに気付いた。誰かがすりこぎ棒でも落としたのだろうか。
何にせよ、それ以外に使えるものはなさそうだ。その位置と距離をしっかり確認して、セシルに顔を寄せる。
「すまない、セシル。怪我に気を付けてくれ」
「え?」
ドン、とセシルを壁に向かって突き飛ばす。「うわ!」と声を上げ、彼が壁に手をついた。それにつられた男たちの視線がセシルに向く。
その隙に、頭から大男の股下へ飛び込んだ。右手で棒を掴み、前転の要領で体を起こす。私が振り返るのと、大男が振り返るのはほぼ同時だった。
「こいつ……!」
私を捕まえようと大男が体を屈める。棒をしっかり握り、立ち上がる勢いに任せて思い切り振り抜いた。
顔面を狙ったがそこまでは届かず、棒の先端がわずかに顎を掠める。それでも衝撃は脳まで届いたらしい。大男は白目を剥いて、ぐらりと後ろ向きに倒れ込んだ。
「兄貴!?」
「セシル!」
声が重なる。壁に手をついたまま呆然としている彼に手を伸ばす。セシルはすぐに気が付いて、さっと足元の砂を握ると、慌てている男たちめがけて投げつけた。
それが上手く目に入ったらしい。痛ぇ! 待てこの野郎! と騒ぐ声を背中に受けながら、彼と手を繋いで走り出す。大男が路地を塞ぐように倒れているため、2人の足止めにもなっているようだ。
「なかなかやるな!」
「君こそ! あんな動き、どこで覚えたんだ!?」
「うちの兵に習った! でも隙をついただけだ、もう使えない!」
奴らが油断していたからうまくいったが、次は無理だろう。数の利も地の利も向こうにある。不意を突くことはできても、3人に本気で襲われたら敵わない。多少戦闘訓練をしているとはいえ、当然実戦の経験はない。人を守りながらなんてなおさらだ。
せめて剣があれば、と棒を握る手に力を込める。もしもの時はこれで戦うしかない。
建物の影になっている薄暗い路地を走る。住宅だと思われるが、どこにも人の気配はない。みんな大道芸の方に行っているのかと、聞こえてくる曲を頼りに路地の出口を探す。
できれば人がたくさんいるところまで逃げたいが、時間もない。
「大声を出したら誰か気付いてくれるんじゃないか!?」
「駄目だ! 誰もいなければ、逆に男たちに居場所を知らせることになるぞ!」
そうこうしているうちに、後ろから「待てガキども!」という声が追いかけてきた。あの声は大男だ。やはり子供の力では弱すぎたかと舌打ちをする。追いつかれたら今度こそ捕まってしまうだろう。
路地裏は入り組んでいて、樽や木箱が置いてあった。あちこちに洗濯物も干されているため、まっすぐ走れない。扉があって通れないところもある。
出口は見つからない。怒号は後ろから迫っている。流石に焦りが出てきた。
「セシル、どうしたら大通りに出られる!?」
「僕も裏道はわからない! ごめん!」
「仕方ない……! 一旦さっきの道に戻るしかないか」
男たちの声から動きを予測して走り、先ほどの路地へ向かう。建物の影から顔を覗かせて確認すると、その路地には誰もいなかった。男たちは3人バラバラにこの路地裏を探し回っているのだろう。ここまで正面衝突せずに来られたのは奇跡かもしれない。
辺りにも気配がないことを確認してから、セシルと手を繋ぎ直して路地を走る。
「アレン、ここからどうする!?」
「この道は左右に路地があって危険だ。広場まで戻ってから人が多いところに、……っ!?」
そこで、思わず足を止めた。
確かに路地を通って道に出たはずなのに、突然目の前に高い壁が現れた。左右にも建物の壁があり、完全な行き止まりになっている。まるで空間を超えて、路地裏の袋小路に入ってしまったようだ。
2人して固まっていると、後ろから声がした。
「いやぁ、魔道具って便利だな」
「狩りには欠かせないっすね」
何もなかった空間から男が2人、姿を現す。手にした縄をくるくる回し、下卑た笑みを浮かべている。
魔道具なんてどこに、と思いながら、視線は男たちが立っている地面に向かう。そこには王宮の図書室で見たのと同じ、ドアストッパーのような形をしたあの魔道具が置かれていた。
おそらく路地の入口にも同じ魔道具が置いてあったのだろう。逃げることに集中しすぎて地面まで見えていなかった。罠に嵌められたのだと気付いたが、もう遅い。これで完全に袋の鼠だ。今度こそ後ろにも前にも逃げ場がない。
男たちに塞がれた魔道具の入り口から、なんとかセシルだけでも逃がせないかと考える。
と、行き止まりのはずの背後から、強い怒りの気配を感じた。
はっとして振り返った瞬間、横腹に衝撃を受けて体が宙に浮く。蹴られたことを理解すると同時に、セシルと繋いでいた手が強制的に離された。
子供の軽い体は簡単に吹き飛び、そのまま路地の壁に叩きつけられる。
「っぐ……!」
「アレンッ!!」
駆け寄ろうとしたセシルが男たちに捕まる。それが視界の端に見えたが、体は動かない。背中を強く打ち付けたせいでうまく息が吸えない。
せっかく訓練していたのに、受け身も取れなかった。地面に倒れた時に口を切ったのか、血の味がする。脇腹も痛い。というより燃えているのかと錯覚するほど熱い。頭だけが妙に冷えていて、この状況に警報を鳴らしていた。
「クソガキが。手間取らせやがって」
ガッと背中を踏まれ、痛みに顔を顰める。袋小路のどこに隠れていたのか、大男が鋭く尖った目で私を見下ろした。
一度逃げられたのがよほど頭にきたらしく、手加減無しで踏みつけられて全く動けない。なんとか目だけでセシルを見ると、男2人がかりで縄をかけようとしているところだった。
このままじゃまずい。でもどうしたらいいか分からない。
誰かの助けを期待しようにも、私たちがここにいることは誰も知らない。
「アレン! アレン! っこの、離せ!! 触るな!」
「暴れんなガキが! さっさと諦めろ!」
セシルが男たちの手に噛み付き足を踏んで抵抗しているが、縛られるのは時間の問題だろう。こんな状況なのに彼は自分ではなく私の心配をしているようだ。
怪我のせいか、心臓の高鳴りが耳元で響いている。
なんとかしないと。助けなんか来ない。大人の私がなんとかしないと。セシルを助けないと。鼓動に急かされるように、同じ言葉が頭の中で繰り返される。
このままセシルが連れていかれたらどうなる? 私が連れていかれたらどうなる? さすがに攻略対象が2人もいないのはまずい。
私だけならまだしも、セシルはこの国の大事な王子で、ゲームの代表的な攻略対象者だ。エンディングにいないようなことがあれば、魔界の門の開放は抑えられないだろう。そうなったら私の大事な家族や、今日見たたくさんの人々だってただじゃ済まない。
――こんなところでバッドエンド確定なんて嫌だ! なんとかしないと……!!
地面に這いつくばったまま、何か突破口はないかと辺りを見回す。路地裏に置かれた木箱、奴らがこれから使うだろう麻袋、何が入っているのか分からない樽。
それよりもっと手前、手を伸ばしたら届きそうな距離に、さっきまで握っていた棒が転がっていた。
蹴られた時に手放してしまったのだろう。それを見て、はっと目を見開く。握っていた時は気付かなかった、今になって初めて見えた棒の底の部分が、きらりと光っている。
それは砂で汚れた、青い宝石のようだった。
――もしかして……杖?
それを認識した瞬間、なにかがぱちんと体の中で弾けた。
弾けたのが血管なのか筋肉なのかわからないが、暖かい何かが体内に充満していくのを感じる。不思議と嫌な感じはしない。
ふと、頭にひとつの可能性が浮かぶ。攻略対象であるセシルは、ヒロインを助けようとして平均年齢より早く魔法に目覚めた。それなら、同じ攻略対象である私にもできるんじゃないだろうか。
セシルを助けるために、魔法を使うことが。
「くっ……」
大男に抑えられたまま、杖に向かってなんとか手を伸ばす。それだけで脇腹に激痛が走るが、躊躇っている暇はない。男たちにあれが杖だとバレないうちが勝負だ。もはやこれ以外に、今の状況から脱する手段は浮かばない。
私が足掻いていることに気付いた大男が、馬鹿にしたようにゲラゲラと笑った。
「おいおい! まだ何かやる気か?」
その声で、セシルと男たちもこちらを見る。大男はわざとらしく足に体重をかけると、さっさと縛れと男たちに手を振った。胸が圧迫されて息ができない。酸欠で目が霞む。それでもと地面に爪を立てる。
ため息をついて、大男が声を上げた。
「ったく、いい加減大人しくしてろ!」
勢いをつけて思い切り踏みつけようとしたのだろう。一瞬、背中を押さえていた足が浮いた。その隙をついて手を伸ばし、杖を掴む。
でも、それだけでは魔法は発動しない。
何か詠唱をと考え、咄嗟に思い出したのは、例の図書室での会話だった。
『アレン、自分が使うとしたらどの魔法がいい?』
2人で呪文詠唱の本を見て、セシルにそう尋ねられた時。
『そうだな。私は――』
「――アイススピアッ!!」
ほぼ杖を掴むのと同時に叫んでいた。
ドクンと心臓が一層強く音を立て、体内の何かが勢いよく手から杖へ流れていく。花火のように杖の先から垂直に打ち上がった光は、瞬きの間に放射状に並んだ氷に変わっていた。
その場にいる誰もが、信じられないような顔をしてそれを見上げている。
次の瞬間、氷の槍が男たちに向かって降り注いだ。