160話 兄弟と解毒
護衛兵を連れた王家の馬車で訪れたせいか、神殿前の広場にはざわざわと人が集まっていた。マントを羽織りつつ、ジェニーの影に隠れて神殿の門をくぐる。
エミリアとギルは念のため学園に残り、ジャックはオリバーが現れる可能性を考えて私たちに付いて来た。魔族が聖魔力の塊ような神殿に入るのは大丈夫なのだろうかと思ったが、特に問題はないらしい。
最後尾にいるジャックを見て、リリー先生が首を傾げる。
「彼が平気ならオリバーにも効果はないかしら」
「魔族には効かなくても、初代魔王は入れないと思いますよ。魔物と同じく実体を持たないようですから」
先生とセシルは周りを警戒しているのか、私を挟んで歩いていた。女性として身長が縮んでいるため、頭の上で会話されている感覚に苦笑してしまう。
邪魔にならないならいいかと思っていると、アデルさんが駆け寄ってきた。
「セシル王子!? い、いらっしゃいませ。こんなに大勢でどうされたんですか? まだ学園にいらっしゃる時間では……」
そう言いかけて、数歩離れたところで足が止まる。彼女の視線がこちらに向けられていることに気付き、何と伝えるべきか迷う。
魔族のことを伝えるならジャックのことも話すことになる。彼らを信頼してもらいたいが、今まさに魔族に襲われて神殿に逃げて来たようなものだ。
どう説明しようかと考えていると、リリー先生が私を隠すように前へ出た。
「まぁ、ちょっと色々あってね。詳しい話は後でするとして、ルーシーはいる? あの子に用があるんだけど。姉さんと一緒じゃないの?」
アデルさんは一瞬きょとんとして、ええと……と頬を掻く。そして、何故かばつの悪そうな顔をした。
「ルーシーさんはまだ帰ってきてないのよ。たぶん、夜になると思う」
「帰ってきてない……? 1人で遠方の治療にでも行かせたの?」
ルーシーは罪人として神殿に軟禁されている身だ。遠方の治療に駆り出されることはあっても、基本的にアデルさんと行動することになっている。
だからこそ、こうして彼女だけが不在というのは珍しい。
アデルさんはちらりと神殿を振り返ると、声を抑えて答えた。
「移動用魔道具の調子が悪いって前に話したでしょ? 緊急時以外使わないようにしてたんだけど、今日は朝から遠方の呼び出しがあって。ちょうど私が戻ったところで壊れちゃったのよ。さっき修理の依頼を出したところだったの」
ルーシーはアデルさんの許可がなければ神殿から出られないため、馬車で帰ってくることもできない。移動用魔道具の修理が終わるまでは会えないと知り、セシルと顔を見合わせる。
――彼女に『リセット』を試してもらおうと思っていたんだが……。
当の本人がいないのではどうしようもない。聖魔力だけなら神殿にも蓄えられているが、治療用の魔道具を使った通常の処置しかできない。
聖魔力を持っていて、かつ日本語が分かるのは私の他に彼女しかいない。
「……仕方ない。ルーシーが戻ってくるまで神殿で待つしかないね」
「そうだな。きっと今日中には会えるだろう」
セシルの言葉に答えている間も、ちらちらとアデルさんから視線を感じた。いくら聖女と呼ばれていても、彼女にはアレン・クールソンが男だと幼い頃から知られている。当然、そっくりな妹だという嘘も通じない。
アデルさんはしばらく頭を捻っていたが、何か言えない事情があると分かったのだろう。周りの目を避けつつ、私たちを神殿の一室に案内してくれた。
ジャックも外見は人間と変わらないため、友人として一緒に案内される。
ひとまず並んでソファーに座り、神殿関係者に出された紅茶を飲んで一息つく。扉の近くには、護衛としてスティーブンが待機していた。
王族の馬車や護衛兵を私のために動かしてもらっているのが申し訳ない。こんなことが他の貴族に知られたら、後々問題になってしまうかもしれない。
神殿で待つだけなら安全だろうし、いつルーシーと会えるか分からない。このまま彼らまで付き合わせる必要はないだろう。そう思い、セシルにここまでの感謝を伝えつつ「君は学園に戻ったほうがいいのでは」と声をかける。
同意されるかと思ったが、何故か圧を感じる笑みだけが返ってきて流されてしまった。彼はルーシーが戻ってくるまで一緒に待つつもりらしい。
「……そういや、移動用の魔道具は修理に出してんのかな」
ソファーに座らず部屋の端にいたジャックが、ぽつりと呟いた。同じく壁際に立っていたリリー先生が首を振る。
「魔道具は壁に直接埋め込まれてるから、ここで修理すると思うわよ」
「それなら、俺も手伝っていいですか?」
「え? 魔道具の修理ができるの?」
目を丸くする先生に、ジャックは大きく頷いた。確かに彼なら自分で魔道具を作るくらいだし、ウォルフから人間界の魔道具についても学んでいる。壊れた魔道具の修理もできるだろう。
リリー先生から神殿関係者に話が伝えられ、ジャックはアデルさんに連れられて部屋を出て行った。彼を見送りながら、ジェニーが呟く。
「彼を1人にして大丈夫でしょうか」
「ああ、ジャックなら大丈夫だ」
テッドに噛まれてから、彼女はずっと魔族を警戒している。オリバーの件があった今は尚更だろう。間を置かずに返すと、ジェニーは複雑な表情で小さく頷いた。
ジャックが修理を手伝ってくれれば、日が暮れる前にはルーシーに会えるかもしれない。そう考えていたところで、どこからか話し声が聞こえた。
「ねぇ、こんなところに入ってどうするの?」
「だって他に隠れるところがなかっただろう?」
小さな声だったが、その会話はセシル達にも聞こえていたらしい。全員の視線が部屋に置かれたクローゼットに向かう。
なんとなく聞き覚えがあるものの、声がこもっていて誰かは分からない。気配を消したスティーブンが一瞬だけセシルと目を合わせて棚に近寄る。
彼が手を伸ばしたところで、声の主が言った。
「人がいなくなったら帰ろうよ、レオ様」
スティーブンがハッとした顔をしてクローゼットの扉を開く。中にいた2人は驚いたように顔を上げる。私が口を開く前に、セシルがソファーから立ち上がった。
「レオ、ノーラ!? どうしてこんなところにいるんだい?」
「あ、兄上!」
そこにいたのはセシルの弟であるレオ王子と、彼の遊び相手のノーラだった。おずおずとクローゼットから出てきた2人は怒られると思ったらしい。
ぎゅっと手を繋いだまま、すぐにセシルの問いに答える。
ホワイト伯爵を捕らえた事件の後から、ノーラが姉であるエミリアに会うため時々神殿を訪れていたこと。それを羨ましく思っていたレオ王子が王宮を抜け出したこと。そして彼を心配したノーラも同じく王宮を抜け出してきたこと。
どこかで聞いたような話に、セシルはそっと頭を押さえた。
――友達と2人で王宮を抜け出して街へ来るなんて……。
「兄弟、だな」
「そんなところまで似なくてもいいと思うんだけどね」
セシルが眉を下げて笑ったところで、レオ王子とノーラが揃って目をぱちくりとした。彼らの視線はセシルの隣にいる私に向けられているようだ。
2人と関わった回数は少ないから「初めまして」で誤魔化せるかと思ったが、やはり子供の目から見ても私だと気付かれてしまったのだろうか。
そこで突然、レオ王子が目を輝かせた。
「もしかして、兄上の新しい婚約者候補の方ですか!?」
「えっ?」
予想外の質問に目を丸くしてしまう。しかし改めて考えれば、彼にそう思われても仕方がない状況だった。
アデルさんに案内されるままセシルと同じソファーに座ってしまったが、彼はこの国の王子だ。基本的に婚約者でもない女性が同じ席に座ることはあり得ない。
否定しつつ慌てて席を立とうとしたところで、セシルにそっと止められた。彼はレオ王子に向かって首を振る。
「そういうわけじゃないよ。この子は大事な友達なんだ」
「お友達ですか?」
レオ王子はちらりとこちらを見て、不思議そうな顔をした。
「でも髪と瞳の色は兄上が想いを寄せている方と似て」
そう言いかけた彼の口を素早くスティーブンが塞ぐ。きょとんとしているレオ王子に近寄って、セシルが静かな声で言った。
「とりあえず、2人とも。危険だから王宮に戻ろうか」
2人で抜け出してきたということは、護衛も馬車もいないだろう。第一王子の前例があるため、王宮でもかなり心配されているはずだ。
可哀想な気もするが、一刻も早く送り返したほうがいい。
セシルは「少しだけ席を外すよ」と言い残して、スティーブンと共に2人を連れて部屋を出て行った。ぱたんと閉じた扉を見てリリー先生が苦笑いを浮かべる。
「確かに、彼らがずっとここにいるのは危険そうね」
「そうですね。神殿には誰でも入ってこられますから」
「……まぁ、そういう危険性もあるわね」
返って来た言葉に首を傾げる。彼らが攫われる危険性を考えているのだと思っていたが、他に何かあるのだろうか。
以前存在していた人身売買の組織は壊滅したようだが、第二王子の存在は国中に公表されたばかりだ。護衛もなく出歩くのは危険でしかない。
セシルは彼らを王族の馬車で帰らせるつもりだろう。偶然私たちが神殿に来ていたからよかったが、誰も気付かなければ大問題になっていたかもしれない。
――しかし、あの子たちはどこから入ってきたんだろう。
ノーラは裏門を知っているから、路地から来たのだろうか。そう考えつつ紅茶のカップに手を伸ばしたところで、リリー先生がじっとこちらを見て口を開いた。
「それにしても、慣れないわね。これで体には何も問題がないなんて」
ちょうどそこで部屋にノックの音が響く。ジェニーが対応するため扉に向かったが、リリー先生は私から目を逸らさずに続けた。
「あたしは生徒会室で起こったことも詳しく知らないのよね。アレンが言いたくなければ無理しなくていいんだけど、……本当に大丈夫だったの?」
彼の不安げな表情を見て、お医者様として心配してくれているのだと理解する。わざわざ周りに人がいなくなってから尋ねたということは、女性の体になっているせいで酷い目に遭わなかったかを気にしているのだろう。
そこまで深刻に考えていなかったが、危険な状況だったことは確かだ。安心させるために「大丈夫です」と返したところで、部屋の扉が大きく開いた。
「すみません、お待たせしました。移動用の魔道具が壊れてしまっ……」
桃色の髪を揺らして部屋に入ってきたルーシーが目を丸くする。彼女はキョロキョロと辺りを見回して私を見ると、信じられないというように声を上げた。
「待って、攻略対象の女体化とか解釈違いなんだけど!?」
止める間もなく彼女の口から飛び出した前世の言葉に、ジェニーとリリー先生は怪訝な顔をしていた。
===
「ああ、なるほど。それで神殿に来たのね……ですね。よかった、アレン様が何かしらの強制力で性転換したわけじゃなくて」
部屋にはレオ王子たちを送って戻って来たセシルや神殿関係者のリリー先生がいるため、付け足したような敬語でルーシーはそう言った。
大まかに事情を説明したが、私が女性の姿になっていること自体にはそこまで驚いていないらしい。この世界ならそういうこともあるだろうと受け入れていた。
気にするところが違うなと苦笑しつつ、改めて彼女に頼む。
「『リセット』の魔法を使うことができるのは、おそらく私と君だけだろう。戻れるかは分からないが、試してもらえるか?」
「もちろんです。魔法が使えないせいで危険な目に遭ったんでしょ? 私にできることなら喜んで協力しますよ」
すでにいつもの制服に着替えているが、魔法が成功したら改めて身なりを整える必要がある。ジェニー以外は一旦部屋から出てもらい、ルーシーと向き合う。
彼女は大きく息を吸うと、さっそく手をかざした。
「……『リセット』!」
詠唱と同時に部屋が白い光に包まれ、反射的に目を瞑る。一瞬だけドクンと胸が波打ち、わずかに体が熱くなる。
しかしそれは、テッドに噛まれた時のように長くは続かなかった。
少しずつ光が弱まり、熱が引いていくのを感じる。目を開けると、同じように目を瞑っていたらしいルーシーとジェニーもそろりと目を開けた。2人の安堵した表情を見て、自分の体に目を向ける。
胸の膨らみはなくなっているし、床との距離も先程より離れている。緩かった制服もちょうど良い。しっくりくる感覚に息をついて、懐から杖を取り出す。
「氷の箱」
手から杖へと魔力が伝わり、床に正方形の氷が生まれた。魔法も問題なく使えるようになっていることを確かめ、ようやくほっと胸を撫で下ろす。
やはりリセットの呪文は魔族の毒も無効化できるらしい。ルーシーに礼を伝えてジェニーに服装を整えてもらっていると、躊躇いがちなノックの音が聞こえた。
返事から数秒の間を置いて扉が開き、廊下にいた彼らが顔を覗かせる。
「ああ、無事に戻れたんだね。よかった……!」
「やっぱりこの方が落ち着くわねぇ」
安心したようにセシルとリリー先生が駆け寄ってくる。彼らの後ろにいるスティーブンは、何故かどことなく複雑な顔をしている。
不思議に思っていると、その彼の更に後ろからジャックが戻ってきた。魔道具の修理が終わった後、神殿関係者と話をしていたらしい。
あまり待たずに済んだのは彼のおかげだろう。礼を言おうとしたところで、ルーシーが彼を見て固まった。両手で口を覆い、キラキラと目を輝かせる。
魔王が人間界に来ることは彼女にも伝えてあるが、直接出会うのはこれが初めてだ。見ただけでジャックの正体が魔族だと気付いてしまうのもおかしいし、このままではまたうっかり前世の知識を口にしてしまうかもしれない。
ジャックもルーシーに気付いて目を丸くしている。ちらりと向けられた視線にこっそり頷いて返す。互いに話したいことはたくさんあるだろうし、私も確認したいことがある。せっかく転生者が揃っているこの機会を逃すわけにはいかない。
――続編にも敵が存在していることは確定した。あとは、この先のエンディングを知っておかなければ。
ジャックはほとんどストーリーを覚えていないようだが、転生者同士で話してみれば何か思い出すかもしれない。なんにせよ、無事にハッピーエンドを迎えるために知識の共有は不可欠だろう。
そしてそのためには、『私たちだけで』話す場が必要だ。
「魔法も使えるようになったんだね。それなら、馬車が戻り次第寮へ戻っても問題なさそうだけど。アレンはどうしたい? 今日くらいは神殿で様子を見るかい?」
床の氷を見てそう言ったセシルに向き直る。こういうのは下手に誤魔化すより正直に答えたほうがいいだろう。不自然に思われないよう少しだけ考え、答える。
「神殿に迷惑が掛からないよう早めに戻るつもりだが……その前に、魔族と闇魔法について少し確かめておきたいことがあるんだ」
だから、と間を置かずに続ける。
「私とジャック、そしてルーシーの3人で話す時間をもらってもいいだろうか?」