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155話 変身 ◇

 窓から夕焼けが見える。オレンジ色の教室にいるのは2人だけだ。目の前に並ぶ懐かしい制服姿に、それが前世の母校のものだと思い出す。


「そういう好きじゃないみたいってどういうこと?」


 青年の言葉で、これがいつの記憶なのかを理解する。修学旅行を来月に控えた高校2年の冬。友達の恋に関するやり取りを見ているうちに、自分が人と『違う』ことに気付いた。色々と調べて友達にも相談して、当時付き合っていた彼氏には伝えておいた方がいいだろうと考えた。


 向き合って座る彼女は、言葉を選んでなんとか気持ちを伝えようとしている。彼はしばらくの間黙って話を聞いていたが、生徒の下校をうながすチャイムが鳴り終わったところで躊躇ためらいがちに口を開いた。


「ごめん、分からん。それって友達と何が違うの? つまり俺が特別好きなわけじゃないのに、付き合うって言ったってこと?」


 ガタンと席を立つ音が教室に響く。椅子に座ったまま首を振る影が床に映っている。彼は机に置いていた鞄を取ると、ため息をついて言った。


「好きだったけど……ごめん、別れよう。俺が無理だわ。もっと普通の恋人みたいなことがしたい。でも、それが嫌ってことだよね?」


 前世の自分は慌てている。伸ばしかけた手をぐっと握って俯く。彼は悲しそうな顔をしてちらりと時計を見ると、背を向けた。


「普通に考えて、同じ気持ちじゃないなら駄目だと思う。付き合う意味がないし、未来がない」


 じゃあ、と言って彼は教室を出て行った。誰もいなくなった教室で黒髪の彼女はスマホを開く。何度も検索した履歴が画面に並んでいる。


『恋ができない 告白された』『恋ができない 恋人』

『恋愛感情 どうやったら分かる』


 調べてなんとなく理解して、伝えるべき人に伝えた。そして、拒否された。

 こうなったらもう、自分にできることはひとつだけだ。


『相手のためにも早く別れましょう』


 無情に表示された検索結果を見て、ため息をつく。ぱたりと(しずく)が画面に落ちる。ぎゅっとスマホを握って、誰にも届かない言葉を口にする。


「……私も、好きだよ。ちゃんと好きだよ。ずっと一緒にいたいと思ってたよ」


 でも、と続く声が震える。(こぼ)れた涙が紺色のスカートに吸い込まれていく。


「同じ気持ちじゃないと、駄目なの……?」


 小さな嗚咽(おえつ)が教室に響いた。恋に破れた青春漫画のようだが、これが恋ではないことは私自身がよく知っている。どちらかといえば、泣きたいのは彼の方だろう。


――久しぶりに見た前世の夢がこれか。


 嫌な記憶だ、と眉を(ひそ)める。すっかり忘れていたはずなのに、何故急に思い出してしまったんだろう。長く魔物の傍にいたせいだろうか。

 まるで、勘違いするなと言われているみたいだ。理解されるなんて期待するなと。恋をしないと決めたのは自分なのだから、誰かと一緒にいたいなんて願うだけ無駄だと。


 わざわざ夢に見せなくても分かっている。うっかり口を滑らせそうになったことはあるが、こんなこと誰にも言うつもりはない。

 その後を思えば相手にとっても迷惑でしかないし、優しい人ほど悩ませることになる。それに伝えてしまったら、きっと彼らも……。


 そこで、ふと気付く。強烈な違和感を覚えて目を見開く。改めて考えると、これは今まで見た夢とは違う。

 確かに覚えている前世の出来事だが、それがこの視点になるはずがない。



――どうして……『前世の私』が見えているんだ?



 彼女が目をこする。スマホを鞄に入れ、席を立つ。

 そしてこちらを振り向いた瞬間。突然、視界が白く染まった。




===




 アレン様、と声を掛けられて目を開ける。専属メイドであるジェニーが酷く不安げな顔をしてこちらを覗き込んでいた。彼女の後ろには医務室の天井が見える。


――あれ、使用人は学園に入れないはずでは……。


「お加減はいかがですか? どこか痛いところはございませんか?」

「ああ、大丈夫……」


 そう答えて、思わず口をつぐむ。なんとなく自分の声がおかしい気がする。


 魔道具庫で魔物化したテッドに噛まれ、医務室に運ばれたところまでは覚えている。首筋を噛まれた影響がのどに出ているのだろうか。

 医務室にいるなら治療は受けたはずだが、と軽く咳をしてベッドに体を起こす。そこで気付いた。


 どう見ても自分の体が男性のそれとは違う。手が小さくなっているし、明らかに胸部に膨らみがある。前世では見慣れていたが、今では違和感しかない。

 まさか前世の体になっているのかと思ったが、肩から滑り落ちてきた髪は相変わらず青かった。どうやらアレンのまま女性の体になっているようだ。


 理解が追いつかず固まっていると、ベッドの横にいたジェニーがそっと上着を肩に掛けてくれた。(かが)んで目線を合わせ、柔らかく微笑む。


「緊急事態ということで、学園長から特別に校舎に入る許可を頂きました。アレン様はどこまで覚えていらっしゃいますか?」

「……だいたいの記憶はある」


 医務室に着いてリリー先生に状況を伝えたところで気を失ったようだ。今までずっと眠っていたらしく、窓の外はすでに暗い。

 なんとなく女体化している理由も分かってしまう。普通に怪我を負うだけでは、こんなことにはならないはずだ。


 落ち着いて答えたからか、ジェニーは安心したように胸を撫で下ろした。もしかしたら私がパニックになった時のために彼女が呼ばれていたのかもしれない。


 首筋に手を当てる。怪我は完全に消えていて包帯も巻かれていない。医務室で治療するだけでここまで綺麗に治るものだろうか。

 不思議に思って部屋を見回すと、普段はリリー先生が使っている椅子にエミリアが座っていた。彼女が聖魔法で治してくれたらしい。


 ぺこりと頭を下げる彼女に礼を伝えたが、その声にも違和感を覚えてしまう。


――聖魔法でも毒が消えないのは予想外だったな。


 おそらくすでに変化が始まっていたから間に合わなかったのだろう。体が女性になっていたせいで前世の夢を見たのだろうか。

 自分の意思で戻れないかと試してみても変化はない。明日は芸術祭なのにどうしたものかと息をついたところで、ジェニーが入口の扉に目を向けた。


「アレン様が落ち着いてからご説明いただこうと思っていたのですが……みなさまをお呼びしてもよろしいでしょうか?」


 そういえば、医務室なのにリリー先生がいない。私を運んできたはずのテッドもいない。私が女性の体になっていたため、男性陣は廊下に出ているようだ。

 それを知って複雑な気持ちになる。前世が女性だったとはいえ、今の私は男だ。一時的に体が女性になっていてもそれは変わらない。……が、ジェニーからすれば大違いらしい。


 さっと手際よく髪を整えられ、サイズの合わなくなった上着のボタンをしっかり留められる。ベッドに座った状態のまま腰までシーツで覆われる。立ち上がらないように注意されて、きょとんとしてしまう。

 脚には怪我をしていないし熱も引いている。動くのは問題ないと伝えたが、何故かジェニーは首を振った。


「着替えを用意するのは間に合いませんでしたので、じっとしていてください」


 それだけ言って医務室の扉を開ける。リリー先生が入ってくるかと思ったが、最初に目に飛び込んできたのは金色の髪だった。


「アレン、目が覚めたんだね! 体調は大丈夫かい?」

「セシル?」


 彼はなかなか生徒会室に戻ってこない私を探していたらしい。矢継やつばやにジェニーとまったく同じことを聞かれ、苦笑しつつ「大丈夫だ」と答える。

 彼の後ろからはリリー先生とジャックが入ってきた。テッドは治療を受けて魔界へ帰らされたらしく、黒猫の姿もなかった。


 リリー先生にも体調を尋ねられたが、本当になんともない。熱や(みゃく)を確認され、先生が頷いたところで、彼らはようやくほっと息をついた。


――まぁ、身体が丸ごと作り変えられているからな。


 そう考えると心配されるのも当然かもしれない。もしやそこまで深刻になっていないのは自分だけなのかと思っていると、セシルが口を開いた。


「状況が状況だから、エミリアとジェニーにも魔族の件は共有しておいたよ。さすがに隠しきるのは無理だったからね。君がそうなったのは、魔族の毒によるものだと聞いているけど……」


 セシルの視線を受け、ジャックがバツの悪そうな顔をして前に出る。ベッドの横に立っているジェニーは少しだけ眉を寄せた。

 警戒するのは仕方のないことだが、今回のことは彼らのせいではない。あとでちゃんとフォローしておこうと思いつつジャックに顔を向ける。


 彼はこちらに向き直ると、勢いよく頭を下げた。


「本当にすまん……! 俺の『記憶』通りなら、1週間くらいで元に戻るはずだ」


 その言葉で前世の記憶を指しているのだと気付く。つまり、魔族の毒はゲームにも出てきたということだ。

 ここで詳しく聞くのは無理かと思ったが、リリー先生が首を傾げた。


「記憶通りなら、ってどういうこと? 以前も同じようなことがあったの?」


 ええと、とジャックは言葉を(にご)す。前世のことを伏せてどこまで話すかを考えているのだろう。少し間を置いて、先生に答える。


「だいぶ昔の話ですが、喧嘩をしている時にギルがテッドを噛んだことがあって。その時も1週間程度で元に戻ったんです」

「その時も同じように女性化したのかしら?」

「いや、ギルの毒はまた別で……動物の姿になりました」


 テッドが黒猫の姿になれることはリリー先生も知っている。しかも、彼の場合は後遺症として自分の意思で変身できるようになってしまっている。

 納得がいかないというように腕を組んだ先生の隣で、セシルが尋ねた。


「毒の効果は魔族によってバラバラなのかい?」

「ああ……なんというか、元は1人の女を巡って男同士で争う時に使ってた名残りらしくてな。相手を『恋愛対象から外す』ような効果が出るようになってるんだ」


 ギルは噛み付いた相手を動物に。テッドは相手を女性に。そしてジャックが持っている毒は、相手を幼児化させる効果があるらしい。

 話を聞きながら、これも乙女ゲームのイベントに使われる設定なんだろうなと察する。嫉妬(しっと)や三角関係のイベントが多いと言っていたから、きっと争うための武器として用意されていたのだろう。


「変な効果ねぇ。人によっちゃ無意味な気もするけど……考え方を変えれば、他の毒よりはマシだったってことかしら」

「とはいえ、1週間も元に戻れないなんて」


 セシルはこちらに目を向けて、ぐっと拳を握った。どうやら明日以降の授業や寮生活のことを心配してくれているようだ。

 (あご)に手を当てて考える素振りをすると、思い付いたように顔を上げる。


「そうだ! アレン、君が使う聖魔法の中には異常な状態を無効化するものがあったよね? 自分に試してみたらどうだろう」


 彼の提案を聞いて、確かにと納得する。魔物化しかけていたテッドにもヒールは効かなかったがリセットは効いた。試してみる価値はある。

 頷いて左手を見る。魔道具庫で外した指輪はポケットの中に入れたままだったらしく、指には何も着けていなかった。


 自分の聖魔法は自分に効かないと分かっているが、今までこの呪文を試したことはない。胸に手を当てて、短く唱える。しかし魔法は発動しなかった。


――あれ……?


 妙な感覚に目をぱちくりとする。確実に魔法を使ったが、何も起こらない。自分には効果がないとしても、詠唱と同時に手が白く光るはずなのにそれもない。

 みんなが不思議そうな顔をしてこちらを見ている。セシルが私の杖を差し出したことに気付き、手を伸ばして受け取る。


 聖魔法だったから駄目だったのだろうか。まさかと思いながら、今度は氷魔法の呪文を口にする。


氷の箱(ボックス・クリエイション)


 魔力を込めたはずが、杖は何も反応しなかった。いつものように周囲の空気が冷たくなることもなく、何度繰り返しても氷は現れない。

 ジェニーとエミリアが口を押さえる。見守っていた彼らは青い顔をした。



「……魔法が使えない?」



 体が女性になったことで魔力の流れが変わってしまっているのだろうか。杖を使っても氷魔法が使えないとなると、聖魔法も自分に向けたから発動しなかったわけではなさそうだ。

 女体化だけなら何とかなるだろうと考えていたが、魔法が使えないとなると話は別だ。まだ魔道具庫で出会った彼が何者なのかも分からないし、襲われた理由も目的も分かっていない。


 これは思ったよりまずい状況かもしれない。

 彼らから少し遅れて、ようやく危機感を覚えた。

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