153話 主従と悪意①
芸術祭を翌日に控えた放課後の生徒会室で、セシル、カロリーナと共に段取りの最終確認を行う。明日は午前の授業が全体的に前倒しになり、昼休みを挟んで12時から演奏会が始まる。つまり、あまり時間を取れない。
「演奏団は遅くとも2時間前には入ることになるから、僕たちは交代で昼食を取るしかなさそうだな」
「楽器は今日のうちに配置するんじゃなかったのか?」
「急遽予定が変わったらしくて、当日の朝に運び入れることになったんだ。演奏団の彼らが全部自分たちでやるそうだけど、監視は必要だからね」
去年は平劇団だったが、今年は半年前から話をつけていた有名な貴族向けの演奏団だ。人数も多く、扱う楽器も当然のように高級なものが多い。
去年のように開始直前に準備するだけでは時間が足りないだろう。楽器の配置や講堂での聞こえ方を確かめるため、朝から講堂内は立ち入り禁止になる。
こうなるともう少し人手が欲しいところだが、卒業式までは私たち3人が生徒会役員だ。毎回同じ生徒たちに手伝わせるわけにもいかない。
来年以降の生徒会役員候補にも時々手伝ってもらってはいるが、突然婚約して卒業する可能性もあるため、まだ確定はしていないようだ。
後期も変わらず忙しそうだと心の中で呟きつつ、書類に目を落とす。
「舞台裏の掃除は終わったようだが、魔道具に関しては確認が取れていないな」
「講堂の魔道具確認は早朝の予定でしたわね。楽器を配置する時間と被るのであれば、今日中に見ておいたほうが良いのではないでしょうか?」
「そうだね。確かちょうどエルビン先生が講堂に……」
カロリーナの問いかけにセシルが答えようとしたところで、タイミングよく部屋にノックの音が響いた。扉が開き、魔道具担当のエルビン先生が顔を覗かせる。
「失礼します。今よろしいでしょうか?」
セシルが頷いたのを確かめて先生が生徒会室に入ってくる。彼は申し訳なさそうな顔で私たちを見回して言った。
「講堂のシャンデリアを確認していたのですが、一部反応が弱まっているようで」
直接的な影響があるわけではないが、万が一壊れると演出の妨げになってしまうかもしれない。生徒や演奏団から余計な文句を言われないためにも、念のため部品の交換をしておいた方がいいらしい。
「ただ、数が多いので1人では難しくて。お手数おかけしますが、よろしければどなたかご一緒に魔道具庫へ来ていただけませんか?」
「それなら、私が行きます」
カロリーナでは力が足りないだろうし、セシルがいなければ最終的な確認ができない。他の先生方は職員室で明日のための会議を開いているはずだ。放課後は校舎に残っている生徒も少ないため、ここは私しかいないだろうと即答する。
セシル達に見送られ、エルビン先生と魔道具庫へ向かう。その間、先生はシャンデリアの魔道具について色々と教えてくれた。
講堂にあるものは壁に埋め込んだスイッチに魔力を通すことで風魔法と火魔法を同時に起こし、すべての蝋燭に火を灯しているそうだ。魔鉱石が2つあり、魔力量を調整することで明るさを調整できるようになっているのだという。
そこまでは理解できたものの、それ以上の詳しい説明は正直わからなかった。先生はまだまだ話し足りないようだったが、今はそれより先に知るべきことがある。
魔道具に到着したところで話を止めて尋ねる。
「エルビン先生、交換する部品というのはどれでしょうか?」
「ああ、そうでした。蝋燭に繋がる燭台のような部分です。それ自体も魔道具になっていますので、蝋燭の本数分運ばなければなりません」
本数分、と聞いて苦笑する。確かにそれは1人では運びきれないだろう。エルビン先生と共に魔道具庫の奥へ進み、等間隔に並んだ棚の上部から箱を下ろす。
この辺りには普段使わない魔道具が置かれているらしい。箱の中には細かい金属製の部品が入っていた。同じような箱が隣にもいくつか並んでいる。
「これは……台車が要りますね。申し訳ありません、少しお待ちください」
さっと礼をして、エルビン先生が魔道具庫を出て行く。この中から必要な部品を探し出すのも大変そうだと息をついて棚を見上げる。
ふと、先程箱を取り出した時に傾いたらしい近くの箱が目に留まった。側面には『衣類型』と書かれている。箱を手で押し戻すと、しっかり収まっていなかったマントのようなものがヒラリと落ちてきた。
説明がなくても、なんとなく姿を見え難くする魔道具だろうと分かってしまう。昔セシルと王宮を抜け出して街に行った際、似たような物を着た覚えがある。
学園にも置かれているのかと呟いて裏面を見る。縫い付けてある小さな魔鉱石は透明だ。ただの布のように見えるが、これもちゃんとした魔道具なんだろう。
――エルビン先生に聞けば教えてくれそうだが……。
きっと長くなってしまうだろう。聞くのは今度にしようとマントを箱に戻す。
そこで、足元から声がした。
「ご主人、呼んだ?」
「えっ?」
驚いた拍子にしっぽを踏んでしまいそうになり、慌てて足を退ける。黒猫の姿をした彼は私を見上げて目をぱちくりとした。
「テッド? 何故ここにいるんだ」
「あれ? ご主人が呼んだんじゃないの?」
テッドは不思議そうな顔をして首を傾げる。
「聖女様が魔道具庫で黒猫を探してるって聞いたから、俺のことだと思って。魔王様たちには寮の裏で待ってもらってるんだけど」
彼がそう言ったところで、突然バタンと音を立てて魔道具庫の扉が閉まった。廊下の窓から入っていた明かりが消え、一気に部屋の中が暗くなる。
眉を顰めつつ懐から杖を取り出す。かすかに気配を感じて周囲を見回す。テッドも何が起こっているのか分からないらしく、キョロキョロと首を動かしていた。
閉じ込められた、のだろうか。偶然閉まったような勢いでもなかったし、風が吹いていたわけでもない。誰かが意図的に扉を閉めたと考えたほうが良いだろう。
――でも、一体誰が?
疑問に思ったところで、ぞわと嫌な気配を感じた。かなり近いが姿は見えない。反射的にその場から離れようとして、気付く。
いつの間にか、左足首に黒い触手のような物が巻き付いていた。
「な、っ!?」
目を見張ると同時に強い力で引っ張られ、体勢を崩して転ぶ。すぐに立ち上がろうとしたが、その前に頭上からドンと鈍い音がした。
棚に置かれていた箱が傾き、呪文を唱える間もなく金属製の部品が降り注ぐ。
「ご主人!!」
駆け出した瞬間人の姿に戻っていたテッドが私を守るようにして覆い被さってくる。バラバラと部品が床に落ちる音が響き、彼が小さく呻き声を漏らす。テッド、と彼の名を呼んだ声は高い金属音にかき消された。
ようやく音が止んで静かになった頃には、私たちを囲むように部品が散らばっていた。床に手をついて体を起こした彼が大きく息をついて顔を顰める。
「ご、ご主人、大丈夫?」
「君の方こそ……!」
慌てて起き上がって息をのむ。部品には尖ったものも混ざっていたのだろう。正面から見える範囲だけでも彼の体にはたくさんの傷があり、血も滲んでいる。
わざわざテッドを呼び出して閉じ込めたということは、こうして彼に怪我をさせるのが目的だったのだろうか。主である私が危険な目に遭えば彼が庇うと見越していたのかもしれない。
まだ嫌な気配は残っているものの、魔道具庫内には誰の姿も見えない。足に巻き付いていた触手も役目を終えたように消えている。それなら今のうちに治療できるだろうかと左手の指輪を外す。
そしてヒールを唱えようとしたところで、背後から聞き覚えのない声がした。
「おいおい、まだ何も始まってねえのに治すんじゃねえよ」
はっとして振り返る。そこにいた『影』を見て、思わず言葉を失った。
外見は魔物のようだ。真っ黒で輪郭がなく靄のように揺らめいている。しかし、今まで見ていた獣のような形ではない。
どう見ても人間のような形をしたそれは、首を傾げる動きをした。
「あれ、聞こえてんのか。姿も見えてるな。いいねぇ、その調子で実体を保てよ」
誰かに話しかけるような口調でそう言うと、首を倒してこちらを見下ろす。表情は見えないはずなのに、目の前の影はニヤリと笑った気がした。
声は男のようだが人間なのか魔物なのか、それとも魔族なのか。目的も正体も分からない。ただ、ひとつだけ確かなことがある。
――これは、敵だ。
負傷しているテッドを背に庇うようにして、姿勢を低くしたまま杖を構える。影はじっとこちらを見詰めて小さく息をついた。
「ま、こんなもんだろ」
その言葉の意味が分からず眉根を寄せる。彼の視線が私の後ろに向けられていることに気付き、影を警戒しつつ目を向ける。
床にしゃがみ込んだテッドの周りを包むように、黒い靄が渦を巻いていた。
「テッド……!?」
俯いている彼に反応はない。先程から1度も発言をしなかったのは、傷の痛みに耐えていたからではなかったようだ。
体中の傷口からじわりと黒い靄が――瘴気が吸い込まれていく。
彼がこの場所に呼ばれたのも怪我をさせられたのも、最初からこれが目的だったのだろう。そう気付いたが、ヒールを唱えるのは間に合わなかった。
動物の毛並みのように黒い靄が逆立つ。前髪の影から黄色い瞳がこちらを向く。目が合った途端、テッドは唸り声を上げて飛び掛かって来た。
――『魔物化』させられたのか……!!
咄嗟に床を蹴り、横に跳んで避ける。並んだ棚の間では動きが制限されるため、出入口の扉に向かって走る。
テッドは人間の姿をしているのに、猫のように手足を使って追ってきた。
「ッテッド、しっかりしろ!!」
振り返って叫ぶが、まったく聞こえていないらしい。構わず迫ってきた彼を避けると、テッドは勢いを弱めることなく扉にぶつかった。
鍵が掛かっているのか扉はビクともしない。代わりに振動で近くの棚から魔道具が転がった。それには一切目を向けず、彼はこちらに狙いを定めている。
「逃げるだけでいいのかよ、聖女様?」
棚の上に座った影が楽しげに声を弾ませた。彼のことも気になるが、とにかく今は暴れているテッドを止めるほうが先だ。
少しずつ魔物化が進んでいるのか、テッドの全身は影に染まったようにじわじわと黒くなっている。しかし、まだ完全に魔物化しているわけではない。
走ってきた彼を避けながら、短く唱える。
「ヒール!」
一瞬だけ白い光がテッドを包み、次いでぱちんと弾けた。何の躊躇いもなく彼が腕を振り上げたことに気付き、杖を握る手に力を込める。
「――ッ氷の箱!」
少しだけ迷ったが、拘束の呪文を唱える。キンと辺りの空気が冷えて箱型の氷がテッドの体を覆う。氷に囚われたことで動きは止まったものの、黄色い瞳は相変わらず敵意に満ちていた。
グルルと獣のように唸っている彼を見て、ヒールがまったく効いていないことを理解する。ジャックと初めて出会った時のようにはいかないらしい。
上から見ていた影は呆れたように笑った。
「言っておくが、そこまで進んだ魔物化に聖魔法は効かねえぞ。その氷魔法でやっちまえよ。こいつが外に出て生徒を襲ったら大惨事だろ?」
「……私に、何をさせたいんだ?」
どう見ても魔物のようだが、人型の影は当たり前のように言葉を発している。氷魔法を解かれないように気を付けつつ、対話を試みる。
テッドを呼び出したのは魔物化させて私を襲わせるためだろう。でも、それ以外の目的は未だに不明なままだ。
彼は私に対して攻撃をするわけでもなく、実際に部屋の扉を開けてテッドに生徒を襲わせるわけでもない。私と争わせることに何か意味があるのだろうか。
尋ねると、影は何でもないことのように答えた。
「別に? 親しい友達を自分の手で殺したら、聖女様はどんな顔すんのかなって」
「は……?」
友達を殺させるのが目的とでもいうのだろうか。冗談だとしても意味がわからない。影はニヤニヤと笑ってこちらを眺めている。話すだけ無駄なことに気付き、息をついてテッドに向き直る。
氷に捕らえられた彼はなんとか抜け出そうともがいていた。その輪郭がじわりと揺らいだように見え、さっと血の気が引く。
魔族は完全に魔物化してしまうと救うことができない。それは魔王城でギルから聞いた話だ。このまま何もしなければ、影の言う通り私の手でテッドを倒さなければならなくなってしまうだろう。
――あの魔法を試すしかないのか。
魔族に対してどんな効果があるかは分からないが、この状況で他にできることもない。ヒールは効かないし、ホーリーライトでは魔物化しかけているテッドまで祓ってしまうかもしれない。それなら多少危険でも試す価値はあるだろう。
頭に浮かんだ呪文を唱えようとしたところで、影が思い出したように言った。
「友達を殺させるなんて本当は計画になかったんだぜ? あんたの母親がちゃんと崖から落ちればそれで済んだかもしれねえのに、邪魔が入ったからさぁ」
耳に届いた言葉に息が止まる。まさかあの時の魔物は、故意に馬車の下に潜んでいたのだろうか。あれは事故ではなく、初めから母様が襲われたのだろうか。
そこで、パキンと氷が割れる音がした。
大事な家族が狙われていたという事実を知って一瞬だけ反応が遅れる。はっとして顔を向けた時には、無理やり拘束を解いたらしいテッドが目の前まで来ていた。
咄嗟に呪文を唱えようとしたが、彼の方が早かった。ガシッと両肩を掴まれ、その勢いのまま後ろの棚にぶつかる。
次の瞬間。
骨の軋む音と共に、首筋に鋭い痛みが走った。