152話 休暇明けとフラグ
ランプリング領から王都に戻った翌日の朝。長期休暇が終わり、ギルと共に学園へ戻ってきた。授業が始まる前に腕に着けていた魔道具を返却するため、馬車を降りて直接学園長室へ向かう。
外出許可を得たことにも感謝を伝えて部屋を出ようとしたところで、何故か学園長は私たちを見て「良かったですね」と微笑んだ。
「……あの人はどこまで気付いているんだ?」
廊下を歩きながら、ギルが出てきたばかりの学園長室を振り向く。学園長には魔物の件までしっかりと報告したが、それ以外のことは伝えていない。
ギルを養子にする件は魔族側にも許可を得なければならないし、今すぐ決まることでもない。確定するまでは他言しないようにと母様にも言われている。
しかし、なんとなく学園長には色々と気付かれているような気がする。同じように扉に目を向けて首を振る。
「私にも分からない。まぁ、信頼できる方だから大丈夫だろう」
納得していなさそうなギルと並んで階段を下り、中庭へ向かう。これからジャックたちと合流し、長期休暇中の話を共有してからそれぞれ授業へ別れる予定だ。
生徒たちは休み明けでまだ寮にいるのか辺りには誰もいない。中庭にジャックの姿を見つけて渡り廊下に出たところで、柱の影から黒い塊が飛んできた。
「ご主人!!」
気配がなかったため驚いて足が止まる。ふわふわの黒猫を反射的に受け止める。彼は私にしがみついて声を上げた。
「ギルだけずるい! 俺もご主人の家にお泊りしたかった!!」
周りに他の気配がないとはいえ、大きな声で言うことでもない。それ以上叫ぶ前にと急いで口を塞ぐと、テッドは猫の姿のまま頬を膨らませた。
ロニーの妹を思い出し、ギルと顔を見合わせる。慌ててこちらに駆け寄って来たジャックは渋い顔をして頭を下げた。
「悪い、止められなかった」
「いや……人に聞かれていないなら大丈夫だ」
そのまま中庭に移動し、離れようとしないテッドを抱えてベンチに座る。考えてみれば、彼とは長期休暇中一度も会っていないし連絡も取っていない。ジャックも人間界に来ていたようだし、1人だけ魔界にいて寂しかったのだろうか。
「今回は魔道具を使って来なかったんだな」
「鍵を壊されてから頑丈な箱に入れ直したからな。鍵も暗証番号タイプにしたし」
テッドの代わりにジャックが答えた。それを聞いて苦笑してしまう。膝に丸まっている彼の頭を軽く撫でると、テッドは黄色い瞳で私を見上げた。
「……ご主人は俺がいなくても平気だったんでしょ」
ふいと顔を逸らされて目を丸くする。どうやら彼は、私がジャックに頼んでギルを呼び出したことも知っているらしい。
ギルは氷魔力を持っているからだと説明されても納得せず、なんで自分も一緒じゃ駄目なのかと不満だったようだ。長期休暇の後半はずっと不機嫌だったとジャックは肩をすくめた。
――もう少し彼の気持ちを考えておくべきだったな。
テッドは主の傍にいたいという理由で学園にいるようなものだ。それなのに、冤罪未遂事件の際に助けられた礼もしていない。
長期休暇中に乙女ゲームのイベントがないと知った時点で彼の希望を聞いておけばよかった。そうすれば、ギルのように許可を得てクールソン家に泊まらせることもできたかもしれない
「テッド、すまない。ギルは家の仕事を手伝ってくれた礼として屋敷に招待されたんだ。遅くなってしまったが、君にも今度何か別の形で礼をさせてもらいたい」
申し訳ないと思いながら黒猫を撫でる。黙って聞いていたテッドは、ちらりと横目で私を見て口を尖らせた。
「本当にそう思ってる?」
「ああ、もちろん」
「……それなら、今度じゃなくて今がいいな」
「今?」
膝の上でこちらに向き直ると、彼はふいに顔を上げた。次いで前足を胸に掛け、すくと立ち上がって首を伸ばす。
蜂蜜のような黄色い瞳が私を映した。何をしようとしているのか考える間もなく顔が近付き、傍で見ていたギルが「あっ」と声を上げて固まる。
唇が触れる瞬間、眼前に誰かの手が滑りこんできた。
しかも2人。1人は慌ててテッドを抱え上げたジャックだと分かったが、もう1人はと腕の先に目を向ける。鮮やかな赤い髪が見え、彼女の名前を口にする。
「……カロリーナ?」
カロリーナは小さく息をついて手を引いた。何と言えばいいのか迷っているらしく視線を動かし、はっとしたように言った。
「え、エミリアさんがみなさんを探してらっしゃったので、お連れしました」
カロリーナが退いたことで、ベンチに座った私からもエミリアの姿が見える。エミリアは彼女に礼を言って頭を下げると、まっすぐギルに駆け寄った。
ギルは顔を赤くしてエミリアと話をしている。離れたところではジャックがテッドを叱っている。それを呆然と眺めつつ、心の中で呟く。
――驚いた。……キスをされるかと思った。
猫の姿でも彼が乙女ゲームの攻略対象であることには変わりない。礼として不意打ちで顔を寄せてくるなんて、そんなやり方もあるのかとむしろ感心してしまう。
何故私にという疑問はあったが、冷静に考えれば心当たりはある。私はヒロインの代わりとしてテッドの主になっている。おそらく彼にとって『ご主人』というのはそれだけ特別な存在なのだろう。
「あの……アレン様、大丈夫ですか?」
カロリーナに声を掛けられて我に返る。ジャックとカロリーナが寸前で止めてくれたのだと気付き、改めてベンチから彼女を見上げる。
「すまない、大丈夫だ。止めてくれてありがとう」
テッドにとっては挨拶程度かもしれないが、貴族としてはかなり問題になってしまう行為だ。礼を言うと、彼女はほっと胸を撫で下ろした。
ジャックにつままれてしょんぼりしているテッドを見ながら、眉を下げて笑う。
「間に合ってよかったですわ。そんな風に軽々しくするようなことではありませんもの。アレン様のお気持ちもありますし……」
「カロリーナの言う通りだ。テッド、ほら。アレンに謝れ」
彼女の声に応えるように、ジャックがテッドを抱えて戻って来た。強制的にベンチに座らされた黒猫は分かりやすく落ち込んでいる。
テッドはベンチの座面に付くほど深く頭を下げて、エミリアに聞こえないよう小声で言った。
「ご主人、ごめんなさい……勝手にこういうことしちゃ駄目なんだって。今度は許してもらってからにするね」
ジャックに叱られた時にそう言われたらしい。彼には悪いが私から許可をすることはないだろう。苦笑しつつ、とりあえず「そうしてくれ」と返しておく。
おそるおそる膝に乗ってきた猫を撫でていると、ジャックがさっと頭を下げた。
「マジですまん。ちゃんと言い聞かせておいたからもうやらねえと思うけど」
「大丈夫だ、君たちが止めてくれたからな」
突然のことで反応できなかったため彼らが動いてくれて助かった。と、カロリーナとジャックに目を向けたところで、つられるように2人の視線が交わる。
その瞬間、ボッとカロリーナの顔が真っ赤に染まった。
長期休暇前には見たことのない表情だ。彼女はそそくさと後退ると、授業の準備があるのでと言い残して逃げるように行ってしまった。
もしかして休暇中に何かあったのだろうか。そう考え、ようやくその話をするために集まっているのだと思い出す。
こちらから尋ねる前に、ジャックがベンチに座ってポンと手を叩いた。
「そうだ、長期休暇中はギルの監視ありがとな。急に言われた時は驚いたけど、あいつにとってもいい経験になっただろ。ちゃんと役に立ってたか?」
「ああ、もちろん。ギルが来てくれて助かった。色々と話すこともできたし……まぁ詳しくは直接聞いてくれ」
ギルもジャックと話したいだろうし、養子の件も私より彼から聞いたほうが良いだろう。不思議そうな顔をしているジャックに顔を向け、口を開く。
「君はずっと魔道具作業場にいたのか? ウォルフからの連絡も早かったな」
「ずっとじゃねえけど、ちょうど傍にいたからな。その日のうちにギルに伝えておいたんだ。……魔道具といえば、これも休暇中にほぼ完成まで仕上がったぜ」
アレンが持っていてくれ、と手渡されたのは見覚えのある録音魔道具だった。以前の試作品はホワイト伯爵を衛兵に引き渡した際に証拠として回収されてしまったため、手元にはない。
どこも変わっていないように見えるが、周囲の魔力を感知して自動的に作動する機能が正式に追加され、録音できる範囲も多少広がっているらしい。
「魔道具を何度も無料で受け取るのは申し訳ないんだが」
「いいんだよ。最終テストみたいなもんだし、実際に必要な場面で使えないと意味ないだろ。使う機会がないならその方がいいけどな」
その言葉でイザベラの件が頭に浮かぶ。できればもう使わずに済むといいなと思ったところで、彼に聞いておきたかったことを思い出した。
周囲の気配を探り、念のため声を落とす。
「ジャック、今のうちに確認しておきたいことがある。……ホリラバ2には、前作のような『ラスボス』はいるのか?」
「ラスボス?」
彼は眉根を寄せて首を傾げた。しばらく考える素振りをしてハッと顔を上げる。
「いた……かもしれねえ。言われてみれば、最後に門の傍で誰かと戦うイベントがあったような」
その答えに思わず眉を顰める。もしラスボスがいるとするなら、誰のルートでも関係なくバッドエンドになる可能性があるのではないだろうか。
ジャックは申し訳なさそうな顔をして頭を抱えた。
「悪い。思い出したばっかりの時はちゃんと覚えてたはずなんだけど」
「いや、仕方ない。この世界ではそういうものなんだろう」
私なんて最初からうろ覚えだったし、無事にエンディングを迎えてからは更に記憶が曖昧だ。特にゲームに関しては……と、そこまで考えて思い付く。
――そういえば、ルーシーと前世の話をした時は記憶がはっきりしていたな。
もしや転生者同士で話すと前世のことを思い出しやすいのだろうか。それならルーシーも含めた3人で話す場を作ってもいいかもしれない。
すぐに芸術祭があるから、集まるとすればその後だろうかと頭を捻る。
去年の芸術祭のことを考えるついでにエミリアに目を向ける。ルーシーは芸術祭前にホーリーライトを覚えていたが、同じヒロインである彼女はどうなんだろう。
ジャックによれば、芸術祭の辺りでヒロインの成長イベントが入るのは前作と同じらしい。それならエミリアも……と考えていたところで、ちょうど視線に気付いた彼女がこちらを向いた。ここで黙るのは不自然かと思い、尋ねる。
「エミリア。突然だが、今覚えている聖魔法はいくつある?」
「聖魔法ですか……? 今は、2つです。まだ実際に使ったことはありませんが」
そこで1つと返ってこなかったことに驚いてしまう。後期に入ったばかりだというのに、彼女はすでにホーリーライトを知っているらしい。
アデルさんの勧めで神殿に置かれていた前神官様の伝記や聖魔法の本を読んだらしく、いつの間にか呪文と使い方を覚えていたようだ。
長期休暇中に成長イベントが起こっていたということだろうか。それとも、ここから更に彼女は強くなるのだろうか。
エミリアは順調にギルルートへ進んでいるようだが、未だに誰かと正面から対峙したことはないはずだ。ストーリーがゲーム通りに進んでいるとすれば、ラスボスはこれから動き出すのかもしれない。
眼鏡を押さえ、小さく息をつく。
「……最終イベントまで油断できないな」
「まぁ、最初の出会いから違うからどこまで忠実に進むか分かんねぇけどな。敵がいるならもうとっくに動いてるだろうし、最後まで何もなければいいんだけど」
テッドが膝の上で寝息を立てている。柔らかな風に花壇の花が揺れている。
魔王が口にした楽観的な言葉は、なんだかフラグのように聞こえた気がした。
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大きく伸びをして魔王城の廊下を歩く。定期的に城の中を見回るのは、気配で気付かれ難い俺の役目だ。
――今日は失敗したなぁ。添い寝と違って簡単には許されないか。
魔王様にも怒られたし、ご主人も困ってたみたいだった。本気で嫌がられるならもうできないやとため息をつく。
でも、ご主人の目を近くで見ることができて良かった。ご主人は俺の目を綺麗だと言ってくれたけど、やっぱり彼の瞳が一番綺麗だ。
俺たちみたいな原色とは違う淡い色。柔らかくて優しくて、そのまま彼の性格を現しているみたいな色。
昔は焼かれたり捨てられたり嫌なこともあったけど、今はその分幸せだ。特にアレン様に出会ってからは、色々とやりたいことが増えた気がする。
もっと役に立ちたいとも思っているけど、彼は命令すらしてくれない。呼んでくれれば飛んでいくのにと思いながら廊下を進む。
ふと、突き当たりの部屋から明かりが漏れていることに気付いた。同時に今まで聞いたことのない声が耳に届く。
「なかなかうまくいかねえなぁ。『心に隙を作る』のがこんなに難しいとは。隙間さえできりゃ刺せるんだが。もう気付かれてもいいから直接会いに行こうぜ」
魔王城には俺を含めて4人しかいないはずなのに、侵入者だろうか。隠そうともしていない明らかな悪意を感じて眉を顰める。
――結界が張ってあるから、許可なしじゃ入れないはずなんだけど。
息を殺してそっと部屋に近付く。第二資料室の看板が目に入ったところで、また同じ声が聞こえた。
「薬を混ぜた紅茶は警戒されて飲まれねぇし、門から離れすぎて魔物の操作も上手くいかねぇし。やっぱ遠回しなやり方は駄目だな。まぁ女をけしかけた時は上手く行きそうだったが、残念ながらどっちも邪魔してきたのは魔族だ。やっぱり民を救えるのはお前しかいねえよ、オリバー」
その名前に目を丸くする。オリバーは前からこの城にいる魔王様の秘書だ。真面目で大人しくて魔王様を崇拝している。彼が誰かを城に連れ込んだんだろうか。
こんな時間に? と窓の外に目を向ける。瘴気のせいで分かり難いけど、夜だから余計に真っ暗だ。外が暗すぎて、窓には自分の姿が鏡みたいに映っている。
そこでハッとした。
少しだけ開いた部屋の扉から、誰かが窓越しにこちらを見ていた。
「おい、聞かれてんぞ」
知らない声が聞こえた瞬間、視界が黒い煙に覆われて見えなくなった。音が聞こえなくて頭が痛くなって、その場から動けなくなってしまう。
まずい、これは魔法だ。逃げないと。すぐに魔王様に報告しないと、……報告?
――あれ? 俺は今何を……。
「おや、テッド様。こんばんは。見回りですか?」
聞き慣れた声がして我に返る。顔を上げると、ちょうどオリバーが資料室から出てきたところだった。さっきまでもう少し離れたところを歩いてた気がするのに、何故か目の前には第二資料室の看板がある。
いつの間にここまで来てたんだっけと首を傾げる。眠くてぼーっとしていたのかもしれない。飽きもせず人間界に繋がる門を研究していたらしい彼に手を振って、そのままさっさと踵を返す。見回りはもう十分だろう。
そう思って部屋に戻ろうとしたところで、オリバーが口を開いた。
「ああ、そういえば。学園では人間と関わることが多いでしょう。以前お会いした聖女様とも親しくされてらっしゃるんですか?」
「え? ……うん、そうだね」
普段はそんな話を振ってきたりしないのに、どうしたんだろう。不思議に思いつつ振り向いて答える。オリバーは満足そうに頷いた。
「そうですか。ちなみに、魔族の中で最も聖女様と仲が良いのはどなたですか?」
「……何でそんなこと聞くの?」
「いえ、失礼しました。少し気になっただけなんです。初めてお会いした時、聖女様と魔王様がとても親密に見えたものですから」
ふぅん、と返して少しだけ迷う。オリバーの立場なら、人間であるご主人と誰が親しいのかは気になるのかもしれない。
確かにご主人は魔王様とも仲が良いし、ギルを家に泊まらせたりもする。でも、きっと一緒のベッドで寝たことがあるのは俺だけだ。
「たぶん、俺かな」
その答えを聞いたオリバーは緑色の目をぱちくりとして、「それはよかったですね」と微笑んだ。
それ以上何も言わずに頭を下げたのを見て話が終わったのだと理解する。再度手を振って、彼に背を向ける。
こうやって夜に見回りをしても眠くなるだけで誰にも会わない。今日も何もなかったなとあくびをする。このまま魔王様に報告してさっさと寝よう。
また明日も、学園でご主人が頑張ってるのを眺めるんだから。
「……なるほどね。それも面白そうだ」
背後から誰かの呟きが聞こえた気がして振り返る。
薄暗い廊下では、オリバーがにこやかに手を振っているだけだった。