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151話 氷の血筋④

 なんで飛び出したんだ。そこまでする必要があったのか自分でも分からない。気付いたらクールソン夫人を突き飛ばしていて、腕に魔物が巻き付いていた。

 伸ばした手が(くう)を掴む。足元が不安定になって視界が回る。内蔵が浮いているようで気持ち悪い。耳元で風が(うな)り、誰かの声をかき消した。


――身代わりになるつもりなんてなかったのに。


 あの人が落ちなくてよかった。でも、代わりに自分が落ちては意味がない。


 羽さえあれば、と今更自分が純粋な魔族ではないことを悔やむ。魔王様やテッドなら崖から落ちるくらいなんでもないだろう。

 俺の氷魔法じゃ飛ぶことはできない。足場を作ったとしても、この勢いでは叩きつけられるだけだ。気絶なんかしたらそれこそ真っ逆さまだ。


 いつの間にか魔物の姿は消えていた。俺より先に落ちたのだろうか。このまま地面に落ちたらどうなるのだろうと嫌な想像が頭をよぎる。


『また一緒にお出かけしてくれますか?』


 長期休暇前、エミリアに言われたことを思い出す。彼女に頼みごとをされたのはそれが初めてだった。妙に放っておけない、人間界で出会った大事な相手。

 約束したのに。楽しみだと笑ってくれたのに。守れなかったら、また泣かせてしまうかもしれない。


――死にたくない。


 そう思った瞬間、何故か昔の記憶が頭に浮かんだ。


 俺が12の頃。住んでいた村が魔物の集団に襲われた。ちょうど大人たちが隣村の会合(かいごう)に出ていて、村には子供と年寄りしかいなかった。

 俺と違って羽を持っている兄さんは、逃げればいいのに普段魔物退治をしている仲間たちを説得して立ち向かった。


 いくら待っても戻ってこなくて不安で家を飛び出した。どこかの家から火が出て燃え広がっていて、辺りはかなり熱かった。


 村の中心に向かう途中で兄さんの仲間とすれ違った。人間の血が流れている俺たちは瘴気(しょうき)を大量に取り込んでも魔物化しない。兄さんは傷付いた魔族の仲間が逃げる時間を稼ぐため、魔物を1人で押さえていたらしい。

 結局魔物たちは騒ぎに気付いた先代魔王様と魔王様が倒してくれたが、その時にはもう、兄さんは大怪我を負っていて助からない状態だった。


『無事か、ギル。よかった』


 自分が無事じゃないくせに、そう言って笑っていたのを覚えている。


 俺が駆け付けた時、兄さんの周りには誰もいなかった。今まで兄さんは何度もみんなのことを助けていたのに、誰も兄さんを助けようとはしなかった。……でも。


――分かってたんだ。兄さんが逃げなかったのは、飛べない俺を守るためだって。


 魔物は足が速い。普通に走るだけでは追い付かれてしまう。3つしか違わない兄さんが俺を抱えて飛ぶのも難しく、馬も瘴気にやられて魔物化していた。

 兄さんだってあの時、今の俺と同じように死にたくないと思っていたはずだ。それでも逃げなかった。逃げられなかった。兄さんは、優しかったから。


 優しい奴ほど損をする。

 兄さんに損をさせたのは。兄さんを死なせたのは『誰』か。


 頭から落下していたせいか、今更その事実を理解してしまったせいか。一気に血の気が引いていくのを感じる。

 目の前が暗くなりかけたところで、ぐんと腕が引っ張られた。



「ギル! しっかりしろ!!」



 すぐ近くで声がして、閉じかけていた目を開ける。鮮やかな青い髪が視界に入る。腕に着けた魔道具からは白い鎖が伸びていた。

 それを手繰(たぐ)り寄せるようにして距離を詰めたアレン様を見て、思わず「は!?」と声を上げてしまう。

 

 体は相変わらず空中にある。つまり、彼も一緒に落下しているということだ。


「なっ、なんであんたまで」

「口を閉じろ、舌を噛むぞ!」


 片手で抱き寄せられ、口をつぐむ。もしや俺を助けようとして魔道具を使ったのだろうか。その鎖に引っ張られて、一緒に落ちてしまったのだろうか。

 それならどうしてこんなに冷静なんだと思っていると、彼は杖を構えて唱えた。


氷の剣(ソード)!!」


 パキ、と高い音を立てて杖が氷で覆われる。彼の手に握られた氷の剣を見て、ふいに思い出す。そうだ。確か兄さんも……


――同じように魔法で氷の武器を作っていた。


 剣先(けんさき)で何度か崖を引っ掻くと、アレン様は氷の剣を振り(かぶ)った。そして、(しま)になっている崖に思い切り突き立てた。

 がくんと大きな反動を受け、彼が小さく声を漏らす。衝撃で滑り落ちそうになったが彼の腕で留められた。剣は壁に深い溝を作りながら少しだけ進み、体が宙に浮いた状態でぴたりと停止する。


 急に暑さを感じてどっと汗が噴き出す。今になって心臓が騒がしい。

 彼は深く息をつくと、絞り出すように言った。


「……ッギル、足場を作れるか」

「あ、ああ! わかった」


 彼の手が震えていることに気付き、慌てて足元に氷の床を作る。落ちないように柵を作っている途中で限界が来たらしい。パッと剣が消え、2人同時に着地する。

 浮遊感のせいか脚に力が入らず、そのまま氷の上に座り込む。同じように座り込んでいるアレン様に目を向けると、彼は剣を握っていた右腕を押さえていた。


 自分だけでなく俺を抱えた状態で、落下の勢いを腕1本で止めるなんて。いくら鍛えていても負担にならないわけがない。反動で腕が折れていてもおかしくない。

 大丈夫かと口を開きかけたところで、先に彼が顔を上げた。ずれていた眼鏡を左手で押さえ、不安げな顔をする。



「無事か? ギル」



 その声が記憶の中の兄さんと重なって言葉に詰まる。なんとか頷いて返すと、彼は安心したように小さく笑った。


――どう考えてもあんたの方が無事じゃないだろう。


 そう思うと同時に気付く。彼が俺に引っ張られて不意に落ちてしまったとしたら、ここまでの判断が早すぎるのではないだろうか。

 鎖に腕を引っ張られてから彼が崖に剣を突き立てるまで数秒も経っていない。落ちる前から考えていなければ、そんな動きはできないはずだ。


 まさかと思ったところで、キンと辺りの空気が冷えた。崖の上から俺たちがいる場所に向かって手すりのついた氷の階段が現れる。

 護衛兵を押しのけて、青い顔をした女性が真っ先に駆け下りてくる。


「アレン!! ギル君!!」


 クールソン夫人は今にも泣き出しそうな顔をして、がばとアレン様を抱き締めた。そして何故か、俺のことも。

 無事でよかった。でもこんな無茶をするなんてと抱き締められたまま叱られる。どうやら話を聞く限り、アレン様は俺を助けるために自ら崖に飛び込んだらしい。


 嫌われたくないなんて理由だけで、命までかけられるわけがない。損得を考える前に誰かのために動いてしまう。彼は元からそういう性格なんだろう。


――そんな相手に『打算(ださん)的な優しさか』なんて……失礼なことを聞いてしまった。


 助かった安堵あんどと自分への後悔と、色んな気持ちが混ざり合って拳を握る。

 後から来た護衛兵が(なだ)めるまで、夫人の声は暗くなった崖に響いていた。




===




 クールソン家の居間からバルコニーに足を向ける。暑い場所にいたせいか、日が沈んだ王都は少し肌寒い。


 ギルと共に無事に崖の側面から救出され、馬車に乗り込んでランプリング領を出た後。最初はそこまでではなかった腕の痛みが急激に増してきたため、そのまま神殿へ向かうことになった。

 さすがに落下の衝撃に耐える程の丈夫さはなかったらしく、それなりの大怪我を負っていたようだ。神殿ではリリー先生からもルーシーからも、一体どんな無茶をしたのかと呆れるような目を向けられていた。


――柔らかい地層であれば衝撃が弱いかと思ったが、考えが甘かったな……。


 落下を開始してすぐに剣を突き立てることができたのは良かったが、2人分の体重が一気にかかったのがまずかったようだ。ギルは羽がないため、体重もそこまで人間と変わらなかったらしい。


 聖魔力がある世界でよかったと息をついたところで、後ろから声をかけられた。


「アレン様、怪我は大丈夫か?」


 不安げな顔をして歩いてきたギルを振り返る。屋敷に戻ったのが遅かったこともあり、彼はそのままクールソン家に泊まることになっていた。


「ああ、大丈夫だ。神殿でしっかりと治してもらったからな」

「あんたの魔法を見た時も思ったが……本当にすごいな。聖魔法は」


 ちょうど同じことを考えていたため、そうだなと同意を返す。彼は私の隣に立ってバルコニーの欄干(らんかん)に手を置いた。

 何かを考える素振りをして、こちらに向き直る。


「助けてくれてありがとう。でも、どうしてあんたまで飛び降りたんだ?」

「君から離れすぎていたせいか、魔道具の鎖が出なかったんだ。近付くためには飛び降りるしかなかった」


 他の方法を考えている間に距離が離れてしまう。そうなったらもう助けられない。あの場では躊躇(ためら)っている暇がなかったと答えると、ギルはぐっと拳を握った。


 そして、間を置いて言った。


「俺の兄さんは仲間を(かば)って亡くなったと話しただろう。誰も助けてくれなかったと。……でも、その時に兄さんを助けなかったのは俺も同じだ。たくさん助けてもらったのに、最後まで守られていたのに……何も返していない」


 青い瞳が揺れているのに気付き、口をつぐむ。彼は目を伏せて呟いた。


「……アレン様も、俺のせいで損をしていたかもしれない」


 それを聞いて、ギルが何を考えているのか理解した。昨日話の途中で彼が言っていた『優しい奴ほど損をする』という言葉を思い出し、眉根を寄せる。


「ギル。……君は、兄上が君のせいで損をしたと思っているのか?」


 ギクリと固まった彼を見て、息をつく。そう思ってしまう気持ちが分からないわけではない。しかし、それは彼が決めることではないはずだ。


「そんなわけがないだろう。君がこうして生きているのだから」


 兄弟がいたことはないが、彼の兄上の気持ちは分かる気がする。私も前世で人のために命をかけたことがあるから。

 自分が死んだ後、周りにどう思われていたかは分からない。でも助けた相手にだけは、自分のせいで損をさせたなんて思ってほしくはない。


 だってそれは『(そん)』なんかではなく……



「君の兄上はその優しさで、何よりも大事な弟の未来を『()た』んだ。勝手に損をしたなんて決めつけるな」



 気持ちが入っていたせいで強く言いすぎてしまったようだ。ギルは驚いたように目を見開いて俯いてしまった。ついしかるような口調になってしまったことを申し訳なく思いつつ、軽く咳をして口を開く。


「それに、私も何も考えずに飛び降りたわけではない。最初から剣を突き立てて落下速度を(ゆる)めるつもりだったし、柔らかい氷の魔法も頭に浮かんでいた」


 氷の剣を作り出した時のように小さな結晶をイメージすれば、氷でクッションを作ることもできるかもしれない。実際には、まだ1度も試したことはないが。

 私を心配していたらしい彼を安心させるためにいくつか創作呪文の候補を挙げ、最後に付け加える。


「自分さえ動けば相手を助けられる可能性が残っているのに、初めから何もしないことを選択するほうが私にとっては損だ」


 そこまで言ってから、はたと気付く。そう考えると私の行動もある意味では打算(ださん)的な優しさということになってしまうのだろうか。

 首を(ひね)っていると、ふっとギルが笑った。


「……あんたの優しさは打算なんかじゃない。失礼なことを言ってすまなかった」


 顔を上げた彼の目は何故か少し赤くなっているように見えた。ギルはこちらを見て、確かめるように言った。


「アレン様は、兄さんに似ている。誰かのために優しさで動くところも、魔法で氷の武器を作り出すのも、その髪色も」

「……髪色?」


 思わず尋ねると、彼は「ああ」と迷いなく頷いた。


「兄さんはアレン様やクールソン夫人と同じ、鮮やかな青い髪をしていたんだ」


 その返答に息をのむ。ギルの兄上は彼と同じ黒髪だと思い込んでいた。代わりに目の色は青ではなかったという話を聞きながら、先日見た絵画が頭に浮かぶ。


――この髪色は、クールソン家の……。


「ギル、もしかして君は」

「私たちの血筋かもしれないわね」


 私の言葉を引き継ぐように声が聞こえる。こちらへ歩いて来た母様は私に向かって微笑むと、すっとギルに顔を向けた。

 今から何を言うつもりなのか分かってしまい、数歩下がって場所を空ける。


「まだダニエル……夫には簡単にしか話をしていないのだけれど。ギル君、あなたさえよければ、私たちの家族になる気はない?」

「えっ?」

「ごめんなさいね。昨日、2人が部屋で話していたのを聞いてしまったの。窓が開いていたでしょう? 私は隣の部屋で休んでいたから」


 ギルは目を丸くする。いつ彼に伝えようかと昨日から考えていたらしい母様は、眉を下げて笑った。


「実はね。アレンと一緒にクールソン家を支えてくれるような、氷魔力を持っている男の子をずっと探していたの。あなたは他人とは思えないし、本当に素敵な子だと思っているわ。強制するわけじゃないけれど、考えてもらえないかしら」

「でも、俺は……」


 彼はそう言いかけて言葉に詰まる。突然の提案になんと答えればいいのか迷っているようだ。母様は大きく頷いた。


「種族のことなら気にしなくていいわ。もちろん話し合いは必要だけれど、大事なのはあなたの……あなた達の気持ちだもの」


 問いかけるような視線を向けられ、私の気持ちを聞かれているのだと気付く。


――ギルを、家族に……。


 正直、答えは決まっているようなものだろう。私の役目を押し付けてしまうようで申し訳ないが、彼がクールソン家を継いでくれたら助かるのは確かだ。

 氷魔力を持っている年頃の男性は少ないし、血筋を考えると更に難しい。その点ギルはクールソン家の血を引いている可能性がある。


 そしてなにより、彼は魔物から母様を助けてくれた信頼できる相手だ。


 我が家の養子に入ったとしても魔族であることは変わらない。移動用の魔道具があれば自由に魔界へ行くこともできるだろうし、母様ならジャック達との繋がりを無理に切らせるようなこともしないはずだ。


 戸惑っている彼に顔を向け、じっと目を合わせる。


「私の気持ちというなら母様と同じだ。できることなら他の誰かではなく、ギル。君に家族になってほしい」

「あ、あんたまで……」


 ギルは頬を赤くして私と母様を交互に見る。いきなりこんなことを言われても困ってしまうだろう。今すぐ答えを出さなくてもいいと伝えたが、彼は「この場で考えさせてくれ」と首を振った。


 そしてしばらく悩むと、振り絞るように声を(こぼ)した。


「……もし本当に、各所に許可が得られるようであれば」


 その時は構わない、と小さな声が耳に届く。ぱぁと顔を輝かせた母様は私と彼を一緒に抱き締めた。ギルが恥ずかしそうに顔を伏せたのを見て小さく笑う。

 魔族の彼が義理の弟になるかもしれないなんて。数日前まで予想もしていなかった展開だが、本当に実現したらどんなに素敵なことだろう。


 歓迎を示すため、私も彼の背中に手を回す。

 ギルの髪色のような空には、祝福するように星が(またた)いていた。

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