150話 氷の血筋③
「なぁ、アレン様。なんであんたは髪を伸ばしているんだ?」
鏡の前でジェニーに髪を結ってもらっている私を見ながら、ソファーに座ったギルが首を傾げた。
昨夜はランプリング家の屋敷に泊まった。母様は別の部屋にいるが、私はギルと同じ部屋にしてもらった。一晩共に過ごしたからか、色々と話をしたからか。なんとなく昨日よりも気を許されているように感じる。
顔を動かさないよう気を付けつつ、鏡越しに彼に目を向ける。
「大した理由はない。ギルの周りにも髪を伸ばしている男性はいなかったのか?」
「一緒に住んでいるオリバーくらいだな。まお……ジャック様も昔は伸ばしていたが、肩を越えた辺りで邪魔だと言って切ってしまった」
オリバー、と復唱して思い出す。魔界に行った時、紅茶を淹れてくれた執事服の男性。言われてみれば確かに長い髪を横でまとめていた気がする。
彼もかなり容姿が整っていたはずだ。ジャックからは何も聞いていないが、実はオリバーも攻略対象の1人だと言われたら納得してしまうだろう。
そこで、廊下からバタバタと足音がした。何やら部屋の前に立っているはずの護衛兵たちが慌てている声が聞こえる。
ちょうどジェニーが離れたため、椅子から立ち上がって部屋の扉に顔を向ける。
「どうした?」
「朝からすみません、アレン様。小さなお客様が……」
護衛兵のハービーがそう言ったところでわずかに扉が開いた。大人であれば通れないはずの隙間から、ひょっこりと幼い女の子が顔を覗かせる。
ジェニーが前に出て対応しようとしたが、部屋に飛び込んで来た彼女はまっすぐ私に駆け寄って来た。そして、見覚えのある緑の瞳を輝かせた。
「あのっ、あなたがアレン様ですか!?」
「ああ。君は……ロニーの妹か?」
朝からランプリング家の屋敷を走り回っているのだから無関係ではないだろう。尋ねると、彼女は元気よく頷いた。外見からして5歳くらいだろうか。
微笑ましいなと思っていると、彼女は両手を伸ばして声を上げた。
「お兄様だけずるいです! アレン様、私とも寝てください!!」
「え?」
ピシ、と一気に部屋の空気が固まる。幼い子供とはいえ、貴族の令嬢が他家の男に対してそれを言うのは語弊がありすぎる。何も知らないギルにじっと見られていることに気付き、否定の意を込めて首を振る。
はっと我に返ったジェニーが、屈んで彼女に声を掛けた。
「お、お嬢様。女性が簡単にそんな言葉を口にしてはいけません。ロニー様とお休みになったのも事情があってのことです。アレン様は誰とでも共寝をなさるようなお方ではないのですよ」
その言い方も語弊があるような……と思ったところで再び廊下から足音がした。開け放たれた扉に目を向けると、女の子と同じくらいの男の子を抱えたロニーが青い顔をして走ってくるところだった。
「もっ、申し訳ありません! 妹がご迷惑を」
「お兄様! だって私もアレン様と」
「お前は女の子なんだからそんなこと言っちゃ駄目だろ!」
勢いよく会釈をして部屋に入ってきたロニーは、ぱっと妹の口を塞ぐと弟を床に下ろした。慌てて私とギルに向かって深く頭を下げる。
「大変失礼いたしました! お客様がいる時は、部屋に入っちゃ駄目だって知ってるはずなんですが……!」
どうやら昨日屋敷に到着した際、アレクシア母様が廊下で偶然出会った彼らに「いつでも部屋に遊びに来てね」と声を掛けていたらしい。
ロニーは社交辞令だと思ったようだが、幼い彼女は素直に受け取ったようだ。
妹のために頭を下げる彼は『兄』らしいなと思う。学園ではライアンと一緒にいることが多かったが、こうして弟妹といると印象が違って見えた。
頭を下げ続ける彼に苦笑して、構わないと手を振る。
「気にするな。ちょうど身支度が済んだところだったから問題ない」
「すみません……。僕がお母様にぬいぐるみを貰った経緯を話しているのを聞いていたみたいで。自分も聖女様と一緒に寝たいと騒いでいたので、昨日はアレン様に会わせないようにしていたんです。まさか朝から飛び出していくとは……」
ロニーの気遣いに感謝しつつ、ふいに視線を感じて足元を見る。ロニーと手を繋いでいる弟も何故かきらきらした目でこちらを見上げていた。兄弟がいたことはないから分からないが、彼も兄を羨ましいと思っているのかもしれない。
――君たちの兄も、11歳で門の封印に関わったすごい人物なんだが……。
劇にはロニーやライアンは出てこないのだろうか。妹を抱え、弟の手を引いて部屋を出て行くロニーを見送る。
先程のようなことをランプリング伯爵夫妻もいる食堂で言われてしまうと大問題になるため、朝食は伯爵と来客である私たちだけで取ることになった。
そして無事に朝食を終えた後はさっそく畑へ向かい、昨日と同じように魔鉱石に氷魔力を注いだ。ギルもお医者様に渡された帽子を被って一緒に歩き回っていた。
たくさん休んだおかげで今日は魔力量も問題ないらしい。昨日は緊張からくる疲れもあったのだろう。
途中で休憩や昼食を挟みながら無事にすべての魔鉱石に魔力を注ぎ終えた頃には、すでに日が傾きかけていた。
「暗くなる前にはクールソン家に戻りましょうか」
母様の一言で護衛兵とメイドたちが荷物を馬車に積んでいく。ランプリング伯爵から受け取ったお礼の品には砂糖も含まれているらしく、母様は嬉しそうだった。
伯爵夫妻と話している母様を待っていると、ロニーに声をかけられた。
「アレン様。僕、屋敷にいる護衛兵に訓練をつけてもらうようになったんです」
彼はセシルの護衛兵であるスティーブンと同じ、王宮護衛兵を目指しているらしい。魔法を使わなくても大事な家族を守れるようにと体を鍛えているようだ。
ロニーは早くも雷魔法を使いこなしているから、王宮魔術師との兼任を目指すこともできるだろう。「アレン様も頑張ってください!」という素直な言葉に背中を押されるようにして馬車に乗り込む。
――まだ学園入学前だと言うのに、ロニーも将来を見定めて努力しているんだな。
これは負けていられないなと息をつく。長期休暇の後は芸術祭があり、ダンスパーティーまで終わればすぐに卒業式だ。リリー先生にも励ましてもらった。志が弱くても、宰相を目指すからには立ち止まっている暇なんてない。
学園に戻ったらまた本を借りようと思いつつ、ランプリング家を後にする。
村人たちに見送られながら馬車は坂道を下っていく。窓の外に広がる畑がうっすらと青い膜に覆われているのが見える。最初はかなり広いと思っていたが、話しながら単純作業を繰り返していたらあっという間だった。
伐採された森林の跡も植樹が進んでいるらしい。しばらくすれば収穫量も回復するだろう。向かいの席に座った母様は、安心したように胸に手を当てた。
「予定通りに済んでよかった。2人とも、長期休暇の最後にお手伝いありがとう。ギル君の体調はどうかしら?」
「大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」
「いいのよ、本当に暑かったもの。あなた達がいてくれて助かったわ」
母様は私とギルにそれぞれ顔を向けてにっこりと微笑んだ。公務の手伝いをしたと言えるほどの仕事量ではなかったが、少しでも役に立てたならよかった。
隣に座った彼も同じことを考えていたらしい。
ちらりと視線を合わせ、小さく笑った。
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しばらくすると畑もすっかり見えなくなり、道は山の影に入った。空は明るいが辺りは薄暗い。ギルと母様は疲れているらしく、うつらうつらと船を漕いでいた。
自分の左手に視線を落とす。門の封印が弱まっている感覚はない。門の様子は学園長が定期的に確認しているし、様子がおかしいという連絡もない。
――それなのに、何故魔物が現れているんだろう。
考えられるのは乙女ゲームの続編が始まったからだ。単にイベントとして魔物が現れたなら、それだけの理由だと思っていただろう。
しかし、今のところ学園内で魔物が現れたという報告はない。エミリアをホワイト伯爵が連れ去った時も、林の中は薄暗かったが魔物は出なかった。
元々結界が薄い国境近くでも、門を封印してから続編が始まるまで魔物は目撃されていない。つまりこれは結界や周辺国からの影響ではない。
続編が始まってから、フレイマ王国内の闇魔力が強まっているということだ。
門ではないなら一体どこから闇魔力が流れてきているのだろうと頭を捻る。以前事故があった魔鉱石採掘場に何かしらの違法魔道具が隠されていた可能性も考えたが、魔物が現れているのはウィルフォード領だけではない。
『魔界と繋がった時に多少の瘴気は漏れてきてるかもしれねぇな』
ふと、ジャックの言葉を思い出す。彼の言ったことが正しいなら、門を通さなくても魔族が世界間を行き来する度に瘴気がこちらへ流れていることになる。
彼は城の中でしか移動しないと言っていたが、瘴気に満ちている魔王城の外で転移を使ったらどうなるんだろう。
もしかして、と窓の外に目を向ける。
――魔王以外の誰かが……頻繁に魔界と人間界を行き来しているのか?
そう心の中で呟いた時だった。一瞬、ぞくりと嫌な気配を感じた。
同時にガタンッと音を立てて、大きく馬車が揺れる。
その衝撃で目を覚ましたギルと母様が驚いた顔をして辺りを見回す。素早く懐の杖を確認して馬車の扉に手をかけたところで、御者の声が聞こえた。
「申し訳ございません! 車輪が溝に嵌まってしまったようです!」
馬車が完全に停止し、次いで護衛兵たちが馬車の周りに集まってくる。外から扉が開けられ、ひとまず馬車から降りる。
薄暗い地面を見ると、確かに片方の車輪が深い溝に嵌まっていた。
緩やかな坂道だが片側は垂直の崖になっている。馬車を護衛兵たちで持ち上げて移動させる間、私たちは後方で待機することになった。
何度も頭を下げて謝った御者は、不思議そうな顔をして言った。
「先程まで溝なんてなかったように見えたのですが、薄暗くて見落としてしまったようです。本当に申し訳ございません。お怪我はありませんでしたか」
「ええ、大丈夫よ。ちょっとだけびっくりしてしまったけれど」
なんでもなくて良かったわ、と母様が眉を下げて笑う。私の隣でそれを聞いていたギルが、静かに眉を顰めた。
「前の馬車は問題なく通れたのに、後方を走る馬車が溝に嵌まるのか?」
「同じ轍を踏んでいないならありえないことではないが……」
この道は昨日も通っているから、溝があるならその時に気付いているはずだ。しかも馬車を持ち上げなければ抜け出せないほど深い溝なんて、乾いた地面にはそう簡単に付くものでもないだろう。
――誰かがわざと溝を作った……というのはさすがに考えすぎか?
崖の側面や空、通り過ぎた道の先を注視してみるが魔物の姿は見えない。先程感じた嫌な気配は気のせいだったのだろうかと首を傾げる。
数分もしないうちに馬車の移動が終わったようだ。車輪が歪んでいないか、馬が怪我をしていないかを確認している間に護衛兵たちと轍を確かめる。
前を走っていた馬車と完全に一致しているわけではないが、大きく外れているわけでもない。護衛兵たちも怪訝な顔をしながら周りの土で溝を埋めていた。
「馬車自体に異常はなさそうですが、どうされますか? 不安でしたら私たちの馬車と交代いたしますが……」
「問題ないなら大丈夫よ。3人乗るなら積んでいる荷物を移動しなければならないし、馬車の順番も入れ替えなきゃならないでしょう」
坂の途中で止まっていたら他の馬車が来た時に邪魔になってしまう。交代するにしてもせめて山を下りてランプリング領を出てからにしましょうと母様は言った。
馬車は移動する際に護衛兵が崖から落ちかねないため、反対側の斜面に寄せられていた。自然と崖に面した扉を開けて乗り込むことになる。
声を掛けられ、私も轍から顔を上げて馬車に足を向ける。護衛兵が扉を開けて、まずは母様が乗り込もうとした。
その瞬間、馬車の下から黒い影が飛び出した。
ほとんど気配のないそれは蛇のようだった。しかし輪郭はぼやけていて全身が影でできている。魔物だと気付いて杖を取ったが、詠唱は間に合わなかった。
潜んでいた魔物はまっすぐ母様に襲い掛かる。近くにいた護衛兵は扉を押さえていたため反応できず、他の護衛兵は周りを警戒していたが馬車を見ていなかった。
真っ先に動いたのは、馬車のすぐ横にいたギルだった。
足を踏み出し、突き飛ばすようにして母様と場所を入れ替わる。母様は短い悲鳴を上げて護衛兵の方へ倒れ込む。
魔物はくるりとギルの腕に巻き付くと、その勢いのまま崖へと飛び込んだ。
魔族の彼を道連れに。
「――ッギル!?」
手を伸ばしたが届かない。彼に巻き付いていた魔物は腕を離れて落ちていった。それを追うようにギルも崖へ吸い込まれていく。咄嗟に左腕に着けた魔道具に魔力を通したが、離れすぎているのか鎖は現れなかった。
考えている時間はない。
杖を握り締め、ギルに向かって跳ぶ。
誰かに名前を呼ばれたが、風の音にかき消されて聞こえなかった。