149話 氷の血筋②
「本当に申し訳ございません。こちらから迎えの馬車も出せなくて」
「いえいえ、お気になさらず。この度は大変な思いをされましたわね」
母様とランプリング伯爵が話している。馬車から降りた瞬間、風と共に外の熱気を感じた。季節で言えば前世でいう『秋』に入っているはずなのに、普段過ごしている王都に比べると体感でもかなり気温が高い。
すぐに村長の立派な屋敷に通され、軽く挨拶を交わす。
伯爵夫妻は私たちの少し前に到着したようだが、ランプリング家の長男であるロニーは朝からこの村で到着を待っていたらしい。
段取りを確認している母様たちのテーブルから離れたところで、彼に向き合う。
「来てくださってありがとうございます! 学園は長期休暇中ですか?」
「ああ。ちょうど明日までは休みだ」
最後に会ったのは王宮で開かれた慰労会だから、だいたい半年ぶりだろうか。わずかに身長が伸びたようだが、まだ実年齢より幼く見えるロニーは私を見上げた。
「大変な状況なのは分かってますが、僕たちじゃどうにもできなくて……お父様がクールソン家に手紙を出したと聞いて、もしかしたらと思っていたんです。こうしてアレン様とお会いできて嬉しいです。今夜は僕の家に泊まるんですよね?」
頷いて返すと、彼は顔を輝かせた。変わらない笑顔を見てつい頭を撫でる。ロニーは私たちを出迎えるためだけに来ていたらしく、この後は屋敷に戻って弟妹と共に勉強をするそうだ。
彼のためにも作物の問題は早く解決してあげたい。話を終えた母様が立ち上がったことに気付き、さっそく畑へ行くのかと顔を上げる。
「よろしくお願いします。暑いので無理はしないでくださいね」
不安げな顔でそう言ったロニーは、礼をしようとしてピタリと動きを止めた。どうしたんだろうと首を傾げてしまう。
彼はそこでようやくギルの存在に気付いたらしい。じっと緑の目でギルを見詰め、私の影に隠れる。
「ええと、この人は……?」
「彼は去年の君のように、学園に臨時入学しているギル・レイヴンだ。私と同じ氷魔力を持っているから手伝いとして付いて来てもらった」
「アレン様のお友達ですか?」
「ああ、そうだ」
私がそう答えると、何故かロニーはむっと唇を尖らせた。それを見て、なんとなくライアンと彼が初めて会った時のことを思い出す。
ギルも私には敬語ではないし、貴族には珍しい黒髪だ。また喧嘩腰になってしまうだろうかと心配したが、ロニーは素早く足を踏み出した。ギルに向き直り、ぺこりと頭を下げる。
「ご挨拶が遅れてしまい、失礼いたしました。改めましてランプリング家の長男、ロニーと申します。この度は我が領のためご足労頂きありがとうございます。お手間を取らせて申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願いします!」
初対面だったからだろうか。礼儀正しい彼の姿に目を丸くしてしまう。少し前までは幼い子供だと思っていたが、ロニーも確実に成長しているようだ。
ギルがつられるように礼をしたところで母様に声をかけられた。母様は村長の屋敷に一番近い畑を、私とギルで国境寄りの畑をまずは担当することになる。
ロニーに見送られて護衛兵と共に畑へ向かう。村長に話を聞きつつ、周りを囲んでいる柵の魔鉱石に触れていく。ギルの傍から離れると腕輪の魔道具を着けている意味がないため、彼と並んで歩いた。
――それにしても暑いな。
シャツの袖を捲っているが、それでもまとわりつくような暑さを感じる。山の上は開けていて木陰もない。前世の残暑を思い出して小さく息をつく。
寮の窓から見えた山もランプリング領の一部だったのだろうかと思っていると、ふいにギルが口を開いた。
「あんたは慕われているな」
敬語ではなかったせいか、近くにいた護衛兵のフレッドがわずかに眉を顰める。彼にはギルが魔族であることを伝えているし、以前神殿前で私を連れ去った相手だということも気付いているらしい。
気にしないようにと手を振って、魔鉱石に触れながらギルに応える。
「ロニーのことか?」
「いや、彼もそうだが……」
ギルは言葉を濁してちらりと背後に目を向けた。私たちの様子を伺っている影が遠くに見える。彼らはこの村の住人だろう。
ランプリング伯爵と共に行動しているアレクシア母様ではなく、わざわざ私たちの方にやって来るということは……。
「ああ、私は『聖女』だからな。気になるんだろう」
収穫祭のことを考えると彼らが何のために集まっているかは分かってしまう。未だに劇も人気のようだし、自分で言うのは恥ずかしいが有名人を見たい気持ちも理解できる。ただ公務で来ている上に護衛兵も周りにいるため、話しかけられず離れて眺めているのだろう。
ギルは同じように魔鉱石に触れて怪訝な顔をした。
「初めて会った時から気になっていたが、聖女と呼ばれるのは嫌じゃないのか? あんたは男だろ」
「そういう役職名だと思っているからな。もう慣れた」
まぁそのせいで困ることもあったが、と苦笑する。呼び方を変えられないのであれば、やはり聖女は女性に任せた方がいいのだろうか。
将来的に神殿に勤めないなら、卒業後はエミリアに聖女を引き継いでもらうのもありかと頭を捻る。
元はルーシーが聖女だったのだから、同じヒロインであり聖魔力保持者の彼女なら完璧だろう。エミリアが聖魔力を使って活躍する場があれば自然な流れで交代できるかもしれない。
そういえば、と生徒会室でセシルが言っていたことを思い出す。遠方へ向かうことがあれば魔物に気を付けるようにと。
今のところ魔物は現れていないが、王族の別荘にいる彼女も国境に近いはずだ。
――もし魔物と戦うのであれば、彼女もどこかでホーリーライトを覚えることになるんだろうか。
攻略対象であるギルを連れて来てしまったことを少しだけ不安に思いながら、数十分かけて広い畑を一周する。最後の魔鉱石に氷魔力を注ぐと、畑全体がぼんやりと青みがかった膜のようなもので覆われた。後方で見ていた村人たちから「おお」「ありがたい」と歓喜の声が上がる。
私もギルも魔力に余裕があったため、続けて他の畑にも足を向ける。小さな畑が点々と並んでいる場所では、彼と手分けしてそれぞれ魔鉱石に触れて回った。
護衛兵たちは邪魔にならない位置で周りを警戒している。
――できるだけギルと離れすぎないようにしなければ……。
ここには彼の知り合いが誰もいない。魔族であることを除いても、周りに頼る相手が1人もいない状況では不安だろう。そう思い、隣の畑に目を向けた時だ。
突然、ふらりとギルの体が傾いた。
「え、っ!?」
咄嗟に駆け出し、彼が地面にぶつかる前に抱き留める。異常事態を察して護衛兵たちが集まってくる。村長は慌てて村人に指示を出していた。
ギルの顔色は真っ赤だ。どうやらこの暑さにやられてしまったらしい。ヒールを使うか迷ったが、このままここで治療してもまた無理をさせるだけだろう。
村長の提案で、ひとまず涼しい室内へ運ぶことにする。
フレッドがギルを客間のベッドに寝かせ、村人が伯爵家から呼んできたお医者様に診てもらう。魔力を大量に消費した疲れもあったようだが、ギルは黒髪のため余計に熱を集めてしまったようだ。
身体を冷やして休めば回復するだろうという診断通り、しばらくすると少しずつ顔色が戻ってきた。お医者様を見送って、ほっと胸を撫で下ろす。
もっとこまめに休憩を取るべきだったなと反省する。私とギルでは保有魔力量が違うのだろう。彼も攻略対象だから平均よりは魔力量も多いはずだが、何歳で魔法が使えるようになったのかは聞いていない。
同じ氷魔力を持っているからと、知らないうちに無理をさせてしまっていたのかもしれない。
話を聞いた母様が戻ってきたため、そのまま昼食と休憩に入る。
ギルが目を覚ましたのは、夕方になってからだった。
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「……すまない。迷惑をかけた」
ベッドの上で体を起こしたギルはバツの悪そうな顔をして深く頭を下げた。謝る必要はないと慌てて首を振る。
「私が気を配るべきだった。気分は悪くないか? 必要ならヒールを使うが」
「いや、大丈夫だ」
部屋には先程まで母様と、母様の専属護衛兵であるイサックが来ていたらしい。ギルの傍には事情を知っているフレッドに付いてもらっていたが、今は部屋の外に出てもらっている。
開いている窓から入ってくる風は昼間より涼しくなっていた。もう少し日が沈んでから、馬車でランプリング家の屋敷へ移動する予定だ。
ギルを村長の屋敷で休ませている間、私と母様で畑を回った。途中で母様も疲れてしまったため残りは明日に回されたが、私はまだまだ魔力に余裕がある。
門の封印に魔力が流れ続けているからとたくさん食べているせいだろうか。以前より魔力量は減ったと思っていたが、それでも人と比べるとかなり多いらしい。
この機会に聞いておくか、とベッド横の椅子に腰かける。
「ギル、君が何歳から魔法を使えるようになったか聞いてもいいだろうか」
「どうしてそんなことを知りたいんだ?」
「人間界では魔力開放と呼んでいるんだが……魔法が使えるようになった歳が早いほど、保有魔力量が増えるらしい。君と私に差があるのかを確かめておきたい」
ギルは考える素振りをすると、ぽつりと零すように言った。
「初めて魔法を使ったのは10歳頃だったはずだが、魔力開放がいつだったかは分からない。それ以前の記憶がほとんどないんだ」
「……記憶がない?」
尋ねていいのだろうかと思ったが、つい繰り返してしまった。「あんたならいいか」と呟いて彼はわずかに視線を落とす。
「不思議に思わなかったか? 俺たちが学園に入学すると決まった時、1度も『家族』の話が出なかっただろう」
学園長室で話した時のことを思い出す。基本的にジャックが話していたから疑問に思わなかったが、言われてみればギルとテッドから家族の話を聞いたことはない。人間界に来て学園に通うこともすべてジャックが判断していた。
ギルは小さく頷いた。
「俺もテッドも、両親がいないんだ。テッドは捨てられたとだけ聞いている。俺は気付いたら兄さんしかいなかった。それより前のことは覚えていない。……兄さんもすでにいないしな」
何と返せばいいかわからず、口をつぐむ。彼らが魔王城に住んでいるのは知っていた。しかし、家族はどこか別の場所に住んでいるのだろうと思っていた。
テッドもギルも、1人になったところをそれぞれジャックに拾われて一緒に暮らすようになったそうだ。だから彼らにとってジャックは仕える相手であると同時に大切な家族でもあるらしい。
私が黙ってしまったため、彼は苦笑いを浮かべた。
「すまない、ここまで話すつもりはなかったんだが。久しぶりに昔の夢を見て、色々と思い出してしまったんだ。……聞いてもらえるか?」
「……ああ、もちろん」
今度はしっかり頷いて返す。ギルはベッドに座ったまま話し始めた。
彼は先代魔王の魔法に巻き込まれて偶然魔界に来てしまった人間の母と、彼女を助けるため身内に迎え入れた魔族の間に生まれたらしい。両親は彼が生まれてすぐに亡くなったらしく、ほとんど兄上に育てられたようなものだったそうだ。
その兄上は、魔界では珍しく優しさに溢れた魔族だったという。ギルと同じように氷魔法を使うことができたため、いつも仲間を募って魔物退治をしていた。頼まれればどこへでも足を運び、時には命がけで誰かを助けることもあったようだ。
「兄さんは最期も仲間を助けるために魔物の群れに飛び込んだ。でも、誰も助けに行こうとはしなかった。……その時に学んだんだ。優しい奴ほど損をすると」
ギルはこちらを向くと、躊躇いがちに言った。
「俺は……あんたやクールソン夫人に、損をしてほしくないと思っている」
それを聞いて、彼が馬車の中で言っていたことの意味を理解する。ギルは私と母様を彼の兄上に重ねて心配してくれていたらしい。
安心させるため、彼の青い瞳と目を合わせて応える。
「大丈夫だ。今回は公務として正式に記録を取っているし、公爵家であるクールソン家から助けを求められてランプリング伯爵家が断るはずもない。私たちが損をするようなことはないから安心しろ」
「……今回のことはそうかもしれないが、あんたの普段の行いは別だろう。それも打算的なものなのか?」
返って来た言葉にきょとんとしてしまう。何のことだろうと思っていると、ギルは小さく息をついた。
「俺たち魔族に対してもエミリアに対しても、あんたは誰にでも優しい。自分にとって何の利益にならなくても、相手が困っていたら手を差し伸べるし力になろうとする。あんたみたいな人は人間界でも珍しいだろう。何故そこまでするんだ?」
「別に、誰にでも優しいわけではないんだが」
打算的なものかと言われると困ってしまう。自分が助けてもらう前提で行動しているわけではないし、正直よく分からない。今まで深く考えたこともない。
私としてはハッピーエンドのために動いているつもりだが、それを知らないギルからすれば、何故私がそこまで魔族に協力するのか分からないのだろう。
――なんのために優しくするのか……。
『私のことを好きでなければこんなに優しくしてくださるはずがありませんもの』
イザベラに言われた言葉が頭をよぎる。改めて考えれば、あながち間違いではないのかもしれない。好きというには範囲が広い気もするが、私だって元から嫌いな相手にも優しくしたいとは思わない。
つまり、行動にあえて理由をつけるとするなら。
「嫌われたくないから、だろうか」
思ったより小さな声になってしまった。聞こえたのか聞こえていないのか、ギルは不思議そうな顔をしている。話題を変えるためコホンと軽く咳をして、いつの間にか下がっていた視線を上げる。
「氷魔法は兄上に習ったのか?」
「あ、ああ。魔法と……それから、料理と乗馬も兄さんに習ったんだ。俺は羽がないから別の移動手段もあったほうが良いだろうと」
「そうか。立派な人だったんだな」
ギルの兄上は瘴気が溢れる魔界で、いつか自分が先にいなくなることを予想していたのかもしれない。彼が遺したものが今のギルの力になっているのだろう。
ギルは一瞬目を丸くして、ふっと笑った。
「魔王様と同じことを言うんだな」
「え?」
「……魔界は人間界よりも過酷な場所だ。助けたい気持ちがあっても、他人を気にしていては生き残れないこともある」
だから、と彼はシーツを握り締める。
「自分より他人を優先する兄さんは、周りの魔族から馬鹿にされているところしか見たことがないんだ。そんな風に言ってもらえるのはありがたい。……感謝する」
ギルはそう言って柔らかく微笑んだ。
初めて彼の、本当の笑顔を向けられたような気がした。