145話 親子 ◇
「ではアレン様、何かありましたらお声掛けください」
ジェニーが礼をして部屋を出て行く。読書をしている私に気を遣ってくれたようだ。彼女を見送って、手元の本に目を落とす。今まで読んだ本と重複する箇所は飛ばし読みしつつ、新しい知識を頭に入れておく。
速読に慣れてしまったせいか、新しく買った本もこの1冊で最後だ。目の前のテーブルにはすでに4冊ほど読み終えた本が積んである。
残りのページ数を確認して、一度紅茶のカップに手を伸ばす。ジェニーが淹れてくれたちょうどいい温度を飲み込んで、ふうと息をつく。
長期休暇も3度目だ。クールソン家に戻ってきたため、午前中は護衛兵たちと久しぶりに護身術の訓練をしていた。しかし、さすがに毎日鍛えている兵を相手にするのは難しくなってきた。
学園に入ってからは魔法ばかり使っているし、立場上素手で誰かと戦うことなんてない。実戦で使ったのも1か月ほど前のホワイト伯爵の時くらいだ。
――テッドやジャックには『魔法を使わなくても戦える』と思われているようだが……そういうわけでもないんだよな。
動けるとしても、せいぜい不意打ちくらいだろう。女性ならともかく、鍛えている男性に本気で押さえ込まれたら力のみでは勝負にならない。
杖を手放さないのが一番だが、万が一に備えて自分の実力を過信しないようにと肝に銘じておく。
護衛兵と同じ訓練をしても食事を増やしてもあまり筋肉が付かないのは何故だろう。根本的なやり方が間違っているのかと首を傾げる。
ふと、窓際に置かれた花瓶が目に入った。午前中のうちに部屋の掃除をしたメイドたちが飾ってくれたようだ。カラフルな中に白い小さな花が混ざっている。
それを見て、去年の聖女祭を思い出した。あの時ルーシーに貰った花束は帰りの馬車でジェニーに預けた後、しばらく私の部屋に飾られていた。
ジャックの話では、ホリラバ2に長期休暇中のイベントはないらしい。ゲームでは長期休暇自体が丸ごと飛ばされていたらしく、そもそも彼は学園に長期の休みがあることを知らなかった。
今年の聖女祭は明日だ。私が祭りに出るつもりがなくても、この機会に門を封印した聖女を一目見ようと考える人はいるかもしれない。
私が聖女と呼ばれていることは当然家族も知っているため、当日は衛兵で屋敷の周りを固めておく予定らしい。
――劇の影響で名前も知れ渡っているしな……。
自分で自分の劇を観る勇気はないが、母様や父様、ジェニーはこっそり観劇したことがあるそうだ。人気が高くなかなか良い席が取れなかったと言われて、どんな反応をすればいいのか分からなかった。
男が聖魔力を持っていることや聖魔力を隠していたことに批判的な意見が出なかったのは、あの劇団のおかげだ。彼らが大衆向けにストーリーを組み立てて、私を持ち上げるように誘導してくれたからだ。
同時に私が髪を結っていることも広まったため、外見が似ているアレクシア母様が聖女と勘違いされることもない。それは理解しているし、とても感謝している。
しかし、創作物から生まれる噂の力は想像以上だった。神殿を訪れる中には、何故か私を聖人君子や神のように思い込んでいる人もいる。
学園には生徒以外入れないが、クールソン家の屋敷は別だ。実際長期休暇に入ってからも何度か来客があったようだし、その度に執事であるリカードが丁寧にお断りして帰ってもらっている。
神殿を通さず治療を受けに来る人もいれば、本にするから詳しい話を聞かせてほしいというような人もいたらしい。
そんな彼らは、私が学園にいる間も度々屋敷を訪れているという。
近いうちにそういった行為を禁止する法が作られるらしいが、クールソン家には昔から迷惑ばかりかけているなと頭を押さえる。
魔力開放事件でセシルを守ったと噂された時もこうだったのだろうか。子供だからと知らされなかっただけで、きっと気付かないうちに家族や使用人たちに守られていたんだろう。
――何も成長してないな。部屋に籠って本を読んでいるだけなんて。
読み終えた本をパタンと閉じる。壁に沿って置かれた本棚に本を並べ、くるりと部屋の扉を振り向く。
屋敷から出るわけにはいかないが、何か私にできることはないだろうか。社会人として生きていた記憶が残っているからか、何もせずぼんやりしているのは時間がもったいないと思ってしまう。
クールソン家の公務を手伝わせてもらったことはほとんどない。母様と父様、そして秘書のミゲルだけで人手が足りていると言われるからだ。
しかしなんとなく、私が『跡継ぎ』を意識しなくていいようにと、意図的に遠ざけられているような気もする。
学園を卒業してどうするかはまだ決まっていない。ただ、宰相補佐の試験は受けるつもりでいる。
もしそこで受からなかった場合は、次の試験に向けて勉強をしつつ公務を手伝うことになるだろう。その時になるまで経験がないというのはさすがに情けない。
とりあえず何か手伝えないか聞いてみようと部屋を出る。そこで、廊下の角にリカードの姿が見えた。
彼は私に気付かず、突き当たりの部屋の扉を開けて中に入っていく。
クールソン家の屋敷は広いため、滅多に入らない部屋がいくつもあった。あの場所は確か……と半開きになった扉を見詰めたまま首を傾げる。
――絵画が飾られている部屋、だったか。
誰かに貰ったり購入したりした絵画が壁一面に並んでいた記憶がある。最後に入ったのはいつだろう。もしかしたら、もう10年近く前かもしれない。
なんとなくつられるようにその部屋へ足を向ける。扉から中を覗き込んだところで、足音に気付いたらしいリカードが振り返った。
「おや、アレン様。いかがなさいましたか?」
「特に用があるわけではないんだが……」
部屋に足を踏み入れると、少しだけ油絵具のような匂いがした。リカードは私が絵画を見に来たと思ったらしく、さっと燭台に火を灯した。
ぼんやりと照らされた絵を見て懐かしい気持ちになりつつ、壁際の赤いカーテンが目に留まる。絵画に日光を当てると変色してしまうため、この部屋には窓がなかったはずだ。何故カーテンがあるのだろう。
不思議に思っていると、リカードがハッとしたように目を丸くした。
「そうでした。アレン様は幼い頃に1度ご覧になったきりでしたね。こちらは大事な姿画が汚れないよう、普段はカーテンを下ろしているのですよ」
彼はそう言って、壁の傍にあった紐を引いた。するするとカーテンが上がり、隠れていた絵が現れる。
壁一面とほぼ同じ高さの大きな絵が豪華な額縁に納まっていた。描かれているのは青い髪の男性と、金髪に青い目をした美しい女性だ。
まったく覚えていなかったはずなのに、どことなく既視感を覚える。
「これは……」
「はい。アレン様の曽お祖父様と曽お祖母様ですよ」
リカードは小さく頷いて教えてくれた。この絵はクールソン家が公爵の位を賜った際、記念として描かれたものらしい。確かに母様に似ているなと思っていると、視界の端でリカードが微笑んだ。
「アレン様の髪色は曽お祖父様からの遺伝ですね。きっと、アレン様のお子様にも代々伝わっていくのでしょう」
咄嗟に返事ができず、絵画に顔を向けたまま口をつぐむ。彼はカーテンの紐を縛ってこちらに向き直ると、ぺこりと頭を下げた。
「それでは。私は食堂へ絵画を運んで参りますので、これで失礼いたします」
「あ、ああ。すまない、引き留めてしまって。何か手伝おうか?」
「いえいえ、とんでもございません。どうぞごゆっくりご覧になってください」
そう言うと、リカードは扉近くに置かれていた小さな包みを抱えて部屋を出て行った。食堂に飾っている絵を新しいものと交換するらしい。
そっと扉が閉められたのを確認して、再度壁の絵画へ目を向ける。
――遺伝か……。
前髪を指で摘まむ。薄暗い中でも分かる鮮やかな青は絵画の男性とそっくりだ。この部屋のどこかには祖父母の絵もあるはずだが、母様の髪色を考えると、おそらく祖父も髪の色は青かったんだろう。
ぎゅっと拳を握る。母様と父様に聞こうと思っていたことが頭に浮かぶ。
私の代わりにクールソン家を継ぐ養子の件は、一体どうなっているのだろう。
氷属性を表すこの髪色は今まで屋敷の外で見かけたことがない。人の多い祭りでも見ないということは、かなり珍しい色のはずだ。
もしクールソン家が魔力の属性ではなく髪色で養子を探しているのだとすれば、身内から取ることになるのだろうか。しかし記憶にある限りでは、ここまで鮮やかな髪色の親族もいなかったような気がする。
――曽祖父の代から続いていたのに、私の代で途切れさせてしまうのか。
誰も跡継ぎが見つからなかったらどうしよう。こんなに大事にされているのに、私は家族に何も返すことができていない。孫の顔を見せることも結婚式に呼ぶことも、一般的に考えられる普通の幸せな姿を見せて、安心させることもできない。
いや、できないのではなく……自分の意思で、しない。
『親不孝だのなんだの言いやがって。それを言っていいのは、本気で子供を幸せにしようとしたことのある親だけだろ』
ふいにジャックの言葉を思い出す。母様も父様も本気で私の幸せを考えてくれている。それなのに、何も返さないという選択をした私は……
「私は、親不孝者だな」
ぽつりと口から呟きが漏れる。それに答えるように、廊下から声がした。
「誰が親不孝ですって?」
驚いて振り返る。いつから聞いていたのか、アレクシア母様が扉を開けて部屋に入ってきた。むっとした顔をして足早に歩いてくる。そして目の前で立ち止まると、手を伸ばして私を抱き寄せた。
「ちょうど通りかかって良かったわ。あなたは昔から考えすぎるんだから」
「母様……」
「どうしてそんな風に思ったのか、話してもらえるかしら?」
母様は腕に力を込めてこちらを見上げた。私と同じ青い髪に灰色の瞳。身長は私の方が高くなってしまったが、歳を感じさせない美しさは昔と変わらない。
正直に答えないと離してもらえなさそうだ。少し間を置いて、口を開く。
遺伝している髪色の話を知ったこと。大事にされていると分かっているのに何も返せないこと。公務の手伝いすらできずに申し訳ないと思っていることを伝えると、母様は首を振った。すっと手の力を緩め、正面から向かい合う。
母様は何か考える素振りをして、躊躇いがちに言った。
「アレン、……私ね、時々思うの。今の幸せな生活は夢なんじゃないかって。本当なら私はずっと前に死んでいたんじゃないかって。おかしいわよね」
その言葉に思わず息をのむ。母様は小さく笑って続けた。
「でも、母親の勘というのかしら。私の運命を幼いあなたが変えてくれた気がするのよ。……親不孝者なんて思うわけがないじゃない。言ったでしょう? あなたが幸せならいいの。私もダニエルもこの家にいるみんなも、心の底にあるのは、あなたが幸せに笑っている未来を見たいって想いだけなのよ」
柔らかい微笑みに胸が熱くなる。向けられた目が嘘をついているようには見えない。本気で私を想ってくれているのだと分かる。……だからこそ、申し訳ない。
こんなに優しい人にはもっと幸せになってほしい。私のせいで、当たり前に手に入るはずだった幸せを逃すようなことになってほしくない。
――なんて、わがままな願いだろう。
つい黙ってしまうと、母様は眉を下げて笑った。
「まぁでも、確かにいつまでも仕事を手伝わせないと不安になるわよね。せっかくだから近いうちに何かお願いしようかしら」
「……わがままばかり言ってしまって申し訳ありません」
「あら、子供は親にわがままを言うものよ」
幼い頃のように頭を撫でられ、気恥ずかしくなる。周りに誰もいなくてよかった。扉の外には母様の護衛兵であるイサックがいるかもしれないが、さすがに中の様子までは分からないだろう。
「私はもうすぐ成人する歳なのですが」
「親からすれば子供はいくつになっても子供だもの。あなたはいつも遠慮してしまうから、わがままを言われたことも……」
そこで母様は言葉を止めた。思い出したようにポンと手を叩き、目を細める。
「そうね。私が直接あなたから聞いたのは1度だけかしら。わがままとは少し違うかもしれないけれど」
「1度だけ?」
「ええ。覚えてる? あなたが魔力開放後に倒れて、10日間目を覚まさなかった時。私がセシル王子と離れるべきだと言ったら、猛反発したじゃない」
そう言われて目を丸くしてしまう。母様はクスクスと笑って、首を傾げた。
「彼はどう? 今でも仲のいいお友達?」
入学前は互いに会いに行っていたが、今では学園と神殿くらいでしか彼に会うことはない。母様とセシルのお母上である王妃様は時々お茶をしているようだが、セシルから話を聞いていなければ私たちの関係を知らないだろう。
そう思い、大きく頷いて答える。
「はい。大事な『親友』です」
「あら、あなたと彼も親友になったのね」
それは大切にしないとね、と母様は嬉しそうに声を弾ませた。