144話 実感と違い
どの本を借りていこうかと学園図書館の本棚を見上げて頭を捻る。最近はあまり読書をする暇がなかったため、知らぬ間に新しい本が増えていたようだ。
ちらりと顔を向けると、一緒に図書館へやって来たカロリーナも目を輝かせて本棚の間をうろうろと歩き回っていた。
彼女も迷っているようだから、私ももう少し悩んでもいいだろう。
本を借りたら生徒会室へ行こうと窓の外に目を向ける。ふと、中庭のベンチにエミリアとギルが並んで座っていることに気付いた。
数週間前。エミリアがホワイト伯爵に連れ去られそうになったあの日から、2人の仲はさらに深まったようだ。エミリアが笑っていることも増えたし、ギルが彼女を女子寮へ送る姿を見かけることもあった。
ホワイト伯爵とベロニカ夫人は衛兵によって拘束されたが、未だ決定打となる証拠は見つかっていないらしい。エミリアやノーラもそのことについては何も知らないらしく、処罰が保留になっている状態だ。
――しかし、エミリアは情報を持っている様子だったな。
事件の翌日、学園長や生徒会を交えて話し合いの場があった。エミリアは学園に保護されているため、伯爵が捕まっても退学にはならずに済んだ。
ただ、彼女が伯爵と血縁関係にあるのは事実だ。ホワイト家についてセシルに尋ねられた時、エミリアは不自然に目を逸らして口をつぐんでいた。
彼女なりに家族を守りたい気持ちがあるのだろう。無理に喋らせるようなことはしないが、いつまでも放っておけるわけではない。
セシルは「いつか協力してもらうことになるかもしれないよ」と遠回しに伝えていた。おそらくこの先もずっと彼女が情報を隠していたら、闇魔法か薬を使って強制的に情報を聞き出されることになる。
できればその前に彼女から話してくれるといいな……と思いつつ、宰相について書かれた本を数冊手に取る。
学園を卒業した2か月後には宰相補佐なるための試験があるらしい。気持ちが追いついていなくても、もうあまり迷っている時間はない。とにかく学生のうちにできることをやっておこうと目次に目を通す。
そこで、後ろから声をかけられた。
「ああ、やっぱり。生徒会室にいないならここだと思ったわ」
「リリー先生」
振り返ると、白衣のポケットに手を入れたままリリー先生が歩いて来た。キョロキョロと辺りを見回して、心配そうな顔をする。
「あんなことがあったのに1人で大丈夫なの?」
あんなこと、というのはイザベラの冤罪未遂事件のことだろう。あれから1か月以上経っているが、まだ心配されているらしい。カロリーナが図書館まで一緒に付いて来てくれたのも同じ理由だ。
首を振って、小説が置かれた棚の前にいる彼女に目を向ける。
「カロリーナと一緒に来たので大丈夫です。図書館の中なら他の生徒もいますし」
「ああ、そう。なら心配ないわね」
「先生は……私に何か御用ですか?」
本を抱えたままリリー先生に向き直る。彼は小さく頷いた。
「別に今度の休日でもよかったんだけど、仕事で会えないかもしれないから先に伝えておこうと思って。もうすぐ長期休暇でしょ? 今年もあるのよ、聖女祭」
「そういえばそうでしたね」
すっかり忘れていたな、と心の中で呟く。長期休暇の前半にある聖女祭は去年から復活した祭りだ。
去年の『聖女』はルーシーだったが、今年は私になるのだろう。だからといって特に何かをするわけではないが、やはり参加だけはしておくべきだろうか。
――去年の聖女祭は私のルートイベントだったようだが……。
それは後からルーシーに聞いた話だ。彼女は聖女祭に参加するために、他の攻略対象であるセシルたちの誘いを断っていたらしい。
ということは、今年の長期休暇中にも続編のイベントが起こるのだろうか。明日にでもジャックに確認しようと思っていると、先生が言った。
「正直、あんたは無理して参加しなくてもいいと思うのよね。収穫祭でも大変だったし……噂では、今年は第二王子も参加するみたいだから」
「レオ王子が?」
セシルの弟であるレオ王子は今までその存在を隠されていた。つまり王宮の外にはほとんど出たことがないということだ。
聖女祭は国が主催する上に王宮からもそこまで離れていない。当日は大勢の護衛兵を引き連れて神殿を訪れる予定らしい。
「ただでさえ人気のアレンがいて、そこに第二王子まで来たらもう屋台どころじゃないでしょ。きっと去年の比じゃないわよ」
リリー先生は想像だけで疲れたという顔をしてため息をついた。それを見て苦笑してしまう。去年もかなり人が多いと思っていたが、今年は神殿に入って休むことすらできないかもしれない。
「わかりました。今年の聖女祭には行かないようにしておきます」
「それがいいわね。ああそれと、できれば祭りが終わるまで神殿には近付かない方がいいかも。祭りの数日前から近くの宿に泊まってる人も多いのよ」
長期休暇中も神殿の手伝いをしようと思っていたが、そういうことならと頷いて返す。聖女である私がいることで人が集まってしまったら、本当に治療を必要としている人が神殿に入り難くなるだろう。それでは本末転倒だ。
神殿に行くのは落ち着いてからにしようと考え、ふと去年のことを思い出す。
「去年以上に人が来るなら、花束が足りなくなるのでは……」
「ああ、それは大丈夫よ。去年は久しぶりの開催だったからどれくらい必要か分からなかったけど、今年は前もって多めに作っておく予定だから。アデル姉さんもルーシーもいるし、人手は足りてるのよ」
神殿には花束を新鮮なまま保存するための専用魔道具があるらしい。去年も使用していたようだが、最初から用意していた数が少なかったため、すぐにストックが尽きてしまったそうだ。今年は当日に急いで作り足すようなことはないだろう。
「どうせならエミリアにも手伝ってもらおうと思ったんだけど、あの子は長期休暇中どうするのかしら」
「そうですね……さすがにホワイト家に帰ることはないと思いますが」
先生も話は聞いていたらしい。そうよねと納得したように苦笑する。
レオ王子の遊び相手であるノーラはホワイト家がなくても王宮にいられるが、エミリアは寮に居続けるわけにはいかない。
長期休暇中は先生方も休みに入るため、学園に誰もいなくなってしまうからだ。
となると神殿に泊まるくらいしかないのだろうか。せめて長期休暇中くらい姉妹揃って過ごせるようにできないかと頭を捻る。
クールソン家に事情を話してみることも考えたが、休暇中に乙女ゲームのイベントが起こるとすれば、私がずっと彼女の傍にいるのもよくない気がする。
――これも結局、ジャックに確認してからでないと分からないな。
ホリラバ続編のイベントについて私は何も知らない。魔族の彼らが長期休暇中どうするつもりなのかも聞かなければならないと思っていたから、ちょうどいい。
顔を上げ、改めてリリー先生に顔を向ける。
「この後生徒会の会議があるのでセシルにも相談してみます。神殿に滞在することになるかもしれませんし、また分かったら私からお伝えします」
そう答えると何故か先生は目をぱちくりとした。何かを考える素振りをして辺りを見回し、不思議そうな顔をする。
「なんか、あんた……時々あの子のお世話役みたいね」
「え?」
その言葉に目を丸くしてしまう。先生は首を振ると、軽く私の肩を叩いた。
「長期休暇のことはエミリアに直接聞くから大丈夫。責任感を持つのもいいけど、もうすぐ卒業なんだから。自分のことを第一に考えなさいよ」
それだけ言って離れていくリリー先生を見送る。彼は私を想って言ってくれたのだと分かっているが、否定もできず複雑な気持ちになる。
続編をバッドエンドにしないよう、陰で自分にできることを最小限やっているつもりだった。もしや、周りから見るとあからさま過ぎるのだろうか。
イザベラの件を考えると、本当はもう少し距離を取るべきなのかもしれない。しかし、何もしないまま流れに任せられるような性格でもない。
――攻略対象として振舞うよりも簡単だろうと思っていたが……。
「……サポートの方が難しいんだな」
前期もそろそろ終わりだというのに、今更実感して小さく息をつく。
いつの間にか近くにいたカロリーナは、きょとんとした顔をしていた。
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「エミリアかい? 彼女はノーラと一緒に王族の別荘へ招待するつもりだよ」
聖女祭の後だけどね、とセシルが笑って言った。長期休暇中の彼女の滞在先はすでに決まっていたようだ。しかも、妹と共に過ごせるように配慮までされていた。
それを聞いて、そうかと胸を撫で下ろす。セシルのことを心配性だと思っていたが、やはり私もかなりの心配性らしい。
杞憂だったなと苦笑しつつ、生徒会長席に座った彼に尋ねる。
「聖女祭にレオ王子が参加するというのは本当か?」
「情報が早いね。レオがどうしても行きたいと言って聞かなかったらしくて。本当はノーラを誘いたかったようだけど……」
聖女祭には貴族も集まるため、ノーラとレオ王子が一緒に行動するわけにはいかない。その代わり、祭りの後に別荘で遊ぶという話なったようだ。
エミリアは長期休暇の前半のみ神殿に滞在し、後半は妹の付き添いとして王族の別荘に滞在することになるという。ホワイト伯爵は捕らえられているから、国外に連れ去られる心配もないだろう。
別荘にはセシルも行くのかと思ったが、彼はやることがあると首を振った。
「卒業後は1から勉強し直している暇なんてないだろうからね。今のうちに父上の傍で色々と学ばせてもらうつもりだよ」
「努力されるのは良いことですが、あまりご無理なさらないでくださいね」
私の隣に立っていたカロリーナが少しだけ不安げな顔をする。セシルが「もちろん」と微笑んだところで、生徒会室にノックの音が響いた。
扉を開けて入ってきた人物を見て、思わず彼の名を口にする。
「ジャック? どうしたんだ?」
ここで彼に会うとは思っていなかった。不思議に思っていると、その問いにはジャックの代わりにセシルが答えた。
「僕が呼んだんだよ。少し聞きたいことがあってね」
「そういうことだ。それで、俺に聞きたいことって何だ?」
ジャックは来客用のソファーを迂回して生徒会長席の前まで歩いてくる。彼が隣に来たことで、カロリーナが恥ずかしそうにそっと後ろに下がる。
セシルは小さく頷いて話し始めた。
「実は最近、国境に近い地域で魔物の出現が増えているらしくてね。魔界に続く門をアレンが封印してからはほとんど現れていなかったから、魔族である君たちが頻繁に人間界に来ていることと何か関係があるんじゃないかと思ったんだ」
そう言って、セシルは「一応伝えておくけれど」と付け加えた。
「君たちを疑っているわけじゃない。原因を知るために、魔王であるジャックの考えを聞きたいだけだ」
自然と全員の視線がジャックへ向かう。彼は腕を組んで眉根を寄せた。
「確かに、魔界と繋がった時に多少の瘴気は漏れてきてるかもしれねぇな。できるだけ結界が張られた城の中でしか転移は使わないようにしてるが……」
「そうか。しかし、それだけで魔物が現れるような量にはならない気がするね」
彼が魔法を使って魔界に帰るのは何度か見たことがあるが、わずかに闇魔力の気配を感じるだけで魔物は現れなかった。ということは、と私も口を開く。
「どこか別の場所から闇魔力……瘴気が流れてきているということか」
「門の封印が弱まっている可能性はないかい?」
セシルに尋ねられ、首を振る。相変わらず食事量は多いままだが、聖魔法の封印が弱まっている気配はない。指輪を付けたままでも魔力は少しずつ消費されているため、封印が解けたわけでもなさそうだ。
「まだはっきりとした原因はわからないな。アレン、もし封印に変化があったら教えてくれ。それからカロリーナも君も、長期休暇中に遠方へ行くことがあれば魔物に気を付けてほしい」
セシルの言葉に、カロリーナと同時に頷く。それにしてもとジャックが呟いた。
「魔物か。数が多いと相手すんのも大変だよな。全部殴り倒すのも面倒だし」
「『殴る』……?」
口から漏れた声がセシルと被る。ジャックはきょとんとして続けた。
「ああ。物理的に攻撃して倒すもんだろ?」
「いや……魔界のことは分からないが、魔物は魔法でしか攻撃できない」
もしや彼は今まで魔物を素手で倒していたのだろうか。私の答えを聞いて、彼はハッとしたように手を叩いた。
「そうか。こっちは瘴気がないから魔法で倒せるのか。魔物に向かってギルに氷魔法使ってもらったこともあるけど、魔物が増えるだけで倒せなかったんだよな」
「……魔界では、魔物に物理攻撃が通るのですか?」
1人で納得している彼に向かって、カロリーナがおずおずと尋ねる。ジャックは彼女から声をかけられたことが嬉しいらしく、ぱっと顔を輝かせて答えた。
「普通の剣とか盾は意味ねえけど、素手で殴るのはいけるぜ」
「それはつまり、『魔族』は魔物に触れられるということなのでは?」
苦笑いを浮かべて、セシルは頭を押さえた。小さく息をついてぽつりと呟く。
「少しは慣れたと思っていたけど、まだ知らないことがたくさんあるみたいだね」
それには、私もカロリーナも同意するしかなかった。