141話 魔道具と再会②
慌てているギルを前にしてジャックと顔を見合わせる。彼は今日、エミリアと出かける約束をしていたらしい。時間通りに待ち合わせ場所である街の入り口へ向かったところ彼女の姿はなく、代わりに1枚の紙が落ちていたそうだ。
「それを見せてもらえるか?」
ギルを落ち着かせるのはジャックに任せ、彼が握りしめていた紙を受け取る。わざと丁寧な筆跡で書かれたような、短い文章を読み上げる。
「『ノーラが旧道の入口で待っている』……」
旧道とは、学園都市と王都の中心を繋ぐ大きな道ができる前に使われていた古い道のことだ。学園都市の周りにある林の中を通っていたが、林が一部を残して開拓され、近くに大きな道ができたことで、誰も利用しなくなったらしい。
人間界に来たばかりのギルはそれを知らず、街の中に旧道という通りがあるのかと思っていたようだ。
「……近くにいた衛兵の話だと、若い男がエミリアに声をかけていたらしい。男はその紙を渡しただけでそのまま去っていったから、それ以上気にしなかったそうだ。エミリアはしばらく迷っていたみたいだが……衛兵が気付いた時には、もういなくなっていたと」
ジャックに会って多少落ち着いたらしいギルが、ぎゅっと拳を握って言った。なるほどと呟いて再度紙に目を向ける。そして、ギルに尋ねる。
「君は『ノーラ』という名前を聞いたことがあるか?」
ギルは黙って首を振った。念のためジャックにも確認するが、彼も同じように首を振る。乙女ゲームの記憶があれば知っているかと思ったが、名前までは覚えていなかったようだ。
「ということは、エミリアはちゃんと約束を守っていたんだな」
「約束? ……あんたはノーラを知っているのか?」
ギルは眉を顰めた。周りの気配を確かめ、声を落としつつ彼に答える。
「ノーラはエミリアの妹だ。今は王宮にいる」
学園を卒業するまで妹の話を出さない。それはエミリアを入学させる時、学園長から言われたことだ。
血の繋がった妹が王族の遊び相手として王宮に住んでいるなんて、他の貴族に知られたら大変なことになる。何故ホワイト家だけなのか、是非我が家からもと騒ぎが広がるのは目に見えていた。
だからこそエミリアは妹がいることも、その名前も神殿以外では口に出さないようにしていたはずだ。その証拠に、一緒に街に出かけるまで仲良くなったギルですらノーラのことを知らなかった。
しかしこの紙にはノーラの名前が書いてある。エミリアに渡したということは、彼女と姉妹であることも知っているのだろう。
ノーラ本人が書いたのなら文章がおかしいし、わざわざこんな紙切れで知らせる必要もない。そもそも彼女は今王宮にいるはずだ。万が一抜け出して1人でいたとしても、エミリアに会いたいなら神殿に向かうだろう。
――神殿関係者がわざわざエミリアを呼び出すわけがないし、他にノーラを知っている者といえば……。
そこまで考えて、ふと気付く。エミリアとノーラが姉妹であることを知っていて、エミリアを1人で呼び出す可能性のある相手が頭に浮かぶ。
「まさか、ホワイト伯爵が」
私がそう言いかけたところで、ジャックが「あっ!」と声を上げた。突然のことにギルが肩を跳ねさせる。私たちの視線を受けたジャックは頭を抱えた。
「思い出した!! そうか、ホワイト伯爵!」
彼はパッと顔を上げると、青い顔をして言った。
「これは、『俺達』のイベントだ……!!」
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どうやらこれは『三角関係イベント』のひとつらしい。ゲームではエミリアが誰かとデートの約束をした日に、別の魔族が人間界にいることで発動する。ホワイト伯爵が逃亡の際にエミリアを連れ去り、それを2人が追うことになるという。
つまりジャックとギルが動かなければ、ホワイト伯爵は誰にも気づかれないままエミリアを連れて国外に逃げてしまうということだ。
前作の攻略対象がいる意味はないかもしれないが、それを知って放っておけるわけがない。私も彼らと一緒にエミリアを追うことにする。
旧道の入口自体は街の近くにあるが、当然歩いて連れ去るなんてことはないだろう。周りから内部が見えない馬車を利用したと考えたほうがいい。
「ギル、待ち合わせからどれくらい過ぎてんだ!?」
「10分程です! 待ち合わせの5分前には着いていたので、エミリアがいなくなったのは15分以上前かと……!」
街に沿うようにして旧道へ足を進めながら考える。15分ならまだそこまで遠くへは行っていないだろう。旧道は王都の中心へ向かうようになっているため、直接国境方面へは繋がっていない。ホワイト伯爵は王都の中心で準備をして、そこから国外へ向かうつもりなのかもしれない。
――指名手配のような扱いをされているというのに、豪胆なものだ。
しかし、ここから王都まで走って追いかけるわけにはいかない。相手がのんびり進んでいるとは思えないし、人の足では追い付けないだろう。
馬車もすぐには用意できないし……と考えて、隣にいる彼らに顔を向ける。
「君たち、馬には乗れるか?」
街には所謂『借馬屋』がある。馬車の馬を交代したり直接乗って移動したりするため、どの街にも必ず馬を貸し出す場所が複数用意されていた。
ジャックは目を丸くして、首を振る。
「いや、乗ったことねえな。魔か……あっちでは野生の動物がすぐ魔物化しちまってたし、羽で飛んだ方が早かったから」
次いで「アレンは乗れるのか」と尋ねられ、頷いて返す。貴族として生まれたため、学園に入る前に授業の一環として乗馬も習っていた。
2人までならなんとかなるだろうが、男3人を乗せては馬が走れないだろう。ジャックに羽を出して飛んでもらうわけにもいかない。どうするべきかと頭を捻っていると、ギルが真剣な顔をして口を開いた。
「俺は乗れると思う。昔何度か乗ったことがある」
聞けば、彼は幼い頃に乗馬を経験したことがあるらしい。ジャックも知らなかったようだが、それなら問題なく馬で追えそうだ。
さっそく近くの借馬屋で馬を2頭借りて旧道へ進む。旧道の入口にエミリアの姿はなかった。代わりに複数の足跡があり、利用者が減ったことで荒れた旧道には真新しい轍ができていた。
大通りから離れているため人の気配はなく、街の喧騒も林に入ればほとんど聞こえない。もしここで何かが起こっていたとしても、気付く人はいないだろう。
薄暗い林の中で速度を出しすぎないように気を付けつつ馬を走らせる。前に乗っているジャックは緊張しているようだが、ギルは問題なく馬を操っていた。
私とジャックが同じ馬に乗るのは重すぎるかと心配したが、羽で飛ぶ魔族は人間よりも体重が軽いらしい。外見は人間と変わらないのに不思議だと思いながら前方へ目を凝らす。
遠い向こう、やや斜めに続く道の先に黒い馬車が見えた。急いでいるらしく、かなり速度を出しているのが分かる。
さすがに紋章らしきものは何も付いていない。あれがホワイト家の馬車かどうかを確認するためには、近付いて止める必要があるだろう。
そこで相手が私たちに気付いたらしい。馬車の窓が開き、誰かが腕を出した。その手に握られたものがきらりと光ったのを見て、咄嗟に懐から杖を取り出す。
「ギル、速度を落とせ!」
「えっ……わ、わかった!」
ギルが慌てて手綱を引いたところで、馬車から出ていた手が握っていたものを放った。ガラス瓶のようなそれは慣性に従って私たちと馬車の間に落ち、パリンと音を立てて割れる。
その瞬間、道を塞ぐように土の壁が現れた。
攻撃用魔法ではないから違法魔道具ではなさそうだが、それでもこの速度でぶつかったら危険だ。すぐに杖を構えて唱える。
「アイススピア!」
空中に現れた氷の槍が一斉に飛び、土の壁に大きく穴を開けた。ギルの馬より前に出て、素早く崩れ落ちた半円状の穴をくぐる。
止まらずに済んだため、馬車との距離はほとんど変わっていなかった。
「何だ今の? 魔道具で魔法を発動させたのか」
道に残された土の壁を振り向いてジャックが怪訝な顔をする。前を向くよう指示しつつ、彼に答える。
「ああ、私たちの足止めをしようとしたんだろう。よほど追われたくないらしい」
魔法が使えない平民であればあの場で諦めていたはずだ。私の前にジャックが乗っているから、馬車からは黒髪の彼らしか見えなかったのかもしれない。
こちらも魔法を使って止めるべきだろうか。しかしいきなり氷の壁を作るわけにもいかない。車輪を凍らせて止めることもできるが、確実に大事故になる。
――エミリアが乗っているかもしれないのにそれは、……!
再び馬車の窓から何かが放り投げられたのに気付き、短く唱える。
「氷の盾!!」
私たちの前方、少し離れた位置に複数の盾が現れる。何かが割れる音と共に、飛んできた水の刃が盾にぶつかって弾けた。危ねぇ、とジャックが呟いて息をのむ。
弾けた水でわずかに濡れてしまったが怪我はない。構わず距離を詰めていく。
今のは確実に違法魔道具だ。相手が足止めに魔法を使ってくるのであれば、こちらが使わない理由はない。
まずは馬車の速度を落とそうと少しだけ考え、杖を構える。
「……氷の風船」
馬車の上に小さな氷の塊が現れる。それは呪文に込めたイメージ通り、徐々に大きく膨らんでいった。
増えた重量の分だけ馬車の速度が落ちたのを確かめ、人が乗っている箱が潰れる前に魔法を解く。間を置かず、次いで前方の地面に杖を向ける。
ギルに止まるよう指示を出し、私も手綱を引いて口を開く。
「氷の床!」
パキパキと音を立てて一気に地面が凍る。馬車はよろよろと凍った道を進んでいたが、緩やかなカーブを曲がり切れなかったらしい。
ガンッと道の両脇に生えている大きな木にぶつかるようにして動きが止まる。牽引していた馬は無事だったようだが、衝撃に驚いて嘶いていた。
御者らしき男が台から転げ落ち、ちらりと私たちを見て青い顔をする。彼は這って移動しようとして、途中で諦めたように座り込んだ。
それ以上馬車が動く気配はない。さっと馬から降りて周囲を確認する。移動用の魔道具が置かれている様子もなければ、他の馬車が待機している様子もなかった。
これで追い付いたなとジャックに手を貸す。そろそろと馬から降りた彼は、馬車と私を交互に見て目をぱちくりとした。
「何というか……すげー手慣れてんな」
さすがだと続けられて苦笑してしまう。ギルも馬から降りると心配そうな顔でこちらを見た。連続で魔法を使ったことに驚かれているらしい。
手早く近くの木に馬を繋ぎ留めて彼らに応える。
「去年も色々あったからな。とにかく今はエミリアを……」
と、言いかけた時だ。突然バンッと大きな音を響かせて馬車の扉が開いた。そこから怒りを含んだ男の声が聞こえてくる。
「クソッ、しつこい奴らめ! こんなガキになんの価値があるんだ!!」
同時に中から蹴り飛ばされたエミリアが縛られたまま地面に転がった。悲鳴を上げないのは口も塞がれているからだ。白い髪のすき間からこちらに向けられた金色の目が、信じられないものを見たというように大きく開かれる。
「エミリア!!」
ギルが叫んだところで、再び男の声がした。
「面倒な奴らを引き寄せおって、最後まで役に立たない親不孝者が!!」
おそらく彼がホワイト伯爵なのだろう。ふいに短い詠唱が聞こえ、エミリアの真上に巨大な土の塊が現れる。
私が杖を構えるより、ギルが唱える方が早かった。
「アイスウォール!」
魔族の血が入っているためか、彼は杖を使わなくても魔法が使えるらしい。懐に入っているはずの杖に触れる間もなく、地面から伸びた氷の壁がエミリアを覆うようにして守る。
青い目を見た時からなんとなく察していたが、彼も氷属性だったようだ。降ってきた土はそのまま氷を滑り落ち、彼女にぶつかることはなかった。
「エミリア! 大丈夫か!?」
ギルは慌てて彼女に駆け寄った。私も駆け寄ろうとしてハッとする。エミリアが蹴り出されたのとは反対の扉がいつの間にか開いている。林に目を向けると、2人分の人影が見えた。
大きく舌打ちをしてジャックが駆け出す。
「あいつら……!」
「ジャック、待て! 1人で行くな!」
その声は届かなかったらしい。遠ざかる後ろ姿にため息をつく。ホワイト伯爵は違法魔道具を持っていたし、伯爵も夫人も魔法を使えるはずだ。
いくら魔族とはいえ、魔法を使えないジャックだけでは危険だろう。
手にした杖を握り締めてギルに声をかける。
「ギル、エミリアを頼む!」
「わ、わかった!」
彼の声を背中に受けながら、ジャックを追って林の中へ飛び込んだ。