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138話 恋心と冤罪④

 テッドに抱えられたまま、ふわりと屋上庭園に到着する。初めて見る魔族の羽はまるでコウモリのようだった。普段はどこに隠されているのか、閉じると同時に消えて見えなくなる。


「ありがとう、テッド。助かった」

「ご主人が望むなら、もっと遠くへも連れていってあげるのに」


 残念そうに唇を尖らせて、テッドはそっと私を地面に下ろした。彼もそれなりに細く見えるのに、まったく重さを感じていない様子だ。羽がある時点で人間とは体の作りが微妙に違うのかもしれない。


 テッドはジャック達と一緒にいたが、魔界へ戻ろうとしたところで生徒たちの騒ぐ声が気になって離れてしまったらしい。その結果1人だけ人間界に残されてしまったらしく、また寮に泊めてもらおうと私を探していたようだ。


 校舎裏に誰もいないのを確認して人型に戻ってもらい、生徒たちに見えないよう高く飛んで本館の屋上まで移動した。学園内では黒猫の姿でいるという話だったが、その状態で私を抱えるのはさすがに無理だった。

 学園長に何か言われた時は私から説明しようと考えていると、ふいにテッドが私の手を取った。


「ご主人、大丈夫?」

「え?」

「さっきからずっと震えてる」


 そう言われて目を丸くしてしまう。握られた手に目を向けると、確かに細かく震えていた。テッドは不安げな顔をして首を傾げる。


「もしかして、怖かった?」

「怖……」


 否定しようとしたが、途中で言葉に詰まる。彼が尋ねたのは空を飛んだことに対してだろう。しかし、頭に浮かんだのは別のことだった。


 イザベラと共に部屋に閉じ込められた時。彼女が目の前で自分の制服を引き裂いた時。廊下で女子生徒が声を上げた時。

 そして扉の向こうに、セシルとリリー先生がいることを知った時。


――怖かった、のかもしれない。


 まさかイザベラに、こんな風に関係を迫られるとは思っていなかった。手紙で断って、それで終わったと思っていた。


 もしテッドが来てくれなかったら。あのまま扉を開けられていたら。いくら私が弁明したとしても、噂は勝手に広がっていっただろう。

 無実を証明することもできず、大事な友達や家族にも疑われ、そんな人だったのかと失望されていたかもしれない。


 不安になってしまい、思わずテッドの手を強く握り締める。


『私のことを好きでなければこんなに優しくしてくださるはずがありませんもの』

『その気にさせた責任を取られるべきではなくて?』


 イザベラに言われた言葉が耳に残っていた。彼女にそんな勘違いをさせてしまったのは私かと反省する。彼女にだけ特別に優しくしていたつもりはないが、食堂でのことを不問にしたのが良くなかったのだろうか。


「……優しくしすぎるのも、よくないんだな」


 ぽつりと口から呟きが漏れる。特に異性だと、行動で勘違いさせてしまうのも理解できる。はっきりとは覚えていないが、前世でもそういうことは何度かあった。これは性別が変わっても変わらないらしい。

 恋心を向けられても私はそれに応えられない。それなら、最初から勘違いなんてさせないようにしたほうがお互いのためなんだろう。


 そこで、テッドが驚いたように言った。



「なんで? 俺、優しいアレン様が好きだよ」



 はっとして顔を上げる。彼は真剣な顔で私を見詰めていた。もしかしてと考える素振りをして、ぎゅっと両手で私の手を握る。


「誰かに変なこと言われたの? そんなの気にしなくていいって。ご主人はご主人なんだから、嫌な相手の言葉なんて聞かなくていいんだよ」

「テッド……」


 彼にそんな言葉をかけてもらえるとは思わなかった。テッドは大きく頷くと、にっこりと含みのある笑みを浮かべた。


「俺以外の誰かに言われたことでご主人の心が乱されるなんて、許せないからね」

「……ん?」


 なんとなく雰囲気が変わったのを感じ、眉根を寄せる。彼は笑顔のまま続けた。


「教えて、俺のご主人に変なこと言ったのは誰? 怖がらせたのも同じ? 男? 女? ご主人の友達? 俺も会ってみたいなぁ。猫の姿でいいから紹介してよ」


 黄色い瞳がきらりと光ったのを見て、彼が攻略対象であることを思い出す。同時に、元の設定としては『ヤンデレ』属性だったということも。

 ジャックがテッドの性格はだいぶ変わっているはずだと言っていたが、そうは思えない。このままだと彼はイザベラを敵視してしまいそうだ。


 慌てて目を逸らし、首を振る。


「ま、待て。それより君に頼みたいことがあるんだ」

「頼みたいこと?」


 ぱっと表情が変わり、彼は顔を輝かせる。その様子に安堵あんどしつつ、握ったままだった手を離す。


「中庭に私の上着が落ちているはずなんだ。申し訳ないが、猫の姿に戻って探してきてもらえないだろうか」

「上着? 確かに着てないね」

「ああ。取られ……いや、うっかり落としてしまってな。ポケットに屋上の鍵が入っているから、それがないとここから出られない」


 さすがに鍵を開けたまま離れるのは良くないだろう。テッドに抱えてもらえば直接地面に下りられるが、誰かに見られてしまう可能性もある。


 彼は「わかった!」と元気よく答えると、一瞬で猫の姿になった。そして躊躇(ためら)いなく屋上を囲むさくを飛び越えていく。

 驚いて駆け寄ったが、すでに小さな黒い点は地面を走っていた。


 私を教室に閉じ込めた彼女たちが上着を放置していれば、テッドはすぐに戻ってくるだろう。静かになった庭園で胸に手を当てて深く息をつく。

 私たちが飛び去った後、あの教室には生徒たちが入ってきたようだ。ざわざわと騒ぐ声から逃げるように離れたため、何を話していたかは分からない。


 女子生徒たちは何と言ったんだろう。私がいないとは思わなかっただろうが、魔法を使えないのは彼女たちしか知らない。

 イザベラを襲って逃げたのだと吹聴(ふいちょう)しただろうか。生徒たちは……セシルやリリー先生は、それを信じてしまっただろうか。


――信じられても仕方がない。男女が同じ部屋にいて女性の服が破れていて、さらに目撃者までいるのに、無罪の証拠は何もないのだから。


 もしかしたら彼らは今も私を探しているかもしれない。屋上から無事に出られたとして、そのまま寮へ戻っていいのだろうか。そもそも、戻れるのだろうか。

 扉を開けた瞬間に捕まったらどうしよう。噂では済まず、いきなり犯罪者のような扱いをされたらどうしよう。すでにクールソン家に連絡が行っていたら……。



 そんなことを考えていたせいで、突然扉から聞こえた音に心臓が飛び跳ねた。



 屋上庭園に繋がる唯一の扉がゆっくり開く。杖がないため魔法で逃げることもできず、屋上を囲む柵を掴んだままその場で固まってしまう。

 ちらりと扉に目を向けると、金色の髪を揺らしてセシルが顔を覗かせた。彼は辺りを見回して私に気付いたらしく、顔を強張(こわば)らせて駆け寄ってくる。


「アレン! 落ち着いて! 早まっちゃ駄目だ!!」

「え?」


 問い詰められるかと思っていたのに、予想外の言葉で目が点になる。なんのことだと尋ねる前に腕を掴まれ、ぐいぐいとガゼボの辺りまで引っ張られる。

 彼の後ろから屋上に入ってきたリリー先生は、顔を青くして同じように駆け寄って来た。両手で私の手を握り、落ち着かせるように言う。


「と、とりあえず深呼吸してちょうだい。ね?」


 どうやら柵の近くに立っていたせいで違う誤解が生まれているようだ。慌てて首を振って口を開く。


「大丈夫です。そんなつもりはありません。ただ考え事をしていただけで」

「それでもうっかり落ちたら危ないじゃない! アレンは杖を持ってないんだから気を付けないと」


 その言葉に、えっと声が漏れる。どうして私が杖を持っていないと知っているんだろう。不思議に思ったところで、彼が制服の上着を抱えていることに気付いた。


「その上着は……」

「アレンのでしょ? 見回り中に見つけて拾っておいたのよ。ポケットの中身は王子様が持ってるけど」


 先生の視線を受けてセシルがふところに手を入れる。氷の魔鉱石が付いた杖と今使用したばかりの屋上の鍵を差し出して、セシルは眉を(ひそ)めた。


「分かっていたけど、やっぱり君のだったんだね。魔法も鍵もないのにどうやってここまで来たんだい?」

「……テッドに助けてもらったんだ」


 私が答えると、彼は一瞬だけ目を見開いて唇を噛んだ。魔族に助けてもらったというのはまずかったのだろうか。彼は生徒会としてギルやジャックとは話しているが、テッドとはほとんど関わっていないはずだ。


 セシルが私の杖を持っていたということは、私が魔法を使えなかったことは2人とも知っていたのだろう。女子生徒たちに何を言われても、部屋から出る手段がないのなら最初からいなかったはずだと考えていたのかもしれない。


 しかしこれで、私があの部屋にいなかった理由がハッキリしてしまった。


 2人は何かを考えているらしく口を閉ざしている。何を言っても言い訳になってしまう気がして、私も口をつぐんだまま自然と視線が下がる。

 何もしていないのだから堂々とするべきなのは分かっているが、どうしても正面から彼らに向き合う勇気がなかった。


 逃げ出した方法が魔法から魔族の協力に変わっただけで、私の無実が証明されたわけではない。今までは別の誤解のせいでうやむやになっていたが、きっとこれからイザベラの件について聞かれるのだろう。


 再び騒ぎ始めた心臓の音が耳の中で響く。ふと杖が目に入り、先に差し出されたものを受け取らなければと思い出す。

 手を伸ばすと、セシルはそっと私に杖と鍵を握らせた。


 そしてそのまま両手で私の手を包んで言った。



「安心して、アレン。誰も君を疑ってないよ」



 思わず顔を上げて彼を見る。セシルの炎のような赤い瞳はまっすぐこちらに向けられていた。言葉通り少しも疑っている気配がない。

 どうしてと疑問に思う間もなくポンと背中を叩かれる。振り向くと、リリー先生が優しい目で私を見ていた。


「災難だったわね。杖まで奪われちゃうなんて」

「まぁ先に杖を見つけていなくても、君があのまま教室にいたとしても……アレンを疑うことなんてなかっただろうけど」


 彼らはどこまで知っているのだろう。いや、知っていたとしても。私が男として、イザベラに無体を働いたと微塵(みじん)も思っていないのは何故だろう。彼女の制服を破ったのが私ではないと、何故判断できているんだろう。


 戸惑っていると、セシルとリリー先生は顔を見合わせて小さく笑った。


「当然じゃない。他の誰かならともかく、アレンを疑うわけがないでしょ」

「昔から傍にいるし、僕は親友だからね。君の性格は分かっているつもりだよ」

「それなら、あたしだってアレンの専属医師みたいなところがあるから」

「どうして張り合っているんです? あなたは学園の医務室担当医でしょう」


 いつもと変わらない態度の2人を見ていると、じわりと胸が熱くなった。さっきまで不安だった気持ちが晴れていくのを感じる。

 セシルはこほんと咳をして、こちらに顔を向けた。


「とりあえずイザベラたちにはこれから話を聞くけど、君には絶対に――……」


 突然、彼はギョッとしたように言葉を止めた。セシルの隣にいたリリー先生も私を見て固まっている。

 一体どうしたんだろうと思ったが、まばたきをしたところでその理由がわかった。


 ぽろ、と耐えきれなかったように(しずく)が落ちる。しかもそれは私の目元から。


「は、……っ!?」


 完全に無意識だった。さっと彼らに背を向ける。驚かせてしまったようだが、一番驚いたのは自分だ。急いで目をこすり、ありきたりな言い訳を口にする。


「す、すまない。違う。これは髪が目に」


 上手い理由を考える余裕はなかった。人前で泣くなんて、恥ずかしくて情けなくて顔が熱くなる。涙腺が弱いにも程があるだろうと自分に呆れてしまう。


 彼らに疑われてないと知って安心してしまったのだろうか。それとも、以前ルーシーと共に思い切り泣いてから涙腺がゆるくなってしまっていたのだろうか。

 何にせよ恥ずかしいことに変わりはない。


――しっかりしろ。私は攻略対象おとこなんだから。


 彼らも混乱しているだろう。攻略対象の前で泣くのはヒロインだけで十分だ。


 涙はすぐに止まったが、思いがけず情けないところを見せてしまった。はぁ、と大きく息をついて振り返る。

 改めて礼を伝えると、未だ固まっていたリリー先生が呟くように言った。


「……王子様。あたし、さっき言いすぎだって言ったけど……どうせならもっと言ってやれば良かったと思っちゃったわ」

奇遇(きぐう)ですね、僕もです」


 何の話をしているのか分からず首を傾げる。リリー先生は気にしないでと手を振って私に上着を羽織らせた。辺りは少しずつ暗くなって星が見え始めている。


「僕はこれからやることがあるので……リリー先生。不本意ですが念のためアレンを寮まで送ってもらえますか」

「言われなくてもそうするつもりよ。あんなことがあったばかりだし、変な生徒に絡まれないとも限らないから」


 2人の間で話が進んでいる。これは断れる雰囲気ではなさそうだと思いつつ杖と鍵をふところに入れていると、屋上に明るい声が響いた。


「ご主人ー! 上着なかったよ!」

「テッド!」


 胸に飛び込んで来た黒猫を受け止めながら、そういえば探しに行ってもらっていたのだと思い出す。伝える手段がなかったため頭から抜けていた。彼に助けてもらったというのに申し訳ない。


「すまない、先に拾ってもらっていたらしい。もう大丈夫だ」

「そっか! あれ? ご主人、なんかさっきより元気になった? よかったー」


 テッドは無駄なことをさせられたと腹を立てることもなく、ニコニコと嬉しそうに笑った。それを見ていたセシルが彼に顔を向けて口を開く。


「テッド、話は聞いたよ。アレンを助けてくれてありがとう」


 セシルの言葉にテッドは目を丸くした。次いで私を見上げ、声を弾ませる。


「王子様に褒められた? これってすごいことじゃない?」

「ああ、そうだな」

「やった! ご主人も褒めて!」


 ふわふわの黒猫にそう言われ、つい言われるまま頭を撫でてしまう。元の姿を知っているから今まで躊躇(ためら)っていたが、撫で心地は普通の猫と変わらなかった。


 そこで、ぽつりと声が聞こえた。


「ね……猫が喋ってる……?」


 あ、と顔を上げて気付く。リリー先生は苦笑いを浮かべてテッドを見ていた。彼は魔族のことを知らない。セシルと顔を見合わせてどうしようかと考える。

 そんな私たちより先に、テッドが元気よく答えた。


「うん、喋るよ! だって俺『魔族』だから!」


 慌てて彼の口を塞いだが、先生にはしっかり聞こえていたらしい。

 誤魔化ごまかすこともできず、結局事情を知る人が1人増えることになった。

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