137話 恋心と冤罪③
「セシル王子、よろしければ寮までご一緒に」
「いいえ、それなら是非私と」
「お待ちください。あなた方は同じ班だったではありませんか」
教室を出たところで女子生徒に囲まれ、一歩も動けずに苦笑する。カロリーナと婚約者候補の関係を解消してから、交流系の授業に出るのはこれで3度目だ。
最初は様子を見ていた生徒たちも今では積極的に声を掛けてくるようになった。授業中だけなら嬉しいんだけどな、と心の中で呟く。
もちろん公にはしないが、国王である父上に言われて仕方なく出席しているだけだ。僕自身が婚約者を求めているわけではない。
他の男子生徒に申し訳ないと思うが、王命と言われてはどうしようもなかった。王子である僕が婚約者を必要としていないなんて限界まで隠したいのだろう。
小さく息をついて、にっこりと笑みを浮かべる。
「すまない。僕は生徒会の仕事があるから、君たちは先に寮へ戻っていてくれ」
手伝いも必要ないと伝えると、彼女たちは肩を落として引き下がってくれた。それを見てほっと息をつく。生徒会室に向かうつもりだったのは本当だ。
じゃあまた、と手を振って階段に向かう。ちょうど下からリリー先生が上ってくるところだった。彼は目を丸くして、慌てたように僕を呼び止めた。
「ねえ、王子様。アレンを見てないかしら」
「え?」
真剣な顔で尋ねられ、ふと気付く。何故か彼は制服の上着を抱えていた。もしかして、と眉を顰める。
「見ていませんが……それは、アレンの上着ですか?」
「そうみたい。氷属性の杖も入ってるのよ」
「杖も?」
急いで彼に駆け寄る。確かに上着の懐には氷の杖が入ったままになっていた。氷属性の魔法を使う生徒はほとんどいない。でも、どうして先生はこれがアレンのものだと確信しているんだろう。
疑問に思い、ちらりと視線を向ける。それだけで伝わったらしい。リリー先生は白衣のポケットに手を入れ、何かを取り出した。
それは医務室の鍵だった。ガラスでできた飾りが紐で結び付けられている。
「収穫祭で貰ったの。『お揃い』でね」
次いで彼は抱えていた制服のポケットからも鍵を取り出した。ほとんど装飾のない小さな銀色の鍵だ。そこにも同じ飾りが付いているのを見て、はっとする。
「……間違いなさそうですね」
そう返しつつ、気付けば自分の制服を掴んでいた。これがアレンのものだということは、彼は今杖を持っていないはずだ。
自分で脱ぎ捨てるとは思えない。何かあったのだろうかと不安になってくる。
「アレンは生徒会室にいるはずですが、今もいるかは分かりません」
「生徒会室? おかしいわね。この校舎の近くに落ちてたんだけど」
リリー先生がそう言った時だ。上の階からざわざわと誰かが騒いでいる声が聞こえてきた。先生と顔を見合わせ、階段を駆け上がる。
4階の廊下には生徒たちが集まっていた。どうかしたのかと声をかける前に、彼らの中心にいた女子生徒が声を上げた。
「本当ですわ! クールソン様がイザベラ様を無理やり連れ込んだのです!!」
耳に届いた言葉に、思わず「は?」と低い声が漏れる。つい怪訝な顔をしたまま足を止めずに近寄る。こちらに気付いた生徒たちは慌てて道を開けた。
「嘘だと思われるのであればこの部屋の中をご覧に、……!」
変わらず話し続けていた女子生徒は、僕を見てハッとしたように言葉を止めた。何故か彼女の背後にある扉は土魔法で固めてある。
「……今の話を詳しく聞かせてもらえるかい?」
「え、ええと」
女子生徒はオロオロと視線を泳がせた。確か、彼女はイザベラの取り巻きの1人だったはずだ。本当にイザベラが『連れ込まれた』のだとしたら、外から扉を塞ぐ必要は無いのではないだろうか。
勝手に眉根が寄るのを感じつつ、じっと彼女を見詰める。目線を逸らしたまま、彼女は口を開いた。
「わ、私は偶然通りかかって……その、イザベラ様の悲鳴を聞いて駆け付けたんです。そうしたら、ちょうどクールソン様がこの部屋に入っていくのが見えて」
「この魔法は君が? こんなことをしたら部屋から出られないと思うけど」
「これは、その……証拠を残しておこうと」
「……証拠、か」
ふうと息をつく。要するに彼女はアレンとイザベラを閉じ込めるために扉を塞いだということだろう。
男女が2人きりで室内にいたという事実だけでも生徒たちの噂の種になる。そしてその噂が広まって得をするのは、アレンではない。
屋上庭園で見た手紙を思い出し、ぐっと拳を握る。
「この教室には窓があるだろう。いくら扉を塞いでも、魔法を使えば窓から逃げられるんじゃないか?」
「それは……」
女子生徒は俯いて口ごもった。その様子を見て確信する。
――アレンが逃げられないように、杖を奪ったのか。
おそらく主犯はイザベラだろう。アレンと2人で部屋に入り、生徒たちを集めたところで見せつけるつもりなのかもしれない。彼なら間違いが起こることはあり得ないが、この場にいる生徒たちがどんな風に受け取るかはわからない。
彼にとっては、すでにこの状況が最悪だ。
「……まぁいい。確かめてみよう。本当にここにアレンがいるんだね?」
扉に近付き、手を触れる。横目で女子生徒を見ると、彼女は慌てて魔法を解いた。まずは僕が確かめるからと周りにいた生徒たちを下がらせる。
きっとアレンなら、人が集まっていることは気配で分かっているはずだ。逃げることはできないとしても、せめてどこかに隠れていてくれと祈っておく。生徒たちに姿を見られたら、それがこの場にいたという『証拠』になってしまう。
「ちょっと、王子様。この子の話を信じるの?」
後ろから声を掛けられ、振り返る。リリー先生は腰に手を当てて不安げな顔をした。このまま扉を開けたらどうなるか分かっているのだろう。
小さく首を振って答えようとしたところで、隣にいた女子生徒が息をのんだ。
「あ、あれ? その上着……」
そこでバタバタと足音が聞こえた。生徒たちと共に顔を向けると、1人の女子生徒が息を切らしてこちらへ走ってきた。
彼女はリリー先生を見て、それから彼が抱えている上着に目を向ける。その顔が強張ったことに気付き、彼女もイザベラの取り巻きだったなと思い出す。
どうやらアレンの上着を回収しに向かっていたようだ。リリー先生が先に見つけて拾ってくれて助かった。
彼なら万が一にもアレンを疑うことはないだろう。そっと近付き、アレンの上着から杖を回収しつつ小声で頼む。
「先生、僕が入ったら扉を押さえてもらえますか。他の生徒が入れないように」
「ああ……そういうことね。わかったわ」
彼が頷いたのを確認して扉を開ける。視線が集まる前に素早く体を滑り込ませて扉を閉める。生徒たちがざわついているが、構っている暇はない。
部屋の中を見回して、はてと首を傾げる。
「……アレン?」
今のうちに杖を渡して逃げてもらおうと思ったが、そこに彼の姿はなかった。
取り巻きの彼女があれだけ自信を持って生徒を集めていたのだから、アレンがこの部屋に入ったのは確実だろう。
しかし、どこにも隠れられるような場所はない。1か所だけ窓が開いているのを見て、まさか魔法を使わずに飛び降りたのだろうかと息をのむ。
急いで窓に駆け寄り、下を覗き込む。校舎裏に人の姿はなく、アレンも見当たらない。先程授業で使っていた下の階の窓は閉まっていたはずだ。ここでもないなら彼はどこに行ったんだろう、と首を傾げる。
――すでに脱出していたんだろうか? いや、廊下に彼女がいたから部屋からは出られないはずだけど……。
そう考えて振り返ったところで、ソファーで眠っているイザベラに気付いた。制服が引き裂かれているのが目に入り、ギクリとしてしまう。
そっと近づいて彼女の様子を確認する。破れているのは制服の上半身のみ。特に怪我などもしていないようだ。何故眠っているのかはわからないが、彼女には後で詳しい話を聞く必要がありそうだなと息をつく。
再度アレンがいないことを確かめ、出入口の扉を開け放つ。リリー先生に詰め寄っていた生徒たちが一瞬で静かになる。
そのおかげで、僕の声はハッキリと廊下に響いた。
「この部屋にアレンはいないみたいだ」
「えっ!?」
「そんな、まさか!」
イザベラの取り巻きである2人は顔を見合わせて部屋に飛び込んだ。他の生徒たちは不思議そうな顔をして廊下から様子を伺っている。
入り口に僕とリリー先生が立っているため、それを押しのけてまで中に入ろうとする生徒はいなかった。
僕が先に入ったことは気になるようだが、この数分でアレンを逃がせるわけがない。風魔法なら可能かもしれないが、僕が使うのは火魔法だ。王族の属性は周知されているため、疑いの目は部屋の中を探し回っている女子生徒たちに向けられる。
「なんだ、クールソン様はいないじゃないか」
「驚いたわ。あの方がそんなことをするはずがないもの」
「最初から勘違いだったってこと?」
生徒たちの呟きに、女子生徒は慌てて首を振った。
「い、いいえ! 絶対に、この部屋にクールソン様はいましたわ!! 必ずどこかに隠れていらっしゃるはずです!」
彼女たちはうろうろと教室の中を探し回っている。なんとしてもアレンがこの場にいたことを証明したいらしい。
先程窓から逃げられるのではと話したばかりなのに、その可能性をまったく考えていない。当然だ。彼女たちはアレンが魔法を使えないと知っているのだから。
イザベラの心配すらしないところを見ると、彼女の制服も自分で破いたのだろう。アレンに罪を着せるために。既成事実を捏造して、彼を囲い込むために。
ふつふつと怒りが込み上げる。気付けば、無意識のうちに口を開いていた。
「……偶然見かけただけで、よくそんなに自信を持って言えるね。ここにアレンがいないのだから、見間違いだったかもしれないのに。もしかして君たちは、かなり近くにいたのかな?」
彼がどうやって逃げ出したのかは分からない。でも、この場に彼がいたという証拠はない。それを主張しているのは彼女たちだけだ。
僕の言葉に背後で騒いでいた生徒たちは口をつぐんだ。女子生徒たちは顔を見合わせて、思い出したように声を上げる。
「せ、セシル王子がおっしゃったではありませんか! クールソン様はきっと、魔法を使って窓からお逃げに」
「残念だけど、彼の杖はここにある。杖を手放すと魔法が消えてしまうことはみんな知っているだろう? 彼が氷魔法で逃げることは不可能だよ」
懐に入れていた彼の杖を周りの生徒にも見えるように掲げる。先程の授業で一緒だった生徒たちが、僕が授業後にアレンと会っていないことを証言してくれた。
部屋の中で固まっている2人から目を逸らさずに続ける。
「これで分かったね。アレンはいない。魔法を使って逃げたわけでもない。……君たちが何をしているか、自覚はあるかい? クールソン公爵家の長男であり、魔界へ続く門を封印した聖魔力保持者である彼を、勘違いで侮辱しているんだよ」
親友の僕ですら簡単に手が届かない相手なのに。こんな汚い方法で手に入れようとするなんて。
ギリ、と歯を食いしばる。優しい彼がこんな罠に嵌められてどんな気持ちで逃げ出したか。それを考えるだけで胸が痛くなってしまう。
目の前の彼女たちを睨み付け、口から出る言葉にも力が入る。
「生徒たちを集めてまで何を見せたかったのか知らないけど、そもそも彼がこんな危険を冒すほどの魅力が彼女に」
そこで、ポンと肩を叩かれた。
その衝撃で我に返る。振り向くと、リリー先生が呆れたような顔をして僕を見ていた。彼は首を振って、小声で言った。
「さすがに言いすぎよ。気持ちは分かるけど、周りには他の生徒もいるんだから。部屋にいた彼女の話を聞いてからの方がいいんじゃないの」
「……失礼しました」
自分を落ち着かせようと深く息をつく。つい感情的になっていたようだ。青い顔をしている彼女たちに背を向け、集まっている生徒たちに声を掛ける。
「さて、聡明な君たちには誰が被害者か分かっただろう。変な噂を流さないよう気を付けて。ここは生徒会と先生方で確認するから、暗くなる前に校舎を出てくれ」
生徒たちは戸惑っている様子だったが、言われた通り大人しく離れて行った。教室内にアレンがいなかったこともあり、イザベラたちが勘違いをして騒いでいただけだと判断したようだ。
騒ぎを聞きつけた先生方が階段を上って来たのを見ながら、リリー先生が呟く。
「……それで? アレンは結局どこに行ったのかしら」
「分かりません。少なくとも部屋の中にはいませんでした」
「閉じ込められたのに、魔法も使わずに脱出したってこと?」
それなら今はどこにいるのか、と揃って頭を捻る。アレンが向かうとしたら生徒会室か図書館、寮の部屋くらいしか浮かばない。しかしどこへ行くにしても、窓から外へ出なければならない。
集まった先生方にイザベラと女子生徒2人を任せて窓に目を向ける。地面に下りた形跡はなかったし、廊下にも出られない。となると、残されているのは……。
「……上?」
ほとんどの生徒は存在すら知らない秘密の庭園。
その扉の鍵を上着ごと抱えたリリー先生は、僕の視線を受けて首を傾げた。