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130話 ふさわしい主

 学園長室の中に入るのは何度目だろう。向かい合って来客用のソファーに座った学園長は、自ら淹れた紅茶を美味しそうに飲んでいる。

 私の前にも2つカップが置かれているが、隣に座ったテッドは紅茶よりも部屋に興味があるらしい。黒猫姿のまま首を動かし、あちこちに目を向けて物珍しそうにしている。


 そっとカップを置いて、学園長がにっこりと笑った。


「さて。よろしければ、お話しいただけますかな」


 柔らかい口調で言われ、小さく息をつく。予定が1日早まっただけだが、まさかこんな形で話すことになるとは思わなかった。

 どこから説明すべきかと考え、膝の上で拳を握って顔を上げる。


「信じ(がた)い話かと思いますが……私は昨日、魔界に行って参りました」

「魔界、ですか?」


 学園長はわずかに目を見開いた。小さく頷いて、話を続ける。


 どうやら彼は、私が神殿前で行方不明になった件を知っていたらしい。その時に魔界に行っていたこと、そこで魔族と出会って治療をしたこと。魔王が人間界に来たがっていることを伝えると、学園長は目をぱちくりとした。

 さすがに前世の記憶や乙女ゲームについて話すわけにはいかない。魔王は人間と親しくなる目的で、門を使わずに移動してくるつもりだと説明する。


「ということは、そこの彼も魔族なのですか?」


 学園長がテッドに目を向ける。私が答える前に、テッドが元気よく答えた。


「そうだよ! 俺も魔族!」


 まったく敬語を使う気がない彼にギクリとする。が、学園長は特に気にした様子もなく(ひげ)を撫でた。そして、困ったように笑う。


「正直に申しますと、今まで魔族を目にしたことがなかったものですから。こうして喋る猫の姿を見ているので信じざるを得ませんが、それにしても驚きました」

「……私も実際に彼らに会うまでは、伝承でしか知りませんでした」


 ちらりと隣に座る黒猫を見る。テッドはぱっと嬉しそうな顔をすると、私の膝に乗って来た。その様子を、目の前の学園長は珍しいものを見るように眺めている。


 彼は考える素振りをして、私に顔を向けた。


「このことを他に知っている方はいらっしゃいますか?」

「いえ、……まだ誰にも」


 ルーシーには話しているが、彼女は罪人ということになっている。何故彼女にと聞かれた時に説明できる理由もない。元から学園長に最初に伝えるつもりだったと答えると、彼は首を傾げた。


「どうして私なのでしょうか? それであれば、セシル王子から国の上層部へ話を通してもらった方が確かなのでは」

「それは……」


 彼の言うことはもっともだ。これは簡単な問題ではない。魔界と人間界を繋ぐ話なのだから、本来なら国同士で話し合うべきことだろう。学園長には直接関係ないし、まだ学生である私が口出しするようなことでもない。

 それでも彼に相談しようと思ったのは、ここが学園を舞台とした乙女ゲームの世界だからだ。


 少し間を置いて彼に向き直る。魔界に長居できなかったため、ジャックから聞いた情報はあまり多くない。その中で分かっていることだけを学園長に伝える。


「魔王は、魔族を生徒として学園に入学させたいと考えているようです。それならまずは学園長にご相談すべきかと」

「なるほど……そういうことですか。できるだけ大事おおごとにせず、人間との交流をこころみているということですな。その入学させたい魔族というのが、黒猫の彼ですか?」


 その質問には「わかりません」と首を振る。テッドかギルか、もしくは彼ら全員か。それを決めるのもこれからだ。


「本当は、魔王が1週間後に来て話し合う予定だったんです。その前にテッド……この彼が来たのは、魔王にとっても予想外だと思います」


 膝に目を向けると、黒猫は自分の名前が呼ばれたのも構わず伸びをしていた。ふわふわの毛並みをつい撫でたくなるが、元の姿を知っているため躊躇ためらってしまう。


 話を聞いた学園長は、納得したように頷いた。


「わかりました。では、魔王がこちらに来た際に改めて話し合うことにしましょう。会ってみなければ分からないこともありますからね。1週間後とのことですが、予定が変わる可能性もあるでしょう。またその時にお声掛けください」

「……私が言うのもなんですが、信じてくださるのですか?」


 疑われるでもなく洗脳を心配されるでもなく、あっさりと理解を示した学園長に驚いてしまう。こんな突拍子(とっぴょうし)もない話を信じてくれるなんて。目の前にテッドがいたからだろうか。


 戸惑っていると、彼は眉を下げて笑った。


「他でもないクールソン殿からの情報ですから。私にお話しいただいたということは、それだけ信頼してくださっているのでしょう? あなたは学園だけでなく、この国を守られた立派なお方です。ご期待に応えたいと思うのは当然ですよ」

「学園長……ありがとうございます」


 温かい目を向けられ、頭を下げて礼を伝える。とはいえ魔族が学園にいると知られるのはあまりよろしくない。魔王が来るまで、テッドには他者が立ち入れない寮の部屋にいてもらうことにする。


 ふと、学園長が呟くように言った。


「ところで、魔王や他の魔族も猫の姿をしているのですか?」


 あ、と大事な情報を伝え忘れていたことに気付く。本当はテッドも猫ではなく人間の姿をしていると伝えると、学園長は目を丸くした。実際に人型に戻ってもらおうと思ったが、黒猫はいつの間にか膝の上で寝息を立てていた。


「そうですか……本来は人の姿をしているのであれば、クールソン殿のお部屋では窮屈(きゅうくつ)でしょう。彼のために別室を用意いたしましょうか」

「いえ、大丈夫です。後で彼にも、できるだけ猫の姿でいるよう頼んでおきます」


 せっかくの申し出だったが、まだ彼が学園に入ると決まったわけではない。それに目を離すと何をするかわからない。近くで見ていた方が安全だろう。

 手を振って断ると、学園長は「クールソン殿がそうおっしゃるなら」と苦笑いを浮かべた。


 学園長の反応に首を傾げつつ、テッドを抱えたまま部屋を出る。

 結局、寮に着いたのは18時の鐘とほぼ同時だった。




===




 部屋を出て行くジェニーを見送って、ふうと息をつく。時間に間に合ったのは良かったが、連れ帰った黒猫に彼女は驚いていた。

 学園長に許可を取ったとは伝えたが、よく考えれば彼女も猫は苦手なはずだ。申し訳ないが数日だけ我慢してくれと説得して、なんとか受け入れてもらった。


 テッドが寝ていたからよかったが、起きていたらきっと所構(ところかま)わず喋っていただろう。後でルールを決めておかねば、と振り返る。ちょうど彼がベッドの上で伸びをしているところだった。


「……あれ? ここどこ?」

「私の部屋だ。この中なら自由にしていい」


 部屋からは勝手に出ないようにと付け加えつつ、ベッドに近寄る。テッドは顔を上げてこちらを見ると、「自由?」と首を傾げた。


「ここなら人型に戻ってもいいってこと?」

「ああ。私の他に誰もいない時なら構わない」


 カーテンが閉まっているのを確認して頷く。その瞬間、ぶわと黒猫の周りを黒い(もや)が覆った。数秒の間を置いて、魔界で出会った彼の姿が現れる。

 猫になっても服はそのままらしく、黒いシャツとズボンにしっかり靴まで身に着けていた。ベッドの上にいるなら靴を脱いでくれと言いかけたところで、テッドが顔に怪我をしていることに気付いた。


「その怪我、どうしたんだ?」

「あ、これ? ご主人に会う前にここと似たような建物があってさ。近付いたら弾かれちゃったんだよね」


 猫の時は気付かなかったが、もしやずっと怪我をしていたのだろうか。ここと同じような建物といえば、おそらく女子寮のことだろう。

 彼が男性だったからか、学園の生徒ではなかったからか。寮に設置されていた防犯用の魔道具が作動したのかもしれない。


 テッドは気にした様子もなく欠伸あくびをしているが、(ほお)に赤い(あざ)が残っていて痛々しい。ただ冷やすだけでは数日残ってしまいそうだ。

 放置するわけにはいかないが、魔族である彼を医務室に連れていくのも難しい。少し考えて私もベッドに上がる。彼の近くまで移動して、左手の指輪を外す。


「怪我の治療をするからこっちを向いてくれ」

「え、これも治してくれるの?」

「今は他に方法がない」


 片手を彼の頬に当ててヒールを唱える。ふわりと柔らかい光が傷を包み、あっという間に痣が消えた。

 それを確認して手を離すと、テッドは不思議そうな顔をした。


「もう治ったの?」

「怪我をしてから治療までが早かったからな」


 傷も見た目ほど酷くはなかった。彼の目を治した時に比べれば魔力もほとんど使っていない。

 これでよしと指輪を()め直したところで、彼がぽつりと呟いた。



「……やっぱり、優しいね。アレン様」



 え、と声を漏らしたのと同時に視界が回転する。ドッと背中に衝撃を感じて顔を上げると、私を覗き込むテッド越しに天井が見えた。

 そこでようやく、押し倒されたのだと理解する。


 彼はじっと黄色い瞳で私を見下ろして言った。


「ねぇ、魔族の俺を簡単に部屋に入れてよかったの?」

「……何?」

「人間には牙もないしつのもない。杖を使わないと魔法だって使えないんでしょ? 魔族の俺が怖くないの?」


 どこか不安げ表情が目に入り、口をつぐむ。求められている答えは分かったが、口で言うだけでは意味がないかもしれない。

 テッドはぐっと拳を握って続けた。


「俺は魔族の中でも特殊で気配が薄いし、魔王様やギルと違って夜目も()く。普通の魔族より危険だよ? ……なんで怪我を治してくれるの? なんで部屋にれてくれたの? 俺がその気になれば、アレン様くらい簡単に殺せちゃうのに」


 するりと彼の手が首に触れた。脅しのような言葉とは裏腹に、彼からは敵意も殺意も感じない。何故そんなことを言い出したのかは分からないが、きっとテッドにとっては必要なことなんだろう。

 小さく息をついて彼と目を合わせる。


「君は人間とどうなりたいんだ?」

「え……」

「魔族の力でねじ伏せたいと思っているのか?」


 尋ねると、テッドはハッとした顔をした。首に当てられていた手が離される。彼は私を押し倒した体勢のまま、首を横に振った。


「……思ってない」

「それなら、冗談でも『簡単に殺せる』なんて言っては駄目だ」


 ガシと彼の手を掴み、横向きに体重をかけて持ち上げるように体を反転させる。上下が入れ替わり、今度は私が彼を押し倒す体勢になった。

 滅多めったに使う機会のない護身術だが、護衛兵と訓練していた甲斐(かい)があったようだ。


 何が起こったか分からないというように目を丸くしているテッドを上から押さえつける。彼は何度か体を(ひね)ろうとした後、怪訝(けげん)な顔をして呟いた。


「……動けない」

「動けないように押さえているからな」


 ふう、と息をついて彼の上から退く。おそるおそる体を起こした彼に向き直って口を開く。


「何も考えず部屋にれるわけがないだろう。他の生徒もいるのだから」


 彼が本気で人間と敵対する気がないと分かっていたのもあるが、万が一本気だったとしても簡単にやられるつもりはない。

 私には魔族である彼を監視する責任がある。いざという時に全く対応できないようでは、傍にいる意味がない。


「人間は、君が思っているほど弱くはないぞ」

「……ごめんなさい」


 しょぼんと肩を落とした彼を見ていると、ふと黒猫の姿が頭に浮かんだ。よく見るとふわふわした黒髪がそっくりだ。


 これくらいにしておくかと再度息をついて、部屋の中心に置かれたテーブルに目を向ける。一応夜食用として1人分の食事を頼んでおいたため、テーブルの上には手つかずの料理が並んでいた。食堂に入るわけにはいかない彼の分だ。


 ベッドから降りてテーブルに近寄る。


「テッド、君は夕食を食べていないだろう。人間の食事と同じでいいのか?」

「えっ……それ、俺の? 食べていいの?」


 頷いて返すと、テッドは「やった!」と顔を輝かせた。さっそくソファーに座った彼に、一応寝る前には猫の姿になるように頼んでおく。朝にはジェニーが入って来るため、人型のテッドがいたら驚かれてしまう。

 合わせて人前では喋らないようにと念を押しつつ、向き合ってソファーに座る。左手の指輪から神殿に聖魔力を送ろうとしたところで、彼は私を見て笑った。


「アレン様は魔法を使わなくても強いんだ」


 次いで、嬉しそうに声を弾ませる。



「やっぱり、俺のご主人様にふさわしいね!」



 その言葉で、はたと気付く。彼は『ご主人様』である私に会うため、と勝手に魔道具を使って人間界へ来た。つまりあるじと認めた相手の傍にいるためなら、多少常識外れな手段も選んでしまうような性格だということだ。


――もしかして……ふさわしくないと思われるべきだったのか?


 一瞬だけ後悔の念が頭をよぎったが、もはやどうしようもない。今更かと気を取り直して聖魔力を送る。食事中の彼は、先程の真剣な顔とは打って変わってニコニコと楽しそうにしている。


「ねぇ、ご主人! 今日は一緒に寝てもいいの?」

「……まぁ、猫の姿なら」


 敵視されるよりはマシか、と心の中で呟く。

 テッドの行方(ゆくえ)を魔王が察したのは、翌日のことだった。

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