129話 白家と黒猫
セシルと並んで誰もいない廊下を歩く。彼はちらりとこちらに視線を向けると、小さく笑って口を開いた。
「まさか戻ってきて真っ先にアレンに会えるなんて思わなかったよ」
「私も会えるとは思ってなかった。視察は無事に済んだのか?」
「うん、まぁね。……色々と気になることはあったけど」
「気になること?」
セシルは頷くと、手に持っていた数枚の書類を差し出した。学園長に見せようと考えていたが、休日のためか不在だったらしい。
視察の件は生徒会長ではなく王子として向かったはずだ。何故学園長に渡すつもりなのだろう。
「私が見ていいのか?」
「アレンなら大丈夫だよ。生徒会にも関わってくるかもしれないから」
彼の言葉で書類を受け取り、立ち止まって目を通す。
今回セシルが向かったのは、以前事故があったウィルフォード領内の魔鉱石採掘場だ。視察では事故の被害や原因などについて、現場責任者から調査結果の報告と説明を受けたらしい。
採掘場周辺は確認できたが採掘場内は一部崩壊している場所もあったため、立ち入り禁止になっていたという。
ぱらりと書類をめくる。事故の原因として挙げられていたのは、坑道内の灯りとして使われていた魔道具の暴走だった。状況から魔道具自体に問題があったわけではなく、人為的な操作によるものだと考えられているようだ。
書類には作業員たちの怪我の程度や当日の様子が詳細に記されていた。そのまま一番下に書かれていた管理者の名前を見て、はっとする。
「ハリス・ホワイト伯爵……?」
――『ホワイト』って……まさか、エミリアの?
思わずセシルに目を向けると、彼は肯定するように首を縦に振った。エミリアから聞いた家名は、まだ彼には伝えていなかったはずだ。きっとセシルには最初から分かっていたのだろう。
彼女は何も知らないかもしれないが、どこで誰が聞いているか分からない。父親である可能性は声に出さず、再度書類に目を落とす。
「何故ウィルフォード領内にホワイト伯爵所有の採掘場があるんだ?」
「君が知らないのも無理はない。先月、この採掘場の権利が競売にかけられていたらしくてね。そこで管理者が変わったようだ」
元はウィルフォード家が所有していたらしい。しかし農業に専念するため管理を委託することになり、複数の貴族が名乗り出たそうだ。結果としてホワイト家に所有権が移ったが、その直後にあの事故が起きてしまった。
「事故が起こった時にはホワイト家が管理していたということか。魔道具の操作方法に問題があったのか?」
「いや、というより……証拠隠滅のために、伯爵が意図的に起こした事故ではないかと考えられている」
「証拠隠滅?」
あれはただの事故ではなかったのだろうか、と怪我をしていた人々の姿が頭に浮かぶ。もしあれが意図的に起こされたのなら、とても許されることではない。
セシルは小さく息をついて言った。
「ホワイト家には以前から公金の着服や報告書の偽装をしていた疑いがあってね。採掘場の権利を手に入れた際の資金源も不明だったし、実は少しずつ調査が進められていたらしいんだ」
彼は私から書類を回収すると、眉を顰めた。
「今まではなかなかボロを出さなかったけど、最近エミリアとノーラが逃げ出してきただろう? それで情報が漏れたと思ったのかもしれない。彼女たちが現れた後にあの事故があったからね」
「採掘場に隠し部屋でもあったのか?」
「僕が直接見たわけではないけど、採掘用ではない謎の空間はあったみたいだよ。しかもそれは、管理者が変わった後に急遽増築されたらしい」
「……それは怪しいな」
気付けば拳を握りしめていた。会ったことのないホワイト伯爵がどんな人かは分からない。しかし話を聞く限り、良識のある人物ではなさそうだ。
おそらく彼の娘だろうエミリアの傷痕を思い出し、眉根を寄せる。
ただ何をするにしても証拠がない。採掘場にあった空間は完全に瓦礫に潰されていて、魔法を使っても調査が難航しているらしい。
ホワイト伯爵の行動は早く、事故の直後には後妻であるベロニカ夫人と共に屋敷から姿を消したようだ。残された使用人たちは取り調べを受けたが、大した情報は出なかったという。
衛兵だけでなく王宮魔術師も追跡に動いているものの、相手は貴族だ。秘密裏に違法魔道具を所持していてもおかしくはないし、中には逃走に特化したものもあるかもしれない。
「学園長にその報告書を渡そうとしていたのは、エミリアのためか?」
私がそう尋ねると、セシルは歩みを再開しながら頷いた。校舎を出て寮へ向かう道を進む。
「彼女を学園で保護すると聞いたからね。伯爵が国境を越えるつもりなら、娘も連れていこうとするかもしれない。……良い意味ではなく、悪い理由でね」
その言葉に「なるほど」と呟く。エミリアが聖魔力を持っていることは当然彼らも知っているだろう。
国外に聖魔力保持者がいるという話は聞いたことがない。彼女を連れていけば、言い方は悪いが『金になる』と考える可能性がある。
「君が先に動いてくれていて助かったよ。エミリアがずっと神殿にいたら、知らない間に連れていかれてしまうところだった」
「まぁ、おかげで生徒会長の仕事を増やしてしまったがな」
「彼女が入学した先週分の報告書だろう? 明日まとめて確認するよ」
セシルは眉を下げて笑った。そして周囲に誰もいないことを確認すると、こちらを向いて首を傾げた。
「学園内のことは報告書に書かれていると思うけど。僕がいない間、それ以外には何もなかったかい?」
そう尋ねられ、咄嗟に答えられず口をつぐむ。その反応で気付かれてしまったらしい。彼は目を丸くすると、次いで怪訝な顔をした。
「何かあったんだね?」
「いや……」
どうしようかと視線を逸らす。魔界のことを伝えるにしても、明日学園長に相談してからにしようと思っていた。こんな誰が聞いているか分からないような場所で話すわけにもいかない。
迷っていると、セシルはぐっとこちらに顔を寄せて声を落とした。
「君の親友である僕にも言えないことかい?」
そう言われては話すしかない。小さく息をついて彼に向き直る。
実はと口を開きかけた瞬間、何かが私たちの間に降って来た。
反射的に足元に目を向けたところで、その正体に気付く。
「……黒猫?」
成猫らしき大きな猫は、ふわふわした尻尾を体に巻き付けてこちらを見上げた。同じように猫を見下ろして、セシルが不思議そうな顔をする。
「珍しいね、黒猫なんて。学園内で見るのは初めてじゃないか?」
「そうだな……灰色の猫はよく見かけていたが」
よく中庭にいたあの猫は学園長の飼い猫だったはずだ。もしかして、この黒猫も学園長の猫なのだろうか。
そう考えていると、ふいに黒猫の黄色い瞳が私を映した。
「あ、ご主人!」
猫の口から飛び出した言葉に顔が強張るのを感じる。聞き間違いだろうかとおそるおそるセシルに目を向ける。
彼は信じられないものを見たというような顔をして、呆然としていた。
「……今、猫が喋らなかったかい?」
ぽつりと零された疑問にそれが空耳ではなかったことを理解する。まさかとは思ったが、私に向かってそんな呼び方をする相手なんて心当たりは1人しかいない。
さっと猫を抱き上げ、余計なことを言わないよう片手で口を塞ぐ。
「空耳だろう。視察で疲れているのかもしれない。とりあえず私はこの子を中庭に連れていくから、セシルは先に寮へ戻っていてくれ」
「え、アレン?」
「私もすぐに追いつく。すまない、またあとで」
きょとんとしている彼に背を向け、これ以上何かを聞かれる前にと走り出す。
腕の中で黒猫は何故か嬉しそうな顔をしていた。
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中庭を通り過ぎてそのまま校舎裏へ向かう。辺りに誰もいないことを確認し、しゃがんで黒猫を地面に下ろす。彼は私を見上げて残念そうな顔をした。
「えー、もう抱っこ終わり?」
「……やはりテッドなのか? 何故ここにいるんだ」
猫の姿だが、その声には聞き覚えがあった。次々と頭に浮かんでくる疑問を落ち着かせるように軽く息をつく。
テッドは大きく頷いた。
「うん、俺だよ! ご主人に会いにきたに決まってるじゃない」
「そういうことを聞いたわけじゃない。ジャックが『1週間後に』来るという話だっただろう」
彼は一緒じゃないのだろうか。それとも何か事情があって先にテッドを送ったのか。そう思ったところで、黒猫の腕に金色の腕輪が付いていることに気付く。
「もしかして、勝手に来たのか?」
「魔道具は必要なら自由に使っていいって言われてるよ? これが入ってた箱には鍵が付いてたから壊したけど」
人間界と魔界を移動するための魔道具は、他の魔道具と分けて箱に仕舞ってあるらしい。普段はジャックが鍵を持っていて開けられないようになっているが、テッドはそれを壊して腕輪を持ち出したようだ。
つまり勝手に来たんだな、と頭に手を当てる。
「その魔道具があるなら帰れるだろう。用がないなら魔界に戻ったほうがいい。ジャックと話し合ってから今後どうするか決め……」
「帰れないよ! 俺に移動する力はないし、この魔道具は魔法消耗型だから」
今のこれはただの腕輪だと笑う彼に目を丸くする。消耗型ということは、こちらの世界に来る時に使用したから魔界に戻る力はないということだろう。彼を送り返すためだけに魔界の門を開けるわけにもいかない。
――テッドを帰らせるには、ジャックに直接来てもらうしかないということか。
こちらから連絡する手段がないため、彼らがテッドの不在に気付くのを待つしかない。ついため息をついてしまったところで彼は首を傾げた。
「ご主人は俺が来て嫌だった? 会いたくなかった?」
「そういうわけでは……」
改めて言われると返答に困ってしまう。口ごもっていると、テッドは申し訳なさそうに空を見上げて言った。
「さっきから魔王様に呼ばれてるけど、こっちからは返事できないんだよね。だからご主人が邪魔だと思っても、魔王様が来るまではどうしようもないんだ」
「……呼ばれている?」
どういうことだろう。もしや、彼らは何か連絡を取ることができる魔道具を持っているのだろうか。身に着ける型の魔道具も人間界にはなかったものだし、知らない魔道具があってもおかしくはない。
「彼はどうやって君を呼んでいるんだ?」
「『魔王様』だからね! 魔族には一方的に命令できるんだよ。念話っていうんだって。魔王様はほとんど使わないし、行動を強制するものでもないんだけど」
どうやらジャックは、すでにテッドがいないと気付いているらしい。「俺を探してるみたい」とどこか楽しげな彼を見ていると、おそらく過去にも色々あったんだろうと推察する。思い返せば『テッドは言い出したら聞かない』とも言っていた気がする。
しかし、もう来てしまったものは仕方がない。ジャックが来るまでは私の傍にいてもらったほうが安全だろう。
猫の姿であれば寮の部屋でも……と、そう考えたところでハッとする。
「そういえば、どうして猫になっているんだ? 魔族は動物に変身できるのか?」
彼が人間界に来たことに驚きすぎて、猫の姿になっていることを指摘するのが遅くなってしまった。ジャックやギルも猫になるのだろうかと思っていると、テッドは首を振った。
「俺だけだよ! 昔ギルに噛まれた後遺症で好きな時に変身できるようになったんだ。ご主人をびっくりさせようと思って変身してみた」
その答えを聞いて、頭の中に疑問符が浮かぶ。猫になれるのは彼だけだと分かったが、聞き流すわけにはいかない単語が出てきた。
少し考えて彼に向き直る。
「もしかして、魔族に噛まれると良くないのか?」
「うん、魔族はみんな牙に毒を持ってるからね」
「毒?」
知らなかった情報に眉を顰める。魔族は危険なだけの存在ではないと学園長に説明するつもりが、ここにきて危険としか思えない話が出てきてしまった。
私の様子を見ていたテッドは、慌てて言った。
「大丈夫だよ、死んだりするような毒じゃないから! ただ一時的に体が変わっちゃうだけでちゃんと戻るよ。俺が特殊なだけ! ギルに噛まれたのも小さい頃の話だし、俺はご主人を噛んだりしないから安心して!」
「……私だけではなく、誰も噛まないでくれ」
「分かった!! 絶対噛まないよ!」
完全に口約束だが、今はこれでいいかと息をつく。ここは彼の言葉を信じるしかない。意図的でなければ、誰かを噛む機会なんて滅多にないだろう。
――誰かに彼らを信じてもらうためには、まず私が彼らを信じなければ。
とりあえずテッドをこのまま置いていくわけにはいかない。手を伸ばして黒猫を抱え上げ、立ち上がる。
「ジャックが来るまでは私と一緒にいよう。勝手にどこかに行かないでくれ」
「え、いいの? やった! ご主人と一緒にいる!」
「明日学園長に相談するから、それまでは……」
そう言いかけたところで、後ろから声が聞こえた。
「今からでも構いませんよ」
え、と驚いて振り返る。中庭の辺りに黒いローブが見えて固まってしまう。今日は不在だったのではないのだろうか。テッドと話していたせいで、近付いてくる気配に気付けなかったようだ。
学園長は私が抱えている黒猫に視線を向けると、柔らかく微笑んだ。
「クールソン殿。その彼も一緒に、学園長室でお茶でもいかがですかな」
これは18時までに帰れないかもしれない。
心の中でジェニーに謝りつつ、彼に付いて行くしかなかった。