127話 来訪者と新しい出会い③
テッドの目は包帯に覆われていたが、確実に期待を込めて私に向けられていた。聞けば、その傷は10年以上前に負ったものらしい。瞼が開かない状態だが、怪我さえ治れば見えるようになるはずだという。
隣で話を聞いていたギルは怪訝な顔をする。
「今まで見えなくても平気だったんじゃないのか。なんで急にそんなことを言い出したんだ?」
「治す方法がなかったからね。でもあの聖魔法を受けてから、魔王様の気配がすごく強くなったんだよ。今までどんどん弱まってたのに完全復活って感じ。これなら俺の傷にも効くかもしれない」
テッドは包帯に手をかけると、するすると外し始めた。私はまだ何も答えていないが、すでに治療を受けるつもりのようだ。酷い火傷のような痕が前髪のすき間から見えてドキリとしてしまう。
「よく分からないけど、これから何か始まるんでしょ? それなら見えないより見えてたほうが良いよね。目を使わないのに慣れてただけで平気なわけじゃないし」
それを聞いてギルは口をつぐんだ。彼は本気だと理解したらしい。どうする、と問いかけるような視線を向けられて迷ってしまう。
聖魔法を魔族に使っても問題ないのは分かったし、治せるなら治したいと思う。しかし、本当に『私』が治療してもいいのだろうか。
――彼も攻略対象なら、治療するのはヒロインであるエミリアの役目なのでは。
彼女だけの力では難しいかもしれないが、何度も治療を繰り返すことで治る可能性もある。もしこの先本当に彼らが人間界に来るのであれば、神殿を訪れる機会もあるかもしれない。
そう考えていると、テッドが懇願するように言った。
「試してみるだけでも駄目? 俺、魔王様を治した人間の顔が見てみたい」
「いや……、一度ジャックに確認してみないと」
そこで部屋の扉が開く。話が聞こえていたのか、ジャックは苦笑しながら歩いてきた。手には紐で束ねられたメモのような物を持っている。
「まぁ、試すだけ試してもいいんじゃね? テッドは言い出したら聞かねえし」
「いいのか?」
「アレンが辛くなければな。でも、今すぐ完治させるのは無理だと思うぞ。古い傷はそう簡単には治らんだろ」
「……それもそうだな」
彼の言葉に納得する。そもそも古傷は体に馴染んでしまっていて、聖魔法でも治らないことが多い。期待させて先延ばしにして、万が一治らなかったら酷だろう。
改めてテッドに向き直り、椅子に座ったまま手を伸ばす。彼の顔を両手で挟んで先程と同じ呪文を唱える。
その瞬間、辺りが白い光に包まれた。
トクンと心臓が鳴る。大量の魔力が手を伝って一気に流れていく。先程ジャックを治療した時とは比べ物にならない消費量に、少しだけ眉を顰める。
考えてみれば当然だ。見えない状態でもこれだけ動くことができているのだから、もはやこの傷は彼の一部になっているのだろう。治すためには、それだけ大量の魔力が必要になる。
視界の端に不安げな顔をしたギルが映ったところで、ふっと光が消えた。なんとか魔力切れにはならずに済んだようだ。深く息をついて目の前の彼を見上げる。
蜂蜜のような透き通った黄色い瞳が、ぱちくりと瞬いた。
「……見える」
ぽつりとテッドが言葉を零す。彼は両手で頬に添えられた私の手を握ると、慌てたように捲し立てた。
「お……俺の目、変じゃない? 気持ち悪くない? 怖くない?」
「ああ、大丈夫。とても綺麗だ」
ちゃんと治っているか不安なのだろう。安心させるように答えると、彼は目を丸くした。同じように目を丸くしていたギルが「すごい」と声に出さずに呟く。
顔の半分に広がっていた火傷もすっかり消えている。視力も問題ないようだ。よかったと思わず頬が緩んだところで、はっとした。
おそるおそるジャックを振り向くと、彼は複雑な顔をして固まっていた。
治らない前提で試してもいいと言っていたはずだ。完治はまずかったかと目で尋ねると、彼は片手で頭を押さえた。
「ちょっと確認させてほしいんだが……アレンは、聖女と『間違って』連れてこられたエミリアのポジションってことでいいんだよな?」
「……いや、聖女と呼ばれているのは私だ」
「え? 聖女は門を封印した前作ヒロインだろ?」
「門を封印したのも私だ」
ジャックは訳が分からないという顔をする。その反応に、つい苦笑してしまう。とりあえずこれを話せば分かるだろうかと、伝えるか迷っていた情報を口に出す。
「前作のヒロインも、転生者なんだ」
「マジかよ……!?」
彼は、私にもエミリア程度の聖魔力しかないと思っていたらしい。だからこそ治療を許可したのだろう。しかし実際は、テッドの怪我を完治させてしまうほどの魔力を持っていた。
メモ帳を投げるように置くと、ジャックはテーブルに手をついて項垂れた。何かを考えるように数秒黙り、ちらりと私に視線を向ける。
「ほんとはこれもルートイベントの1つだったんだが……ま、いいか。最初からテッドルートには行かせるつもりなかったし。アレンは大変かもしれねぇけど」
「大変?」
どういう意味だろうと首を傾げたところで、ガシッとテッドに肩を掴まれた。
驚いて顔を上げる。向けられた黄色い瞳がキラキラと輝いている。
彼は私と目を合わせると、嬉しそうに声を上げた。
「決めた! アレン様、俺のご主人様になってよ!!」
ごしゅじんさま、と聞き慣れない単語に目が点になる。その言葉を理解する間もなく、テッドは躊躇いなく目の前に跪いた。
あまりの急展開に頭の中が疑問符で埋まる。
「き、君の主は魔王じゃないのか?」
「違うよ! 魔王様は魔王様で、ご主人とは別だよ」
食い気味に答えが返ってきたが、正直よくわからない。ジャックが苦笑いを浮かべて付け足した。
「テッドは代々続く『従者』の家系で……いや、分かり難いか。とにかく気配の薄さを利用してあちこちに仕えてた一族の出身だから、ご主人様が欲しいんだと」
「魔王様はそのうち俺が仕えるべき相手が見つかるってずっと言ってたんだ。きっとアレン様のことだったんだよ!」
テッドはそう言って顔を輝かせた。ジャックが言っていたのはおそらくエミリアのことだろう。テッドルートに進んだヒロインが怪我の治療をして彼の主になるはずが、その役を私が奪ってしまったらしい。
大丈夫なのだろうかと不安に思ったが、今更否定できるような雰囲気ではなかった。テッドは断られる可能性を一切考えていないらしく、ニコニコしている。
「すぐ受け入れるのは難しいかもしれねぇけど、味方が1人増えたと思ってくれればいい。性格はだいぶ変わってるはずだし、たぶん大丈夫だろ」
目を逸らしながらそう言うと、ジャックはメモ帳を手に取った。若干含みのある言い方だったが、それ以上深く話す気はないようだ。
前世の記憶が記録してあるらしいそれをぱらりとめくり、私の前に差し出す。
「思い出した直後に日本語で書いたんだ。アレンは読めるか?」
受け取ったメモに目を通す。が、それが日本語だということしか分からない。以前自分で書いた記録が読めなくなったのと同じく、内容は頭に入ってこなかった。
矢印など記号の意味は分かるが、他の文字もすべて記号のように感じてしまう。
「いや、読めない」
「やっぱりか。俺もこの前から急に読めなくなったんだ」
「ゲームの内容はうろ覚えなのか?」
「だいぶ忘れてるし、大まかにしか覚えてねぇな……本編に関係ないような、どうでもいいことはちゃんと覚えてんだけど」
彼の返事を聞きつつメモをめくる。ふいに書かれている文字が霞んだ。
「……あれ?」
不思議に思った瞬間、ズキンと先程から感じていた頭痛が一層強まった。手から力が抜けてしまい、滑り落ちそうになったメモをジャックが掴む。
「アレン!? おい、大丈夫か!?」
「ご主人!!」
慌てている声が耳の中で反響する。たくさん魔力を消費したせいで疲れたのだろうか。偏頭痛のようにズキズキと痛みが走り、頭から血の気が引くのを感じる。
ジャックは私の体を支えながら言った。
「まずい、『瘴気酔い』だ! 聖魔力持ってても魔界には長居できねぇのか……すぐに帰らせねえと!」
「人間の瘴気酔いならキスで治るんじゃないの?」
「それは女の子相手の時だけだって言っただろ!」
何の話をしているのか分からないが、くらくらと回る視界のせいで深く考えられない。どうやら人間は魔界に長時間滞在できないらしい。魔王城には結界が張られているようだが、今の魔界は瘴気の影響が強すぎるのだという。
ばたばたとギルが駆け寄ってきて、何かを懐から取り出した。
「魔王様、こちらを! 彼を連れてくる時に使ってしまったのですが」
「分かった、すぐ補充する!」
右手に冷たいものが触れるのを感じ、無意識のうちに閉じかけていた目を向ける。黒い石が嵌められた金色の腕輪を私の腕に通して、ジャックが呪文を呟いた。
石が一瞬だけ光ったのを確認し、彼は早口で説明する。
「これは俺が作った魔道具だ。とりあえず色々と準備をして、1週間後くらいに俺が人間界に行く。その時に改めて学園のことを相談させてくれ」
「……わかった」
なんとか返事をすると、ジャックはそっと私の手を引いて椅子から下ろした。そのまま移動するのは危険だと判断したらしい。
「俺が魔力を流したら元いた場所に移動するからな。急に倒れないように気を付けろよ。またな、アレン」
最後に彼の申し訳なさそうな顔が見えて視界が黒く染まる。次の瞬間、目の前に見慣れた神殿の門があった。
別れがかなり駆け足になってしまったなとため息をつく。あっという間のことに夢でも見ていたような気分になる。
瘴気から離れたためか、徐々に頭痛は消えていった。しかし代わりに酷い眠気に襲われ、ぐらりと体が傾く。
座った状態で移動したのは正解だった。そう思うと同時に、別れる直前ジャックが言っていたことを思い出す。
――1週間後、か。
これからも忙しくなりそうだ。
近付いてくる誰かの気配を感じながら、心の中で呟いた。
===
アレン様が姿を消して1時間が経過した。
外はすでに暗くなっている。神殿には大勢の衛兵が集まっていてザワザワと騒がしい。ただのメイドでしかない私はどうしていいか分からず、祈るような気持で庭園を彷徨っていた。
――アレン様を先に馬車に乗せていれば。いえ、あの怪しい青年と話をする時に私が間に立っていれば……。
いくら悔やんでも時間が戻ることはない。目の前で煙に包まれるように消えてしまったアレン様は一体どこに行かれたのだろう。
じわり、と視界が歪むのを慌てて指で拭う。
護衛兵たちは周囲の捜索をしているが、今のところ有力な情報はない。あの青年がどこの誰だったのかも不明なままだ。
このままアレン様が戻ってこなかったら。そんな最悪の事態を考えてしまい、自分を落ち着かせるように深呼吸する。
大丈夫、きっと大丈夫だ。アレン様は強いお方だ。不意を突かれたからといって簡単に負けるような方ではない。
神殿の入り口にある階段にはエミリア様がしゃがみ込んでいる。彼女もどうしていいのか分からないのだろう。でも、今は声をかける余裕がない。
護衛兵たちが戻ってきても何も分からなければ、クールソン家を通じて国中に捜索願いを出すことになる。神殿前で聖女が連れ去られたなんて、確実に大問題になるだろう。
危険な目に遭っていませんように。無事にお帰りになりますように。祈りながら神殿の外門へ歩みを進める。
アレン様がこんな形で突然消えてしまうなんて考えたこともなかった。何事もなかったかのように馬車にいらっしゃらないかしら。と、もう何度目かわからない確認のために門を開ける。
そこで、すぐ近くからドサと何かが倒れるような音が聞こえた。
反射的に顔を向けたところで、さっと血の気が引く。街灯の光でも分かる鮮やかな青い髪が地面に広がっていた。
足がもつれて転びそうになりつつ、慌てて駆け寄る。
「――ッアレン様!!」
急いで抱き起すと、彼はわずかに目を開けてこちらを見た。怪我をしているようには見えないが、少し顔色が悪いような気がして手が震える。
それに気付いたのか、アレン様は小さく笑って口を開いた。
「ジェニー、すまない。大丈……」
その言葉は最後まで聞こえなかった。耐えきれなかったように寝息を立て始めた彼をぎゅっと抱き締める。体温を感じてようやく『帰ってきた』のだと理解した。
声に気付いた衛兵と神殿関係者たちが集まってくる。一気に周囲が騒がしくなるが、アレン様はすやすやと眠っている。
彼の右腕には、見覚えの無い腕輪がきらりと光っていた。