126話 来訪者と新しい出会い②
ギルに続いて、暗い廊下を歩く。すぐ後ろからはテッドが付いて来ている。魔族は気配が薄いのかと思ったが、どうやら彼が特殊なだけらしい。
廊下の先には一際大きな扉がある。おそらくそこに魔王がいるのだろう。
前を見たまま、ギルが口を開いた。
「魔王様は魔物化を防ぐために薬を飲んで眠っている。あんたには聖魔法を使って治療をしてほしい。くれぐれも余計なことはするな」
「魔物化、とはなんだ?」
尋ねると、彼は少し考えて足を止めた。そして窓の外に目を向ける。
「今の魔界には瘴気が溢れている。魔族は瘴気を大量に取り込むと、理性を失い魔物のようになってしまう。それが『魔物化』だ」
外が暗いのは夜だからかと思っていたが、それだけではないらしい。理由はハッキリしていないが、何年も前から魔界には瘴気が溢れているそうだ。
魔族は人間のように簡単に体調を崩したり疫病にかかることはないものの、稀に凶暴化して手が付けられない状態になるらしい。
――闇魔力と瘴気は同じものだから、闇魔力を持っていれば耐性があるはずだが……魔族がみんな闇魔力を持っているというわけでもないのか。
魔物化してしまうと家族や友人の区別もつかなくなり、目に入った生物を見境なしに襲うようになってしまうという。
それでは瘴気から生まれる魔物と変わらない。
「一時的なものはしばらく瘴気から離れることで治療できるが、完全に魔物化してしまうと……殺すしかなくなる」
その言葉に息をのむ。ギルはぐっと拳を握り、歩みを再開した。魔王を魔物化させないために私が呼ばれたのだろうと納得する。闇魔力は精神に影響するため、薬で眠ることでなんとか堪えているようだ。
後ろでテッドが頷きながら言った。
「先代様の時も大変だったよね。城の使用人がみんないなくなっちゃったし」
「……テッド、魔王様の前でその話はするなよ」
これは聞いて良かったのだろうかと考えているうちに扉の前に到着した。ギルが「失礼いたします」と声をかけて扉を開ける。
部屋の主は眠っているため、私たちが中に入っても返事はなかった。
普通の部屋かと思っていたが、そこは謁見の間のようだった。入り口からまっすぐ赤い絨毯が敷かれていて、段を上がった先に王座らしき立派な椅子がある。
魔王は座ったまま眠っていた。中心から分けられた黒い髪が跳ねている。その間に黒い牛のような角が生えているのが見え、ギクリとしてしまう。
ギルもテッドも今のところ外見は人間とほとんど変わらない。そういえば、と先程テッドが魔王には角があると言っていたことを思い出す。
魔族らしい姿に緊張を感じつつ、ギルに案内されるまま魔王に近寄る。
傍に立ったところで、彼が青い顔をしていることに気付いた。何かに耐えるように眉間に皺を寄せていて呼吸も荒い。
軽く彼の手に触れると、氷のように冷たかった。
「……魔族に聖魔法を使っても問題はないんだな?」
傍で不安げな顔をしているギルに確認する。
彼が頷いたのを見て、魔王に触れたまま唱えた。
「ヒール」
辺りが白く光る。わあ、とテッドが声を上げる。手のひらから魔王の体に魔力が流れていくのを感じるが、予想に反して治療はすぐに終わった。
魔力もほとんど消費されていないような気がする。
これでいいのだろうかと顔を上げると、魔王の顔色はだいぶ良くなっていた。呼吸も落ち着いているし、表情も穏やかになっている。
「助かった、感謝する。あとは魔王様がお目覚めになれば問題ない」
ほっとしたように息をついたギルが頭を下げた。素直に礼を言われたことに面食らいつつ、魔王から手を離す。「これくらいなら」と答えかけてハッとした。
――本当に治療してしまって良かったんだろうか?
ギルとテッドは友好的に見えるが、魔王もそうとは限らない。目が覚めた途端に人間界を滅ぼそうと言い出してもおかしくはない。年齢も分からないし、もし門を作ったのが彼だとすればかなり危険だ。
もしや早計だっただろうかと血の気が引く。本来は私が判断することではなく、フレイマ国王の判断を得るべきだったのではないだろうか。
つい苦しそうな魔王を見て何も考えずに治療してしまったが、そのせいで人間界に悪い影響があったら。
そう考えていると、パシッと手を掴まれた。
驚いて息が止まる。私の手を掴んだ魔王は、片手で頭を押さえてわずかに目を開いた。赤色の瞳が彼の斜め前にいたギルに向けられる。
魔王が何か言いかけたところで、ギルがぱっと顔を輝かせた。
「魔王様!!」
声を弾ませて魔王に飛び付く。先程とは違う少年のような振る舞いに思わず目を丸くしてしまう。いつの間にか傍にいたテッドが魔王の傍にしゃがみ込んだ。
「魔王様、おはよう。元気になった?」
「……ああ」
魔王はわしわしとテッドの頭を撫で、抱き着いているギルの背中を軽く叩いた。その間、ずっと片手は私の手を掴んでいる。
彼らの仲は理解したが、離れるに離れられず口をつぐんで様子を伺う。2人への扱いを見ていると、魔王も良い人なのではと淡い期待を抱いてしまう。
――いや、駄目だ。油断するな。
捕まれているのと反対の手を懐の杖に伸ばしつつ警戒を続ける。ふいに、ギルが目元を拭って私に顔を向けた。
「言い付け通り、人間界から聖女を連れて参りました。無事にお目覚めになって本当によかったです」
「そうか、ギルが連れてきてくれたのか。ありがとな」
魔王は彼に微笑むとようやくこちらを見上げ、何故かギクリと顔を強張らせた。信じられないものを見たというように、口を開けたまま呆然としている。
一体どうしたんだろう。予想外の反応に戸惑っていると、ギルが思い出したように付け加えた。
「あ……彼は男性ですが、聖女と呼ばれているはずです」
確かに『聖女』を連れてきたと言って傍にいたのが男では驚くだろう。ギルの説明が聞こえたのか聞こえていないのか、魔王はじっと私を見詰めた。
そして何かを考えるような素振りをすると、突然椅子から立ち上がって叫んだ。
「わかった! 前作の『攻略対象』じゃねえか!!」
――は?
今度は私が固まってしまう。聞き間違いでなければ、今この魔王は『攻略対象』と言ったはずだ。
私を見てそんな単語が出てくるなんて、まさかと口から言葉が漏れる。
「て、転生者……?」
私の呟きが聞こえたらしい。彼は驚いた表情のまま、ぐっと手に力を込めた。
「もしかして、お前にも前世の記憶があるのか!?」
「あ、ああ。一応」
「マジか! 俺以外にもいたのかよ!!」
よかった! と感極まった声が室内に響き、避ける間もなく抱き締められる。
魔王の肩越しに見えたギルとテッドは、顔を見合わせて首を傾げていた。
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「いきなり悪かったな。いやー、まさか他の転生者に会えるとは」
謁見の間にテーブルが置かれ、椅子が並べられる。実は執事というよりも秘書の立場らしいオリバーが用意した紅茶を飲みながら、目の前の魔王……ジャックは頬を掻いた。
現在、この城には4人しか住んでいないという。オリバーは回復したジャックにひとしきり感動した後、私を見てそそくさと部屋を出て行った。
「……私も、魔王が転生者だとは思わなかった」
すぐ近くの椅子にはギルとテッドも座っているが、ジャックは『前世の記憶がある』という話を彼らにも伝えているらしい。
さすがにここが乙女ゲームの世界というのは理解されなかったようだが、こうして人前で転生という単語を口に出すと不思議な感じがする。
「色々聞きたいこともあるし聞かせたい話もあるが、あんまり時間もねぇよな。とりあえず今は重要なことだけ話そうぜ」
ジャックの言葉にギルが不安げな顔をする。彼はちらと私に視線を向けて、躊躇いがちに口を開いた。
「あの、魔王様。治療してもらったとはいえ、そう簡単に人間を信頼していいのでしょうか?」
「いいんだよ。教えただろ? 人間も魔族も関係ねえって。どこにでも悪い奴はいるけど、ちゃんと良い奴もいるんだよ」
それに、とジャックの目がこちらに向けられる。
「お前らが部屋に入ってきた時から気配は感じてた。アレンはまったく迷わずに聖魔法使っただろ? 俺が敵になるかどうか考えるより治療を優先してくれたんだ。悪い奴なわけがねぇ」
そう言って柔らかく笑う。ギルは「なるほど」と素直に頷いた。
未だ口を付けていない紅茶を眺めながら、心の中で呟く。
――なんだか、警戒しているのが申し訳なくなってくるな……。
ジャックが私をどう思っているかは分からないが、私にとって彼は『2人目の転生者』だ。1人目の例があるため、どうにも信じきれない。今のところ彼が嘘をついている様子はないが、だからこそ余計に油断できなかった。
前世を思い出した年齢にもよるが、彼の主人格がどちらなのかが分からないからだ。ルーシーは完全に前世の人格が表に出ていたが、私は半々くらいだろう。
もしジャックの意識が元の魔王寄りなら、人間とは価値観が違う可能性もある。
警戒しているのが伝わってしまったのか、ジャックは苦笑いを浮かべた。
「アレンが疑うのも分かるけどな。俺は同じ立場に転生した奴に会えて嬉しいぜ」
「同じ立場……? その言い方だと、君も攻略対象のようだが」
「その通り」
彼はポンと手を叩くと、ギルとテッドを示しながら言った。
「俺ら3人が、今作『ホーリー・ラバー2』の攻略対象だからな」
それを聞いて妙に納得してしまう。言われてみれば確かに、3人とも容姿がかなり整っている。しかし、乙女ゲームの攻略対象がいるということは……。
「ホリラバに続編があるなら、ヒロインもいるのか」
「ああ。ほんとはアレンじゃなくて、そのヒロインが聖女と間違われてここに来るはずだったからな。ゲーム通りなら神殿にいるんじゃねぇか?」
もしや、と息をのむ。同時にヒロイン候補が思い浮かんだ。わずかに頭痛を感じつつ、頭を押さえて彼に尋ねる。
「もしかして……白い長髪に金色の目をした、エミリアという名の女性か?」
「あれ、知ってんのか?」
今度はジャックが目を丸くした。そこで、ルーシーの予想が正しかったことが確定してしまう。エミリアは本当に乙女ゲームのヒロインだったらしい。
私たちが話している間、テッドは興味を失ったように部屋の中を歩き回っていた。ギルは椅子に座っているが、テッドが気になるらしくそわそわしている。
ジャックはそんな2人に構わず腕を組むと、何かを考えるように首を傾げた。
「ヒロインもいるとなると、いよいよ俺らもそっちに行かなきゃいけなくなるな。ゲームだとその辺りは描写されてなかったけど、どうやって学園に通えば……」
「え? 君たちも学園に通うのか?」
「舞台は学園だったからな。つっても、全員通う必要もないかもしれねぇけど」
人間界に移動することはできるようだが、魔族なのにどうやって学園に通うのだろう。と、視線は自然と彼の頭に向かう。
視線に気付いたジャックは、手を伸ばして自分の角を撫でた。
「ああ、これか。まぁあんまり慣れねえけど、一応隠すことはできるぜ。羽も普段は仕舞ってるしな」
「……だとしても、学園に入るには貴族でなければならないぞ」
「あっ、そうか。そういう設定もあったな」
ジャックは続編をプレイしたことはあるが、それ以外の情報は攻略サイトから得たらしい。記憶もだいぶ薄れているらしく、うーんと唸って頭を捻った。
「アレンはまだ学生なのか? 門が封印されてるってことは、エンディングまでは辿り着いたんだよな」
「私は3年だ。エンディングは終わっている」
「エミリアはもう学園にいるのか?」
「彼女は先日入学したばかりだ」
私がそう答えると、彼は「マジか」と頭を抱えた。ホリラバ2の始まりは彼女が学園に入るところかららしい。
ジャックが体調を崩したのも同じ頃だったと聞いて、確信する。
――乙女ゲームは、もう始まっているのか。
「迷ってる時間はないな。これからどうするか決めねぇと……悪い、アレン。もうちょい付き合ってくれ」
ジャックは席を立って出入口の扉に向かった。記憶の内容を大まかにメモしているらしく、それを取りに行ったようだ。
一気に色んな情報が入ってきたせいか、若干頭が重いような気がする。ルーシーにも後で話をしなければと息をついたところで、テッドがこちらに駆け寄って来るのが見えた。
「ねぇ、さっきの魔法で俺の目も治せる?」
彼は椅子に座った私を見下ろすと、にっこりと笑った。