125話 来訪者と新しい出会い①
休日の神殿。礼を言って去っていく平民の夫婦を見送り、小さく息をつく。治療室の端では、エミリアがルーシーに掃除の仕方を習っていた。
――あっという間の1週間だったな。
エミリアが入学し、さらにセシルが視察で不在だったことで生徒会は忙しかった。昨日も18時の鐘が鳴るまでカロリーナと生徒会室で報告書を整理していた。
ホワイト家がエミリアを連れ戻しに来る前にと急いだのは良かったが、セシルがいる時にするべきだったなと苦笑する。彼は帰ってきて早々、書類の確認に追われることが決定してしまった。
明日も学園は休みだが一度生徒会室に行くべきだろうか。それともエミリアに聖魔法の本を見せるため、図書館に誘うべきか。
そんなことをしているとまた妙な噂が広がってしまいそうだなと思っていると、私と共に神殿に来ていたジェニーが扉から顔を覗かせた。
「アレン様。申し訳ありません、少しよろしいでしょうか?」
「ああ。どうした?」
彼女はパタパタと近寄ってきて、エプロンのポケットから封筒を取り出した。
「今朝受け取っていたのですが、お渡しするのが遅れてしまいました。ブランストーン様からのお手紙でございます」
そう言われて顔が強張るのを感じる。イザベラとは食堂での事件以降会っていないため、受け取った手紙に対しての返事は彼女のメイドを通して送った。
私に水をかけたことは気にしなくていいが、悪いと思っているならエミリアに謝るようできるだけ優しく付け加えておいた。
――返事も必要ないと書いたはずなんだが。
更に手紙が届いたとはどういうことだろう。封蝋もない簡易的な封筒を開いて手紙を取り出す。周りに誰もいないことを確かめ、そのままパラリとめくる。
『私はいつまでもお優しいクールソン様をお慕いしております』
書かれていた一言を見て複雑な気持ちになる。嬉しくないわけではないが、これ以上どうしていいかわからない。
ちらりとジェニーを見上げると、彼女は眉を下げて笑った。
「とりあえずアレン様のお気持ちは伝わっていると思いますので、これ以上のやり取りは不要かと」
「……そうだな」
封筒に戻した手紙を彼女に渡し、椅子から立ち上がる。開いている窓からは馬車が近付いてくる音が聞こえた。
あれはクールソン家の馬車だろう。もう帰る時間かとエミリアに顔を向ける。
「エミリア、そろそろ学園に戻るぞ」
「は、はい!」
彼女は慌てて片付けを始めた。学園と神殿の往復にはリリー先生が利用しているらしい乗合馬車もあるが、それには護衛が1人も付いていない。先生がいれば問題はないのだが、今日は学園で仕事があるということで彼は不在だった。
クールソン家から出される馬車には毎回2人ずつ護衛が付いている。それなら1人増えても大丈夫だろうと、今回からエミリアにも同乗してもらうことにした。
これもまた噂になりそうだ、という考えは一旦置いておく。休日に彼女を1人で外に出すのはまだ怖い。かといって、私が神殿にいる間ずっと寮にいてもらうわけにもいかない。
それなら一緒に神殿と寮を往復したほうが良いだろう。そう思って試しに提案したところ、エミリアは喜んで賛成してくれた。
ジェニー、エミリアと並んで庭園を歩く。白い神殿も外壁も夕陽に照らされて淡い色に染まっている。門の向こうには、クールソン家の馬車が停まっていた。
「エミリアは疲れていないか? 帰ったらちゃんと休んでくれ」
「ありがとうございます。でも、お掃除くらいしかしていませんので……」
こうして見るとエミリアはジェニーより体が小さい。最近はしっかり食事を取っているはずだが、まだ栄養が足りていないのだろうか。
王宮にいる妹のノーラの方が豪華な食事をしている可能性があるなと思いつつ、衛兵に門を開けてもらう。
「お疲れ様です、アレン様」
「今から戻れば、ちょうど18時頃に学園に到着しそうですね」
馬車の前で待っていた護衛兵のハービーとフレッドが頭を下げながら言った。そうだなと頷いて返し、先にエミリアを乗せる。
次いで私も馬車に乗り込もうとしたところで、声が聞こえた。
「青い髪。あんたがアレン・クールソンか?」
足を止めて振り返る。声からして青年だろう、黒いローブを着た人影がこちらに近付いて来ていた。さっと私を庇うように前に出たフレッドが口を開く。
「敬称を付けろ、無礼だぞ」
深く被ったフードからは黒髪が見えた。だからこそフレッドは彼が平民だと思ったのだろう。しかし彼が纏っている雰囲気は、平民のそれとは違う気がした。
青年はピタリと足を止めると、何かを考える素振りをして頭を下げた。
「申し訳ない。アレン様に頼みがあって参りました。話を聞いていただけますか」
「アレン様はお忙しい方だ。話があるならクールソン家を通して……」
と、言いかけていたフレッドを手で制する。彼は慌ててこちらを見た。
「アレン様!? 危険です、どう見ても怪しいですよ!」
「話を聞くくらいなら平気だろう」
私がそう言うと、青年はぺこりと頭を下げて話し始めた。
兄のように慕っている人が病に倒れてしまったため、聖魔法で治療してほしい。ここからそう遠くない所にいるが、体が大きいせいで自分では運んでくることができないのだという。
「どうか俺と一緒に来てもらえませんか」
フードの奥からは青い目がじっとこちらを見ていた。嘘をついているようには見えないし敵意も感じない。少し考え、2人の護衛兵を見上げる。
――ハービーを馬車に残して、フレッドに付いて来てもらえば……。
わざわざ帰り際に声をかけてきたということは、おそらく急ぎなのだろう。明日では手遅れになっているかもしれない。
まだ魔力には余裕があるし、懐には杖もある。傍に護衛兵がいればひとまず安全だろうと彼に答える。
「わかった。ここから遠くないのであれば時間もかからないだろう。フレッド、付いて来てくれ」
ジェニーとエミリアは心配そうな顔をしていたが、護衛兵のフレッドが一緒に来ると知って安心したらしい。
彼女たちには馬車で待っていてもらうことにして、青年に向き直る。
「その彼のところに案内してもらえるか」
「ありがとうございます。では……ああ、そうだ」
突然、彼が手を差し出した。一瞬身構えてしまったが、彼は続けて言った。
「申し遅れました。俺はギルといいます」
どうやらただの挨拶だったらしい。無視するのもよくないなと彼の手を掴む。
軽く握手をして離そうとしたところで、ギルは手に力を込めた。
そして、小さく笑った。
「ご承諾感謝する。……聖女様」
彼がそう言った瞬間、視界が黒に染まった。
強い風が吹き、ぐらりと足元が不安定になる。「アレン様!」と焦ったように私を呼ぶ声が聞こえ、反射的に振り返ったところで言葉を失った。
「……え?」
視界を覆っていた闇が晴れると、そこには誰もいなかった。
自分が立っているのは先程までいた神殿の門前ではない、明らかに建物の中だ。黒一色の壁に金色の装飾がされていて燭台の炎が静かに揺れている。どこかの廊下だと理解したが、こんな建物は見たことがない。
「無事に移動できたみたいだな」
ギルはそう言って繋いでいた手を離した。そこで、彼のフードが外れていることに気付く。
黒い髪のすき間から見える耳は、普段見慣れている人間のそれよりわずかに長く尖っていた。よく見ると口には小さな牙も生えている。
何が起こったのかわからないまま、頭に浮かんだ疑問を呟く。
「……君は人間じゃないのか?」
彼は辺りを見回して数歩進むと、こちらに顔を向けて頷いた。
「俺は『魔族』だ。今からあんたに治療してもらう相手もな」
「魔族……?」
その言葉に、本で読んだ内容を思い出す。
魔族は魔界に住んでいると言われている、人に近い姿をしている種族だ。例の門が現れるよりはるか昔に人間と争っていたような伝承もあるが、ほとんど空想のような扱いになっている。
彼の話が本当なら、魔族は実在していたらしい。そう考えてハッとする。
「待て。それなら、まさかここは」
窓から見える空は真っ暗だ。
目の前の彼は近くの部屋の扉を開けると、私を手招きながら言った。
「ここはあんたが封印した門の先だ。魔界へようこそ、聖女様」
===
「少し確認してくる。オリバーが茶を持ってくるからここで待ってろ」
そう言ったギルが部屋を出て行ってから約10分。部屋に置かれた時計を見ると、時間の進み方は人間界と変わらないようだ。
部屋の中には明かりが灯されているが、壁が黒いせいでやけに暗く感じる。用意された椅子に座る気にもならず、窓際で腕を組む。
――門が閉じていても世界間の移動ができるとは思わなかった。
私を連れてきた目的が治療というのは本当だろう。いきなり戦闘態勢にならなかったところを見ると、人間と魔族が全員敵対しているわけでもないらしい。
しかし簡単に信用できるはずもない。彼らからすれば、私は門を封じている邪魔な存在のはずだ。もしもの場合に備え、そっと左手の指輪を外しておく。
そこでガチャと部屋の扉が開いた。ギルかと思ったが、違った。長い黒髪を横に流し、片眼鏡を掛けた男性がトレイを持って入ってくる。
一瞬ギロリと睨まれた気がして身構えたが、すぐに目を逸らされた。
彼は足早に近付いてくると、離れた位置から手を伸ばしてテーブルにカップを置いた。そして再びちらりと私を見て、何故か逃げるように部屋を出て行く。
香りからしてカップの中身は紅茶のようだ。ということは、今の男性が『オリバー』という人物なのだろうか。
メイドではないんだな、と心の中で呟く。ここが魔界のどこなのかは分からないが、大きな屋敷なのは間違いない。クールソン家の執事であるリカードと同じような服を着ていたから、彼も執事なのかもしれない。
紅茶の湯気が揺れているのを眺めながら、口は付けずにギルを待つ。一体何を確認しに行っているんだろう。
――本当に、このままここで待っていていいのだろうか。
少し考えて扉に近付く。
取っ手に手を伸ばしかけたところで、後ろから声がした。
「出ちゃ駄目だよ。待ってろって言われたでしょ?」
驚いて振り返ると同時に、背後にいた人物が両手を伸ばした。バンッと手のひらで扉を押さえる音が耳元で響く。扉に背をつけたまま、彼の腕に挟まれて身動きが取れなくなってしまう。
しまった、と息を飲む。まったく気付かなかった。彼はいつから同じ部屋の中にいたのだろう。こうして対面しても信じられないほど気配が薄い。
怪我をしているのか、目を覆うように包帯を巻いている相手を見上げる。彼は私を見下ろす素振りをして口を開いた。
「ギルが魔王様の様子を見に行ってるから、戻ってくるまでここにいてよ。お城に来るの初めてでしょ? 結構広いから迷子になっちゃうよ」
予想外の言葉にきょとんとしてしまう。迷子になるのを心配して止められたんだろうか。いや、それよりも……
「……魔王様?」
「そうだよ、このお城の主様。この前から体調を崩してずっと寝てるんだ。それを治しにきたんだよね?」
どうやら私に治療してほしい相手というのは『魔王』のことらしい。もしやルーシーが言っていた、バッドエンドに出てくる魔王と同一人物なのだろうか。
私の返答を待たず、彼は楽しげに顔を輝かせた。
「もしかして、待ってる間暇? じゃあ俺と話そう! 人間も羽は生えてるの? 角は? 尻尾は?」
扉に両手をついたまま矢継ぎ早に尋ねられる。離れることもできず、「どれも生えていない」と首を振る。彼は嬉しそうに声を上げた。
「習った通りだ! まぁ、尻尾は魔族も生えてないけどね」
「そ、そうか」
「あっ、ちなみに魔王様は角と羽があるよ。俺は羽がある! でも、ギルはどっちもないよ」
続けて彼が「だってギルは」と言いかけたところで、勢いよく隣の扉が開いた。両開きだが、片方は私たちがいたせいで開かなかったらしい。
飛び込むように部屋に入ってきたギルは、私の前にいる包帯の彼を睨み付けた。
「余計なことを言うな、テッド。何をしているんだ」
「出て行きそうだったから捕まえてた」
テッドと呼ばれた彼がようやく離れる。ギルはそれを聞いて眉根を寄せた。小さく息をついて、こちらに向き直る。
「勝手に動くのはやめておけ。うっかり城の外にでたら瘴気にやられる」
「瘴気に?」
尋ねる間もなく彼は踵を返す。そして、長い廊下の先を指差して言った。
「とにかく付いて来い。魔王様の元へ案内する」