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124話 噂と劇団

「ち、違……っ! クールソン様にかけるつもりは」


 震える手でグラスを置いた彼女はオロオロと視線を動かした。混乱しているらしく、その後に続く言葉はない。


 真っ青になって震えている彼女に、周りにいた女子生徒たちが「イザベラ様!」と声をかけた。

 はっとして顔を上げた彼女と目が合う。イザベラは慌てて立ち上がると、2人の女子生徒を連れて逃げるように食堂を出て行った。


 どうやら彼女がエミリアに水をかけようとしていたところに私が飛び込んでしまったらしい。小さく息をついて立ち上がる。


――イザベラ・ブランストーン……公爵家の1人娘だったな。


 ここまでのことをする理由があったのだろうか。エミリアにかからなくてよかったと思いつつ濡れている眼鏡を拭いて掛け直す。

 隣で彼女が未だ座り込んでいることに気付き、手を差し出して声をかける。


「立てるか? 制服が汚れるぞ」

「は、はい。申し訳ありません」


 彼女が不安げな顔をして立ち上がったところで、食堂の扉を見ていたアンディーが眉を(ひそ)めた。


「クールソン様に水をかけておきながら、許しを得る前に逃げるなんて」

「私にかかったのは彼女たちも不本意だったんだろう。名前は分かっているから大丈夫だ。それより、何故エミリアにそんなことをしようとしていたのか……」


 そこで、近くにいた男子生徒が躊躇(ためら)いがちに手を上げる。顔を向けると、彼はちらりとエミリアを見て言った。


「近くで見ておりましたが……そちらの彼女が席を探していたところ、いきなりブランストーン様がぶつかってこられたのです。謝罪をするようにと酷く怒ってグラスを手に取ったようでした」

「なんだそれ。それで水までかけることないだろ」


 ライアンが呆れたように呟く。話を聞く限り、イザベラが一方的にエミリアにぶつかってきたようだ。

もしや彼女たちは学園に入る前に会ったことがあるのだろうか。と、エミリアに顔を向けて気付く。


「手を怪我したのか?」


 エミリアはギクリと顔を強張(こわば)らせた。どこで痛めたのか、左手首が腫れているようだ。彼女は右手で隠すように手首を握ると首を振った。


「平気です。お気になさらないでください」

「そんなわけにはいかないだろう。念のため医務室へ行こう」


 昼休みならリリー先生も医務室にいるはずだ。治療を受けて戻ってきても昼食を取る時間は十分ある。

 さっそく医務室へ向かおうとしたところで、話を聞いていたライアンとアンディーが口を開いた。


「それならアレンも着替えたほうがいいんじゃないか? 午後も授業があるだろ」

「僕たちが彼女を医務室に連れていくので、その間にクールソン様は寮に戻られたほうが良いのでは……」


 そう言われて自分の格好に気付く。少量とはいえ頭から水を被ったせいで制服まで濡れている。しかし、わざわざ着替える程でもない。


「これくらいならすぐに乾くだろう。エミリアを医務室へ送るついでにタオルを借りられないか聞いてみる」

「そ、そうか? まぁ、アレンが良いならいいけど」


 ライアンは頬を掻いて苦笑した。ひとまず話が落ち着いたことを察して、周りにいた生徒たちは席に戻っていった。


 2人には先に食事をしておくよう頼んでエミリアと共に食堂を出る。彼らに借りたハンカチは洗って返そうと考えていると、ちらちらと隣を歩く彼女から伺うような視線を感じた。


「……どうした?」

「あっ、いえ、その」


 彼女は軽く手首を掴むと、悲しそうに目を伏せる。


「私のせいでご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

「迷惑? 何のことだ?」

「えっ?」


 エミリアは驚いたような顔をして、ええと、と続けた。


「食堂でのこともそうですが、こうして医務室へお付き合いいただいたり、授業の合間に声をかけていただいたり……アレン様はお忙しいはずですのに」

「ああ、そういうことか。気にするな。それは私にとって『迷惑』ではない」


 むしろ生徒会として警戒が足りていなかったな、とこっそり息をつく。まさか入学3日目にして、彼女に悪意を持って絡んでくる生徒がいるとは思わなかった。

 珍しい容姿に加え、ほとんど例のない編入生となれば人目を集めるのは当然だ。去年のルーシーですらあれだけ話題になっていたのだから、3人目の聖魔力保持者だって目を付けられてもおかしくはない。


「それより、その手はどうしたんだ? ぶつかられた時に転んで手をついたのか」

「い、いえ。転んだわけではありません」

「では、どうして床に座り込んでいたんだ?」


 尋ねると、エミリアはそれが当たり前だとでもいうように言った。


「ブランストーン様が怒っていらしたので、すぐに謝らなければと思って……慌ててひざをついた時にひねってしまったのだと思います」


 さらりと述べられた返答に足が止まる。エミリアは立ち止まって、きょとんとした顔をこちらに向けた。

 つまり彼女はイザベラにぶつかられた後、自主的に床に膝をついて頭を下げようとしていたということだ。おそらくあのまま水を被っていたとしても、何も文句を言わなかっただろう。


「……君は先程の彼女と面識があるのか?」

「いえ、初めてお会いいたしました」


 彼女の答えを聞いて言葉に詰まる。初対面の相手に謝罪を迫られて、すぐに応じようとする人なんてなかなかいない。しかも、土下座のような真似をしてまで。

 語られないホワイト家での日常が頭に浮かび、思わず眉根を寄せる。


――今までも、理不尽に怒られる(たび)に謝っていたんだろうか。


 これから先も絡まれる度にそうしていては相手を助長(じょちょう)させるだけだ。貴族の多くはプライドを重んじる。エミリアにはプライドがないと思われてしまうと、身分が下の相手からも(かろ)んじられる可能性がある。


 歩みを再開しつつ、彼女に顔を向ける。


「エミリア、自分に非がない時は謝らなくてもいい。今日のように相手の身分が高いと難しいかもしれないが、少しくらい怒ってもいいんだぞ」

「怒る……?」


 エミリアは目をぱちくりとした。次いでどうしていいか分からないような、複雑な顔をする。


「でも、お相手を怒らせてしまった私が悪いのですから」

「そんなことは……」


 と、言いかけたところで前方から声がした。


「あたしからすれば、アレンも人のこと言えない気がするけどね」


 いつの間にか目的地に辿り付いていたようだ。廊下に立っていたリリー先生が苦笑いを浮かべて医務室の扉を開いた。

 手招きされるまま彼に続いて中に入る。先生はエミリアを椅子に座らせると、私に視線を向けた。


「とりあえず、アレンは上着を脱いで貸してちょうだい。風魔法で乾かしてあげる。髪はどうする?」

「タオルがあればお借りしたいです」

「わかったわ。滅多めったに使わないけど、無駄にたくさんあるのよ」


 さっと棚から白いタオルを取り出して手渡される。私が礼を言う間にも先生はテキパキと薬を用意していた。見ただけで怪我をしているのがエミリアだけだと分かったらしい。

 さすがお医者様だと思っていると、彼はエミリアの治療をしながら言った。


「さっき生徒たちが食堂の件について話してたわ。アレンがエミリアの代わりに水を被ったなんて聞いたから、様子を見に行こうか迷ってたの」

「ああ、だから廊下にいたんですね」


 言われた通り上着を脱いで、ついでに乱れてしまった髪をほどく。何故かこちらを見ていたリリー先生が一瞬固まったが、次の瞬間には視線を逸らされていた。


「それにしても、ちゃんと医務室に連れてきてくれたのね。アレンなら聖魔法でさっと治しちゃうかと思ったわ」

「一度先生にていただいてからの方が良いかと思いまして」


 聖魔法は病にも怪我にも効くが、何でもかんでも最初から魔法のみで治療するわけにはいかない。個人の免疫や自然治癒力を下げないためにも、本当に聖魔法を使うべきか見極める必要がある。

 緊急の場合はお医者様を通さず治療することもあるが、神殿に治療を受けに来る人のほとんどは近所の病院で診てもらってから訪れているらしい。


 リリー先生は「そうね」と頷いた。


「このくらいなら医者あたしの治療で大丈夫。でも無理に動かしちゃだめよ?」

「は、はい。ありがとうございます」


 エミリアは椅子に座ったままぺこりと頭を下げた。そして、嬉しそうに呟いた。


「怪我をしてもすぐに治療してもらえるなんて……」


 その言葉に先生と顔を見合わせる。彼もエミリアが神殿に運び込まれた時の状況は知っている。リリー先生は小さく息をついて、彼女に声をかけた。


「今度から怪我したらちゃんと医務室に来なさい。間違っても自分で判断して放置しないこと。アレンもね」


 間を置かずに付け加えられて苦笑する。エミリアと同時に返事をすると、先生は満足げに頷いて杖を取り出した。

 私から受け取った上着に魔法をかけつつ、考える素振りをして口を開く。


「その髪、下ろしたままにしておくの? あたしでよければ()ってあげるけど」

「え、いいんですか?」


 それならと彼にお願いすることにする。自分で結うこともできるが、どうしてもジェニーのようにはいかない。

 エミリアにはベッドに座って待っていてもらうことにして、今度は私が椅子に座る。先生はいそいそと私の背後に回ると、丁寧に髪を()かしてくれた。


「すまない、エミリア。少し待っていてくれ」

「はい、大丈夫です」


 彼女だけ先に戻っていてもらうことも考えたが、また同じようなことが起こらないとも限らない。一緒に戻ったほうがいいだろうと考えていると、エミリアがじっとこちらを見て微笑んだ。


「アレン様とリリー先生は、仲が良いのですね」

「ええ、そうよ。とっても仲良しなの」


 リリー先生の答えに小さく笑ってしまう。そう言ってもらえるのは嬉しいが、彼が私だけを特別扱いしていると勘違いされないか心配になる。

 私も何か言うべきかと口を開きかけたところで、廊下から生徒たちの話し声が聞こえてきた。


「先程のクールソン様をご覧になりました? 身を(てい)して女子生徒を庇ったとか」

「飛び出して代わりに水を被ったのでしょう。そんなこと、彼女を好きじゃなければできるわけがありませんわ」

「授業の合間にも頻繁ひんぱんに会ってらっしゃるなんて、いよいよ婚約者をお決めになったのかしら!」


 きゃあきゃあと楽しそうな声が遠ざかっていく。反対に、医務室の中はしんとしていた。エミリアはよく分かっていないらしく目をぱちくりとしている。

 後ろで先生が苦笑しているのが分かり、手にしたタオルを握り締めて頭を抱えたいのを(こら)える。


 どうやら男子生徒(わたし)が彼女を庇うとそういう噂になってしまうらしい。実際は庇ったというより、偶然飛び込んでしまっただけなのだが。

 これでは生徒会として動いているだけで、どんどん噂に余計な尾ひれがついてしまうかもしれない。


『ホリラバが1で終わってるとは限らなくない?』


 ふと、ルーシーが言っていたことを思い出す。


――もしこれが本当に乙女ゲームの始まりなら……一刻も早く『攻略対象』に出てきてほしいものだ。


 エミリアのためにも、とつい現実逃避のようなことを心の中で願ってしまう。

 まさかそれがすぐに叶うことになるとは、思ってもみなかった。




===




「今日の公演も大盛況でしたね」

「団長! この後もいつもの店に行きますか?」


 帰っていく客の背中を眺めていると、団員たちに声をかけられた。おう、と返事をしつつもう一度客席に目を向ける。少し前までからだった座席は、今では埋まっていない方が珍しい。


――それもこれもアレン・クールソン様のおかげだ。


 おそらく学園にいるであろう彼に向かって、祈るように目を(つぶ)る。去年学園の芸術祭で公演をしてから、俺たちの評判はどんどん高まっていった。

 最後のシーンで使う分しかなかった演出用の魔道具も増え、純粋に演技を評価してもらえるようになった。


 ストーリーは事実を忠実に再現している。あの時直接言葉を交わすことができたあの方は、今や(とき)の人だ。あんなに美しい氷魔法に加えて聖魔法も使えて、しかも魔界に繋がる門の封印までしちまうなんて。

 神殿では聖女と呼ばれているらしい。クールソン様は男性だが、確かに聖女と呼んでも違和感がないくらい綺麗な方だった。


 いつか俺たちの劇を見に来てくださるだろうかと考えていると、横から声をかけられた。


「少し聞きたいことがあるんだが」


 団員ではない声に慌てて目を開ける。さっと顔を向けると、彼は黒いローブを深く被って顔を隠した男性のようだった。態度からしても貴族の可能性が高い。

 軽く咳払いをして、接客用の笑顔を浮かべる。


「はい、どうかなさいましたか」

「お前たちの劇で門を封印した聖女は青い髪をした男だと語られていたが……桃色の髪をした女の間違いじゃないのか?」

「えっ? いえいえ、違いますよ」


 何を言い出すんだろうと驚いてしまう。門を封印したのがクールソン様だと言うのは、王家から公表された事実だ。

 もしや何も知らずに観劇なさったんだろうか。それなら聖女なのに男性なのかと疑問を抱いてもおかしくはない。


「桃色の髪をしているのは神殿の聖女補佐ではないですか? 聖女と呼ばれているのは、青い髪のアレン・クールソン様だけですよ」

「……様に聞いていた話と違うな」

「え?」

「いや。認識に違いがあったようだ」


 彼は少し考える素振りをすると、「彼はどこにいる」と首を傾げた。劇を観て本物のアレン様に会いたいと言い出す客は多かった。

 さすがに公爵家に向かわせるわけにはいかないため、分かる範囲で答える。


「神殿かマジックフォート学園にいらっしゃると思いますよ。お会いできるかはわかりませんが」

「わかった。感謝する」


 そう言って彼が(きびす)を返したところで突然客席から悲鳴が上がった。反射的に目を向けると、黒い犬のような影が団員に向かってうなっていた。

 輪郭りんかくがぼやけていて、どう見ても普通の犬ではない。それは最近現れなくなっていたはずの『魔物』だった。


「な、なんでこんな所に……!?」


 まだ夕方なのに、自然に生まれてしまったのだろうか。とにかく団員を避難させなければ。そう思って足を踏み出したところで、ローブの男が呟いた。


「――アイススピア」


 パキ、と高い音がして氷の槍が飛ぶ。それはまっすぐ魔物を貫いた。


 クールソン様以外に氷の魔法を使う方がいたのかと息をのむ。もしや血縁の方なのだろうか。団員を助けていただいた礼を言おうと顔を向けたが、すでに彼の姿はなかった。

 あっという間に消えた魔物に団員たちはざわざわと顔を見合わせている。落ち着くよう指示を出しつつ、頭に浮かんだ疑問に首を傾げる。


――今の彼は杖を使っていなかったような……。


 しかし、杖を使わずに魔法が使えるなんて聞いたこともない。

 おそらく見間違いだろうと、それ以上は気にしないことにした。

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