123話 生徒会と編入生
「学園、ですか?」
神殿の食堂。目の前の椅子に座ったエミリアは首を傾げた。次いで伏せられた金色の瞳が不安げに揺れているのを見て、できるだけ優しく声をかける。
「ああ。入学する気はないか?」
「……ええと」
彼女は白い服を掴んで、口をつぐんだ。
今日は休日だ。視察前に王宮に戻るセシルを見送って、いつも通り神殿へ向かった。到着してすぐ、エミリアについての話をアデルさんから聞いた。
彼女が持っていたのは予想通り聖魔力だった。珍しくはあるが、同時期に聖魔力保持者が複数人現れたことは過去にもあったらしいと聞いて安心した。
エミリアの魔力保有量は平均よりかなり少ないらしく、今まで食事もまともに取っていなかったようだ。ヒールを一度かけるだけで息切れしてしまうとアデルさんに言われたのを思い出しながら、彼女に目を向ける。
妹であるノーラと話した時は笑顔も見せていたらしいが、今のエミリアは表情に乏しい。彼女はこの1週間神殿にいて、掃除などの手伝いをしていた。
しかし誰かに話しかけられなければ自分から話すことはせず、何もない時は部屋の隅に立っているだけだったそうだ。
治療に対する『お気持ち』の代わりに神殿に聖魔力を補充することもあったようだが、それすら止めなければ倒れるまで魔力を送っていたらしい。
ノーラはレオ王子に呼ばれて王宮に戻ってしまったし、エミリアだけこの先もずっと神殿にいるわけにはいかない。
聖魔力保持者であれば治癒の仕事はあるが、神殿にはすでに聖魔力保持者のルーシーもいる。エミリアまでずっと滞在する必要はない。
昔は聖魔力保持者を神殿が積極的に保護していたが、今は差別も少なく聖魔力も足りている。何か事件が起こった際には責任問題になってしまうため、せめて家の許可がなければ神殿では受け入れられないという。
それならと私から学園へ入ることを提案した。魔力開放は済んでいるようだし、学園なら寮もある。聖魔力保持者であれば国から補助もありえるだろう。それに学園の生徒なら、生徒会として躊躇いなく手助けができる。
学園長への確認はこれからだが断られることはないはずだ。とにかく、なによりもまずは彼女の気持ちを聞くのが先だった。
本来なら怪我が治った時点で家に帰らせるが、それはノーラが酷く嫌がったらしい。エミリアもどうしようかと迷っていたところをノーラに説得されて帰らないと決めたようだ。
なんとか『ホワイト』という家名を聞き出すことはできたが、家で何があったかを尋ねると黙ってしまう。そんな彼女の様子を見てなんとなく察してしまった。
初めて会った時に見た縄の痕。平民よりもボロボロの服装。聖魔力を保持しているということ。そして魔力開放が起こったのは、つい最近のことだと。
――魔力開放が遅かったせいで酷い扱いを受けていたが、聖魔力を持っていることが分かって家に拘束されていたというところか。
おそらくノーラはそんな姉の姿を近くで見ていたのだろう。それなら帰りたくないと言うのも納得できる。……が、逃げ出してきたのだとすれば相手も黙ってはいないだろう。
うっかり居場所がばれてしまったら、神殿が聖魔力保持者である娘を誘拐したと強制的に連れ戻しにくるかもしれない。そう思い、続けて口を開く。
「学園なら生徒以外は入れないから安全だ。図書館もあるし、何かあれば私も生徒会としてすぐに動ける」
「アレン様が……?」
エミリアは少しだけ顔を上げた。あの夜、彼女を抱えて神殿に運んだ私のことは覚えていたらしい。他の神殿関係者と話すより緊張していないようだと、先程アデルさんがこっそり教えてくれた。
「もちろん無理にとは言わない。君がどうしたいかを答えてくれ」
「貴族は、魔力開放が起こったらみんな学園に入るのですよね?」
「そうだな。基本的には16で入学する」
「それなら、私も入学しなければならないと思います」
その言葉に違和感を覚える。希望を聞いたつもりだったが、彼女は責任を感じて答えただけのようだ。
エミリアの表情からは感情が分からない。嫌がっているようには見えないが、喜んでいるようにも見えない。
――まぁ、学園に入る以外の選択肢があるとは思えないが……。
「わかった。学園長と相談してまた連絡する」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
彼女はそう言って深々と礼をした。廊下に待機していたアデルさんと交代するように食堂を出て、小さく息をつく。
ホワイト家は伯爵家だったはずだ。エミリアも立派な貴族令嬢なのに、どうにも『大人しすぎる』ような気がする。
それも家で受けていた扱いによるものだろうか。体に残っていたたくさんの傷痕を思い出し、ぎゅっと拳を握る。
そこで、廊下を歩いてきたルーシーに声をかけられた。
「アレン様。やっぱりあの子も学園に入ることになったの?」
「ああ。学園長に許可を得てからになるが」
ホワイト家にも許可を取らなければならないが、正直に伝えたところで承諾はされないだろう。
彼らからすれば家に隠していた聖魔力保持者が勝手に逃げ出した状態だ。エミリアが学園に入ったら、少なくとも3年間は簡単に手出しができなくなる。
どうにか誤魔化して入学させられないかと考えていると、ルーシーが言った。
「なんかエミリアって、私みたいじゃない?」
突然投げられた言葉にきょとんとしてしまう。ルーシーとは瞳の色しか似ていないような気がするなと首を傾げていると、彼女は慌てて手を振った。
「違うわ。乙女ゲームのヒロインみたいよねって言いたかったの!」
「そういうことか」
ルーシーが言いたいことは分かる。私も以前同じようなことを考えた。しかし、と腕を組んで彼女に向き直る。
「ホリラバのエンディングは終わったんだろう? 考えすぎじゃないのか」
「私もそう思うけど……」
ルーシーは言葉を濁し、何かを考える素振りをした。そろそろとこちらを見上げて声を抑える。
「ホリラバが『1』で終わってるとは限らなくない?」
「……どういう意味だ?」
「ホリラバ『2』があってもおかしくないってこと。私がプレイしてた時はなかったけど、私たちがいなくなった後に続編が出てないとは言い切れないでしょ?」
そう言われ、はっとする。乙女ゲームには続編があるという可能性を失念していた。前世のゲーム通りに進むのはエンディングまでだと思い込んでいた。
――元の世界で続編が出ていたら、この世界にも影響するのだろうか?
収穫祭で魔物と対峙した時、嫌な予感がしたことを思い出す。何かが始まったような妙な不安。あれが、ただの杞憂ではないとしたら。
「私も考えすぎだとは思うけど、ここがホリラバの世界なのは事実だから……」
ルーシーも自分の意見に自信が持てないらしく、徐々に声が小さくなる。向き合ったまま互いにしばらく黙り込んでいたが、何も答えが浮かばない。
このままここで考えていても仕方がないなと息をつく。
「もし本当にホリラバに続編があり、エミリアがヒロインだとすれば、続編の攻略対象が彼女の前に現れるはずじゃないか?」
「……そう、か。確かにそうね」
彼女は呟くと、納得したように大きく頷いた。
「攻略対象が1人もいない乙女ゲームなんてあるわけないし、それらしき人達が出てきたらはっきりするかも」
「そうだな。まぁ、私たちにできることはないかもしれないが」
続編が始まっているのだとしても、私にもルーシーにもその知識はない。それなら考えるだけ無駄かもしれない。どれがイベントでどれが偶然か、私たちには判断ができないのだから。
「あっ、クールソン様。治療をお願いしたいのですがお時間はございますか?」
廊下の角を曲がってきた神殿関係者に呼ばれ、返事をしてルーシーに背を向ける。そのまま離れようとする私に、彼女が「ねえ!」と手を伸ばした。
「あの子がヒロインでも攻略されないでね? 余計ややこしくなるから!」
どういう意味だろう、と目を丸くしてしまう。ヒロインのプライドだろうか。
前作の攻略対象なんて関係ないだろうと思いながら、ひとまず大丈夫だと返しておいた。
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食堂への廊下をアンディー、ライアンと共に歩きながら小さく息をつく。チラとこちらを見たアンディーは心配そうな顔をした。
「お疲れのようですね、クールソン様」
「まぁ、少しな」
「編入生のことであちこち走り回ってたもんなぁ」
ライアンにそう言われ、つい苦笑してしまう。
学園長に相談したところ、『クールソン殿に頼っていただけるとは』とあっさりエミリア入学の許可が下りた。
やはり入学取り消しになっていたのは彼女だったらしい。聖魔力保持者ということも特に隠されていなかったため、一時的に学園で保護する形に落ち着いた。
ルーシーの際は久しぶりの聖魔力保持者ということで王家が動いていたが、私の相談を受けてエミリアを保護すると決めたのは学園長らしい。
――ホワイト家への許可については何故か笑って誤魔化されたが……学園長から連絡してくれるようだから、きっと大丈夫だろう。
確か理由のない入学拒否は禁止されていたはずだと考えていると、ライアンが続けて言った。
「3年になっても生徒会は忙しいな。また手伝えることがあったら言ってくれ」
「僕も喜んでお手伝いします。あまりご無理されないでくださいね」
「ああ、ありがとう2人とも」
学園から神殿に連絡が届き、実際エミリアが入学したのは一昨日だ。元々新入生の枠が1人分空いていたこともあり、とんとん拍子で話が進んだ。
入学式もオリエンテーションもすでに終わっているため、さっそく授業を選択して受けることになった。1年生が全員で受けるような講堂での授業は問題なかったが、その後が大変だった。
どうやらエミリアはホワイト家で常に指示を受けて動いていたらしく、すべて自分で選択して行動するということが難しかったらしい。
初日は授業を選んだはいいものの校舎の中で迷子になり、誰かに道を聞くこともできないまま、先生が気付くまで廊下を彷徨っていたようだ。
前もって校内の案内はしていたが一度に覚えきれなかったのだろう。何かあれば生徒会である私とカロリーナに言ってくれとも伝えていたが、生徒会室の場所も分からなかったらしい。
授業が終わってなんとか寮に戻った後は、いつ食堂へ行っていいのか悩んでいるうちに夜になっていたという。朝は学園長が手配してくれたメイドが彼女の世話をして、しっかり朝食を取らせた上で寮から送り出してくれているようだ。
そんな話を聞いて放っておけるわけがない。昨日からは定期的に校舎内を駆け回り、カロリーナと情報を共有しつつエミリアの様子を見ている。
1人の生徒に世話を焼きすぎているかもしれないが、彼女を学園に誘ったのも学園長に相談したのも私だ。これくらいなら生徒会としても活動の範囲内だろう。
そう思いながら食堂へ入ったところで、生徒たちがざわついていることに気が付いた。辺りを見回したアンディーが小さく声を上げる。
「あっ、あの子は……」
彼の視線の先にはエミリアがいた。何故か床に座り込んで俯いている。転んだのか、もしくは体調でも悪いのだろうか。
周りには生徒が数人集まっているが状況は分からない。慌てて駆け寄って彼女の傍にしゃがみ込む。
「エミリア? どうし」
どうしたと言い切る前に。
突然、バシャッと頭の上から水が降ってきた。
――え?
何が起きたのかわからず呆然としてしまう。ぽたぽたと青い髪を伝って床に水滴が落ちる。すぐ近くで誰かが息をのんだ。その小さな音が耳に届くのは、辺りが静まり返っているからだろう。
先程までざわついていた食堂は緊張感と静寂に包まれていた。
「あ、アレン様……」
エミリアが小さく声を漏らした。金色の目を丸くして驚いた表情をしている。隣にいた彼女は濡れずに済んだようだ。
そんな顔もできるのかと妙に安心していると、ばたばたと足音が近付いてきた。
「クールソン様!」
「アレン、大丈夫か!?」
アンディーとライアンが競うように差し出してくれたハンカチを受け取りつつ顔を上げる。そこでようやく、水を『かけられた』のだと理解した。
空のグラスを持ったまま、椅子に座った女子生徒が青い顔をして固まっている。
お嬢様らしい金髪縦ロールの彼女は、以前廊下で手紙をくれたあの生徒だった。