119話 収穫祭②
「……は?」
何を言われたのか瞬時に理解できず、きょとんとしてしまう。目の前の男性は手に力を込めると、真剣な顔をして言った。
「私は本気です! 一目惚れなんです。空のような青い髪も柔らかな色の瞳も、こんなに美しい人を見たことがありません!」
「あ、あの」
「子供に向ける慈愛に満ちた眼差しに惚れました。この想いは本物です。信じてください!」
先程感じた視線は彼のものだったらしい。熱い目を向けられ、顔が強張るのを感じる。ようやく彼が言っている言葉の意味を理解し、心の中で呟く。
――これは……性別を勘違いされているな。
明らかに女性に対する口説き文句だ。以前セシルに『本当に女性だと勘違いする人も出てきそうだ』と言われたことを思い出し、苦笑する。
どうしてリリー先生のことは男性だと分かるのに、私を女性だと思っているんだろう。聖女と呼ばれているせいだろうか。それとも、これもまた恋は盲目というものなんだろうか。
小さく息をついて、答える。
「すみません、お気持ちには答えられません」
「えっ!? どうしてですか?」
「どうしても何も……私は女性ではありませんので」
彼は目をパチクリとした。本気で分からないといった表情で首を傾げる。
「聖女様と呼ばれていたではありませんか。それに口調からしても女性だとしか」
そう言われ、口調もかと言葉に詰まる。神殿関係者として来ているからと敬語で話したのは間違いだったかもしれない。しかし、それならリリー先生の方がよっぽど女性らしい。今から変えてもあまり意味はなさそうだ。
ベンチに座ったまま彼を見上げる。
「聖女というのは以前の呼び方が残っているだけですし、普段の口調も違います。勘違いさせて申し訳ありませんが、私は男です」
「そ……そうなんですね」
彼はしょんぼりと肩を落とした。申し訳ないが、勘違いさせたままにする方が良くないだろう。素直に認めてくれてよかったと思ったが、何故か彼は再び手に力を込めた。
「でも、恋に性別なんて関係ありません」
「え、……っ!?」
そのままぐっと手を引かれて、強制的にベンチから立ち上がる。男性は目を輝かせて顔を赤くしたまま、照れたように笑った。
「聖女様が男性でも私は気にしません。いや、むしろそれくらいの障壁は乗り越えて見せます。そんなものでこの想いは揺らぎません!」
「なっ……なんでそうなる!?」
「恋に障害は付き物です。まずは互いを知るために、是非食事だけでも! 絶対に後悔はさせませんから!」
彼は恋をしている自分に酔っているのか、断られたことに気付いていないようだ。振り払おうとしたが、ガッチリ両手を掴まれていて動かせない。
かといって、悪意のない相手を蹴り飛ばすわけにもいかない。この格好でそんなことをすれば神殿のイメージを落としてしまう。
どうしようと思考を巡らせていると、彼が笑顔で言った。
「大丈夫です! いつか必ず私に惚れさせてみせます!」
『――同じ気持ちじゃないなら、相手の時間を浪費するだけ』
その瞬間パチと視界が瞬き、空耳が聞こえた気がした。つい意識がそちらに向いてしまったせいで、踏ん張っていた足から力が抜ける。
男性に引っ張られるまま数歩進み、慌てて立ち止まる。
「待……無理だ、手を離してくれ!」
「この出会いは運命です。私には分かります! あなたに好きになってもらえるなら、何でもします!」
「……っだから」
私は、と言いかけたところで人影が視界を横切った。伸ばされた手が男性の腕を掴み、ミシとわずかに骨の軋む音がする。男性は驚いたように手を離した。
自由になった手を引っ込めて少しだけ後退る。私たちの間に入ってきた彼は、こちらに背を向けて静かに口を開いた。
「大事な聖女様に、一体何をしてるのかしら」
声からも怒っているのが分かる。神殿関係者として『聖女』を守ろうとしてくれているのだろう。ピリピリと辺りに緊張した空気が漂っていたが、私と同じ白いローブを見てつい安心してしまう。
リリー先生は声色を変えずに続けた。
「本気で嫌がっているのも分からないのに、運命なんて分かるわけないじゃない。衛兵に突き出されたくなければさっさと立ち去りなさい」
先生の背中越しに見える男性の顔がさっと青くなる。彼は慌てて頭を下げると、「すみません!」と声を上げて走り去っていった。
それと同時に振り返ったリリー先生は、心配そうな顔をして私の手を取った。
「アレン、大丈夫!? 何もされてない!?」
「だ、大丈夫です」
「手が赤くなってるじゃない! 座って。冷やしましょう」
私をベンチに座らせると、先生は近くの水道に向かった。そしてすぐに綺麗な水で濡らしたハンカチを持って戻ってくる。
「ごめんなさい。こんなことなら1人にするべきじゃなかったわ」
先生はベンチにも座らず、立ったまま私の手にハンカチを当てた。申し訳なさそうな顔をする彼を見て、慌てて首を振る。
「謝らないでください。先生のせいではありません。私に振りほどく力がなかっただけで……」
彼は護衛ではないのだから、常に傍にいてもらう必要はない。学園外でそこまで先生に世話をかけるわけにもいかない。
女性だと勘違いされる可能性があると分かっていながら、何も対策をしていなかったと反省する。せめてもう少し筋力があれば、先生が来る前に済んでいたかもしれないのに。
改めて助けてもらった礼を伝えると、彼は苦笑いを浮かべた。
「力があったとしても心配よ。相手に泣いて頼まれたら、アレンは流されちゃいそうだもの」
「そんなことは……」
ない、とは言い切れない。今回は無理やり連れていこうとされたから抵抗したが、もし最初から頭を下げて昼食だけでもと言われていたら。リリー先生も一緒でいいと言われていたら。
今日しか会えないだろうし、それくらいはと引き受けていたかもしれない。
口ごもったことで先生は察したらしい。手を冷やしながら隣に座ると、小さく息をついて呟くように言った。
「でもよかったわ、間に合って。さっきまであれだけおば様たちに囲まれてたのに、まさか男に攫われそうになってるとは思わなかったけど」
その言葉で男性が去っていった方へ目を向ける。一目惚れというのも驚いたが、私が男だと知っても引かなかったのにはもっと驚いた。
――どうしてあんなに、自分の気持ちに自信が持てるんだろう。
自分が抱いた想いは恋だと、彼はあの短い時間でわかったんだろうか。性別すら乗り越える強い想いがあの一瞬で生まれたんだろうか。
その気持ちが憧れでも友愛でも尊敬でもなく『恋』だと、どうやって判断しているんだろう。
つい考え込んでいたせいで未練があると思われたらしい。リリー先生は私を見て首を傾げた。
「さっきの人が気になるの? ……もしかして、余計なことしちゃったかしら」
「い、いえ。そういうわけではありません」
急いで首を横に振ったが、先生は不安そうな顔をしていた。心配をかけないためにも、何を考えていたかくらいは伝えるべきかもしれない。
少し迷って、視線を地面に落とす。
「その……どこからが、恋なのかと考えていました」
「それはまた難しいわね」
先生はそう言って苦笑した。考える素振りをして、優しくハンカチを当てる。
「人によるんじゃないかしら。ただずっと傍にいたいってだけでも、恋だと思う人はいるだろうし」
「いや……、それは」
深く考えるより先に、口から言葉が零れた。
「それは、恋ではありません」
前世の経験から分かっていた。一生傍にいたいと思ってもどれだけ大事に思っても、それだけでは『恋』にはならない。
――だってそれくらいなら、私だってずっと……。
そこまで考えてハッとする。こんなことを言うつもりではなかったのに。この前ルーシーと話した時に前世を思い出したせいで、思考が引っ張られてしまったのだろうか。
リリー先生が黙っているのに気付き、余計なことを言ったと自覚する。こちらから話題を出しておきながら彼の考えを否定するなんて。
「す、すみません。否定するつもりは、……っ?」
言い終わる前に、わしわしと頭を撫でられた。突然のことに驚いて目を丸くしてしまう。リリー先生はハンカチを回収しながら、眉を下げて笑った。
「いいのよ。言ったでしょ、人によるって。……何があったか知らないけど、考えると暗くなっちゃうことなら今はやめておきましょ。せっかくのお祭りだもの」
ベンチから立ち上がると、先生は手を差し出した。どうやら本当に気にしていないようだ。優しい微笑みにつられて彼の手を握る。引き寄せられるようにして立ち上がりながら、ふと思う。
――さっきの男性にも同じようなことをされたはずなのに、全然違う気がする。
私が聖魔力を持っているからだろうか。大事なもののように扱われているのが伝わってきて、妙にくすぐったい。乙女ゲームが終わっても彼は攻略対象らしいなと思っていると、先生が言った。
「両手が空いたんだから他の店も回りましょ。アレンは、さっきどこか気になってたんじゃなかった?」
「そういえば、そうでしたね」
彼の言葉で見覚えのあるものが置かれている屋台があったことを思い出す。確かあれは、広場の入り口近くだったはずだ。
さっそく向かおうとしたところで、ふいにリリー先生が立ち止まった。何か考える素振りをしてこちらを振り向く。
「また誘拐されないように手を繋ぎましょうか?」
「……そんなに子供ではありません」
心配されているのは確かだろうが、本気なのか冗談なのかわからない。学園を卒業したら私も立派な成人だ。人と手を繋いで歩くのは、さすがにもう恥ずかしい。
先生は残念そうな顔をして「冗談よ」と笑った。
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屋台に近付くと、すぐに見覚えのあるものの正体が分かった。キラキラと輝く色とりどりのガラス細工に混じって、同じく輝いているお菓子が売られている。
「ステンドグラスクッキー? こんなのがあるのね。初めて見たわ」
「最近人気なんですよ。綺麗でしょう」
リリー先生が店員と話しているのを聞きながら、いつの間にか広まっていたんだな、とこっそり呟く。もしくは、実はずっと前から存在していたものが有名になったのかもしれない。
この屋台ではガラスの根付キーホルダーなどが売られていた。小さなステンドグラスのようでとても綺麗だ。光を反射してあちこちに虹色の影が映っている。
思わず見とれていると、女性の店員に声をかけられた。
「よろしければ、お好きなものをお持ちください。ステンドグラスといえば神殿ですから。神殿関係者の方に貰っていただけたら光栄に思います」
それと、と彼女はリリー先生に視線を向けながら続けた。
「仲の良い方とお揃いで、記念の品として選ばれる方も多いですよ」
修学旅行のお土産みたいなものかと小さく頷く。前世でも、友達とお揃いのものをいくつか持っていた気がする。
彼女には私と先生がそれだけ仲良く見えたということだろうか。同じ神殿のローブを着ているからなと納得して、先生に向き直る。
「リリー先生。よければ、お揃いにしませんか」
「え? ……あんたがいいなら、いいけど」
先生は照れたように頬を掻いて言った。お揃いのものを持つなんて、少し子供っぽかったかもしれない。
そういえば、先生は何歳なんだろう。攻略対象だから神殿関係者の中では若いはずだ。と、そんなことを考えていたところで思い付いた。
「そうだ。神殿で働いているみんなの分もお揃いで」
「あたし達だけにしましょ。ね?」
言い切る前に笑顔で止められる。リリー先生はコホンと咳をして、付け加えた。
「買うとしても全員分じゃさすがに多すぎるし、お土産ならもう十分あるでしょ。これは収穫祭に来た記念なんだから、あたしとアレンの分だけでいいのよ」
「ああ、なるほど。それもそうですね」
すでに先生が運んでくれた荷物があることを思い出し、私たちの分だけ根付を選ぶことにする。何故か店員に生暖かい目を向けられながら、先生とお揃いのデザインを手に取った。
金色の麦を中心として、周囲は紫のステンドガラスのようになっている。紫で良いのかと聞かれたが、それには頷いて答える。
「この色、リリー先生の瞳のようですごく綺麗です」
「……あんたそれ、誰彼構わず言わない方がいいわよ」
ガラスの猫に続いて、誰かとの大事な思い出の品が増えたことを嬉しく思う。
リリー先生は呆れたようにそう言うと、まんざらでもないという顔をした。