118話 収穫祭①
「ああ……なんだ、そういうことね」
遠方で治療をした日から数日。移動用の魔道具が置かれた部屋で、リリー先生は苦笑いを浮かべた。
あの神殿はウィルフォード領にあったらしい。ライアンのお父上であるウィルフォード男爵は、事故が起きた報告を受けて様子を見に来ていたようだ。
犠牲者が出なかったことを深く感謝され、そこで収穫祭の話を聞いた。
毎年この時季に予定されている祭りだが、事故の被害が大きければ中止にしようと考えていたらしい。祭りを目当てに来る観光客も多いため、無事に開催できそうだと胸を撫で下ろしていた。
その時、よければそこに聖女として参加してもらえないかと誘われた。といっても神殿の白いローブを着て歩き回るだけだ。事故のことで不安になっている領民を安心させる意図もあるらしい。
ここからウィルフォード領まではかなり離れているが、神殿関係者であれば魔道具を使って一瞬で移動できる。正直収穫祭にもいつか行ってみたいと思っていたため、せっかくの機会だからと喜んで了承した。
しかし、さすがに私が1人で歩き回るわけにはいかない。かといって、王子であるセシルや神殿から出られないルーシー、神殿関係者ではないライアンやジェニーを誘うわけにもいかない。
その点、同じ神殿関係者であるリリー先生なら問題ないだろうと思った。
理由を説明して改めて同行をお願いすると、彼は複雑な顔をした。最初に誘った時は乗り気だったように見えたが、本当は困っていたのだろうか。
「すみません。ご迷惑でしたか?」
「そんなわけないでしょ。でも……そう、消去法で選ばれただけなのね」
ぽつりと悲しそうに呟かれた言葉が耳に届き、はっとする。誰だって人の代わりに誘われたのだと思ったら嫌な気持ちになるだろう。
そういうわけではないと伝えるために慌てて口を開く。
「違います。本当はみんなを誘いたいと思っていたんですが、その中で一緒に移動できるのがリリー先生だけだったんです」
「……最初からあたしも候補に入ってたってこと?」
頷いて返すと、彼はようやく眉を下げて小さく笑った。
「よかった、神殿関係者なら誰でもいいのかと思ったわ」
「そんなことはありません。リリー先生がいいんです」
確かに神殿関係者であれば魔道具を使うことはできるが、もちろん誰でもよかったわけではない。誤解されないよう彼に向き直って答えると、リリー先生は目を丸くした。
そこにノックの音が響く。わずかに開いていた扉の隙間からライアンのオレンジ髪が見え、顔を向ける。
「えーと、入っていいか?」
「ああ、もちろん」
駆け寄って扉を開けると、彼はちらりとリリー先生を見た。何故かそっと部屋に入ってきて移動用の魔道具に近寄る。
魔道具を作動させるには大量の魔力が必要だ。今回の目的は収穫祭のため、ウィルフォード男爵の三男であるライアンが魔力を注ぐ役を引き受けてくれた。
「悪いな、父さんが無理言って。収穫祭は夜までやってるはずだからゆっくり楽しんできてくれ」
「ありがとう。私もいつか行ってみたいと思っていたからちょうど良かった」
扉に埋め込まれた魔道具が淡く光る。ライアンは魔力が多いため、1人でも問題ないらしい。いってらっしゃいと手を振って見送られ、扉を開ける。先日と同じ廊下が見え、リリー先生と共に足を踏み出した。
前回は血の匂いがして暗い雰囲気だったが、今日はふわりと花の香りがした。すぐにパタパタと足音がして、白い服を着た女性が走ってくる。
「いらっしゃいませ、聖女様! お話は伺っております。本日はあまりお役目を意識なさらず、収穫祭を楽しんでいってください」
「はい、ありがとうございます」
こちらの神殿にもすでに話が伝わっていたらしい。そう言ってもらえるなら神殿関係者ということは意識しすぎないようにしよう。と、ふいに彼女が不思議そうな顔をして私の背後に目を向けた。
「お連れ様はお顔が赤いようですが、大丈夫でしょうか?」
「え?」
お連れ様というのはリリー先生のことだろう。どうしたんだろうと振り向くと、彼は慌てて顔を背けた。
「だ、大丈夫よ。気にしないでちょうだい。その、久しぶりの遠方だから緊張しちゃって」
それを聞いて、なるほどと納得する。言われてみれば、今まで遠方の治癒に向かっていたのはいつも私とアデルさんだった。リリー先生は現神官であるアデルさんがいない間、中央の神殿を任されているらしい。
こちらの神殿関係者である彼女も納得した様子で頷くと、懐に手を入れた。そして金色の麦の形をしたブローチを2つ取り出した。
「収穫祭では、どうぞこちらを左胸に。ウィルフォード男爵の来賓である証となりますので」
彼女から受け取ったブローチを白いローブに付ける。他の神殿関係者にも見送られて神殿の外に出る。先日はのんびり眺めている余裕がなかったから気付かなかったが、この辺りにも水路が通っているらしい。
涼し気な音に混じって、遠くから賑やかな声が聞こえてくる。なんだか前世の夏祭りを思い出してワクワクしてしまう。
――収穫祭といえば秋のイメージだから、こんな時季にあるのは新鮮だな。
まぁそれも前世の記憶で、この世界には関係ないんだが。口に出さずに呟いて、リリー先生と祭りの会場に足を向ける。
ウィルフォード領の収穫祭は小麦の収穫時期に合わせて、領内各地で一斉に行われる。つまり隣町などでもそれぞれイベントが行われているということだ。
場所によってはフリーマーケットや演奏会、街全体を使った宝さがしなど様々な催しがあるらしい。元は収穫物に感謝する神聖な祭りだったそうだが、各地で内容が被らないよう試行錯誤した結果、多彩な祭りが開催されるようになったという。
向かった先の広場には所狭しと屋台が並んでいた。それは広場だけではなく四方に伸びる道にも続いていて、多くの人が行き交っていた。
この世界の祭りは聖女祭に続いて2回目だ。あちこちに衛兵は立っているが、護衛兵がいない祭りというのも初めてだ。少しだけ緊張しつつ、辺りを見回す。
そこで、誰かが声を上げた。
「聖女様……!? 収穫祭にいらっしゃったのですか!?」
その瞬間、ざわざわと辺りが騒がしくなる。誰が言ったかも分からないまま、あっという間に人に囲まれた。慌ててリリー先生が前に出たが、元気なおば様方に躊躇いなく押しのけられる。
「リリー先せ……」
「聖女様、先日はうちの夫がお世話になりました!」
「まさか事故現場まで治療に来ていただけるとは」
「男爵様にご招待されたんですか? じゃあうちの店のを好きなだけ」
「それなら私の店でも是非!」
一斉に声をかけられてどうしていいか分からず固まってしまう。危険な気配はなくみんな好意で集まってきてくれているのは分かるのだが、どうにも圧が強い。
人の中にいても全身を包む真っ白なローブが目立つらしく、さらに人が増えて身動きが取れなくなる。
まさかこんな事態になるとは思っていなかった。先日、神殿で治療をしたという話が数日のうちに広まっていたらしい。それならルーシーも感謝されるべきだと思うが、どうやら人々は『聖女』に注目しているようだ。
――そういえば、私が門を封印したのも公表されたんだったな……。
王都から離れた地域に情報が伝わるまでには、時間差がある。約1か月ほど前に王家から公表された情報は、まだこの辺りでは新鮮な話なのかもしれない。
10年前の話ですら未だに完全には落ち着いていないのだから、そう考えるとこの熱気にも合点がいく。
とはいえ、このままではいつまでも収穫祭どころではない。何とかして抜け出さなければと考えたところで、人々の向こうにいるリリー先生と目が合った。
「アレン!」
名前を呼ばれて手を伸ばす。彼は私の手を掴んで力強く引き寄せた。引っ張られるまま人の波を抜け、勢い余って先生に抱き留められる。
素早く私を背に隠しながら、彼はポンと手を叩いた。
「ごめんなさい、今日は聖女様はお休みなの! お話はまた今度。初めての収穫祭を楽しませてちょうだい」
リリー先生の言葉で、人々は我に返ったように顔を見合わせた。
「そうですよね、せっかく収穫祭にいらしたんですから」
「私たちが話してばっかりじゃ駄目よねえ」
「是非あとでうちの店にも寄ってください!」
にこやかに礼をして離れていく人たちを見て、ほっとする。話を遮るのも申し訳ないと思っていたから、リリー先生が止めてくれて助かった。
さすが、先生は頼りになる。彼に付いて来てもらえて良かったと顔を上げる。先生は小さく息をついて振り返ると、心配そうな顔をした。
「聖女が人気すぎるのも困りものね。大丈夫? アレン。怪我してない?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
あとで彼らの店にも寄らなければと屋台に目を向ける。そこに見覚えのあるものが置かれている気がしたが、確認する前に声をかけられた。
「……パンのお兄ちゃん?」
声がした方へ顔を向けると、8歳くらいの少女が立っていた。まだ幼い少年と手を繋いだ彼女は、私を見るとぱっと顔を輝かせた。
「やっぱり! パンをくれたお兄ちゃんだ!」
そう言われて思い出す。1年の長期休暇でライアンの家にお邪魔した時、広場で出会った女の子だ。あの時は幼く見えたが、今はしっかりしたお姉さんに見える。まだ2年も経っていないのに、そんなに成長が早いのかと驚いてしまう。
「君は……どうしてここにいるんだ? ウィルフォード家からはかなり離れていると思うが」
「あの時はおばあちゃんの家にいたの」
「そういうことか。こっちの子は弟か?」
「うん! ちょうどお兄ちゃんと会った時くらいに生まれたんだよ」
そうか、と返してしゃがみ込む。弟はきょとんとした顔で私を見ていたが、そっと頭を撫でると嬉しそうに笑った。かわいらしいなと頬が緩んだところで、どこからか視線を感じた。
思わず周囲を見回すが、こちらを見ている人はいない。なんだろうと首を傾げていると、少女が真剣な顔で声を落とした。
「ねえ、聖女様が『お兄ちゃん』なのって秘密?」
性別のことを言われているんだろうなと苦笑する。説明も難しいが、理解するのも難しいだろう。みんな分かっていて呼んでいるから特に気にしていなかった。ややこしいから別の呼び方を考えたほうがいいのだろうか、と今更ながら思う。
少しだけ悩んで、ひとまず「秘密だ」と答えておいた。
===
「それにしても、すごい荷物ね」
通路から外れた位置にある木陰のベンチで、リリー先生が両手に抱えた荷物を眺めながら言った。あの後いくつかの屋台を回ったが、ブローチの効果もあったようで、お代を払う間もなく商品を手渡された。
焼き立てのものはその場で有り難くいただいたが、数日もちそうなものはお土産として持ち帰ることにした。
「一度神殿に運んだ方がいいかしら」
「そうですね。夜までいたら、さらに荷物が増えるかもしれません」
そう言ってベンチから立ち上がろうとしたところで、先生が目を丸くした。
「あら、アレンはここで待ってていいわよ。そこまで遠いわけでもないし」
「え? でも、かなり量がありますよ」
「これくらいならあたし1人でも平気よ。ただ、アレンも1人になっちゃうけど……」
先生は眉根を寄せて周囲に目を向けた。本来は、貴族である私がこんなところに1人でいるのは良くないのだろう。しかし、それなら先生も同じことだ。
木に隠れる位置ではあるが、見える範囲には衛兵もいる。懐には杖もある。周りは開けているため、誰かが悪意を持って近付いて来たらすぐ分かるだろう。そう思い、彼に顔を向ける。
「わかりました。すみませんが、よろしくお願いします」
「ええ、任せて。すぐ戻ってくるわ」
リリー先生はにっこりと笑うと、荷物を抱えて歩いて行った。結構重かったのにすごいなと尊敬してしまう。学園に入ってからは図書館にばかり行っていたせいか、知識や経験が増えても筋力は一向に増えない。
重い本を持つだけでは駄目かと頭を捻っていたところで、ふと近付いてくる気配に気が付いた。敵意は感じないが、念のため顔を上げて確認する。
がっちりした大柄な男性が、何故か妙に緊張した面持ちで歩み寄って来た。彼はベンチに座る私の正面に立つと、大きく息を吸って口を開いた。
「突然すみません。先程の男性は聖女様の恋人でしょうか?」
「……え?」
恋人? と頭に疑問が浮かぶ。先程の男性とは誰のことだろう。私が今まで一緒にいたのはリリー先生だけだ。
もしや彼のことを言っているのだろうか。否定のために首を振る。
「いえ、違います」
「では、他に恋人はいらっしゃいますか?」
どうしてそんなことを聞くんだろうと思いつつ、再び首を振る。彼は「なら問題ありませんね」と大きく頷いた。
もしかして、『聖女』に恋人がいるかどうかを確認しに来たんだろうか。そういう聖女過激派の人たちもいると聞いたことがあるような……と考えていたが、続いたのは予想外の言葉だった。
彼はおもむろに両手で私の手を握ると、頬を赤くして言った。
「聖女様、好きです! どうか私の恋人になってください!!」