117話 聖女と転生者③
治癒が必要な人が残っていないかを確認して外に出る。ルーシーを追いかけて向かった先は神殿の裏にある庭園だった。
周囲は背の高い柵で囲まれていて、その向こうには畑が広がっている。神殿に背を向けるようにして置かれたベンチに桃色の髪が見え、そっと近寄る。
急いで神殿に戻ったところで泣きそうな顔をしている彼女が目に入り、慌ててヒールを唱えた。無事に女性を治癒できてよかった。どうやら、今回の事故では奇跡的に死人がでなかったらしい。神殿で頑張っていたルーシーのおかげだ。
しかし、初めての経験で精神的に参っていてもおかしくはない。
泣いているのかと思って声を掛けたが、そうではなかった。彼女は顔を上げると、私を見て怪訝な顔をした。
「自分を殺そうとした相手を、なんで普通に心配できるの?」
「……似たようなことをセシルにも言われたな」
苦笑して、1人分間を空けて私もベンチに座る。ルーシーはちらりとこちらに視線を向けたが、何も言わずに俯いた。
少し落ち込んでいるようにも見えるが、特に気分が悪そうな様子でもない。思っていたより大丈夫そうだ、とこっそり息をつく。
「すでに済んだことだ。君もちゃんと罰を受けているし、今更何も思わない」
門の開放は結局未遂に終わった。1人でも死人が出ていれば絶対に許しはしなかっただろうが、最終的に怪我をしたのも私だけで済んだ。きちんと裁かれた相手に、過去のことを引っ張り出してあれこれと責め立てるつもりはない。
それに、と腕を組んで付け足す。
「私は君のことを、実は良い子なんじゃないかと思っている」
「はぁ?」
ルーシーは目を丸くすると、次いで呆れたような顔をした。ため息をついてベンチに座り直し、ふいと顔を背ける。
「さすがにお人好しすぎるでしょ。ゲームのアレン様はそんなんじゃなかったわ」
「セシルルートしかやったことがないから、あまり詳しくは知らないんだ」
「2周目からしか買えない課金アイテムにも気付いてたじゃない」
「課金アイテム? ……ああ、あの香水瓶のことか」
そういえばあの瓶を初めて見た時、見覚えがあると感じたことを思い出す。この世界で見たのだと思っていたが、あれもどうやら前世の記憶だったらしい。おそらく攻略サイトかどこかで一瞬だけ目にしていたのだろう。
「あの瓶については、ウォルフから危険な魔道具だと聞いて警戒していただけだ」
「誰よ、ウォルフって」
「知らないか? カロリーナの兄なんだが」
「……カロリーナ様の兄は寝たきりって設定しか知らないわ。ゲームには名前も出てこなかったし」
それを聞いて驚いてしまう。あの元気なウォルフがゲームでは寝たきりだったなんて。確かに本編には出てこなかった気がするが、実は病弱だったのだろうか。
カロリーナにウォルフ以外の兄がいるとも思えない。今度会った時は様子を見ておこうと思いつつ、ルーシーに目を向ける。
――やはり彼女は私が知らないことも知っているようだ。
当然のようにゲームの話が通じることに、つい頬が緩む。それに気付いたルーシーが「何よ」と口を尖らせた。
「いや、すまない。ずっと君とこうして話せたらと思っていたから嬉しくて。前世の話ができるのは君しかしないからな」
彼女は驚いたような顔をした。少し間を置いて、ふいと顔を逸らす。
「だからって罪人相手に2人で話したいなんて思う?」
「神殿での君の様子を見ていたら、しっかり話がしたいと思ったんだ」
「ちょっとくらい疑いなさいよ。良い子とかいうのも意味わかんないし、……」
そのまま声が萎んでいく。どうしたんだろうと彼女を見る。ルーシーはベンチの上で膝を抱えると、ぽつりと呟くように言った。
「……ほんと、意味わかんない。いきなり死んで乙女ゲームの世界に転生とかさ。私、まだ高校生になったばっかりだったのに」
それを聞いて言葉を失う。彼女は眉根を寄せ、庭園を眺めながら続けた。
「電気もネットもないし、外は真っ暗だしコンビニもないし。魔物とかいう動物なのか何なのか分からないのも出てくるし……もう慣れたけど」
そこから、つらつらと不満が述べられる。畑仕事なんてしたことがない。コンロもないのにどうやって料理しろっていうの。風呂が共用とか最悪。身分で見下してくる貴族の奴らに腹が立つ。
ヒロインの口から溢れる愚痴を聞いて、彼女が平民であることを思い出した。
平民の暮らしは本で知っている。でも実際に経験したことはない。私は生まれた時から、ずっと『貴族』だったから。
家事は使用人がしてくれるし、料理なんて授業以外でしたこともない。農業をしているライアンは別だが、ほとんどの貴族は畑仕事の経験もないだろう。
最初から貴族として生まれた私とは違って、彼女は今までたくさん大変な思いをしてきたんだろう。前世と違いすぎるこの世界で、前世の記憶と価値観を持ったまま生活するなんて。
――もしかしてルーシーは……自分の心を守るために、この世界がゲームだと思い込もうとしていたんだろうか。
そうだとしたら、もう少し伝え方を考えたほうが良かったかもしれない。何と声をかけるべきか迷っていると、ふいにルーシーがベンチから立ち上がった。
拳を握り、庭園に向かって叫ぶ。
「あーもう! ほんとに、やり残したこといっぱいあったのに! 定期券買ったばっかりだったしバイト代貰ってないし、予約してたお店も行けなかったし!!」
「ル……ルーシー?」
突然何を言い出すのかと慌てる。周囲に人の気配はないが、さすがに聞こえてしまうのではないだろうか。
止めるべきかと思ったが、彼女は構わずに声を上げた。
「修学旅行も行きたかった! 文化祭も、準備だけして本番に参加できないなんて最悪! 初めての模擬店楽しみにしてたのに!」
何も言えずに口をつぐむ。時々目を擦って前世の未練を吐き出し続けるルーシーの背中を見守る。彼女の声を聞いているうちに、不思議と私も前世のことを鮮明に思い出してきた。
今までぼんやりと忘れていくだけで、ゲーム以外のことを思い出そうとしなかったからだろうか。脳内に記憶が巡り、無意識のうちに口を開いていた。
「仕事の、引き継ぎ……してなかった」
はっとしたようにルーシーが振り返る。何故かじわりと胸が熱くなってきて、溢れ出しそうになる記憶をひとつずつ吐き出す。
「忘年会の役員だったのに、迷惑をかけてしまった。友達に借りた漫画、返そうと思ってずっと玄関に置いたままだ。クリスマスケーキを久しぶりにホールで注文していたし、週末はそれを持って、祖母の家に帰るって約束、っ……」
それ以上、声が出なかった。代わりにぼろぼろと涙が零れて止まらなくなった。
この世界で初めて記憶を思い出した時は、まだ現実味がなかった。ファンタジーな世界やゲームのエンディングに意識が向いていたから、わざわざ前世を思い返して泣くことはなかった。
しかし今、同じ転生者である彼女の話を聞いてようやく理解した。
――そうか。前世の『私』は、もう死んだのか。
だから名前を思い出せないのかもしれない。もう覚えておく意味がないから。
クローゼットに隠したクリスマスプレゼントに祖母は気付いただろうか。年賀状も用意していたはずなのに無駄にさせてしまった。
会社には誰が連絡してくれたんだろう。最期に会った親友はちゃんと海外に行けただろうか。あの時突き飛ばした少年は、無事に助かっただろうか。
10年越しにいろんな想いが込み上げて、堪えきれなかった。
「あ……あなたまで、そんな」
ルーシーはそう言いかけて、言葉を詰まらせた。おそらく彼女も泣いているのだろう。しばらくの間、静かな庭園に小さな嗚咽が響いた。
それから数分ほどして、ようやく落ち着いた。深く息をついて顔を上げる。いつの間にかベンチに座っていたルーシーをちらりと見て、小さく笑う。
彼女の目は明らかに泣いたと分かるほど赤くなっていた。きっと私も同じだろう。これでは神殿内に戻れないなと考えて、ふと思いつく。
「……ルーシー、手を出してくれ」
「え? なんで」
「いいから」
怪訝な顔をして伸ばされた彼女の手を握り、短く唱える。
「ヒール」
ふわりと白い光が辺りを照らし、泣き腫らした目が治る。もう『攻略対象とヒロイン』の関係ではないからか、魔法はしっかり効いたようだ。
私にもかけてくれと頼むと、彼女は同じようにヒールをかけてくれた。すっと顔の熱が引き、呼吸がしやすくなる。
「……便利ね、魔法って」
「そうだな」
しかし、さすがにそろそろ戻らなければならない。そう思って立ち上がったところで、離れかけた手をルーシーが掴んだ。
振り向くと彼女はわずかに唇を噛んで、それからぎゅっと手に力を込めた。
「アレン様。怪我させて……いっぱい酷いこと言って、ごめんなさい」
迷いのない金色の瞳で私を見上げて、ルーシーは力強く言った。
「私を止めてくれてありがとう」
きっとこれが彼女の本性なのだろう。恋にまっすぐで周りが見えなくなることもあるが、優しくて努力家で自分の過ちをしっかり反省することができる。
みんなを操っていたことや好感度のために闇魔法を使っていたことを考えると、簡単には許せない。でもそう言えるようになったということは、彼女もあの時から成長しているのだろう。
――セシルやリリー先生は、神殿での彼女も演技なのではと言っていたが……。
私は、必死に怪我人を助けようとしていた彼女を信じたい。
ルーシーの手を引いてベンチから立たせる。目を丸くしている彼女に向き直る。
「罪は消えないが、その言葉は受け取っておく。ただ、私よりセシル達に謝ってくれ。想い人に利用されるなんてあんまりだろう」
「わかった。……神殿に戻ったら、ちゃんと謝るわ」
彼女は目を逸らさずに頷いた。ここから彼女を許すかどうかは彼ら次第だ。ライアンは大丈夫そうだが、セシルはどうだろう。
彼の想い人は不明なままだ。1年の頃から知り合っていたならその相手はルーシーではないのだろうか。エンディング時は彼女に恋をしているようには見えなかったが、今の気持ちはわからない。
そこで、近付いてくる足音にハッとした。神殿関係者が呼びに来たのかと思ったが、足音は庭園を囲む柵の外から聞こえてくるようだ。
思わずルーシーと顔を見合わせ、繋いでいた手を離す。
「……ああ、やっぱり! クールソン様ではありませんか」
オレンジ色の髪をした背の高い男性が柵の間から顔を覗かせた。一瞬ライアンかと思ったが、明日も学園で授業があるからこんな遠方にいるわけがない。しかしその見覚えのある顔を見て、何故ここにと疑問が浮かぶ。
「ウィルフォード男爵?」
ライアンのお父上は彼によく似た顔で、「覚えてくださっていたのですね」と嬉しそうに笑った。
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聖堂に入ってきた金髪の彼を見て、つい眉を顰める。また来たのねという言葉は心に仕舞っておく。
別に彼が神殿に来ること自体は悪いことではないし、むしろ喜ばしいことだ。その目的が、誰かさんに会うためでなければ。
「リリー先生。もう少し表情筋を鍛えられてはいかがですか」
「王子様はむしろ表情を隠しすぎじゃないかしら?」
彼は赤い絨毯を歩いてくると、にっこりと笑った。そのままぐるりと辺りを見回して首を傾げる。
「アレンはどうしたんですか? 今日も来ていると思ったんですが」
「アレンなら、ルーシーと一緒に遠方の治療に行ってるわよ」
「ルーシーと……?」
今度は彼が眉を顰めた。まだ彼のところまで情報が行っていないらしい。王宮には届いているかもしれないけど、と前置きして神殿関係者らしく状況を説明する。
採掘場で事故が起きたこと。怪我人の治療はほとんど完了していて、運よく死人もいなかったということ。アレンはもうすぐ帰ってくるだろうと伝えると、彼はほっと息をついた。
「しかし、その辺りの魔鉱石採掘場というと……まさか」
王子は何かに気付いたらしく、言葉を止めて考える素振りをする。ここで考えなくてもいいんじゃないのと言いかけたところで、廊下の方から声がした。
「……ということは、裁縫も昔から得意だったのか?」
「得意って程じゃないけど、苦手でもなかったわね」
「それで芸術祭の衣装を繕ったのか。すごいな」
「あれくらい慣れれば誰でもできるわよ」
聞こえてきた会話に顔を向ける。並んで聖堂の前を通りかかったアレンとルーシーを見て、目を丸くしてしまう。
――いつの間にか仲良くなってるじゃない。
よかったわね、と思うと同時に複雑な気持ちになる。このままアレンの周りにどんどん親しい人が増えていったら、いつかもっと遠い人になってしまいそうだ。
学園を卒業したら医務室担当医として会うこともない。彼の進む道によっては、それこそ一生関わらない可能性だって……。
「リリー先生」
声をかけられて顔を上げる。いつの間にか目の前にいたアレンと、ぱちりと目が合う。彼は傍にいるセシル王子でもなく、親しげに話していたルーシーでもなく、何故かまっすぐ私を見て微笑んだ。
「私と一緒に、収穫祭に行きませんか?」
「……えっ!?」
まったく予想していなかった言葉に胸が高鳴る。
それは突然の、お出かけのお誘いだった。