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115話 聖女と転生者①

 聖堂のステンドグラスを布で拭きながら小さく息をつく。近くで同じように掃除をしていたリリー先生が目を丸くした。


「疲れた? 悪いわね。治療のために来てるのにこんなことまでやらせちゃって」

「あ、いえ。好きでやっていることですから」


 申し訳なさそうに言われ、慌てて首を振る。神殿では毎朝掃除をしているらしいが、時々こうして訪れる人が途切れたタイミングでも掃除をする時間がある。


 掃除は嫌いではないが学園ではする必要がないし、家ではそもそもやらせてもらえない。だからこそ、神殿では積極的に手伝いを申し出ていた。ジェニーは最初だけ複雑な顔をしていたが、何も言わなかった。


 しかし淡々(たんたん)と手を動かしていると、つい頭で別のことを考えてしまう。ちょうど見られていたとは思わず苦笑する。


「疲れているわけではないんです。色々と考えてしまって」

「色々ねえ。アレンはちょっと悩み癖があるのかしら」


 先生は辺りを見回して人がいないことを確認すると、少しだけ声を落とした。


「もしかして、エミリア嬢のこと?」

「そうですね……それもあります」


 私は休日しか神殿にいないため、未だにエミリアが起きている姿を見たことがない。夜中には何度か目を覚ましているようだが、会話をする間もなく再び眠ってしまうらしい。怪我の治療は済んでいるため、今は消耗した魔力を回復させているのだろうと聞いた。


 彼女は魔法が使えないのではと思っていたが、魔力を消耗しているのなら違うのだろうか。何日も眠っているなんて、まるで私が魔力切れになった時のようだ。


 答えを聞いたリリー先生は(あご)に手を当てて首を傾げた。


「それもってことは、別のこともあるのね」

「まぁ、今は将来のことを決める時期ですから」


 それに、と聖堂の入り口に目を向ける。開け放たれた扉の向こうでルーシーが(ほうき)を動かしていた。視線に気付いたらしく一瞬顔を上げ、さっと目を逸らす。

 やっぱり嫌われているよなとため息をつくと、先生が呆れたように言った。


「もしかして、あの子と仲良くなりたいなんて考えてるの?」

「できれば一度くらいちゃんと話をしておきたいと思いまして」

「気持ちは分からなくもないけど、難しいんじゃない? どうしたって合わない人はいるわよ」


 先生が言うことは正しいと思う。恋のために世界を見捨てるなんて私には考えられないし、合わない部分は確かにあるだろう。


――でも……彼女としか話せないこともある。


 そこで突然、バタバタと廊下の方から足音がした。次いで、青い顔をしたアデルさんが聖堂に飛び込んでくる。


「アレン様! すみません、すぐに来てください! それと、ルーシーさんも!」

「えっ?」


 名前を呼ばれたルーシーが驚いた顔をする。彼女も呼ばれるなんて何かあったのだろうか。急いで駆け寄ると、アデルさんは手招きをして言った。


「移動しながら説明します。2人とも付いてきてください! 私も行くから、ミルトンは神殿のことお願いね!」

「え、ええ。わかったわ」


 戸惑いながらも頷くリリー先生を聖堂に残し、ルーシーと共にアデルさんの後を追う。アデルさんは早足で廊下を進みながら、状況を説明するため口を開いた。


「乗合馬車で5日程かかる遠方の地で大きな事故があったようです。魔鉱石の採掘場で魔道具が暴走して怪我人が多数出ているみたいで……あちらにも神殿はありますが、ここと違って聖魔力を蓄える力はありません。おふたりには治療のため、直接現地に向かっていただきたいのです」


 フレイマ王国には各地方に小さな神殿があり、王都にあるこの神殿から遠方の神殿へは魔道具で移動できる。

 今までも何度か遠方の治療を手伝ったことはあるが、そこまで遠くへ行くのは初めてだ。ルーシーに至っては魔道具での移動自体初めてだろう。


 左手の中指にめた指輪を外しつつ、尋ねる。


「こちらに怪我人を運ぶことはできないんですか?」

「軽傷の方はすでにこちらの治療室で処置を受けていますが、それ以外の方は歩くことも難しいようで……」


 それだけ酷い状況なのだろう。わかりましたと返してルーシーに目を向ける。彼女はわけが分からないというように眉根を寄せて黙っていた。


 神殿の一室、移動用魔道具が置かれている部屋に入る。魔道具を動かすために魔力を使ったらしい神殿関係者が数名、椅子に座って目を閉じていた。遠距離を繋ぐほど多くの魔力を消費するから、回復のために眠っているのだろう。


 正面の壁には扉があり、四方に埋め込まれた魔道具が淡く光っている。アデルさんは扉に手をかけて振り返った。


「ルーシーさんはあちらでも神殿の敷地内から出ることはできません。気を付けてくださいね」

「わ……わかってます」


 不機嫌そうに答え、ルーシーは顔を背ける。アデルさんが扉を開けると、その先は見覚えのない廊下だった。


 アデルさんに続いて扉をくぐる。遠くの方でざわざわと人の声がする。同時に鉄のような匂いがして、思わず眉を(ひそ)めた。

 神殿で治療を任されるようになって何度も怪我を目にしてきたが、未だに人の怪我には慣れない。顔に出ないよう意識して、ふうと息をつく。


――ルーシーは大丈夫だろうか。


 彼女はまだ直接怪我人と関わったことがない。心配だったが、大丈夫かと確かめる間もなくアデルさんに「こちらです」と急かされる。

 短い廊下を進み小さな聖堂に出たところで、目の前の惨状(さんじょう)に息をのんだ。


 聖堂の椅子が端に避けてあり、床に敷かれた布の上に怪我人が並んで横になっている。事故には現場で働いていた人達以外に、周囲にいた一般人も巻き込まれたらしい。傍には彼らを心配する身内もいて、子供たちの泣き声が辺りに響いている。


 慣れた様子で神殿関係者に指示を出しながら、アデルさんが言った。


「ここから見て右奥の患者から最優先で治療をお願いします。歩く体力が残っている方には後方の治療室で休んでもらってください」

「わかりました」


 短く返してルーシーに顔を向ける。そして声をかけようとしたところで気付く。



 彼女は真っ青な顔をして、その場に立ちすくんでいた。



「い、意味わかんない」


 ぽつりと口から声が漏れる。震える手で服を掴んで、ルーシーは首を振った。


「何これ? こんなイベント知らない。事故って何よ。なんで……乙女ゲームなのにこんな、こんなリアルな怪我の描写なんて」


 初めて大勢の怪我人を見てパニックになっているのだろう。無理矢理この現状をゲームだと思い込もうとしているのが見て分かる。

 厳しいようだが、のんびり落ち着かせている暇なんてない。ガシ、と彼女の両肩を掴んで顔を合わせる。揺れている金色の瞳と目を合わせ、静かに伝える。


「ルーシー、乙女ゲームはもう終わった。これは現実だ」

「……え」

「あとでちゃんと話そう。でも今は怪我人の治療が先だ」


 ルーシーの手を握って聖堂の右奥へ向かう。彼女は引っ張られるまま青い顔をして付いて来た。

 いきなりこんな現場で治療を任されて怖がるのは当前だ。しかしこの場にいるからには、やるべきことをやらなければならない。


「しっかりしろ、ルーシー。君も『聖女』だろう……!」


 私がそう言うと、彼女はぐっと唇を噛んだ。


 横になっている怪我人の隣にしゃがみ込んで手をかざす。片手で掴んだルーシーの手は離さず、魔力を込めるようにしてヒールを唱える。

 辺りが白く光り、みるみるうちに傷が塞がっていく。服に着いた赤い染みが消えることはないが、患者の顔色は目に見えて良くなっていた。傍にいた身内らしき人達がわっと声を上げる。


 顔を逸らしていたルーシーは、おそるおそる患者に目を向けた。強張(こわば)っていた彼女の手から力が抜けたのに気付き、掴んでいた手を離す。


「魔法での治療は私たちにしかできない。急ごう。君は反対側から頼む」


 彼女の背中を押すように叩き、すぐ隣の怪我人にも魔法をかける。ルーシーはしばらく私を見ていたが、ぎゅっと拳を握って離れていった。

 指示した通り治療を始めた彼女を見てほっとする。もう任せても大丈夫だろう。


 そのまま次々にヒールをかけながら、範囲魔法が使えればいいのにと心の中で呟く。聖魔法の創作呪文はいくつか試したが、なかなかうまくいかない。

 特にヒールは1人ずつ必要な魔力量が違うため、一斉に魔法をかけるとどうしても無駄に魔力を消耗してしまう。


――今は魔力を無駄に使うべきではないな。


 必要最低限の魔力を調整しつつ、1人ずつ治療を進めていく。アデルさんに言われた通り動ける人には治療室へ移動してもらう。場所を空けるということは、まだ怪我人が増える可能性があるのだろうか。


 次の患者にヒールをかけていたところで、この神殿の関係者らしき人が駆け寄って来た。


「あ、あの、聖女様。申し訳ありません。動かせない怪我人がいるのですが」


 話を聞くと、どうやら事故現場に残されている人が数名いるらしい。なんとか運び出したもののここまで連れてくることができないほど負傷しているため、直接来てもらえないかということだった。


 ルーシーは神殿から出られない。となると、動けるのは私しかいない。彼女の魔力だけで残りの怪我人すべてを治療できるだろうかと思ったが、動けない人達を見捨てるわけにはいかない。


 残っている人数を確認し、彼女に声をかける。


「ルーシー、ここは君に任せる」


 ルーシーは驚いたように目を丸くした。さっと立ち上がり、神殿関係者と共に外に出る。そこで初めて神殿が街の端にあるのだと知った。

 事故現場である採掘場は神殿からも街からもそんなに離れていないようだ。だからこそ魔道具が暴走した際の爆発で周辺の人にも被害が及んだらしい。


 駆け足で採掘場へ向かう。遠目にも煙が上がっているのが見えた。砂埃で若干視界が悪く、時々何かが崩れるような音もしている。

 採掘場は校庭程の範囲に掘られた深い穴で、内部に木製の通路が組まれていた。採掘のための横穴が等間隔で並んでいるが、そのうちのいくつかは崩れて完全に塞がっていた。


「怪我人はこちらです!」


 神殿関係者に案内され、人が集まっている場所へ走る。私が着ている白いローブを見て聖魔力保持者が来たと分かったらしい。私たちに気付いた男性が慌てたように避け、その間から地面に倒れている人影が見えた。


 急いで駆け寄り、怪我の状態を軽く確認してヒールをかける。止血などの応急手当はされているが、それでも直視はできないほどの傷だ。

 どれだけ激しい事故だったのか嫌でも分かる。詳しくは聞いていないが、死者も出たのかもしれない。


 この世界には魔法があるとはいえ、なんでも思い通りになるわけじゃない。今回は見なかったが、今まで治療した中には四肢の一部を失った人もいた。

 ヒールで繋げることはできても、人体の一部を生み出すことはできない。この世界には輸血療法もないため、治癒より先に大量の血が流れてしまえば助からない。


 つい、かざした手に力が入る。辺りがふわりと輝き、(またた)く間に傷が塞がっていく。苦痛に歪んでいた表情が和らいだのを見て、周囲にいた人たちが「おお」と感嘆の声を上げた。

 口々に礼を言われ頭を下げられる。間に合ってよかったと息をついて、自分の手に視線を落とす。


――しかし、結構な魔力を消耗したな。


 門の封印に吸われているせいか、以前よりも保有魔力が減っている気がする。私でこれなのだから、ルーシーもそろそろ限界に近いだろう。

 これ以上怪我人が増えなければと考えたところで、はっとした。


「そういえば、確か怪我人は『数名』いたのでは?」


 私がこの場に来て治療したのは1人だけだ。残りの怪我人はどこにいるのだろうと辺りを見回すが、他に人が集まっている場所はない。

 神殿関係者に尋ねると、彼が答える前に近くの男性が慌てて口を開いた。


「さっき重傷の女性を1人、神殿に運んでいったはずです。もしや行き違いになったのでは……」


 青い顔をしてそう言われ、神殿の方角へ目を向ける。

 同じように青い顔をしていた彼女のことが頭に浮かんだ。

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