113話 新しい日常②
神殿内の食堂には基本的に関係者しかいないが、例外として関係者の身内や友人など身元が分かる人なら利用できるようになっている。今では私も神殿関係者という扱いになっているため、ライアンと会うのはだいたいこの場所だった。
「そんなに長いともったいない気がするな」
食堂から顔を出したライアンが眉を下げて悲しそうな顔をする。気持ちは分からなくもないが、そんなにかと苦笑してしまう。
「別に今すぐというわけではないぞ」
「そうかぁ。まぁ、長いと手入れも大変だもんな」
ライアンに続いて食堂に入りつつ、言われてみればそうだなと心の中で呟く。手入れをしてくれているのはジェニーだが、彼女も私より髪は短い。入浴の度に乾かすのも大変だろうと今更ながら申し訳なくなる。
――『乙女ゲーム』は終わったから、もう切ってもいいのかもしれないが……。
ちらりと自分の髪を見る。もはや伸ばしている理由なんてないが、まだ学園の制服を着ているうちはこのままが良いような気がしていた。髪が短いなんて子供の頃以来だから自分でも想像できない。
と、食堂の中にいたリリー先生がこちらを向いて手を振った。
「お疲れ様。アレンが髪を切るならあたしも切ろうかしら」
廊下での話が聞こえていたらしい。先生は椅子を移動させながら言った。
「髪が短いアレンも素敵でしょうね。もちろん今の髪型もとても似合ってるけど」
「ありがとうございます。学園卒業後の話なので、まだ先ですが」
「1年後ね。それならそんなに先でもないんじゃない?」
「……そう、ですね」
あれだけ入学を覚悟していた学園生活もあと1年。改めて考えると早かったなと思う。1年2年は色々と忙しかったが、ゲームのエンディングを迎えた3年はそうでもない……わけでもない。
学園を卒業したらほとんどの生徒は即就職だ。少なくとも、今年中に将来を決めておかなければならない。
まさか転生してからも進路に悩むなんて。こっそり息をついたところで、隣にいたセシルがぽつりと呟いた。
「そうか。髪を伸ばす前のアレンを知っているのは僕だけなんだね」
その瞬間、何故かピシッと空気が凍った気がした。食堂には他にも数人神殿関係者がいるのにこの周りだけ静かになったようだ。
ライアンと顔を見合わせて首を傾げる。セシルはじっとリリー先生を見て、にっこり笑った。
「別にアレンに合わせなくても、好きな時に髪を切ってはどうですか?」
「あら……王子様に言われなくてもそうする予定だけど?」
リリー先生も同じように笑顔を浮かべている。いつからかこの2人は顔を合わせる度に作り笑いをするようになっていた。仲が悪いのかと思っていたが、毎回変わらない態度で話をしているのは逆に仲が良いのかもしれない。
そこで、ライアンが思い出したように「あ」と声を漏らした。テーブルに置いていたバスケットを抱え、上に掛けていた布を外す。
「そうだった。今日は差し入れにカップケーキを作ってきたんだ」
バスケットの中には大きなカップケーキがたくさん入っていた。保温用の魔道具が一緒に入っているらしく、まだほかほかと温かい。
ライアンの元には、定期的に実家であるウィルフォード家からいろんな種類の小麦粉が送られてくるそうだ。
ご家族は大食漢であるライアンのために『メイドに何か作ってもらえ』という意味で送ったようだが、彼は寮の調理場を借りて自分で調理している。調理の授業で私たちがクッキーを作ったと聞いた時から興味があったらしい。
「すごいな。どんどん上手になってるんじゃないか?」
「パン作りは家でもやってたから、こういうのは慣れてるんだ。他の料理は苦手だけどな」
ライアンはそう言って頬を掻いた。さっそく席に座り、彼の差し入れを頂くことにする。ようやく落ち着いたらしいセシルとリリー先生も集まって来た。
全員が席に着いたところで、ジェニーがさっとお茶の用意をしてくれた。
神殿で働いている中にも貴族はいるが、みんな昼は自分たちで食事の用意をしている。最初は私もそうするべきだろうと同伴を断っていた。
しかし『聖女様に自分で食事の用意をさせるのは申し訳ない』という意見もあり、結局彼女に付いてきてもらうようになった。
この4人で一緒に食事をすることも多くなったな、と彼らに目を向ける。セシルも神殿内なら安心らしい。今もスティーブンは食堂の外で待機している。ライアンのことも信頼しているため、軽い確認だけで差し入れを受け取っていた。
――第二王子の存在も公表されたばかりだから、外で口にする物にはもう少し警戒心を持ったほうが良い気もするが。
常に警戒をするのも疲れるだろう。悪意から王を守るのも宰相の仕事だと先日の授業で学んだことを復習しつつ、カップケーキを口に運ぶ。
ふわふわでしっとりしていて美味しい。どこかで食べたことのある、懐かしい味がする。
「……ルーシーが作ったものと似ているな」
中庭で彼女から貰ったカップケーキを思い出し、つい呟いてしまう。はっとして口を押さえると、ライアンは照れたように眉を下げて笑った。
「前にルーシーからレシピを聞いててさ。それを参考にしたんだ」
彼は以前、ルーシーに食堂でお菓子を作ってもらったことがあるらしい。もしかしたら、それもライアンルートのイベントだったのかもしれない。
本当は彼女にも差し入れを渡したいようだが、断られ続けているようだ。去年、最もルーシーと仲良くなっていたのはライアンだった。今も半分は彼女の様子を見に来ているのだろう。
「今日も声かけたんだけど、アレンに直接言えって怒られちゃってさ」
「ああ、私も言われたな。いちいち自分を通すなと」
ルーシーは基本的に掃除を担当しているため、神殿の入り口にいることもある。ライアンは直接神殿に入ることもできるが、一応彼女に声をかけているようだ。
――それを毎回律儀に伝えてくれるから、完全な悪人ではないんだろう。
むしろ、恋愛が絡まなければわりと良い子なのではないだろうか。来客が高齢の時は入り口の階段を上る手助けをしているし、落とし物を拾って文句を言いながら走って追いかけているのを見たこともある。
ヒロインを演じていた時に比べると笑顔は減ったが、行動はそんなに変わっていない気がする。
「見かけたらつい話しかけちまうんだよな。掃除の邪魔になってるのは分かるんだけど」
「いいんじゃないか? 他に話す相手もいないようだし、君と話すのはきっと気分転換になるだろう」
そんな話をしていると、リリー先生が呆れた顔をして小さく息をついた。
「あんた達、素直すぎるわよ。あの子は一応『罪人』だってこと忘れてない?」
「僕も同感だな。神殿でも演技をしている可能性は捨てきれないと思うよ」
セシルにもそう言われ、苦笑する。その可能性がないわけではないが、ここで演技をする意味はほとんどない。
神殿の人達を騙しても罪が消えるわけではないし、許可を受けて外に出られるようになったとしても長くて半日だ。当然1人で動けるわけでもない。
慌てて話題を変えるように、ライアンが「演技といえば」と口を開いた。
「神殿に来る時に見かけたんだけど、あの劇団本当にアレンの劇を作ったんだな」
その言葉にカップケーキが喉に詰まりかけ、急いで紅茶で流し込む。把握はしていたが、人の口から聞くとなんと返していいかわからない。
芸術祭に呼ばれていた平劇団は、今や王都では知らない人がいないほど有名になっていた。どの劇団よりも早く、私が門を封印した話を劇として公演したらしい。
いつか見てみたいわとリリー先生が言っているのを聞きながら2つめのカップケーキを手に取る。あの劇団長は本気で言っていたようだ。
これはクールソン家にも伝わってそうだなと思っていると、ふいに視線を感じた。セシルが目を丸くしてこちらを見ている。
「どうした?」
「あ、いや……君は前よりたくさん食べるようになったなと思ってね」
門の封印を終えてから妙にお腹が空くようになった。1日3食ではとても足りず、2回ほどおやつの時間を挟んでいる。ライアンが差し入れを持ってきてくれるようになったのも彼にその話をしたからだ。
「そうだな。前と同じ量では物足りない気がしてしまって」
私がそう答えたところで、後ろから声が聞こえた。
「前神官様と同じですね。門の封印に魔力が消費され続けているから、たくさん食べることで体内の保有魔力を保っているんだと思います」
振り返ると食堂の入り口にアデルさんが立っていた。彼女が両手で抱きかかえている赤ん坊を見て、椅子から立ち上がる。
「アデルさんのお子さんですか?」
「はい、ピーターといいます。男の子です」
アデルさんとは神殿でも何度か顔を合わせていたが、子供を見るのは初めてだった。ほっぺが落ちそうでふっくらしていて、じっとこちらを見上げている。
「目元がアデルさんにそっくりですね」
「あ、ありがとうございます。……よかったら抱いてみますか?」
「いいんですか?」
前世でも赤ん坊を抱っこした経験なんて数えるほどしかない。おそるおそるピーターを抱き取り、目を合わせる。彼は変わらずじっと私を見上げて、ふにゃりと笑った。天使のような笑顔につられて頬が緩んでしまう。
どこの世界でも赤ん坊はかわいい。そしてとても癒される。みんなも抱っこしたいだろうかと顔を上げたところで、セシルとリリー先生が胸を押さえて俯いていることに気付いた。
私が見ていない間に何かあったのだろうかと首を傾げる。何故か頬を赤くしたライアンが躊躇いがちに言った。
「あー……あの、アレン。気を付けたほうがいいと思うぞ」
何のことだろうかと尋ねたが、彼はそれ以上何も言わなかった。
同じように頬を赤くしたアデルさんは、困ったように苦笑いを浮かべていた。
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「ライアンが何に気を付けろと言ったのか、ジェニーは分かったのか?」
薄暗い庭園を歩きつつ隣にいるジェニーに尋ねる。彼女は大きく頷いて、ちらりと横目で私を見た。
「もちろんです。ですが、おそらくアレン様には難しいかと」
「そう言われると気になるんだが」
外門の向こうでは護衛兵のフレッドとハービーが待っている。学園と神殿を行き来するだけなのに、毎回クールソン家から馬車と護衛兵が送られてきていた。
明日が休日ならクールソン家に泊まる案もあったが、いつも通り朝から授業がある。遅刻しないためには今日中に寮へ戻っておかなければならない。
「だいたい、気を付けると言っても……」
そう言いかけたところで、誰かの声が聞こえた気がした。口をつぐんで辺りを見回す。不思議そうなジェニーに向けて口の前に指を立て、黙るように指示する。
「――お姉ちゃん、しっかりして!」
今度は子供の声がはっきり耳に届いた。ジェニーも聞こえたらしく、はっとした顔をする。
どうやらその声は神殿の裏手から聞こえているようだ。確か壁の側面には門があったはずだと踵を返す。それを見たジェニーが慌てて声を上げた。
「お、お待ちください! アレン様を呼び出すための罠かもしれません。フレッドたちを行かせた方が」
彼女の言うこともあり得ないわけではない。実際、聖魔力を持っていると分かってからは街で嫌な視線を向けられることもあった。
しかし、迷っている間に手遅れになっては困る。
「ジェニーはここで待機してくれ。代わりにフレッドを呼んでほしい。私は先に様子を見てくる」
それだけ言って声の方へ足を向ける。聖女祭でリリー先生に教えてもらった裏門へ向かうと、声の主の姿が見えた。
細い路地に髪の長い女性が倒れている。小さな女の子が泣きながらその人を揺すっている。2人とも灰色のローブを着ているが、遠目でもかなりボロボロだ。
辺りに他の気配がないことを確かめつつ鉄の門を開ける。金属音が響き、それに気付いた少女がビクと肩を揺らして顔を上げた。赤茶色の髪を見て一瞬ロニーを思い出したが、街灯に照らされた彼女の瞳は紫色だった。
「大丈夫か? 何があった」
近付いてしゃがみ込む。少女はぎゅっと拳を握ると、祈るように言った。
「神殿の人ですか? お姉ちゃんを助けてください! たくさん怪我してるの! お願いします!!」
「怪我?」
倒れている女性に目を向ける。出血はしていないようだが、白く細い腕に薄暗い路地でも分かるほどくっきりと縄の痕が残っていた。
訳有りか、と呟いて彼女を抱え上げる。意識はあるようだが、酷く体調が悪そうだ。熱があるらしく呼吸も荒い。
「ひとまず神殿で治療しよう。君の名前は?」
「ノーラです! お姉ちゃん、神殿の人が来てくれたよ!」
ノーラと名乗った少女が声をかけると、抱えていた女性がわずかに目を開いた。向けられた視線に応えるため、私も彼女を見る。
そこで、息をのんだ。
――神官様……?
真っ白な髪に金色の瞳。まるで妖精のようだ、と初めて前神官様に会った時のことを思い出す。
しかし、金色の瞳は遺伝しないはずだ。学園でも街でも見たことがない。
街灯の光のせいで見間違えたのだろうか。再度確認しようとしたが、彼女は何も言わずそのままガクリと意識を失ってしまった。
――今はとにかく治療が最優先だ。
彼女を抱え、ノーラと共に神殿へ続く門をくぐる。
遠くから慌てたようにフレッドが駆け寄ってくるのが見えた。