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111.5話 1週間後

 魔界の門を封印してから1週間ほど過ぎた。家族に聖魔力について話したり王宮に呼び出されたりしているうちに、あっという間に卒業式の日になった。


 他にも色々と予定は入っていたが、その前に生徒会として卒業生を送り出すという大事な役目が残っている。大きな事件の後とはいえ、これから国の将来を(にな)う卒業生を(ないがし)ろにするわけにはいかない。


 校庭周辺は立ち入り禁止になっているが、講堂には被害がなかった。前日に学園長との打ち合わせも無事に終わり、生徒会での準備も済んだ。

 あとは生徒会として卒業式に出席して、卒業生を見送るだけだ。何も心配するようなことはない。……はずだったのだが。


「本当にそのまま出席されるのですか?」


 ジェニーはじっと私を見て不安げな顔をした。改めて鏡に目を向け、苦笑する。


 卒業式という大事な日に限って、うっかり寝ている間に虫に刺されてしまったようだ。目が覚めたら首筋に赤いあとがあり、ジェニーが顔を青くした。

 シーツに紛れ込んでいたのかと何度も謝られたが、小さい虫は扉の隙間からでも入ってくるから仕方のないことだ。


 ただ、制服を着ても絶妙にシャツのえりから見えてしまうのは少しだけ困った。


「せめて包帯か何かで隠された方が……」

「首に包帯を巻いている方が目立つだろう」


 医務室に行くべきかとも考えたが、今のところ(かゆ)くもなんともない。痕を隠そうとすると、むしろ怪我をしたのかと心配されかねない。

 あまり大げさにするのもよくないなと考え、結局何もしないことに決めた。


 食堂へ向かう間もジェニーはずっと心配そうな顔をしていた。虫に刺されることなんて今までもあったはずなのに、何をそんなに気にしているんだろう。


――もしかして門の封印で心配をかけたせいで、心配性になっているのか?


 学園内で魔物が大量に出現した時、当然ジェニーたち使用人は寮にいた。すぐに入り口が封鎖ふうさされ、気が気じゃなかったようだ。

 その上他の生徒たちが全員寮に戻ってきても、門に向かった私たちは帰ってこなかった。暗くなってからようやく、神殿に運び込まれたと伝えられたらしい。


 それではさすがに多少のことで心配するようになっていてもおかしくない。特にこの1週間は、神殿に行ったり王宮に行ったり屋敷に戻ったりとバタバタしていた。せめて今日くらいは彼女にもゆっくりしてもらいたい。


 早めに朝食を取り、ジェニーに見送られて講堂へ向かう。門の封印については王家から公表されるまで伏せられているため、生徒たちはいつも通りだった。それでも何かしらうわさにはなっているらしく、すれ違うたびにちらちらと視線を感じる。

 あまり気にしないようにしながら歩いていくと、噴水前でカロリーナとセシルが手を振っていた。私が最後かと急いで駆け寄る。


「おはよう。すまない、待たせたか?」

「おはようアレン。大丈夫さ、僕たちも今来たところ……」


 にこやかに挨拶を交わしたセシルが言葉を止める。彼は私を見詰めて固まった。

 どうしたんだろうと思っていると、カロリーナがおそるおそる口を開いた。


「あの、アレン様。首筋のそれはどうなさったのですか?」


 そう聞かれ、虫刺されのことを気にされているのだと気付く。もしや怪我だと思われて心配をかけてしまったのだろうか。手で痕を押さえて首を振る。


「気にしないでくれ。これは何でもない」

「そ、そうですか?」


 カロリーナは納得できないという顔をしてセシルに目を向けた。彼はわずかに眉をひそめ、ぽつりと呟く。


「まさか、変な虫でも……」


 言わずとも伝わったのだろうか。さすがセシルだと思いながら肯定の意を返す。彼は顔を強張こわばらせると、何かを考える素振りをして講堂へ歩き始めた。

 私もカロリーナと並んでセシルの後を付いて行く。しばらく額を押さえていた彼女が声を落として言った。


「アレン様。先程の答えは言葉通りの意味ですわよね?」


 よくわからない問いかけだったが、今のところ変なことを言った覚えはない。私が頷くと、カロリーナは小さく息をついた。


「おそらくですが、セシル様は……」


 と、彼女がそう言いかけたところでパタパタと足音が近付いてきた。講堂からまっすぐ走って来た小さな影は、前を歩くセシルを通り越して私に抱き着いてくる。


「ロニー、どうしたんだ?」


 彼も今日学園を卒業する生徒の1人だ。実際は卒業どころか入学する歳でもないのだが、臨時入学という扱いだったため卒業式にも参加している。

 ロニーはぎゅっと腕に力を込めて顔を上げた。うるんだ緑の瞳を見て、察する。


――ああ、学園を離れるのが寂しいのか。


 初めて出会った時は早く家に帰りたいと言って泣いていたのに。寂しいと思えるのなら、それだけ学園生活が楽しかったということだろう。

 小さく笑って赤茶色の髪をさらさらと撫でる。


「君はまた5年後に入学するだろう?」

「……でも、その時にはみんないません」


 涙声でそう言われ、そういうことかと納得する。私たちは来年になれば卒業してしまう。1年生として一緒に授業を受けていた生徒も再来年にはいなくなる。ロニーが改めて入学する頃には誰もいないと考えると、それは確かに寂しいだろう。

 何と言おうか迷っていると、前方からライアンが歩いてきた。


「ロニー、探したんだぞ。講堂を出るなら一声かけてくれよ」


 彼は寮の食堂でロニーに捕まり、頼まれて一緒に講堂へ来たらしい。私に抱き着いているロニーの頭をわしわしと撫で、呆れたような顔をする。


「さっきまで家族のところに帰るのが楽しみだって言ってただろ」

「それはそれ! 家族にはこの先も会えるけど、アレン様たちには……」


 言い切る前にポロポロと涙がこぼれる。卒業後に彼と会う機会があるとすれば夜会くらいだろうか。自分たちの屋敷内ならともかく、他家の目があると今までのように身分を気にしない交流は難しいだろう。

 私もロニーのことは弟のように思っていたため、滅多めったに会えなくなるかもしれないと思うと悲しくなってしまう。


 そこで、話を聞いていたセシルが言った。


「全く会えないなんてことはないさ。同じ国にいるんだから、君が将来的に王宮で働く立場になればいいんだよ」

「王宮……?」


 ロニーは目をぱちくりさせた。涙が止まったところを見計らい、そっとハンカチで目元を(ぬぐ)う。セシルはにっこり笑って頷いた。


「ああ。王宮魔術師や護衛兵になれば国中を移動することもあるし、ライアンのウィルフォード領へ行くこともあるだろう。王宮勤めなら僕や公爵家のアレンと会う機会も多い。もしかしたら、一緒に仕事をすることもあるかもしれない」

「一緒に?」


 緑の瞳がきらりと光る。ロニーはぐっと拳を握って顔を上げた。


「わかりました! 僕は王宮のお仕事を目指します!」

「そうか。成長した君と会えるのを楽しみにしているよ」


 セシルはニコニコと笑みを浮かべたままロニーの頭を撫でた。妙に含みがあるように見えてしまうのは気のせいだろうか。

 雷魔法を使うロニーが護衛兵になれば、王宮の警備はかなり強化されるだろう。それを狙って誘導していた気がしないでもない。


 そう思ったが、将来の目標を決めたロニーが嬉しそうなので指摘しないでおく。


――セシルはなんだか段々腹黒くなってきているような……。


 ちらと視線を向けると、彼の赤い瞳と目が合った。セシルは一瞬ギクリとして、どこを見ていいか分からないというように目を逸らす。

 さっきからどうも様子がおかしい。その理由を尋ねようとしたところで、ライアンが私を見て心配そうな顔をした。


「なぁ、アレン。その首の……痛くないのか?」

「え? ああ、平気だ」


 やっぱり目立つかと痕に手を触れる。腫れているわけでもないが、ちゃんと診てもらうべきだっただろうか。しかしもうすぐ卒業式が始まってしまう。

 後で医務室に寄るかと考えていると、ライアンは眉根を寄せた。


「昨日までなかったよな。いつやられたんだ?」

「分からない。寝ている間にやられたみたいで」

「え? じゃあ姿は見てないってことか?」

「そうだな。いつから部屋にいたのかも分からない」


 答える(たび)に、何故か辺りに緊張が走る。そんなに心配されているのだろうか。本当に大したことはないんだがと苦笑する。

 身長的に見えないらしいロニーは首を傾げていた。彼に説明しようと思ったところで、学園長補佐の先生から声をかけられる。


「生徒会のみなさま、まもなく卒業式を開始いたします」


 いつの間にか時間が経っていたらしい。急いで講堂に入り、生徒会として所定の位置につく。外で待つと言っていたライアンは再びロニーに捕まったらしく、卒業生でもないのに一緒に講堂の後ろに座らされていた。


 マディの演説でかなり時間を使った入学式とは違い、学園長とセシルの挨拶もしっかりと時間内に終わり、卒業式は(とどこお)りなく()り行われた。


 卒業生たちは講堂を出てそのまま迎えに来た馬車で帰るか、一旦寮に戻ることになっている。中には婚約者や家族総出で迎えに来ている生徒もいた。

 講堂から正門までの道に先生方が並び、風魔法で花びらを降らせて見送る。


 ロニーはすでに馬車が迎えにきていたため、講堂から直接帰ることになった。


 門の件で王宮に呼ばれる予定があるから、またすぐに会うことになる。それが分かっていても、離れる時はどうしても目の奥が熱くなってしまった。

 クマのぬいぐるみと共に窓から手を振る彼を見送る。馬車が小さくなっていく頃には、他の卒業生たちの姿もほとんどなくなっていた。


「あら、アレン。お疲れ様」


 いつも通り白衣を着たリリー先生がこちらに歩いてくる。講堂内では見なかった気がするが、どうしてここにいるのだろう。

 不思議に思って尋ねると、彼は馬車の整理をしていたのだと教えてくれた。


「入学式と卒業式の日は絶対に混雑するのよね。……それより、首のそれはどうしたの? 虫にでも刺されたのかしら」

「あ、はい。そうみたいです」


 私がそう答えたところで、後ろから「えっ!?」と声が上がった。驚いて振り返ると、セシルとライアンが揃って目を丸くしていた。


「そ、それ……キスマークじゃないのか?」

「え?」


 ライアンの言葉を理解するのに数秒かかり、ようやく分かった。セシルの態度が変だったのもライアンがやたらと心配していたのも、赤い痕をキスマークだと勘違いしていたらしい。顔が熱くなるのを感じながら、慌てて首を振る。


「違う。寝ている間に虫に刺されただけだ」

「なんだ、知らない奴にやられたのかと思って心配した」


 ライアンはそう言ってほっと息をついた。セシルは顔を赤くして頭を抱える。


「そ、そうだよね。君にそういう相手がいないのは分かっていたのに……つい早とちりしてしまったよ」

初心うぶねぇ。赤い痕くらいでキスマークを疑うなんて」


 呆れたという顔をするリリー先生に、カロリーナが苦笑いを浮かべる。


「仕方ありませんわ。ちょうど首筋にありましたもの」

「ほんとは首筋に付けるのもあまり良くないんだけどね。内出血と同じだから」

「まぁ、そうなのですか? 小説では定番ですのに」


 その会話を聞いて、ふと前世のことを思い出す。高校の友達に、彼氏に付けられたというキスマークを見せてもらった時のこと。想像していたより痛そうで、本当に大丈夫なのかと不安になった覚えがある。

 少なくともその時に見たのは虫刺されのような可愛らしい感じではなかった。そう考えると全然違うな、と苦笑しながら呟く。



「確かに、本物はもっと痛々しい色をしていたな」



 その瞬間、辺りがしんと静まり返った。同時にその場の全員から視線を向けられ、きょとんとしてしまう。


 そこで12時の鐘が鳴り響いた。もうそんな時間かと校舎の鐘塔(しょうとう)を振り返ると、こちらに向かってくる人影が見えた。

 灰色の髪に黒いローブ。学園長は私たちに気が付くと、嬉しそうに微笑んだ。


「おや、お揃いで。生徒会のみなさんもお疲れ様でした。クールソン殿は魔力の回復に時間がかかったようですが、無理をされていませんか?」

「大丈夫です。学園長こそ、快復されたばかりだったのに無理をされたのでは」


 学園長が意識を取り戻したのはちょうどダンスパーティーの日だったらしい。今まで何年も闇魔法を受けていたため、治療にも時間がかかったようだ。実は私たちが運ばれた時も、まだ彼は神殿内にいたという。

 いきなり式典なんて大丈夫かと心配していたが、学園長は首を振った。


「お気遣いありがとう、私は大丈夫ですよ」


 にっこりと向けられた笑顔で、本当にお元気そうだと安堵(あんど)する。


 入学したばかりの頃はラスボスなのではと疑っていたが、それが間違いだったと分かった今では私も彼のことを信頼している。前にウォルフが言っていた通り、とても優しいおじいさんだ。

 疑っていたのは申し訳なかったなと思っていると、学園長は私の背後に視線を向けた。何故か不思議そうな顔をして、眉を下げて笑う。


「どうやら、みなさんはクールソン殿にお話があるようですな」


 私はこれで、と軽く頭を下げて去っていく学園長を見送る。どういう意味だろうと振り返ったところで、彼らが至近距離まで詰めて来ていることに気付いた。

 思わず目を丸くして固まってしまう。話が終わるのを待っていたらしく、こちらから尋ねる前に一斉に質問が投げられた。


「ちょっと、さっきのはどういうことかしら?」

「どうして色まで詳しくご存じなのですか……!?」

「なんか見たことがあるみたいな言い方じゃなかったか?」

「まさか、だ、誰かに付けられたことがあるのかい?」


 それを聞いて、自分の失言に気付く。他人のキスマークを目にする機会なんてなかなかない。そういう経験があるのかと思われてもおかしくない。

 卒業式まで無事に終わって油断していたのだろうか。前世の記憶を元に発言してしまうなんて、ジェニーに氷食症の話をした時から成長してないなと苦笑する。


「そういうわけじゃない。あれは――……」


 誤解を解くために口を開く。聖魔力のことは伝えたが、彼らにはまだまだ隠しておかなければならないことがある。

 前世のことも、恋をしないことも。いつか全てを正直に話せる日が来るかもしれない。でもその時までは、できるだけ内緒にさせてほしい。


 乙女ゲームが終わっても、私はこの世界で生きている『アレン・クールソン』なのだから。

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