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110話 想いと呪文

 真っ白に塗り替えられた門を見上げ、そっと手を離す。小さく息をついた瞬間、ふっと脚から力が抜けた。

 一気に大量の魔力を消耗したせいだろう。その場に崩れるように座り込む。隣にいたセシルが慌ててしゃがみ込んだ。


「アレン! 大丈夫かい!?」

「だ、大丈夫だ」


 正直に言えば、もう少しで魔力切れになるところだった。が、動けないほどではない。思ったより余裕があったことにほっと胸を撫で下ろす。

 顔を上げると、セシルと目が合った。彼は真剣な顔をして口を開いた。


「今の封印は……君がやったのか」


 何と答えるべきか一瞬だけ迷う。しかし、ここまで来て隠す意味はない。

 ぎゅっと拳を握り、小さく頷いて返す。


「ああ。隠していてすまない」

「ってことは、アレンも聖魔力を持ってたのか!?」


 私たちの会話を聞いていたライアンが驚いたように声を上げる。彼の影から顔を覗かせたロニーは、不思議そうに首を傾げた。


「でもどうしてルーシーじゃなくて、アレン様が封印したんですか?」

「それは……」


 返答に詰まってしまい、ルーシーを振り返る。彼女はいつの間にか地面に座り込んで俯いていた。セシルは彼女を横目で見て、眉を(ひそ)めた。


「部屋の扉を覆い隠していた闇魔法と、先程アレンを捕らえていた魔法は同じものだったようだけど……もしかして、あれは」

「い、いや闇魔法ですよ? さすがにルーシーじゃないと思いますが」


 セシルの言葉にライアンが慌ててルーシーを庇う。「たぶん学園長代理が罠を」「じゃあどうして彼女は」と彼らが話し合っているのを聞きながらルーシーの様子を伺う。桃色の髪に隠れた表情は見えない。もしかして泣いているのだろうか。

 と、そこでルーシーが顔を上げた。


 前神官様と同じ金色の瞳が向けられた瞬間、何故かぞっと嫌な予感がした。


――まだ終わりじゃない。


 彼女から目を離さないようにしつつ、門に手をついて立ち上がる。それに気付いたセシル達も、話を止めてルーシーに顔を向けた。


「……(だま)されないでください」


 ルーシーは祈るように胸の前で手を組む。そしてヒロインらしい表情で叫んだ。


「みなさん、騙されないでください……! そのアレン様は、偽者(にせもの)ですっ!!」


 予想外の言葉に絶句する。ライアンとロニーは信じられないという顔をした。次いで向けられた視線に気付き、否定のために慌てて首を振る。

 ルーシーは足を前に踏み出して、続けた。


「お願い、信じて! 彼は眼鏡も掛けてないし、杖も持っていないでしょう!?」


 はっとして、息をのむ。確かに私は今、何も持っていない。どちらもみんなが部屋から出てくる前に瘴気(しょうき)にのまれて消えてしまった。

 否定する証拠を出せない私を見て、隣にいる彼らは戸惑うように顔を見合わせている。目に涙を溜めたルーシーはさらに一歩踏み出した。


「本物のアレン様は聖魔力なんか持ってないわ! その偽者は門を封印したように見せかけて、私たちをこの場から遠ざけようとしているんです!」


 聖魔力は今の今まで彼らにも隠していた。実はずっと持っていたなんて、この場で証明できるものはない。ルーシーもそれが分かっているのだろう。


 黙って彼女の話を聞いていたセシルが首を傾げた。


「君の言うことが本当なら、本物のアレンはどこにいるんだい?」


 そう尋ねられるのを待っていたらしい。ルーシーは私たちの後ろにある門に目を向けると、酷く悲しそうな表情をして答えた。


「門の向こうに、連れていかれてしまいました……!」


 それを聞いてようやく気付く。彼女が何を考えてそんなことを言い出したのか。


――ルーシーは、まだ魔界の門を開放しようとしているのか……!


 封印が完了しただけでは諦めきれなかったようだ。ルーシーは私を指差すと、鋭い目で睨み付けて言った。


「早くその偽者を倒して、門を開かないと! 本物のアレン様をお救いするために……お願い、私を信じてください!!」


 悲痛な叫びが洞窟内に響く。ポロポロと涙を(こぼ)す彼女を見て拳を握る。さすがにここまでヒロインを演じていただけあって、かなりの演技派だ。

 このままではきっとみんなルーシーを信じてしまう。どうやって弁明(べんめい)すればと考えていると、セシルが彼女から私を隠すように前に出た。


「悪いが、君の言うことは信用できない」

「え?」


 ルーシーと同時に私も驚いてしまう。まさかセシルが彼女の主張を迷わず否定するとは。彼女とは仲が良かったから、もっと悩むだろうと思っていたのに。


 セシルは私を振り返ると、ふいに手を伸ばした。眼鏡を弾かれた時に怪我をした箇所から血が(にじ)んでいたらしい。指でそっと私の頬を撫で、悔しげに唇を噛む。

 ぐっと指を握り込み、再びルーシーに顔を向ける。


「僕は君よりもアレンを信じているんだ。彼に攻撃なんてしないよ」

「な、なんで? そのアレン様が本物だという証拠は何もないんですよ!?」

「そうだね。でも、偽者だって証拠もないだろう?」


 セシルはそう言って、にっこりと作り笑いを浮かべた。それまで悩んでいたライアンが「それもそうか」と呟いてセシルの隣に立つ。


「あー……悪い、ルーシー。その、ルーシーの言うことを疑ってるわけじゃないんだけどさ。できれば俺もアレンには攻撃したくないな」

「僕も。やるなら本当に偽者かどうかハッキリしてからがいいと思う」


 同じようにロニーが前に出る。ちょうどルーシーと私の間に3人が立ち塞がるような形で並んだ。彼らの背中を見て、目を丸くしてしまう。

 彼らはみんなルーシーに恋をしているはずだ。それでもヒロインである彼女の言葉より、友達の私を信じてくれるのかと胸が熱くなる。


「……ああ、そう。そういうことね」


 それまで呆然としていたルーシーがぽつりと呟いた。制服のスカートを掴んで大きなため息をつくと、ポケットに手を入れる。


「私、失敗してたのね。まぁ仕方ないか。この世界ではどう頑張っても数値が目に見えるわけじゃないし」


 そう言いながら彼女が取り出したのは、数本のピンク色の瓶だった。


 同じ香水を何本も持ち歩くわけがない。はっとしたところで、瓶が黒い煙に包まれる。全員が構えるよりも彼女が腕を振り上げる方が早かった。



「――好感度が、足りてなかったみたいね!!」



 勢いよく地面に叩きつけられたガラス瓶が大きな音を立てて割れる。

 風が巻き起こり、辺りに花のような甘い香りが(ただよ)う。


 その瞬間、ドクンと胸が高鳴った。


 激しく跳ねる心臓のせいで脳まで揺れているみたいだ。あまりの気持ち悪さにめまいがする。全身に血が巡るのを感じ、顔が熱くなる。


――この感覚は……!


 覚えがある。図書館で彼女と別れた後、好感度が上がった時も同じように感じた。胸の高鳴りが気持ち悪くて、そう感じてしまったことにショックを受けた。

 しかしそれは、『恋心』に気持ち悪さを感じたわけではなかったようだ。


 思えば近くで闇魔法を使われた時も、魔物が現れた時も。

 私は『気持ち悪い』嫌な気配を感じていた。


――まさかルーシーはあの時から、……!?


 顔を上げて気付く。私と同じ攻略対象である、彼らの様子がおかしい。


 胸を押さえて顔を真っ赤にして、ルーシーを見詰めたまま立ちすくんでいる。ふいにライアンが足を踏み出し、続いてロニーも数歩ふらふらと進んだ。

 ライアン、ロニーと名前を呼んでも聞こえていないらしく反応がない。


「これ、は……」


 すぐ近くでうめき声が聞こえ、はっと顔を向ける。セシルが苦しそうな表情をして頭を押さえていた。向けられた視線に敵意を感じ、伸ばしかけた手が止まる。


「みんな、お願い!」


 より一層感情を込めた声で、ルーシーが叫んだ。


「私のことを信じて! あの偽者のアレン様を倒して!!」

「……うーん。あんまりやりたくないけど、ルーシーが嘘をつくわけないもんな」


 ライアンは頬を掻いて、くるりと振り返った。向けられた水色の瞳が一瞬で敵意に染まる。躊躇(ためら)いがちに構えられた杖を見て、説得は無理だと理解する。


「それなら一撃で済ませたほうがいいだろ。僕がやるからどいて、ライアン」


 ライアンが唱える前に、ロニーが彼を押しのけて前に出た。彼らの中で私は完全に敵だと認識されているようだ。ロニーは迷いなくこちらに狙いを定めている。

 土魔法ならともかく、彼の魔法はさすがに避けられない。生身なまみで雷魔法なんて受けたらどうなるかは想像に(かた)くない。


――逃げ、ないと。


 杖も持たずに彼らと戦えるわけがない。せめて満足に動ける程度の魔力が回復するまでは、どこかに隠れて耐えなければ。

 なんとかその場から離れようとしたところで、セシルに腕を掴まれた。振りほどく力もなく、ぐいと引き寄せられる。


「セシル……!」

「行かせないよ」


 彼も同じく杖を構えた。それを見て、ルーシーが安心したように笑う。


「学園長は知らなかったみたいだけど、闇魔法は強い想いを消すより元からある想いを増幅(ぞうふく)させる力のほうが強いのよ。……つまり私に恋をしている攻略対象には、軒並(のきな)みこの『媚薬(ラブ・ポーション)』が効くってこと!」


 彼女が持っていたあの瓶は、好感度を上げるための媚薬効果があるものだったらしい。マディに対してのセリフとは真逆の行動に唖然(あぜん)としてしまう。

 自分の目的を果たすために攻略対象の恋心を利用するなんて。思い通りに操って友達を攻撃させるなんて。恋のためとはいえ、到底とうてい許されることではない。


敵を倒せ(サンダー・ビート)!」


 耳に届いた声でハッとする。考える間もなく辺りが緑の光に包まれる。

 その詠唱(えいしょう)に重なるように、すぐ近くで声がした。



守れ(フレイム・ガード)



 地面から火柱が上がる。それは壁のように広がってロニーの魔法を受け止めた。弾かれた雷魔法は、バチッと大きな音を立てて地面にぶつかる。

 火魔法を使った彼は私を背に庇うようにして、杖を構え直した。


「僕の傍から離れないで、アレン」


 セシルは青い顔をしていたが、炎のような瞳はいつも通り優しかった。向けられた視線からもまったく敵意を感じない。


「どうして……?」


 彼もルーシーに恋をしていたはずだ。闇魔法の影響も受けていたようだし、好感度も高かったと思う。それなのに、何故私を守ってくれるんだろう。

 セシルは小さく笑って、その問いに答えた。


「約束したからね。2度と、君を傷つけないと」


 飛んできた土の塊をファイアボールで相殺(そうさい)し、雷魔法が放たれると同時に炎で壁を作る。私と同じく魔力開放が早かった彼は、まだ魔力に余裕があるようだ。

 ロニーとライアンが戸惑いながらも魔法を発動させるが、すべて私に届く前にセシルに弾かれている。


 しかしこのままでは、そのうち誰かの魔力が尽きてしまう。その前に魔法で怪我をするかもしれない。ゲームでは門を閉じた時点で終わっていた。ここから先どうなるかなんて、前世の記憶があっても分からない。

 本当は彼らが戦う必要なんかないのにと拳を握る。守られているだけの自分が情けない。さすがに2対1では魔力の消耗が激しく、セシルも少しずつ押され始めた。


 なんとかしなければ。今この場でできることはないかと思考を巡らせる。魔力も体力もほとんど残っていない。走り回って(おとり)になることも、助けを呼びに行くこともできない。氷魔法で彼らの杖を弾くこともできない。


――杖は無くても聖魔法なら使えるが……。


 闇魔力を含んだポーションで操られている彼らを見る。闇魔法に対抗できる聖魔法であれば、彼らにも効くかもしれない。

 でも、私が覚えている聖魔法の呪文なんて。


 そう考えたところで、ふと思い出した。



『すべての状態異常を無効化する魔法』



 前世の名前を忘れても文字が読めなくなっても、それだけは忘れなかった。この世界で唯一目にした、日本語で書かれた短い呪文。


――せめて、ポーションの効果だけでもなんとかできれば。


 みんながルーシーに恋心を抱いているのは本当だろう。となると、想定されている状態異常とはまた違うのかもしれない。

 しかし他に何も思いつかない。この呪文で少しでも状況を変えられる可能性があるなら、躊躇(ためら)う理由はなかった。


 魔法が途切れた瞬間を見計らってセシルの背後から飛び出す。呼び止められても構わず壁に向かって走る。全員が視界に入る位置で振り返り、手をかざす。


 そして、大きく息を吸いこんだ。



「――『リセット』!!」



 その呪文を唱えた瞬間。薄暗い洞窟の中心で、フラッシュのように白い光が(またた)いた。あまりの眩しさに前が見えなくなり、思わず目を(つぶ)る。

 一瞬の耳鳴りと共に辺りが静かになると、徐々に光は弱まっていった。


 数秒の間を置いて目を開ける。地面に倒れている彼らの姿が見え、はっとする。


「みんな、っ!?」


 慌てて駆け寄ろうとしたところで、がくんと体から力が抜けた。膝をつき、そのまま前のめりに倒れ込む。地面に手をついて起き上がろうとしても、まったく力が入らない。魔力切れ寸前まで消耗したらしく、勝手に(まぶた)が閉じようとしている。


 なんとか力を振り絞って顔を向けると、彼らがすやすやと寝息を立てていることに気付いた。どうやら気絶しているだけのようだ。

 よかったと呟いたところで、別の方向から声がした。


「何、今の……リセット? 何よそれ」


 (かす)む視界の向こうに桃色の髪が揺れ、息をのむ。

 ゆらりと体を起こしたルーシーが、地面に座り込んだまま私を睨みつけていた。


――まだ動けるのか……!


 考えてみれば、彼女は門の封印をしていない。当然私たちのように魔力を送ってもいない。触手や魔物は生み出していたが、魔力切れとまではいかないようだ。

 こちらは意識を保つので精いっぱいだというのに。


「ふざけないで……! ヒロインの恋が始まってすらないエンドなんてありえるわけないでしょ!? これは乙女ゲームなのよ!!」


 ざわ、と黒い(もや)が現れる。それは数匹の魔物に姿を変えた。もはや抵抗する気力も残っていない。唸り声を上げながら近付いてくる魔物をぼんやりと眺める。


 そこで、聞き慣れた声がした。



風の刃(リップ・ナイフ)!」



 洞窟の入り口、魔道具庫に繋がる通路から風が吹く。あっという間に切り刻まれてただの影になった魔物が霧散むさんして消える。

 黒いもやの向こうで、ルーシーは信じられないというように声を漏らした。


「嘘……攻略してないのに、なんで来るのよ……?」


 彼女も限界だったらしく、そう言ってぱたりとその場に倒れ込んだ。辺りに(うず)巻いていた闇魔力が風に散っていくのを見て、理解する。


――ああ……やっと、終わった。


 ばたばたと近付いてくる足音を聞きながら、安堵(あんど)感に包まれて目を閉じた。

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