109話 絶望と希望
「……は?」
ルーシーが短く声を漏らした。しかし言葉は続かない。辺りを包んでいた光は、真っ黒な門に吸い込まれるようにして消えた。一瞬の間を置いて変化が現れる。
ぽつりと絵具を垂らしたように、両手で触れたところから門が白く染まり始めた。手のひらから伝わった聖魔力はそこに蓄えられた闇魔力を溶かしながら、じわじわと広がっていく。わずかに手応えを感じ、確信する。
――私の力でも封印できる……!
ヒロインの魔力でなくても問題なさそうだ。あとはこの門を閉じさえすれば。
そう思ったところで、後ろから声が聞こえた。
「闇の手」
ぞわりと嫌な気配を感じる。振り返るよりも早く、地面から伸びた触手が体に巻き付いた。ぐっと強い力で後方に引っ張られ、咄嗟に踏み止まる。押さえていた力が弱まったことで再び門の隙間が広がった。
振り向くと、ルーシーは信じられないという顔をして私を睨み付けていた。
「聖魔力? なんで? なんで攻略対象のアレン様が聖魔力なんて持ってるの? 意味わかんない。……どいてよ」
答える間もなく、ミシミシと触手の圧迫が強まる。少しでも力を抜いたらそのまま振り飛ばされそうだ。
門から引き離されないようにと足に力を込めるが、さすがに後ろから引っ張られている状態で扉を押さえ続けることはできない。白に染まりかけていた門は、真っ黒に戻ってしまった。
「絶対に、駄目だ。バッドエンドになんかさせない」
自分に言い聞かせるように呟く。一瞬でも油断したら終わってしまう。ゲームじゃなくて、この世界が終わってしまう。一度離されたら、きっとルーシーは門が完全に開くまで私を自由にはさせてくれないだろう。
「何それ。あなたにエンドを決める権利があると思ってるの? それを決めていいのは、ヒロインの私だけなのよ……!」
さらに触手の圧が増す。会話を続ける余裕がなく、ギリと歯を食いしばる。
扉も覆っているのに、何故ルーシーは同時に複数の魔法を使えるんだろう。辺りに闇魔力が満ちているからか。それとも、これもヒロインの力だろうか。
彼女は声に怒りを込めて叫んだ。
「門から離れて! 私は魔王様に会うの! そのためにここまで最短ルートで頑張ってきたんだから! 邪魔しないでよ!!」
彼女の周りを黒い靄が包み、数匹の魔物が現れる。先程より数は少ないが、とても戦える状態ではない。魔物を睨み、瞬時に思考を巡らせる。
ホーリーライトを使うべきか。しかし門の封印にどれだけの魔力が必要かわからない。ここで魔物を倒しても触手を消しても、封印ができなければ意味がない。
ぐっと拳を握り、門に顔を向ける。なんとか両手を伸ばして扉に触れる。背後から魔物の唸り声が聞こえるが、もう構っている暇はない。触手に抗ってずっと踏ん張っている足も痺れてきた。
小さく息をつくと、ぽたりと汗が地面に落ちた。
――私が今やるべきことは、これだけだ。
再び手に力を込め、門に聖魔力を送る。扉は鈍い金属音を立てながら内側に動いた。地面に向けた視界の端で、門が白く変わっていく。
魔界に通じるこの門を閉じることができればいい。封印さえできればいい。それができるのは、もはやこの世界で私だけなのだから。
何があったとしても、封印が完了するまで耐えられればいい。
「ちょっと、やめてってば!」
ルーシーが叫ぶ。一斉に魔物が動き出した気配がする。複数の足音と共に気配が近付き、飛び掛かろうとする影が門に映った。
久しく大怪我なんてしていない。覚悟を決めて、ぎゅっと目を瞑る。
そこで、聞き慣れた声が響いた。
「ッファイアボール!!」
はっとして目を開く。赤い光で洞窟内が明るく照らされる。飛んできた火の玉は一瞬で魔物を焼き払い、あっという間に嫌な気配をも消し去った。
声の方へ目を向けると、セシルが杖を構えて立っていた。困惑した表情をして私とルーシーを交互に見ている。
「これは……っ、一体どういうことだ!?」
「セシル!」
思わず彼の名前を呼んだところで、今度は別の方向から声がした。
「土よ落ちろ!」
次いでドサッと背後から音が聞こえ、体が軽くなる。たたらを踏んで振り返ると、巻き付いていた触手が土に埋もれて消えていた。
その向こう側にオレンジの髪が見える。
「大丈夫か!? なんだこれ、部屋の扉を塞いでたのと同じ……?」
「ライアン!」
ライアンが怪訝な顔をして頭を掻く。ちょうど彼の問いに答えるように雷鳴が轟いた。緑色の閃光が、部屋の扉ごと黒い触手を塵に変える。
おそるおそる部屋から出てきた彼は辺りを見回した。
「や、やりすぎちゃった。あの変なの、倒してよかったんだよね?」
「ロニー!」
突然現れた彼らの姿に安堵感を覚える。門の封印に時間が掛かっていたから気になって出てきたのだろうか。理由はわからないが、今は考えている時間も惜しい。
彼らに向かって声を上げる。
「みんな! 手伝ってくれ!!」
3人はハッとした顔をしてすぐに駆け寄ってきた。私が門を押さえていることに気付いたらしく、戸惑いながらも手を伸ばす。
「と、閉じればいいのか!?」
「とりあえず押しますよ!」
ライアンとロニーが片側の扉を押さえる。頷いて返し、セシルと共にもう一方の扉を押す。先程とは違い、門はゆっくりと確実に閉まっていく。
同時に手に力を込めると、ふわりと周囲が明るくなった。
「……君、まさか」
セシルが私を見て目を見開く。さすがに驚かれてしまったようだ。小さく笑って彼に答えようとしたところで、ルーシーが声を震わせた。
「あ、ありえない……! 攻略対象だけで門を閉めるなんて、そんなエンドありえない! このゲームのヒロインは、ホリラバの主人公は、私なのに……!!」
――『ホリラバ』?
その単語を聞いてようやく思い出した。
最初からうろ覚えだった。今までずっと忘れていた。
私たちが生きている、この世界の名前を。
彼女の声に答えるように口を開く。
「ああ、そうか。『ホーリー・ラバー』か」
「……え?」
なんで、と呟く声がかすかに耳に届いた。
深く息を吸いこみ、一気に聖魔力を送る。
「そういえば、そんなタイトルだったな……!」
門が白く光り輝き、わずかに開いていた隙間がぴたりと閉じる。
ガチャン! と鍵のかかる音が洞窟内に大きく響いた。
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絶望の音が洞窟に反響する。
目の前で閉じられた白い門を見て、声に出さず呟く。
――なんで、こうなったの?
ここまでは順調だったのに。どうしてと頭の中で尋ねても、答えてくれる相手はいない。やり方が間違っていたとも思えない。
私はちゃんと、前世の記憶通りに進めていたはずだ。
ホーリー・ラバー。通称、ホリラバ。誤タップで課金しなければ知ることもなかった、スマホアプリの古い乙女ゲーム。
綺麗事しか言わないヒロインに怪しすぎるラスボス。攻略対象のイベントも使い回しな上に全体を通して糖度はかなり低め。正直どの攻略対象も顔がいいだけでまったくタイプじゃない。
――それでも、ここまで『ヒロイン』として頑張ってきたのに。
握った拳が震える。ぐっと唇を噛んで、深く息をつく。
この世界に転生してから16年間。ずっとヒロインを演じてきたのは、唯一の推しである魔王様に直接会うためだ。
偶然辿り付いたバッドエンドでスチルを見て、一瞬で沼にハマった。もう一度見たくて画像検索をしまくった。でも、隠しキャラだったから全然出てこなかった。
このゲームでバッドエンドに進むのは普通に誰か1人を攻略するより難しい。闇魔力を手に入れる方法も限られてたし、好感度を調整するための課金アイテムも必須。無料で手に入るのは初回のみ。
それなのに、隠しルートのイベントはエンディングでしか見られないという最悪な仕様。その上アカウントごとにセーブデータが紐づけされてるせいで、エンディングに入ったらすぐ最初からに戻ってしまう。
もちろんスクリーンショットも試した。タイミングよく撮れてしばらくは満足していたけど、そのうち眺めているだけじゃ物足りなくなった。
魔王様に会うために同じストーリーを繰り返した。3周目からはいろんな選択肢を試して、バッドエンドに向かう最短ルートを探した。
そしてそのルートを覚えてからは、同じ選択肢で何度も何度も繰り返した。転生して前世の記憶が薄れても、バッドエンドへの進め方だけは完璧に覚えていられるくらい、何度も。
――どこかで選択肢を間違った? いや、私は完璧に攻略できていたはず。
強制的に誰かのルートに入るのを避けるため、全員の好感度も同じくらいにしておいた。私への好意を自覚しているくらいでないとマディ戦を突破できないから、平均値はしっかり高めで。
入学してからはとにかく忙しかった。ライアン様に手作りのお菓子をあげて仲良くなりつつ、セシル様の好感度はヒールで上げた。
ロニー君の風邪からの添い寝イベントもちゃんと回収したし、店の手伝いで課金アイテムもゲットした。アイテムはそのままじゃ使えなかったけど、色々と試してたら狙い通りの効果が出た。
攻略対象の中で一番好感度が上がり難いアレン様は、好感度を上げやすい後半のイベントで一気に持ち上げた。
それなのにまさか、そのアレン様が私と同じ『転生者』だったなんて。
思い返せばおかしな点はあった。セシル様に対して敬語じゃないし髪型も違う。何故か見たことのない指輪をしているのも気になった。
でもそれならセシル様なんて子供の頃の出会いから違ってたし、平気で甘いものを食べていた。ライアン様も最初から普通に土魔法を使ってた。
ロニー君は家族と離れたことをあまり寂しがってなかったし、雷の夜も平気そうだった。ライバル令嬢のカロリーナ様に至っては、平民嫌いですらなかった。
みんな記憶と違っていたせいで、誰が『原因』なのか分からなかった。それでもストーリーは覚えている通りに進んでいた。だからこそ、最後に私が門の封印さえしなければ、無事にバッドエンドになると思っていたのに。
――アレン様が聖魔力を持っていて、私の代わりに門を封印するなんて……。
じわりと視界が滲む。こんな形で失敗するなんて思ってなかった。
私はもう魔王様に会えないんだろうか。今までヒロインらしく振舞ってきた努力は、すべて無駄だったんだろうか。
ダンスの練習も頑張ったのに。言葉遣いにも気を付けていたのに。立ち振る舞いも外見も、全部全部魔王様に会うためだけにゲーム通りになるよう頑張ってきたのに。わざと魔物に襲われて、闇魔力だって身に着けたのに。
――ここからどうしたらいいの?
がくりとその場に座り込む。白い門を見ていられなくて、地面に視線を向ける。
この世界で魔王様に会うには魔界の門を開くしかなかった。それだけを希望にして進んできた。そして、その門はもう封印されてしまった。
どうしたらいいんだろう。封印された門をもう一度開くには、何をしたらいい?
学園長はどうしてたっけ、とぼんやり考える。彼は魔道具を使って門に闇魔力を送っていた。それだけなら、今も周りには漏れ出した瘴気が溜まっている。
でも、これもしばらくしたら消えてしまうだろう。あの白い門にいくら闇魔力を注いだって吸収されるわけがない。
そう考え、ふと思い付く。
――あ、そうか。先に封印を解かないと駄目なのね。
学園長も聖魔力の封印が弱まってから計画を進めたはずだ。それなら、私も同じように封印の力を弱めればいい。
確か、前の封印が弱まった理由は。
顔を上げる。離れたところにいる、彼の青い髪が目に入る。もうここまでくれば考えなくてもわかった。
門の封印をした聖魔力保持者は、例えて言うなら封印の『鍵』だ。前の封印は、元聖女である前神官様が『亡くなった』から弱まった。
ということは、つまり。
――アレン様が死ねば、封印が解ける?
ドクンと胸が高鳴った。門に送るための闇魔力は周囲に十分存在している。封印されたばかりの門には講堂からの魔力も送られてきていない。
彼さえ何とかできれば、再び門を開くことができるかもしれない。
そうすれば、会える。愛しの魔王様に会える。私が今までこの世界で生きてきた意味を、こんなところで見失わずに済む。
体中に力がみなぎるのを感じる。脚に力を入れて立ち上がる。さすがにヒロインの私が攻略対象である彼を直接手にかけることはできない。さっきだって気絶させようとしていただけで、殺すつもりがあったわけじゃない。
でも周りには、まだ3人も攻略対象者が残っている。
――選んだエンドを諦めるわけにはいかないわ。私はヒロインだもの。
閉じられた門の向こうに、わずかな希望が見えた気がした。