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108話 ヒロインとクール担当

「さすがですね。あの時の会話だけで私がこの国の生まれじゃないって気付いたんですか? 怪しいと思ったから、部屋から出てきたんでしょう?」


 そう言って首を傾げるルーシーはどこか楽しげに見えた。

 そっと剣を構えつつ、答える。


「それだけじゃない。部屋の扉が闇魔法で隠されようとしていたからだ」

「ああ……なるほど」


 納得したように頷いて、彼女は笑った。


「念には念をと思ったんですが、逆に怪しかったですね」


 その言葉で理解する。あの触手のような闇魔法を使っていたのが誰なのか。対極にある聖魔力を持っているから疑いもしなかった。

 ダンスパーティーの夜、傍にいたのは彼女だけだったというのに。


「やはりあの時も君が、……っ!」


 ぞくと足元から気配を感じ、反射的に跳んで避ける。地面から伸びた黒い触手が眼前(がんぜん)で大きくしなり、チッと頬を(かす)った。剣は無事だったが代わりに眼鏡が弾き飛ばされ、わずかに視界が(ゆが)む。

 頬を伝ってきた血を指で払い、ルーシーをにらみ付ける。彼女は「眼鏡がないほうが好みかも」と声を弾ませてわざとらしく手を叩いた。


「ダンスパーティーの時は失敗しちゃいました。本当は魔物で怪我してもらってヒールで治療しようと思ったんです。それが、一番効率がいいから」


 でも、と頬に手を当てて続ける。


「こうやって最初に部屋から出てくるってことは、そんなことをしなくても十分だったのかもしれませんね。アレン様の『好感度』は」


――その単語が出てくるということは……。


 剣を持つ手に力を込める。

 どうやら彼女も知っているらしい。ここが乙女ゲームの世界だと。


 ルーシーがただの転生者であればよかった。それなら同じ境遇(きょうぐう)の相手がいたのだと安心するだけで済んだ。

 今も素直に門の封印をしてくれていたら。ここまでのヒロインらしい行動を見ていたら、転生者だからと心配する必要もなかった。


 しかし彼女は、明らかに魔界の門を開放しようとしている。


 剣を構え直してルーシーに向き直る。門の様子が気になるが、どうにも彼女には隙がない。門の前に立ち塞がり、誰も近付けさせまいとしているようだ。


「どうして聖女である君が闇魔力を持っている?」


 会話で気を逸らせないかと考えつつ、じりと足を踏み出す。ルーシーはそうですねと首を傾げて、にっこり笑った。


「闇魔力はヒロインの隠しパラメーターなんですよ。このエンドに行くためには絶対必要だったから『身に着けて』おいたんです。……なんて、アレン様に言っても分かるわけないか」


 先程ラスボスの口から聞いたようなセリフが聞こえた瞬間。彼女を中心として、周囲に黒い(もや)が現れた。

 それは(またた)く間に魔物の姿へと変わり、唸り声を上げる。魔物たちはすぐ近くにいるルーシーには目もくれず、揃ってこちらを睨みつけていた。


――魔物も呼び出せるのか……!


 その数を見て一瞬剣の魔法を解くか迷う。が、隙を作るわけにはいかない。


 セシルたちはと触手に覆われた扉に目を向け、小さく首を振る。今は出てこない方がいいだろう。彼らはルーシーに恋をしているのだから、本性ほんしょうを知らせるのは(こく)だ。この場は私だけで対処しなければ。


 魔物の動きを注視しながら、彼女に問いかける。


「君の言う『エンド』とは何のことだ」

「決まってるじゃないですか」


 ルーシーは今まで見たことのないような笑みを浮かべ、嬉々(きき)として叫んだ。



「門の封印が失敗する、このゲーム唯一の『バッドエンド』ですよ!!」



 最悪の答えが辺りに反響する。それを合図に魔物が動き出した。


 正面から飛び掛かってくる魔物を避け、洞窟の壁に沿って駆ける。魔物は壁にぶつかろうが剣で刺されようがまったく(ひる)む様子がない。

 噛み付かれる前に剣を振れば、魔物は1撃で霧散した。しかし辺りは闇魔力に満ちている。数体倒したくらいで数は減らない。


「大人しく部屋にいてくれればよかったのに。手間が増えるじゃないですか。この場には攻略対象キャラがいちゃダメなんですよ」


 呆れたように息をついて、ルーシーは首を振った。自分の胸に手を当て、はっきりと声を響かせる。


「信じられないかもしれないけど、ここは乙女ゲームの世界。そして私はヒロインなんです。私にはこの世界のエンドを選ぶ権利……いや、義務がある。門の封印は必ず失敗させます。ヒロインの選択は誰にも邪魔させません」


 再び黒いもやが膨れ上がり、魔物が門を囲んだ。きりがないと舌打ちして、振り向きざまに迫っていた数体の魔物を片付ける。


「何故、わざわざ失敗させる……!?」


 ルーシーがバッドエンドを目指している理由がわからない。それでは、ゲームのセリフを使ってまでマディを止めた意味がない。

 門の前に仁王立ちをしている彼女に向かって声を上げる。


「分かっているのか!? その門が開いたら」

「みんな死にますね」


 何でもないことのように返された言葉に思わず足が止まった。耳に届いた唸り声でハッと我に返り、向かってきた魔物を縦に斬り裂く。一瞬とはいえ立ち止まってしまったため、囲まれそうになっている。咄嗟(とっさ)に壁を背にして体勢を整える。

 ルーシーは桃色の髪を指で(いじ)りながら言った。


「モブがいくら死んだっていちいち気にしないですよ。一応この世界の家族は田舎に避難してもらってますけど。ヒロインの私が死にさえしなければ、乙女ゲームの世界はハッピーエンドなので」


――彼女は何を言っているんだ……?


 まさか本当に、この世界がただのゲームだと思っているのだろうか。目の前で怪我をした相手が彼女にはどう見ているのかと考えてぞっとする。

 モブなんてこの世界には存在しない。学園の生徒も先生方も、街の人達もみんな当たり前に生きている。彼女だって最近まで街に住んでいたのだから、何度も彼らと関わってきたはずだ。


 それなのに。


 ミシッ、と握った剣が(きし)む音を立てる。魔物越しに睨み付けると、ルーシーは首をすくめて言った。


「もう、仕方ないじゃないですか。ルートが用意されてるってことは、私には選ぶ自由があるんですよ。文句があるなら、バッドエンドに隠しルートを作った人に言ってください」

「……隠しルート?」

「そうです。ゲーム通りに闇魔力が手に入ったから、この世界にもちゃんとそのルートがあるはずなんです!」


 彼女は急に顔を輝かせて、胸の前で両手を組んだ。恋する乙女のような表情が今は恐ろしく見えてしまう。


「このゲームのバッドエンドは、ただのバッドエンドじゃない。特定の条件を満たした上で魔界の門が開いたら、私の最推しである魔王様が出てくるんですよ!!」


 そこでようやく、彼女が門を開こうとしている理由を理解した。絶句している私に構わず、ルーシーは興奮したように続ける。


「スチルで一目ぼれしてからずっとお会いしたかった。私が聖魔法を使わなければ自動的に門の封印は失敗する。そうすれば、闇魔力を持つヒロインは、魔王様と恋をする隠しルートに入れるんです!」


 魔王。隠しルート。突然の情報に思考が追いつかない。


 彼女は私よりもゲームをやり込んでいたのだろう。だからこそ闇魔力を得る方法を知っていた。特定の条件とやらも満たして、このエンドを選ぶことができた。

 わざと門の封印をせず、魔王と恋をするエンドを。


「……他の全てを犠牲にして、か?」


 ぽつりと口から漏れた問いに、ルーシーはきょとんとした顔をした。


「恋には犠牲が付きものでしょう?」


 あれ、試練だったっけと続けられる言葉が耳に入ってこない。目の前の彼女は、本当にこの世界に生きる人達のことはどうでも良いらしい。

 門を開放して魔王を呼び出す。それが彼女にとってのハッピーエンドだから。


――みんな死ぬのか? ……彼女(ヒロイン)の『恋』のために?


 恋のためなら何を犠牲にしてもいい、なんて。そんな気持ちは理解できない。……いや、これは理解できないほうがいい。

 本気で、と尋ねようとして口をつぐむ。もはや聞くだけ無駄だ。これまでそのためだけに動いていた彼女が、今更考えを改めるとは思えない。


 そこで、また足元が揺れた。鈍い音を立てて門がわずかに開く。いよいよ時間がない。乙女ゲームのエンディングはすぐそこまで近付いている。

 目の前のヒロインは嬉しそうに門を見上げた。


 彼女を説得できれば、ゲーム通りにハッピーエンドを迎えられるかと思っていた。しかしヒロインである彼女と、そもそも目指すエンドが違うのであれば。


「……もういい」


 小さな呟きは静かに響いた。覚悟を決め、剣の魔法を解いて杖を握り直す。

 それを見てルーシーは怪訝(けげん)な顔をした。


「あれ、諦めたんですか? それなら大人しく……」

氷の針(ニードル・クリエイション)


 彼女の声を(さえぎ)るように唱える。ルーシーが話に夢中になっていたおかげか、途中から魔物たちも大人しかった。降り注ぐ氷の針で完全に魔物の動きが止まる。

 こうなったらもう『ゲーム通り』に進める理由はない。続いて杖を構えると、彼女は呆れたような目で私を見た。


「もしかして、魔法で私を倒そうとしてます? 無駄ですよ。攻略対象の魔法はヒロインには当たらないので」

「そうか」


 短く返し、構わず杖を向ける。何度も唱えた呪文を口にする。


「アイススピア」


 小さな氷の槍が無数に現れる。それは杖の方向へ一斉に飛び出した。門を囲んでいた魔物を含め周囲の影を貫き、そのままルーシーへと向かう。

 彼女が言っていた通り、魔法は当たらなかった。かする直前で氷が弾かれ、きらきらと霧散むさんする。ルーシーは馬鹿にしたように笑った。


「だから無駄ですって、……?」


 彼女が言い終わる前に足を踏み出し、大きく振りかぶる。



 そして、握っていた『杖』を投げつけた。



 杖は魔法のように弾かれず、彼女は短い悲鳴を上げて頭を庇う。その隙をついて素早く駆け出す。彼女の横をすり抜け、門に近付く。駆け寄った勢いのまま、飛び込むようにして門を両手で押さえつける。

 いつまでも彼女と争っているわけにはいかない。それではいたずらに魔力を消耗しょうもうするだけだ。のんびり話している時間もない。


 そんなことよりも、私にはすべきことがある。


「ちょっと……何してるんですか?」


 ルーシーは不機嫌そうな声でそう言うと、足元に落ちた杖を蹴り飛ばした。杖は地面に溜まった瘴気しょうきに包まれ、ボロボロと崩れていく。大事な杖には違いないが仕方ない。門に近付くためには彼女の気を逸らすしかなかった。


 ルーシーの言葉には答えず、視線を正面に戻して腕に力を込める。真っ黒な門は酷く冷たい。最初に氷の剣を握った時のようで、ピリと手のひらに痛みが走った。


 閉じようとする(たび)に金属のきしむ嫌な音が響く。重い扉の向こうから生暖かい風が吹き、押し返されるような感覚に息をのむ。何をするにしても、まずは開きかけているこの門を閉じなければ始まらない。


 ただ、本来なら2人で閉じる場面だ。開こうとする力が強すぎて、なかなか思うようにはいかなかった。私1人では足りないのかと唇を噛む。


 ルーシーは門に近付かないようにしているらしく、離れたところで首を振った。


「そんなことしても意味ないですって。その門は1人で押さえても駄目なんです。アレン様だけじゃ無理ですよ」


 そう言いながらヒラリと手を振る。セシルたちが出てこないようにしているのか、彼らがいる部屋の扉がさらに黒い触手で覆われて見えなくなる。

 彼女はこちらに手を向けながら大きくため息をついた。


「いい加減、諦めてくれませんか? 物理的に閉じるだけじゃ封印はできません。結局私が聖魔力を使わないと」

「『もういい』と言っただろう」


 門を押さえる左手に視線を向ける。中指に()めた白い指輪が、存在を主張するようにきらりと光った。


 先に扉を閉じてからと考えていたが、私しかいないこの場では難しいのかもしれない。ルーシーの言う通り、力任せに閉じられるような物ではないのだろう。

 この門を閉じる方法はただひとつ。攻略対象が来るまで1人で門を押さえていたヒロインのように……『聖魔力』を使わなければ。


 一瞬だけ門から手を離す。外した指輪は手から滑り落ち、高い音を立てて地面に跳ねた。しかし拾っている暇はない。再度両手で門を押さえ、口を開く。


「君の気持ちはよくわかった。君には頼まない」

「へえ? それなら別にいいですけど。私以外の誰が門の封印をできると?」

「……簡単なことだ。この場には、2人しかいないのだから」


 門に触れた両手に力を込める。

 毎晩、神殿に向かって魔力を送る時と同じように。



「――君がやらないなら、私がやる!!」



 その瞬間、辺りが白い光に包まれた。

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