107話 魔界の門
「アレン! 遅かったね。何もなかったかい?」
「……すまない、大丈夫だ」
なんとかみんなに追い付き、駆け足で門へ向かう。ここまでの間、ずっとマディの言葉が頭から離れなかった。
――『私のものではない』闇魔法、だと……?
まだ彼の言葉を完全に信じたわけじゃない。私に疑念を抱かせるため、わざとそんなことを言ったのかもしれない。
しかし先程の戦いを思い返してみれば、彼は私たちの杖を弾くこともできたはずなのにあの魔法を使わなかった。ダンスパーティの夜の、触手のような闇魔法を。
本気で門を開こうとしているからこそ、わざと門から離れた場所で足止めをしていたのだろう。杖がなくても闇魔法は使える。操る魔法が効かなかった時点で、捕らえるための魔法を使ってもおかしくはない。
あの場で1人でも捕らえて人質にすれば、門が開くまでの時間を稼ぐこともできたはずだ。それでも、あの魔法を使わなかったということは。
――本当に彼じゃないのか?
では一体誰が、と杖を握り締めたところで視界が開けた。
自然にできたものなのか、ホールのような広い空間に辿り付く。岩肌が剥き出しになった洞窟の中心に『それ』はあった。
この場にそぐわない豪華な装飾が付いた、両開きの真っ黒な門。想像していたよりもかなり大きく、校舎の2階分はありそうだ。
門を囲うようにマディが持っていたのと同じ輪の魔道具が並べられている。マディはこれを設置するために、私たちを遠征に行かせたのだろう。
そこで、再びぐらりと足元が揺れた。振動でわずかに門が開いたのを見てハッとする。もうあまり時間がない。慌てて辺りを見回すと、洞窟の壁に小さな扉がいくつも並んでいるのが見えた。
同じように周囲を見回して、セシルが口を開く。
「門を封印するためには、いくつかの属性魔力が必要だと聞いているけど……」
彼は唇を噛んだ。数秒間を置いて、私に顔を向ける。
「正確な手順は僕にもわからない。アレン、君はたくさん本を読んでいるだろう。門の封印について何か知らないか?」
全員から期待を込めた視線が向けられ、小さく息をつく。まさか私に聞かれるとは思っていなかった。ゲームでもこれは私の役目だったのだろうか。
ちゃんと調べておいて良かったと心の中で呟き、頷いて返す。
「ああ、知っている」
簡単に封印の手順を説明する。各部屋に分かれ、設置されている魔道具に手で触れて魔力を送ること。魔力が集まったら、ルーシーが聖魔力で封印をすること。
封印の際には門を直接手で押さえることになるだろうと伝えると、ルーシーは緊張した面持ちで頷いた。
「さすがだね、アレン。助かったよ」
「それは無事に門の封印が終わってから言ってくれ」
セシルの言葉に苦笑して、それぞれ門を囲むように並んだ扉に足を向ける。よく見ると扉には各属性の魔鉱石が埋め込まれていた。
青い魔鉱石を確認し扉に手をかけたところで、ぞわりと嫌な気配を感じる。
「魔物が……!」
ロニーが声を上げ、門を振り返った。わずかに開いた隙間から漏れ出した瘴気は一斉に魔物の形を取って唸り声を上げる。
このままルーシーだけ残して部屋に入るわけにはいかない。咄嗟に杖を構えたところで、彼女が誰よりも先に唱えた。
「ホーリーライト!!」
知らぬ間に魔力を溜めていたようだ。彼女を中心に洞窟内が白く輝き、魔物が一瞬で溶けるように消えていく。
「今のうちに! 私は大丈夫ですから!」
ルーシーの力強い声に背中を押されるようにして扉を開ける。暗い中に足を踏み入れると、扉は勝手に閉まった。同時に音も遮断され、誰の声も聞こえなくなる。
魔道具が使われているのか、ぽっと音がして自動で燭台に火が灯った。薄暗いが部屋の形が分かる程度には見える。そこは寮と同じくらいの広さで、洞窟の中とは思えないほどしっかりとした造りの部屋だった。
中心には台座のような物がある。コツコツと足音を響かせて近寄ると、台座の上部に大きな青い魔鉱石が埋め込まれていることに気付いた。
――悩んでいる暇はないな。
これが攻略対象として最後の仕事になるだろう。そっと手を伸ばし、魔鉱石に触れる。魔法を使う時のように魔力を流すと、魔鉱石は青く輝いた。
これで無事に魔力を送ることができているのだろうか。そもそもどの程度送ればいいんだろう。手を触れたまま辺りを見回してみるが、指標となるものもない。
ここから先はルーシーの出番だ。ゲームではヒロインが門を押さえている描写はあったが、攻略対象側の視点はなかった。このまま彼女が門を封印し終わるまで、魔力を送り続けていればいいのだろうか。
そういえば、と思い出す。門は彼女1人の力では押さえきれないだろう。ゲーム通りなら、最も好感度の高い攻略対象が彼女の元に駆け付けるはずだ。
ルートがはっきりしていればその相手が向かうだろうと考えていたが、誰の好感度がマックスになっているのかは現段階でも不明なままだ。
――ルーシーと一緒に門を押さえるのは、誰の役目なんだ?
やはり王道のセシルだろうか。真っ先に彼女を励ましていたライアンだろうか。最終的にマディを気絶させたロニーだろうか。
それとも聖女祭で花束を受け取った、私だろうか。もしそうなら、いつまでもこの場所にいてはいけないのではと不安になる。
とはいえ個人の好感度なんて確認のしようがない。この場から離れてもいいのか、すでに誰かが向かっているのかも分からない。
せめて外の声が聞こえればいいのにと振り返る。蝋燭の灯りに照らされた扉が視界に入った瞬間、ギクリと体が固まった。
いつの間にか、部屋に入った時に通った扉が黒い触手に覆われている。
すぐ近くに魔界の門があるため嫌な気配に気付けなかったのだろう。地面から伸びたそれは枝のように何本も絡み合い、静かに扉を覆い隠そうとしていた。
――ダンスパーティーの夜と同じ、闇魔法だ。
自然に発生したものではないのなら誰かがこの魔法を使ったのだろうか。振り返るのがもう少し遅ければ、完全に壁と同化して見えなくなるところだった。
でも、一体何のためにと首を傾げる。門の封印をさせないためなら、私たちが部屋に入る前に扉を隠すべきだろう。部屋に入って魔道具に触れてしまえば、いくら閉じ込めても魔力を送ることはできる。
触手は魔道具を壊すわけでもなく、拘束してくるわけでもない。部屋を出る際に多少手間取る程度の足止めに意味はあるのだろうか。
もしかしたら攻略対象を『部屋から出さない』ことが目的なのかもしれない。しかしヒロインだけでなく攻略対象も一緒に門を押さえなければならないと知っているのは、私にゲームの知識があるからだ。そうでなければ、そもそも私たちが部屋を出る必要は無い。
本来私たちの役目は各属性の魔力を送ることだけで、門を閉じて封印するのは聖魔力保持者であるルーシーの役目なのだから。
そこまで考えたところで、先程心に引っかかっていたことを思い出した。
――ルーシーは、セシルと2人で話す機会がなかったと言っていたな。
だからこそマディの企みを伝え損ねていたのだと。
どうして彼女はわざわざそんなことを言ったのだろう。いじめについて相談をした時も芸術祭で劇を観ていたときも、彼女はセシルと2人で話していたはずだ。
ただ頭から抜けていただけだろうか。それとも伝えていないことで私に怒られると思って、適当な嘘をついたのだろうか。
気にしすぎかと思ったが、まだ何か引っかかっているような気がする。扉に目を向けたまま、ここに来るまでの記憶を辿る。
マディとの会話からダンスパーティーのことを思い返して、ふとカロリーナの言葉に違和感を覚えた。
『流行っているというのはこちらのことですね。この瓶も国外からの輸入品です』
輸入品。特徴的な形をした、カラフルな香水の瓶。女子生徒の間で流行っていて、ルーシーも持っていた。寮の前で見せてもらった、鮮やかなピンク色の瓶。
――そうだ。あの日食堂に行く前、確か本で……。
その瞬間、頭の中で何かがカチリとはまったような気がした。同時に今まで思い付かなかったひとつの可能性が浮かび上がる。
まさかと否定してみるが、一度浮かんだ考えは簡単には消えてくれなかった。
もしこの予想が当たっているのなら、私が確かめなければならない。
そっと魔鉱石から手を離す。魔力は十分に送られたのか、青い輝きが消えることはなかった。台座に背を向け、扉へ足を進める。杖を構えて短く唱えた。
「氷の剣」
透き通る剣を両手で握り、扉に向かって垂直に振り下ろす。一瞬で切り裂かれた触手はざらりと灰のようになって霧散した。
それが再び集まる前に扉に手をかけ、勢いよく開ける。部屋の外も同じく触手で覆われていたことに気付き、躊躇わずに薙ぎ払う。
開けた視界の先。門の前に立っていたのは、1人だけだった。
「……あれ、アレン様? どうしたんですか?」
ルーシーがきょとんとした顔をしてこちらを振り向く。目の前で魔界への門が開こうとしているのに、彼女は妙に冷静だ。
その問いに答える前に周囲を見回す。今出てきた部屋だけではなくセシルたちが入ったはずの扉も触手で覆われているのを確認して、彼女に顔を向ける。
「いつ封印がされるのだろうと思ってな。……何故君は聖魔法も使わず、ただじっと門を眺めているんだ?」
ルーシーは門の前に立っていたが、触れてすらいないようだった。それだけで嫌な予感がする。そして嫌な予感はわりと当たることを、経験上知っている。
ええと、と考える素振りをして彼女は苦笑いを浮かべた。
「いつ押さえればいいのか分からなくて。まだみなさんから送られてくる魔力が足りていないかもしれませんし」
それを聞いて門に目を向ける。真っ黒な門は先程に比べるとほのかに光っているようだ。確かにはっきりとした指標があるわけではないが、魔力は十分に集まっているように見える。
「触れてみたらどうだ。魔力が足りていれば問題なく封印できるはずだ」
「そうですね……でも、失敗したら怖いですから」
彼女はそう言ってその場から動こうとしない。金色の瞳が、ちらりと私の持つ氷の剣に向けられる。
「変な触手が扉を覆っていましたよね? 何が起こるか分からないし、無理やり出てこない方が良かったんじゃないですか?」
「……どうしても君に聞きたいことがあったんだ」
「聞きたいこと?」
ぐっと剣を握る手に力を込める。小さく息をついて彼女と目を合わせ、わざと軽い調子で尋ねた。
「君が持っていたガラス瓶は、とても特徴的な形をしていたな。どこで流行っているデザインなんだ?」
「えっ?」
ルーシーは目を丸くした。何故今そんなことを聞くのかと思われたのだろう。
呆れたような顔をすると、彼女は小さく笑って答えた。
「男子寮の前でお伝えしたじゃないですか。これは海外で流行って、……」
返事の途中で気が付いたらしい。はっとしたように言葉が止まる。私の記憶違いかと思っていたが、彼女の答えは以前聞いたものと同じだった。
その反応を見て静かに口を開く。
「……ルーシー」
笑顔のまま固まっている彼女に、声をかける。
「この国の周りに『海』はないぞ」
ルーシーは目を見開いて口をつぐんだ。
大陸から海を越えた先にも陸地はある。しかし、海に面していないフレイマ王国が直接関わったことはない。輸出入なんて当然していない。
この世界にも島はあるが、どこも隣接する国の一部だ。幼い頃セシルと出会っている彼女が、フレイマ王国以外にいたはずもない。
国外に住む親戚の呼び方がうつったという可能性も考えたが、そこまで関わりのある親戚がいるならゲームのヒロインが孤児院に入るわけがない。
生まれた時からずっと内陸国に住んでいながら、国外のことを海外と呼ぶ人もいないだろう。
海に囲まれた場所に住んでいたという、記憶がなければ。
「……ああ、そっか」
納得したように、ルーシーはぽつりと呟いた。
俯いた表情は桃色の髪に隠れて見えなくなる。
「日本じゃないから、国外って言わなきゃダメなのね」
この世界に来て一度も聞いたことのない国名が、彼女の口から零れた。