11話 秘密の図書室①
あのお茶会から約2週間。
何故か私は再び母様と共に王宮を訪れていた。まさかこんなに早く再会することになるとは思っていなかったセシルが、目の前でニコニコしながらケーキを食べている。
「こうして2人が仲良くなってくれてよかったわ」
「本当に。あの場じゃ話せることも限られていたもの」
と、少し離れたテーブルで話している母様と王妃様の声が聞こえる。やはり先日のお茶会では他の公爵夫人もいたため、あまり堂々と話ができなかったらしい。
2人が会う口実にされた気がしないでもないが、セシルと会うのは別に嫌ではない。他の子供たちと話すより楽なのも確かだ。
それに、あの時は半ば強制的に彼の甘党を自覚させてしまったため、その後が気になっていたというのもある。今こうして普通にケーキが用意されているのを見ると、特に問題にはならなかったようだ。
「アレンには、お礼を言いたかったんだ」
紅茶を飲んでいた手を止め、思い出したようにセシルが言った。
「お礼? なんのことだ?」
「うーん、言い方が難しいけれど……僕に、許可をくれたこと、かな?」
そう言われ、余計に首を傾げてしまう。彼に会うのはこれで2度目だから、確実に先日のお茶会でのことを言われているんだろう。
でも、まったく見当がつかない。甘いものを食べる許可ということだろうか。それならケーキが用意されていた時点で、すでに王妃様に許可されているようなものだが。
「甘いものを食べる許可、ってことか?」
「それもそうだけど、それ以外も」
それ以外と言われるとさらに分からない。段々なぞなぞを解いている気分になってきたので、「よくわからない」と正直に答えておく。セシルは小さく笑った。
「まぁ、とにかく感謝しているということだよ」
子供らしさを取り戻したのかと思っていたが、そう言って微笑む彼の表情は大人びて見えた。感謝されるようなことをした覚えはないけどなぁと思っていると、だから、と言葉が続けられた。
「君にお返しがしたくて、図書室の利用許可をもらってきたんだ」
「図書室?」
屋敷中の本を読んだ私にとって、読書は今や立派な趣味になっていた。前世でも漫画含めいろんな本を集めていたので、なるべくしてなったともいえる。他に手軽な娯楽がないことも大きい。
王宮の図書室なら、きっと公爵家とは比べ物にならない規模だろう。わざわざ利用許可をもらうくらいだから、閲覧に許可がいるような本も置かれているのかもしれない。そう考えるとわくわくしてしまう。本当に私が入ってもいいのだろうか。
その気持ちが伝わったのか、セシルは目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
「本が好きだと聞いたからね。喜んでもらえたようでよかったよ。さっそく行ってみるかい?」
「私が入っても大丈夫なのか?」
「もちろんだよ。僕も一緒に行くけどね」
確認をとってみたが間違いないようだ。2度目の王宮でいきなり図書室に行くことができるとは。間を置かず「わかった、頼む」と返すと、セシルは頷いて椅子から降りた。
そして、母様たちのテーブルに向かって声をかける。
「母上、アレンと図書室に行ってまいります」
「ええ、話は聞いているわ。ゆっくりしてらっしゃい」
「いってらっしゃい」
王妃様と母様は優しく微笑んで手を振ってくれた。一礼して、セシルと共に図書室へ向かう。後ろから護衛兵が1人付いてくるのを確認して、お茶会をしていた中庭から王宮内に入る。廊下は公爵家よりも天井が高く、装飾もかなり豪華だった。
足元に敷かれている刺繍が入った絨毯もきっとお高いんだろう。この世界での生活にも慣れているはずなのに、土足で踏んでいいのか心配になる。
「図書室は別館にあるんだ。こっちだよ」
セシルに案内されながら、つい周りを見てしまう。別館と呼ばれそうな建物も、窓から見える範囲だけで複数ある気がする。彼はこんなに広い王宮のどこに何があるのかも知っているのだろうか。
感心しながら渡り廊下を進むと、大きな扉が見えてきた。入口にも護衛兵が立っていたが、セシルの姿を確認すると、礼をして横に避けた。
扉を開けるところで、ふいにセシルが振り返った。
「スティーブン、君はここまででいいよ」
スティーブンというのはここまで付いてきた護衛兵のことらしい。図書室の中は護衛の必要がないのだろうかと私も振り返る。後ろにいた彼は少し戸惑っているようだった。
「しかし……」
「大丈夫さ。図書室全体に防犯用の魔道具が使われているし、中に魔術師の司書もいるから」
――魔道具?
魔術師の司書というのも気になったが、セシルが何気なく言った魔道具のほうが気になってしまった。別館の扉や壁を確認しても、普通の建物と変わったところがあるようには見えない。
スティーブンは入口にいた護衛兵と顔を見合わせ、それから「かしこまりました」と頭を下げた。
「では、自分はこちらに待機しております」
「よろしくね。じゃあ行こうか、アレン」
大丈夫なのだろうかと少し不安になったが、本当に危険なら付いてくるだろう。彼らが納得しているなら、とセシルに続いて中に入る。その瞬間、感じていた不安は吹き飛んだ。
どうやら、この別館すべてが図書室になっているようだ。部屋の中心に大きな螺旋階段があり、3階まで吹き抜けになっている。壁に沿って置かれた棚は、ほぼ隙間なく本で埋まっている。
ここから見える範囲だけでもどれだけの本があるのかわからない。感動で固まっていると、隣にいたセシルが顔を覗き込んできた。
「本当はいくらでも見てほしいけど、時間も限られているからね。アレン、何の本が見たい?」
そう聞かれて迷ってしまう。公爵家にはほとんど小説本がなかったので、この世界の物語ももっと読んでみたい。今後のために氷魔法についての知識も欲しい。ヒロインのことを知るために聖魔法についても知っておきたい。学園について書かれた本があればそれも気になるし、魔界の門のことも気になる。
しばらく悩んで、なんとか絞り出した答えは「魔法について」だった。
「魔法関係の本だね」
と、セシルが頷いたところで、扉横の椅子に座っていたらしい人物が音もなく立ち上がった。全く気配を感じなかったので少し身構えてしまったが、おそらくこの人が魔術師の司書なのだろう。エプロンを付けた上からローブを羽織っている女性は、セシルのほうへ歩いて来て静かに跪いた。
「送らせていただきます」
「うん、よろしく」
送る? と首を傾げている私と違い、セシルは慣れた様子で頷く。彼女は懐から三角形をした何かを4つ取り出し、地面に並べ始めた。ちょうど囲まれた部分が四角になるように置いたところで、一歩後ろに下がる。その四角の中にセシルが入り、私に向かって手を差し出した。
「アレン、一緒に行こう。初めてだろう?」
「初めてって?」
「魔道具での移動だよ」
そこではっとする。足元に並べられているこの三角のものが『魔道具』なのだろう。先程は防犯に使っていると言っていたが、こちらは移動用らしい。
いろんな種類があるのかと思いながら、セシルの手を取って私も四角に囲まれた中に入る。とは言っても、何の変哲もない床だ。ここからどうやって移動するのだろう。
私が入ったことを確認して、司書は懐から杖を取り出した。その先を魔道具のひとつに当てる。すると、蝋燭の火を灯すように三角の魔道具がぼんやり光り始めた。残りの3つにも同じように杖を当て、最後の魔道具が光った瞬間、目の前の景色が変わっていた。
「え?」
思わず間抜けな声が出てしまう。何が起こったのか分からず周りを見回し、手を繋いでいたセシルを見る。彼は楽しそうに笑った。
「すごいだろう? 魔道具って」
「……ああ、すごいな」
足元を見てみるが、そこには何もない。後ろには本棚、目の前には螺旋階段と手すりがある。下を覗き込んでみると、ここは3階の奥のようだった。
入口の扉近くに司書の彼女がいて、椅子に座り直しているのが見えた。あそこから一瞬でここまで飛んできたのかと思うと信じられない。魔法を見たのすらこの前のお茶会が初めてだったのに、いきなり体験してしまったのだから、信じられないのも無理はないと思う。
「本当は、彼女は本がどこにあるかを案内するためにいるんだけどね」
セシルは同じように下を覗き込んで、苦笑いを浮かべた。
「僕がもっと幼い頃に、上りの階段で転んだのを覚えているらしくて。いつもこうやって魔道具で送ってくれるんだ。だからあの螺旋階段は、降りる時にしか使ったことがない」
「魔道具ってさっきも言ってたけど、何なんだ?」
「属性に関係なく、魔力を使って動かせる道具みたいなものかな」
彼の言葉でなんとなくわかった。この世界には電気がない代わりに、魔力があるのかもしれない。あの移動も、上下移動だけでなく目的の場所に飛ばされるという点では違うが、言ってしまえばエレベーターのようなものだろう。
ということは、魔力を使えば光る電球のようなものも存在している可能性がある。その場合だと電球ではなく、魔球と呼ぶことになりそうだが。
属性に関係ないってことは、魔力さえあれば使えるのか。なら魔法が使えない平民でも使えるのかな、と、ここにきて魔道具も気になってきた。しかし、せっかく送ってもらったのだから……と後ろの本棚を見る。
「ここに送られたってことは、この本棚が魔法関係なのか」
「そうだね。その棚というより、端からこの辺りまでだったと思うよ」
かなり遠くまで走っていったセシルが、棚を指さす。今示された範囲だけでも公爵家の蔵書を軽く超えてそうだ。この中でもさらに限らないと見たい本を見つけられる気がしない。
背表紙に書かれた題名を見て回るだけで時間がなくなるかもなぁと考えていると、「あれ?」と不思議そうな声が聞こえた。セシルのほうへ視線を向けると、何故か本棚と本棚の間辺りを眺めているようだった。
「セシル、どうした?」
「いや……こんなところに階段があったかなと思って」
「階段?」
さすがにそんなところに階段は作らないだろう。冗談を言っているのかと思い、彼に近寄る。そこで目を丸くしてしまった。
視線の先には、本当に下へ向かう階段があった。壁に大人1人がようやく通れそうな幅の穴が開いている。特に扉などがあるわけでもない。
どうしてこんなところに、と周囲を注意深く観察していると、何かが視界の端で光った。
「これ、魔道具じゃないかな?」
セシルも同じものを見つけたらしい。左右の本棚と床の接地面に合わせるように置かれているそれは、一見するとドアストッパーのようだった。本を探して歩いているだけでは見逃してしまいそうだ。
彼と共にしゃがみ込む。ここに送られたときの三角形の魔道具と同じく、内部がぼんやりと光っている。セシルがそっと触ってみたが、しっかり固定されていて動かない。三角形の魔道具は司書が普通に回収していたので、これは意図的に設置されているのだろうと思った。
「ここに魔道具があったなんて知らなかった」
立ち上がって辺りを見回しながら、セシルが言った。きっと普段は何もない壁なのだろう。私も魔道具が光っていなければ気付かなかった。光っているということは、誰かが魔力を込めたということだ。でも司書は何も言わなかったから、ここが開いていることに気付いていないのかもしれない。
どうしようかと思っていると、セシルがにっこりと笑った。
「行ってみようか」
なんとなく、そう言いそうな気はした。王宮内に設置してある魔道具だから、行先はそう危険な場所ではないかもしれない。しかしなぜここが開いているのかわからないし、誰が魔力を込めたのかもわからない。もしかしたらこの先にその人がいるかもしれない。この魔道具の魔力がいつまで持つのかもわからない。
「危険だ。もしこの魔道具の魔力が切れたらどうなる? 一方通行だったら閉じ込められるんじゃないか?」
私1人ならともかく、セシルは王子だ。彼に何かあったら責任がとれない。
説得して止めようとしたが、彼の好奇心は抑えられそうもなかった。すでに一歩階段へ足を踏み入れた状態で、目を輝かせながら振り向く。
「大丈夫だと思う。ここに魔道具は2つしかないだろう? 設置型だから、きっとこの先にも同じ魔道具が置いてあるはず。僕らだってまだ魔法は使えないけど魔力は持ってる。2人で力を合わせればなんとかなるよ」
そう言って止める間もなく先へ進んでしまう。セシル1人だけを行かせるのはもっと危険だ。
――これは彼に子供らしさを取り戻した代償だろうか。
ため息をついて、セシルの後を追った。




