105話 門へ続く道
アンディーが言っていた通り、ルーシーたちは食堂前の廊下にいた。地面から魔物が現れていると分かったため、生徒たちは2階以上の教室に避難しているらしい。
食堂のメイドたちも避難しているらしく、辺りには誰もいなかった。
「セシル様、アレン様!」
私たちに気付いたルーシーが顔を上げる。ライアンとロニーも不安そうな顔をしているが、今のところ怪我はしていないようだ。
1年であるルーシーとロニーは先程まで校庭にいたらしい。他の生徒と共に校舎へ避難したところで、ライアンと合流したのだという。
「すまない、ルーシー。君に頼みたいことがあるんだ」
さっそくセシルが状況を説明する。門の封印が予想以上に弱まっているせいで魔物が現れたこと。その門が校庭の地下にありそうだということ。
今すぐ門を封印し直してほしいと伝えると、ルーシーは顔を強張らせた。
「い、今からですか? でも私、ちゃんとできるかどうか」
「ルーシーなら大丈夫だって!」
真っ先にライアンが口を開く。隣にいたロニーも大きく頷いた。
「そうだよ! 怪我も風邪もちゃんと治してくれたし!」
「君が努力していたことはみんな知っているよ。それにもちろん、君だけに任せるわけじゃない」
セシルの言葉で、ルーシーはそろそろと顔を上げた。正面にいた私と目が合い、一瞬だけ金色の瞳が揺れる。
本当ならあと数年後の話だったはずなのに、突然そんなことを言われて不安にならないはずがない。安心させるように頷いて声をかける。
「私たちが付いている。自分の力を信じろ」
「……はい!」
ルーシーは胸の前でぎゅっと拳を握った。その真剣な目を見て安堵する。今の彼女なら、マディに対しても堂々と立ち向かうことができるだろう。
ただ、とセシルが表情を曇らせた。
「その門へどうやって行くのかが分からないんだ。学園のどこかに、魔界の門へ続く道があるとは聞いているんだけど……」
今からこの人数で手分けして探すには時間が足りない。ここに来るまでも何度か地面が揺れ、その度に嫌な気配が増していた。
完全に門が開いてしまったら、瘴気は今以上に溢れ出すだろう。そうなれば門に近付くことすら不可能になってしまう。
それなら可能性に賭けたほうがいいかもしれない。少し考え、彼に顔を向ける。
「確証があるわけではないが、心当たりならある」
「なんだって?」
ここまで来ればもうやることは決まっている。以前、魔道具庫で床の一部に石が埋め込まれているのを見たと話すと、ルーシーが思い出したように言った。
「それなら魔道具を運んだ時に私も見ました! エルビン先生にお聞きしたら、その床も特別な魔道具だって……!」
「魔道具庫ってことは別館か。確かに校庭からも近いな」
ライアンが呟くのを聞いて、ロニーが廊下の先へ目を向ける。
「とりあえず行ってみませんか? 別館ってこの先ですよね」
「そうだね、ここで話していても仕方がない。ひとまず魔道具庫に行ってみよう」
話がまとまり、全員で別館を目指すことになる。駆け足で廊下を進みながら、このまま別館へ向かうのが本当に正解なのかと少しだけ不安になった。
ゲームでは、門へ向かう前に学園長室のシーンがあったような気がする。そこからラスボスであるマディを追って門の場所を知ったはずだ。
このまま別館へ向かってしまうと、マディが敵だと分からない状態でいきなり鉢合わせることになるのではないだろうか。
――というか……彼は今どこにいるんだ?
すでに門の近くにいるのかもしれない。そんなことを考えているうちに別館へ到着した。渡り廊下に繋がる扉は開いていて、燭台には火が灯されている。
しかし、魔道具庫の扉はしっかりと鍵が掛かっていて開かなかった。
どうしようかと迷う間もなく、セシルが杖を取り出す。
「先生方は校庭にいるし、誰が鍵を持っているかわからない。戻って探している暇はないな。扉を壊そう」
「えっ!? い、いいんですか!?」
ライアンが驚いて声を上げる。セシルは仕方ないというように頷いて窓の外を見た。校庭では今も変わらず魔物が現れているらしく、魔法が飛び交っている。
「今は緊急事態だからね。みんな下がっていて」
セシルはそう言って、いつものようにファイアボールの呪文を唱える。……が、杖の先から飛んだ火の玉は扉に当たる直前で消えてしまった。
再び唱えても結果は同じく、扉には傷ひとつ付いていない。
「……駄目か。壊せないのは予想外だったな」
「魔道具庫の扉だから、特殊な造りなのかもしれない」
ため息をついたセシルの隣に立ち、扉に触れる。ゴーレムが余裕で通れるほど大きな扉は他の教室と違う素材で作られているようだ。魔道具を置いておく倉庫だからこそ、簡単には開けられないようになっているのだろう。
そこで、ガタンと小さな音が聞こえた。部屋の中から聞き慣れた声が響く。
「危ない危ない、うっかり瓶を持ち出すのを忘れてしまうとは。ここを開けるためにこそ必要だというのに」
マディ学園長代理、とセシルが小声で彼の名を口にする。黙って耳を澄ませていると、そうする必要もないほど大きな声でマディは独りごちた。
「計画は順調だ。あとは門さえ開くことができれば、すべて報われる。ついに私の夢が叶う! 面倒な教師共め、せいぜい魔物に翻弄されるがいい。おかげで邪魔をされずに済むわ」
パリンパリンと何かが連続して割れ、重いものが動く音が聞こえる。マディの笑い声が少しずつ遠ざかっていく。
言葉を失ったように黙っていたライアンが「……なんだ今の?」と呟いた。
「どういうことだ? なんでマディ学園長代理が魔道具庫に?」
「なんか、すっごく悪い人みたいなことを言ってたけど」
ロニーが怪訝な顔をして首を傾げる。扉をじっと睨んでいたセシルは、信じられないというように杖を握り締めた。
「……まさかマディ学園長代理は、魔界の門を開けようとしているのか?」
先程の言葉を聞けば嫌でも理解できてしまうだろう。マディが門を開く計画を立て、この状況を生み出したのだと。
意見を求めるような視線を向けられ、小さく頷く。
「ああ。以前から怪しいとは思っていたが……」
そういえば、セシルはマディが何かを企んでいると知らなかったのだろうか。学園長室前でルーシーと出会った時に、彼女から伝わったかと思っていた。
ちらりと目を向けると、視線に気付いたルーシーは慌てて頭を下げた。なかなか2人で話す機会がなく、今まで伝え損ねていたらしい。
セシルは唇を噛んで息をついた。
「とにかく、早く彼を追わないと。この部屋に門へ通じる道があるのは確実だ」
「でも扉に鍵が……マディ学園長代理はいつから中にいたんだ?」
ライアンがそう言いながら両手で扉を押してみるが、当然鍵が掛かっているためびくともしない。それを見て、以前ここでマディに出会ったことを思い出した。
――確かあの時も、彼は突然現れたな。
もしかしてと頭に浮かんだことを口に出す。
「他の入り口があるんじゃないか?」
「他の入り口って……アレン、それにも心当たりがあるのかい?」
セシルの赤い瞳がきらりと光った。彼に向き直り、答える。
「覚えてるか? 学園長室の前にいた時、突然部屋の中から声がしたことを」
「ああ、あったね。入学式の打ち合わせをした時だろう?」
「今も私たちはずっとこの場所にいたのに、彼はセシルの魔法にすら気付いていなかった。……彼はたった今、魔道具庫内に移動してきたんじゃないか?」
私が言いたいことに気付いたらしく、セシルがはっとした顔をする。話を聞いていたロニーが「わかりました!」と元気よく手を上げた。
「学園長室から魔道具庫に入れるかもしれないってことですね!」
「そういうことだ」
「……なるほどね、学園長室か。確かに門の管理も学園長の務めだから、門の近くへ移動できる魔道具が置かれていてもおかしくはないな」
今回はそれを悪用されてしまったようだけど、と苦笑してセシルは顔を上げた。
「よし、学園長室へ向かおう。ここからそう離れていない」
急いで魔道具庫に背を向け、2度目の移動を開始する。ゲームで学園長室にいたのもそういう理由だったんだろう。少し遠回りをしてしまった気もするが、本来なら私がそれを知っているはずはない。
魔道具庫でマディの話を聞いて学園長室へ向かう。覚えていないが、きっとこれもゲーム通りの流れだ。
何かが心に引っかかっていたが、今は移動に集中することにした。
===
渡り廊下を通って階段を上がったところで、ぞわと嫌な気配がした。
廊下が黒い靄に包まれ、私たちを待っていたとでもいうように魔物が現れる。魔物たちは揃ってこちらを睨むと唸り声を上げた。
完全に行く手を阻まれてしまい、足を止める。
「学園長室に行かせないつもりか」
セシルは杖を握り、ルーシーを庇うようにして前に出た。彼が呪文を唱えようとしたところで、廊下に突風が起こった。
風は魔物を巻き込んで開いていた窓から外へ吹き抜けていく。あっという間に消えた靄の向こうでリリー先生が目を丸くした。
「あら? あんた達、どうしてここにいるの?」
先生こそ、とセシルは怪訝な顔をする。廊下には他に誰もいない。学園長室の前で偶然出会ったのは、彼も攻略対象だからだろうか。
――そういえば、ゲームでも廊下でリリー先生に会ったような……。
私がうろ覚えの記憶を辿っていると、先生は腰に手を当てて言った。
「この下の階に生徒たちが避難してるのよ。見回りついでに上の階も確認してたら急に魔物が現れたってところね。……そっちは?」
「僕たちはそこの部屋に用があるんです」
彼らの話を聞きながら、ちらりと学園長室へ目を向ける。扉は閉まっているが、誰かがいる気配はない。リリー先生は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「学園長室? なんで……」
「説明している暇はありません。失礼します!」
「あ、ちょっと!」
先生の横を抜けて駆け出し、セシルは学園長室の扉に手をかけた。何故か鍵はかかっておらず、すんなりと扉が開く。それを見て私たちもセシルに駆け寄った。
学園長室の中はほとんど以前入った時と変わりなく、特に荒らされているわけでもない。ただひとつ、明らかに不自然な点に全員の視線が向く。
壁に掛けられていたらしい大きな絵が外されて床に落ちている。壁には長方形の穴が空いていた。よく見ると、穴の四つ角に石のようなものが埋め込まれている。
「えっ!? 何よこれ。学園長室にこんな穴なんてあったかしら」
部屋を覗き込んだリリー先生が驚いたように声を上げる。そこで再び背後から嫌な気配がした。ぱっと廊下を振り返った先生が魔法を放ち、即座に魔物を倒す。
しかし、今度は先程のようにはいかなかった。外に吹き飛ばしたはずの瘴気は引き寄せられるように集まり、また廊下で魔物の形を取り始める。
「もう、きりがないわね! 無視するわけにもいかないし」
大きなため息をつくと、リリー先生は私たちに向かって口を開いた。
「何が起こってるのかよく分からないけど、ここに来たってことは止めてもどうせその先に行くんでしょ? 生徒だけに任せるのは不本意だけど……ここはあたしが抑えておくから、さっさと行って帰って来なさい!」
その言葉に押されるようにセシルと顔を見合わせ、次いでルーシーたちにも目を向ける。彼女たちが頷いたのを見て、セシルが足を踏み出した。
「この先はきっと魔道具庫に繋がっているはずだ。急ごう!」
「はい!」
セシルの後にルーシーが続き、ライアン、ロニーが穴の中へ入って行く。続いて私も入ろうとしたところで「アレン!」とリリー先生に呼び止められた。
「ここが落ち着いたらあたしも行くから、無茶しないのよ!」
振り向くと、彼の真剣な瞳と目が合った。校庭からずっと手に持ったままの杖を握り締め、頷いて返す。
リリー先生は何か言いたげな顔をしていたが、それ以上何も言わなかった。ふいと廊下に視線を戻して魔法を放つ。
魔物が風の魔法で霧散したのを確認して、セシルたちの後を追った。