103話 ダンスパーティーと策略④
しまった、と思った時には遅かった。他の生徒たちから一歩前に出た状態で固まってしまう。ちょうど曲が終わり、次の曲が始まろうとしているところだった。
ライアンと共に歩いてきたルーシーが、私を見て目をぱちくりさせる。そして何故か、ぱぁと顔を輝かせた。
「アレン様も踊ってくださるんですか?」
「あ、いや……」
そんなつもりはなかったが、空気を読んだライアンがそっと離れていく。
生徒たちからは、私が彼女を誘うために飛び出したように見えているらしい。大勢の視線を感じ、さすがにこの状況で否定はできないなとこっそり息をつく。
攻略対象としては3人目になるから問題ないだろう。そう考え、手を差し出す。
「……君がよければ」
「もちろんです! よろしくお願いします」
声を弾ませるルーシーの手を取ってホール中央へ向かう。
数組の生徒と並んで向かい合い、曲に合わせてダンスが始まる。分かっていたが、やはりルーシーは平民と思えないほどダンスが上手かった。相手に合わせるのも上手いらしく、最初から何の違和感もなく踊ることができて驚いてしまう。
「上手いな。誰に習ったんだ?」
くるりと回りながら尋ねる。目の前の彼女は照れたように笑って答えた。
「ありがとうございます。実は母が貴族に憧れていたらしくて、ダンスだけは昔からしっかり教えられていたんです。このドレスも、学園でダンスパーティーがあると知って用意してくれていたようで」
ルーシーのドレスはシャンデリアの光を受けて控えめに輝いていた。外にいた時は気付かなかったが、きらきらと光る糸で所々に模様が入っているようだ。
貴族の令嬢とは違い宝石などが付いているわけではないが、十分美しく見えた。
髪に編み込まれたリボンにも同じ模様が入っている。つい眺めていると「でも」と彼女が顔を上げた。思っていたより距離が近くて、ドキリとする。
「実際にダンスホールで踊るのは初めてです。せっかく着飾っても壁の花になるしかないと思っていたので、こうしてお誘いいただけたことが嬉しくて……みなさんと仲良くなることができて、私は幸せです」
ルーシーはそう言って微笑んだ。それが本当に嬉しそうで、つられて頬が緩んでしまう。誰と結ばれるエンドになっても、彼女には幸せでいてほしいと思った。
気付けばあっという間に曲が終わっていた。互いに礼をして、中央から離れようと彼女の手を引く。そこで、こちらに向かって歩いてくるセシルと目が合った。
疑問に思う間もなく彼は私たちの前で立ち止まる。そして、にっこりと笑った。
「ルーシー。連続ですまないが、僕とも踊ってもらえるかい?」
それを聞いてハッとする。手を離すと、ルーシーは戸惑ったように私を見た。いつまでもその場にいるわけにはいかないため、セシルと交代で元いた場所へ戻る。
婚約者候補を公にしているセシルがルーシーを誘うことで騒ぎになるのではと思ったが、生徒たちはそれほど騒いではいなかった。彼女のダンスが素晴らしいからもっと見たいと思ったのかもしれない。
あんなに連続で踊って体力は持つのだろうか。少し心配だったが、ルーシーは先程と変わらない笑顔を浮かべていた。
「お疲れ様です、アレン様」
生徒たちの間を抜けて壁の傍まで移動すると、近くにいたカロリーナが小さく笑って迎えてくれた。苦笑して、彼女の隣に立つ。
「ああ、ありがとう」
「最初から拝見していましたが、本当は踊られるつもりなんてなかったのでは?」
「気付いていたか。……誰かに押されてしまってな」
「そんなことだろうと思いましたわ」
ふふと眉を下げて笑うカロリーナを見て、なんだか妙に安心してしまう。彼女はホールの中央に目を向けて言った。
「だからこそ、セシル様からもルーシーさんをお誘い頂きましたの。そうすればアレン様が個人的にではなく、生徒会としてお誘いしたと思われるでしょう?」
どうやらセシルがルーシーを誘ったのはカロリーナの差し金らしい。おかげで変に目立たずに済んだ。今もちらちらと視線は感じるが、嫌な気配はしない。
――でも、カロリーナは……セシルがルーシーと踊っても平気なんだろうか。
少しだけ心配になったが、カロリーナが気にしている様子はなかった。それなら私から話題にするべきでもないかと考え直し、感謝を伝えるために口を開く。
「そんなことまで考えていたとは、さすがだな。ありがとう、君の計らいのおかげで勘違いをされずに済みそうだ」
私がそう言うと、彼女は首を振った。
「いいえ、お礼を申し上げるのは私の方ですわ」
「何のことだ?」
「実は先程、3名のご令嬢から謝罪を受けましたの。私のお友達を疑わせるような真似をして本当に申し訳なかったと」
それが誰のことかはすぐにわかった。女子寮の前で出会った3人だろう。彼女たちはホールに着いてすぐ、直接カロリーナの元へ謝罪に来たらしい。
「自分たちがどれだけ愚かな行為をしていたか、アレン様に気付かせていただいたとおっしゃっていましたわ」
「カロリーナは彼女たちの謝罪を受け入れたのか?」
「ええ。すでに誤解は解けておりましたし、実害もありませんでしたので」
にっこりと笑う彼女が無理をしているようには見えない。他貴族の名前を騙るなんて、本来なら家同士の争いになってもおかしくない行為だ。それをあっさりと許してしまうのだから、カロリーナも優しすぎるなと小さく笑う。
そういえば、とふいに彼女が顔を上げた。
「謝罪といえば、夕方ごろお兄様が突然アレン様を呼び出したと伺いました。事前の連絡もなしに、お忙しいところ申し訳ありません」
「いや、大丈夫だ。むしろわざわざ馬を走らせてくれたことに礼を言いたい」
「馬を? ……お兄様は偶然立ち寄られたのではないのですか?」
カロリーナは目を丸くした。ウォルフが来たことは聞いていたが、その理由までは知らなかったようだ。
周りに聞こえないよう声を落としつつ、以前の赤い瓶についてさらに詳しく調べてくれたということを伝えておく。
彼女は考える素振りをすると、懐から紫の瓶を取り出した。今まで見たものと似たような形をしているが、なんとなく違う気もする。
「流行っているというのはこちらのことですね。この瓶も国外からの輸入品です。去年、入学式の後にお友達のご令嬢方と街で購入したのですが……」
途中でカロリーナは口をつぐんだ。これも魔道具なのかと不安になってしまったのだろう。一緒に購入したのであれば、友達とお揃いなのかもしれない。
安心させるために軽く首を振る。
「まぁ、そのままではただの瓶だから問題ないとウォルフも言っていた。意図的に闇魔力を流さない限りは安全だろう」
そう言いながらホール前方に目を向ける。そこで、はっと息をのんだ。
――マディがいない。
生徒たちに紛れて見えないだけかと辺りを見回す。彼は背が低いわけではないから灰色の髪くらいは見えるはずだ。しかし、どこにもそれらしき姿はない。
もしやホールから出たのだろうか。前方にある扉に視線を向け、眉を顰める。ただ人混みが嫌で移動しただけかもしれないが、今はどこで何をしているのだろう。
ぎゅっと拳を握り、カロリーナに声をかける。
「とりあえず、私はそろそろ見回りに行ってくる」
「それなら私もご一緒に参りますわ」
「……いや、1人で大丈夫だ」
マディの動きが分からない以上、彼女を連れていくのは危険だ。カロリーナにはホールを見ておくよう頼んで後方の扉へ足を向ける。
彼女は首を傾げつつ、不思議そうな顔をして見送ってくれた。
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マディを見つけたのは去年来たことのない裏庭だった。ホールを囲んでいる廊下の先にテラスがあり、外に出られるようになっている。
柵で囲まれさらに生垣にも囲まれた裏庭は、街灯がいくつか立っているだけで薄暗い。軽く見回してみるが、近くには誰もいなかった。
「よしよし、ここからなら届くだろう。時間を無駄にはできんからな」
マディは近くのベンチに座ることもなく呟いた。先生方もみんなタキシードを着ているというのに、彼はいつもと同じ黒いローブ姿だ。
生垣の影に隠れて様子を伺う。裏庭の中心に立っている彼は懐から何かを取り出した。街灯に照らされたそれは、大きな輪のような形をしている。
瓶が出てくるかと思っていたため、完全に予想外だった。
――あれは何だ?
例えるなら前世の輪投げの『輪』だ。この世界では見たことがないし何に使う物かもわからない。じっと息を殺していると、マディが小さな声で何かを呟いた。
その瞬間、ぞわと嫌な気配がした。
彼の手に黒い靄のようなものが現れる。闇魔力だと気付いたが、特に何も起こらない。靄はゆらゆらと揺れながら輪に吸い込まれていく。不思議なことに輪を通り抜けるのではなく、そのまま虚空へと消えているようだ。
「もうすぐだ。もうすぐ、私が認められる世界に……!」
マディは興奮したように声を上げた。にやりと人外のような笑みを浮かべ、目を輝かせる。その間にも黒い靄は吸い込まれ続けていた。
何をしているのかは分からないが、良くないことだというのは分かる。生垣の影から彼を睨み付け、唇を噛む。
――闇魔法に記憶や人を操る力さえなければ、この場で止められるんだが。
ホールには生徒が大勢いる。講堂で全員が眠らされた時のことを考えると、どこまで彼の魔法が届くのかわからない。
それにマディが貴族としてどの位にいるのかは知らないが、王家の血筋なのは確かだ。正面から敵対すれば私が不利になるだけだろう。学園から追い出されるようなことがあれば、肝心の門の封印に立ち会うことができなくなる。
やはり初志貫徹だなと小さく息をつく。このままいけば彼とはすぐに対決することになるだろう。あからさまに怪しい行動が目立つが、今は見逃すしかない。
そう思い、気付かれる前にホールへ戻ろうとした時だ。
「あら、そんなところで何してるの?」
テラスの方から声をかけられ、ギクリと肩が跳ねた。反射的に振り返って「リリー先生」と彼の名を呟いたところで、はっとする。
生垣の向こうから不機嫌そうな声がした。
「なんだ? ……誰かいるのか」
慌てて口を押さえる。私は一度、魔道具庫でもマディに見付かっている。生徒会だから他の生徒よりも覚えられているだろう。監視魔法もかけられているのに、これ以上警戒されたらどうなるかわからない。
なんとか生垣の裏に回れないかと思ったが、柵があるため動けなかった。マディはずんずんとこちらへ歩いてくる。
せめて見え難いようにとしゃがんだところで、リリー先生が口を開いた。
「失礼、学園長代理でしたか。生徒かと思って声をかけてしまいました」
そう言いながら、マディの進行方向を妨害するように近付いていく。そして、ちょうど彼から私を隠すような位置で立ち止まった。
リリー先生を見たマディは怪訝な顔をする。
「他に誰かの声がしたような気がしたが」
「気のせいじゃないですか? あたしには何も聞こえませんでしたよ」
わざとらしく辺りを見回すリリー先生に、マディはふんと鼻を鳴らした。そこで先生は何かに気が付いたようだ。マディの手元を見て、あらと声を漏らす。
「もしかしてそれ、職員会議でエルビン先生が言っていた魔道具ですか? どうして学園長代理が……」
リリー先生がそう言いかけた瞬間。
突然、ぶわっと黒い靄が辺りを包み込んだ。近くにいた私の視界も同時に闇に染まる。ズキンと鋭く頭が痛み、マディの舌打ちが聞こえた。
「余計なことに気付きおって。どうせ忘れるというのに」
ぶつぶつと呟く声が遠ざかっていく。靄が晴れるころには、彼の姿は完全に見えなくなっていた。どうやらまた記憶を消す魔法を使われたらしい。
耐性があるため効いてはいないが、地味に痛みは残っている。頭を押さえて立ち上がり、呆然としているリリー先生に駆け寄る。
「先生! 大丈夫ですか!?」
「……え?」
リリー先生は何度か瞬きをした後、ようやく我に返ったように顔を上げた。
「あら? あたし……」
呟いて頭を押さえたところで、ぱちりと目が合う。彼は私を見ると驚いたように目を丸くした。キョロキョロと周囲を確認し、不安げな顔をする。
「ここってホールの裏庭、よね? ちょっと覚えてないんだけど……あたしがアレンを連れてきたわけじゃないわよね?」
その質問の意図は分からなかったが、とりあえず違いますよと首を振る。安心したというように息をついて、彼は「それにしても変ね」と首を傾げた。記憶を消されたせいでどうしてここにいるか分からないらしい。
私がマディの様子を伺っていたことも忘れているのは助かるが、何故マディがわざわざ闇魔法を使ったのかは分からない。
――リリー先生が記憶を消されたのは、魔道具について尋ねたからか?
マディが持っていたあの輪は魔道具だったようだ。魔道具担当のエルビン先生が言っていたということは、学園のものなのだろうか。
それならリリー先生も知っているかもしれない。そう思い、尋ねる。
「先生。突然で申し訳ないのですが、輪のような魔道具についてご存知ですか?」
「輪のような?」
「はい。これくらいの輪です」
頷いて、だいたいの大きさを手で示す。リリー先生はしばらく考える素振りをすると、ぽんと手を叩いた。
「確かエルビン先生が職員会議で言ってたわね。そんな形の魔道具を魔道具庫に置いてたのに少し前から行方不明だって。それがどうかしたの? もしかして、どこかで見かけた?」
「あ、……いえ。以前、魔道具庫で見かけたのをふと思い出しまして。何のために使うものなのかと、急に気になったのですが」
言い訳が苦しくなってしまい、そっと顔を逸らす。見かけたといえば見かけたが、それを彼に話すわけにはいかない。もし先生がマディに尋ねてしまったら、記憶を消す魔法が効いていないと思われてしまう。
リリー先生は不思議そうな顔をしていたが、ふいに私を指さした。
「あんたが持ってるのと同じよ」
「え?」
その指は私の左手に向けられている。彼は続けて言った。
「指定の場所に特定の魔力を送る魔道具らしいわよ。といっても特注品のそれに比べたら性能が劣るけど。あまり離れていたら届かないし送る先にも同じ魔道具を設置しないと意味がないらしいから、使い道はないって話だったわ」
それを聞いて自分の左手に目を向ける。
中指に嵌めた白い指輪が、街灯に照らされてきらりと光った気がした。