102話 ダンスパーティーと策略③
辺りに低い唸り声が響く。反射的に杖を取り出し振り返る。暗闇の中でもはっきりわかる輪郭は、大きな犬のような形をしていた。
3匹かと呟いて杖を向ける。夜のイベントで魔物が出ない方がおかしいだろうと警戒していた甲斐があった。魔物たちが動き出す前に、先手を打つ。
「氷の針」
乙女ゲーム本編が始まってから明らかに魔物の耐久力が高くなった。確実に魔法を当てるため、まずは動きを封じておくことにする。
キンと辺りの空気が冷える。空中に生まれた氷の針は雨のように降り注ぎ、魔物たちを地面に固定した。
そこでようやくルーシーも魔物の存在に気付いたようだ。再び杖を構える私の横で小さく息をのむ。魔物たちが動き出さないのを見て、彼女は目を丸くした。
「もしかして、アレン様の魔法で動かないようにしているんですか?」
「ああ。しかしそう長くは持たない」
氷の針は魔力をあまり消費しない代わりにほとんどダメージがない。すぐに次の呪文を唱えようと口を開きかけたところで、ふいにルーシーが前に出た。
「わ、私にやらせてください!」
そう言って両手を突き出す。何を、と尋ねる前に彼女が唱えた。
「ホーリーライト!」
ぽっと彼女の手が白く光り、正面に小さな光の球が現れる。それは手のひらから弾かれるようにまっすぐ飛ぶと、魔物にぶつかる直前で弾けた。
え? とルーシーが顔を強張らせる。パキンと高い音がして、魔物たちを止めていた氷が砕け散った。素早く動き出した影に気付き、慌てて唱える。
「氷の盾!」
ルーシーに飛び掛かろうとした魔物は、彼女の目の前に現れた盾に体当たりをして後ろに跳んだ。よほど勢いが強かったらしく、盾にピシッとひびが入る。
「な、なんで? 魔法はちゃんと発動したのに……」
ルーシーは後退って、信じられないというように自分の手を見た。聖魔法を受けたはずの魔物たちに弱っている様子はない。
むしろ弾けた魔力を吸収したせいか、輪郭が濃くなっているようだ。
彼女を背中に庇いつつ、杖を握る手に力を込める。ホーリーライトは闇を祓う魔法だ。それ自体に物理的な攻撃力があるわけではないが、魔物に対しては最も効果的な魔法だったはずだ。それなのに、全く効いていないということは。
「もしかしたら、魔力の『溜め』がいるのかもしれない」
「た、溜めですか?」
ヒロインが使う唯一の攻撃魔法だからこそ、多くの魔力を消費するのだろう。ゲームでも1度使っただけで辺りの魔物をまとめて倒していたような気がする。
今ルーシーが発動した魔法はかなり小さかった。実際に魔物を倒すほどの威力を発揮するには、もっと大きな魔法を使わなければならない。
つまり、使おうとすればそれだけ魔力を消費することになる。
――練習は必要だが、こんなところで彼女を魔力切れにさせるわけにはいかない。
魔物たちはこちらを警戒しているのか、唸り声を上げたままウロウロと歩き回っている。こうなるともう針で留めるのは難しい。
それならば、と杖を向ける。
「氷の弾丸!」
円錐状の氷を周囲に生成し、魔物に向かって一斉に撃ち出す。アイススピアよりも魔力を消費するため滅多に使わないが、私の魔法の中では威力が高いはずだ。
期待通りに弾は魔物を連続で狙い撃ち、黒い影がさらさらと霧散した。2匹の魔物が跡形もなく消えたところで、はっとする。
「あと1匹は……」
「アレン様、あそこです!」
ルーシーが街灯を指さして声を上げた。いつの間に近付いていたのか、街灯の影から魔物がこちらに向かって飛び出してくる。
仲間を囮に使ったということはそれなりに思考力があるらしい。咄嗟にアイススピアを放つが、横に跳ねて避けられてしまった。
距離を取れないのであれば仕方がない。言い慣れた呪文を短く唱える。
「氷の剣!」
魔物が飛び掛かってくる。噛み付こうと開かれた口を剣で受け止める。ガキンッと硬いもの同士がぶつかる音が響き、腕に伝わった衝撃に小さく舌打ちをした。
――たった3匹のうちの1匹を見過ごすとは。
最近は魔物と対峙することがなかったから無意識に油断していたのだろうか。手に力を込め、そのまま切り裂くつもりで剣を振る。
魔物は剣を蹴って後方に跳び、難なく着地して唸り声を上げた。
剣を構え、ルーシーを庇うようにして少しずつ後退る。動きの速い魔物を相手に剣で戦うのは簡単ではない。一撃で消えるならともかく、まだ目の前の魔物には針のダメージしか入っていない。
かといって魔法を放つには距離が足りない。唱える際にどうしても隙ができてしまうため、この距離では魔物の攻撃のほうが早いだろう。
普段であればルーシーの手を引いて走ることもできるが、彼女が動き難いドレスを着ている今はそれも得策とは言えない。
どうするかと考えている私の後ろで、ルーシーが手を伸ばした。
「私がもう一度ホーリーライトを……!」
ルーシーの手が白く光る。それを合図にしたかのように、魔物が駆け出した。先程彼女の魔力を吸収したことを覚えていたのかもしれない。
迷いなく正面から走ってくる魔物に両手で剣を構える。もはや悩んでいる暇はなかった。この勢いを利用して攻撃ができれば、と足を踏み出す。
突然、地面から伸びてきた何かに剣を弾かれた。
え、と声が漏れる。何が起こったか分からず固まってしまう。しっかり握っていたはずの剣は空に打ち上げられ、手から離れたことで魔法が解けた。
足元に目を向けると、地面からは魔物よりも黒い触手のようなものが生えていた。それは鞭のように大きくしなり、瞬く間に消える。
視界の端で、杖がカランと地面に落ちた。
これは闇魔法だ。しかし、誰が? どうしてこのタイミングで?
考える間もなく魔物との距離が縮まる。杖を拾いに走る余裕はない。魔物が地面を蹴り、鋭い牙が眼前に迫る。悲鳴のようなルーシーの声が耳に届く。
その瞬間、目の前が真っ白になった。
「敵を貫け!!」
夜の闇を切り裂くように一筋の光が走る。それは天から正確に魔物を貫き、バチッと音を立てて地面に焦げ跡を作った。
灰のようになった魔物は、静かに闇に溶けて見えなくなる。
「ルーシー、アレン様! 大丈夫ですか!?」
背後から幼い声が聞こえ、ルーシーと共に振り返る。
ロニーは片手に杖を握ったまま抱き着くように飛び込んで来た。いつものように頭を撫でようとして、彼が髪をセットしていたことを思い出す。
代わりに両肩に手を置き、ほっと息をつく。
「……すまない、ロニー。助かった」
私がそう言うと、彼は黙って首を振った。遠くから魔物が見えて急いで魔法を使ってくれたのだろう。ぎゅっと腕に力が込められたのに気付き、心配させてしまったようだと申し訳なくなる。
しばらく呆然とロニーを眺めていたルーシーは、はっとして地面に落ちた杖を拾い上げた。よく見ると彼女も悲しそうな顔をしている。
「アレン様、すみません。結局何もできなくて……」
「気にするな。私も油断してしまった。私たちが無事なのはロニーのおかげだ」
そういえば、ロニーはどうしてここに来たんだろう。ライアンとダンスホールで待っていたのではと尋ねると、彼は顔を上げて口を開いた。
「他の生徒はみんないるのに、ルーシーとアレン様だけなかなか来なくて……何かあったのかと思ったんです。ルーシーを待つだけならライアンがいればいいし」
ロニーもダンスパーティーは初めてだから合流しても案内役にはなれないと考えたらしい。それなら自分も探しに行こうとホールを飛び出してきたそうだ。
夜に子供1人では危険だと思ったが、魔力調整も可能になった彼は魔法さえ使えれば誰よりも強い。実際、遠くからでも一撃で魔物を倒せるまでに成長している。
彼が来てくれて助かったと感謝しながら、3人並んでダンスホールへ向かう。
疑問は残っていたが、ひとまず誰も怪我をしなくてよかったと安堵した。
===
ホールに着くとすぐに入口の扉が閉められた。ロニーが言っていた通り、私たち以外の生徒はすでに集まっていたようだ。
ライアンと合流し、近くにいたエルビン先生にルーシーのことを報告する。先生は名簿にチェックを入れながら丁寧に頭を下げた。
「お迎えありがとうございます、クールソン様。間に合ってよかったですね。もう間もなくダンスが始まりますよ」
先程までホールの輝きに驚いていたルーシーは、それを聞いてわずかに視線を落とした。気付いたロニーが首を傾げる。
「ルーシー? どうしたの?」
「あっ、ううん。……こんなに広いところで踊れたら楽しいだろうなと思って」
彼女の言葉に、ロニーはきょとんとした顔をしている。当然ながらダンスは相手がいなければ踊ることはできない。婚約者がいない状態では、自分から誘うか相手から誘われるのを待つしかない。
ルーシーは苦笑いを浮かべて言った。
「ダンスの練習はたくさんしたんだけど、よく考えたら私みたいな平民と踊ってくださる方なんて……」
声は徐々に小さくなり、周囲の賑やかさに重なって聞こえなくなる。
――攻略対象としては、ここで誘うべきなのかもしれないが……。
ルーシーは純粋にダンスがしたいだけだろう。しかしこのホールで踊るということは、それだけで周りに相手が婚約者、または婚約者候補だと示すことになる。
たとえ相手が婚約者ではなかったとしても、想いを寄せている相手を指名することで他者を牽制する意図もある。
ゲームでは、ヒロインは選んだルートの攻略対象から誘われて踊る。彼女が誰のルートを進んでいるのか分からない今、私から声をかけるわけにはいかない。
ライアンは、とこっそり目を向ける。彼は顔を赤くして迷っていた。少し間を置いてライアンが口を開きかけたところで、先にロニーがルーシーの手を掴んだ。
「じゃあ、僕と踊ろう!」
「えっ?」
ルーシーは目を丸くする。ロニーは返事を待たず、そのまま彼女の手を引いて生徒たちの中に突っ込んでいった。
慌ててライアンが追いかけ、2人が通れるように道を開けてもらっている。
ホール中央に向かった彼らは、あっという間に着飾った生徒たちに紛れて見えなくなった。私も彼らを追うかと足を踏み出したところで、声をかけられた。
「アレン! よかった、無事に戻っていたんだね」
去年と同じく女子生徒に囲まれていたセシルが駆け寄ってくる。ライアンから話を聞いていたらしく、私がルーシーを探すために外へ出たと知っていたようだ。
「ルーシーもちゃんと参加できたみたいだね。先生から魔物を倒したことは聞いたけど、他には何もなかったかい?」
「ああ。特には……」
彼の問いに答えようとして思い出す。魔物と対峙した時、突然闇魔法によって杖を弾かれたこと。ロニーが来なければ確実に怪我を負っていた。
――あのタイミングで魔法を発動させるなんて、見ていなければ不可能なはずだ。
もしや監視魔法が関係しているのだろうか。闇魔法で思い浮かぶ相手を探し、周囲を見回す。不思議そうな顔をしている彼に顔を向ける。
「セシル、ホールでマディ学園長代理の姿を見たか?」
「学園長代理? そうだね、ずっと前方にいたと思うけど」
セシルはホールの前方へ目を向けた。確かに生徒たちの間からマディの灰色の髪が見える。さすがにみんなの前で闇魔法を使うのは難しいだろうと思うが、監視魔法がどういうものかは未だに分かっていない。
「学園長代理に何か用でもあったのかい?」
と、セシルがそう言った時だ。
ふいに生徒たちがざわついた。既視感を覚えつつ彼と顔を見合わせる。生徒たちの目はホール中央に向いているようだが、ここからでは何も見えない。
生徒の合間を縫って前に移動すると、彼らがざわついている理由が分かった。
生徒たちの視線の先ではルーシーとライアンが踊っている。いつの間にかロニーからパートナーを交代していたようだ。
このパーティーでは複数のパートナーと踊ることは特に禁止されていない。婚約者が決まっていなければ、複数人に誘われることもある。
他に踊りたい生徒が多ければ場所を譲ることもあるが、今踊っているのは彼らを含めて8組しかいない。
それなのにこうして目立っているのは、ルーシーが平民だからというだけじゃない。彼女の踊りが、周りの生徒たちと比較してもかなり上手いからだ。
「すごいな、彼女は初めてのはずなのに」
隣でセシルが感心するように言った。小さく頷いて同意する。ロニーと踊っていた時は人が多かったから、そこまで目立たなかったのだろう。
「ダンスの練習をたくさんしたと言っていた」
「そうなのか。ルーシーも努力家なんだね」
そうだなと返しながらルーシーに目を向ける。そして、心の中で呟く。
――まさか、ヒロインが2人目とも踊るとは思わなかった。
ルーシーがみんなと仲がいいのは知っていたが、今までも共通イベントではちゃんと攻略対象と2人きりになっていた。だから終盤のイベントであるダンスパーティーでも、誰か1人と踊るのだろうと考えていた。
ゲームにはハーレムエンドがあるとはいえ、現実的に考えてそれはありえない。貴族には側室制度も残っているがほとんど廃れている。たとえ聖女であっても、王族のセシルを含めた複数人の男性を侍らせるなんて許されるはずがない。
と、ついゲーム基準で考えてしまった。これはルーシーに失礼だなと首を振る。
彼女は単純に仲の良い友達と踊っているだけだろうし、ハーレムなんて意識すらしていないだろう。今はルートなんて関係ないのかもしれない。
そう思って小さく息をついたところで、ふいにルーシーと目が合った。
そして、それと同時に。
ドンと誰かに背中を押され、その勢いで前に踏み出した。